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 夜が明ける前に村へ戻り、それから睡眠をとって、目が覚めたのは日が昇ってずいぶん経った頃だった。何か食事をと台所に立つと、同じく目を覚ましたソラヤが「暑い」と小声でぼやきながら、洗面台へ向かっていく。その目と鼻の先の洗面台へ向かうだけなのに、彼女は煌々と輝くランタンをわきに抱えていくのだ。

 平鍋に火をかけ、油を垂らした時、女性の歌声がこの家に珍しく響いてきた。歌詞は無茶苦茶で、まるで異国語のように聞こえるが、その歌は確かにシルシのレクイエムだった。

 顔を洗って台所に顔を出したソラヤは「おはようございます」軽く頭を下げて、椅子に腰かけた。

「おはよう。飯食ったら、ちょっと手伝え」

「はい。分かりました」

 ソラヤの前に香草パンが入った籐籠を出し、焼き立ての野菜炒めを皿に入れてやる。

「あの、食事の後に何かするんですか?」

「ああ、食べ終わったら着替えて店の中で待っててくれるか」

「分かりました」

 ソラヤは食べ終わった食器を流し台に持ち運び、自分で皿を洗い始めた。自分で皿を洗う姿は様になっていて、どこかの貴族の娘ではなさそうに思えた。彼女が誰だろうという謎はさらなる深みを帯びていく。

 桶に張った水で皿をすすぎながら、再び歌を歌い始める。今度は鼻歌で、レクイエムを歌詞もなく音階だけで奏でるのだが。

「それ、どこで覚えた」

「一日中聞いていれば私だって覚えてしまいます」

 村を歩いても、戦地を歩いてもそこら中で聞こえてくるのがこの定番の鎮魂歌であるシルシのレクイエムだ。いくら耳なじみのない歌であろうと、一日中耳にしていれば自ずと覚えてしまうもの。

 だが、気になる。

「違う。そこはアーではなくてラー」

「え?」

 耳でなんとなく覚えたせいもあり、音感がズレ過ぎている。音痴という事ではないが、歌の才能はおそらく無いだろう。

「だから、いつもそこが半音下がるんだ」

「はい。すみません」

 再びソラヤは恐る恐る歌い始めるが、一つ直してもまた一つ狂いが出る。

「ちょっと待て、そこはもう少し低めだ。ンーではなくウーだ」

「うわ、すごい神経質」

「は?」

「いいえ、何でもありません」

 ソラヤの眉尻はずいぶん下がり。今にも泣きだしそうに瞳を潤ませていた。

 食事後、二人で店の調合室で薬草を煮立てることになった。ここは花煙草の配合を客好みに組み合わせる部屋で、薬剤を挽く臼や加熱する簡易な竈も備え付けてある。

 今朝、拍子様付きの若者が帰る間際に駆け寄ってきて、薬草を分けてほしいと頼んできた。煙草は加工方法を変えると、鎮痛薬や消毒効果を持つものも多くあるので、加工して届けると返答した。しかし、付き人は昼頃には取りに伺うというので、急いで煎じることになったのだ。

 日が一番真上に上るころ、約束通り付き人は店に現れた。夏の昼日中に外へ出とは思えない程顔色が青白く、寝不足そうな目には真っ黒のクマが浮き上がっていた。

「トキトさん、無理をいって申し訳ありません」

「構わねえけど、兵士たちに売ったばかりで在庫があまりなかったんだ。少なくて悪い」

「いいえ。助かります」

 付き人は弱々しい手つきで煎じた薬を受け取ると、ふらふらと眩暈を起こしたのか、近くの壁に寄り掛かった。

「おい、大丈夫か。少し座ってろ。死にそうな顔をしてるぞ」

「大丈夫です。ただの寝不足なだけですから。良かったら病院の手伝いに来てくださいよ」

 俺は「嫌だ」と断り、彼を無理矢理に椅子に座らせ、滋養効果のある薬草をお湯出しにして出してやる。

「はあ。相変わらずこのお茶は不味いですね」

「つべこべ言わずに飲め。ところで、どうしてそんなに薬草がいるんだ?ババアの蔵には腐るほどあるだろうに」

 村一番で薬剤を保有しているのは、村長である拍子様だ。あの蔵は一軒家ほど大きく、堆く薬草を積み上げているはず。

「それが、拍子様の薬剤はみんな、兵士たちに持っていかれました」

「そういうことか。因みに、どっちだ?」

「グッタの僧兵です。怪我人も多いっていうのに、これでは感染症で全員死んでしまう」

 戦が起こると、近くのルシオラの村々が襲われ薬剤を略奪されるのはよく聞く話だが、何が「神に仕える高貴なる僧兵」だ。やっていることはこの辺りで浮浪している追いはぎや山賊らと変わらない。

「あいつらは、俺らの村を便利な無料薬剤庫だと思ってるんだろうな」

 俺の一言に付き人の青年は押し黙ってしまった。静まり返った雰囲気の中、台所で器具を洗っているソラヤの鼻歌が聞こえてきた。さっきから何度も注意しているのに、まだ同じ部分の音を外している。

「おじさん。洗い終わりました。あ、今朝のお兄さん。いらっしゃいませ」

「はい。薬を用意して頂いて、ありがとうございました。レクイエムを覚えたんですね」

「ええ、まあ。」と言って、俺の表情を窺っている。言ってしまいたかった。まだそれは覚えたとは言えないと。

「可憐な歌声で素敵です」

 今にも死にそうな顔をした青年は女性を褒める方法をその若さですでに知っているらしい。ソラヤも男性に褒められて満更でもなさそうに照れている。

「でも、最後の辺りはマーではなくてアーです。裏声部分が外れていましたよ」

「ルシオラなんてみんな一緒だ!」

 ソラヤの落胆した表情は、まるで急に落とし穴に落ちたように急降下で曇っていった。


 その日の夕方、薬のお礼にと拍子様が果物と野菜を盛り合わせた籠を持って家にやって来た。それにしても昨日から可笑しい。兵士たちは薬剤を巻き上げるだけにとどまらず、村中の食糧まで掻っ攫っていくはずだ。それなのに肉や果物などの高級品が俺の所まで行き届くのはどこか可笑しいとしか思えない。

「ババア、昨日の鶏肉といい、今日のこれはどこから持ってきたもんなんだ?」

「歌わない人間には関係のない話さ。ソラヤに食わしてやんな」

 拍子様は表情一つ変えず、来た道を戻ろうとする。

「俺が歌えば話してくれんのかよ」

「もう、歌わなくていい。それに魂の殆どはプルモに引き渡したからね」

 切り取られた魂はプルモと呼ばれる種族が回収にやってくる。彼らは魂を集める大きな籠を背負ってどこからともなくふらっと現れる。彼らが魂を集めてどうするのかは、誰も知らない。

「トキト、あの子がどこから来たか、聞いてみたかい?」

「それが、よく覚えていないらしい」

「そうかい。なら、あの子はどこへ帰したらいいんだろうね」

 どこから来てどこへ帰すのか。そんなことを一番知りたいのは、俺でもなくソラヤ自身だろう。

「トキト、養女にでもするかい?」

「冗談を。ルシオラ以外はこの村には住めない掟だと厳しく言ってきたのは、ババアだろ?耄碌でもしたか?」

 ルシオラは古来よりよその人種を受け入れたことがない。死人やその魂を扱う者たちとして距離を置かれてきたということもあり、よそ者とは一線を引いている。

「あんたがその気なら、村の外に家でも買ってやろうと思ったんだがね」

「いい年して、老人に物を買い与えられるなんて、死んでも嫌だ」

 拍子様は少しハハハと笑って「そうかい」と珍しく優しい声で答えた。口の悪いババアが優しいなんて、明日は真夏なのに雪が降るに違いない。

「なら、ソラヤは生きる場所を探さなければならないね」

 拍子様の小さく弱いため息が零れ、生暖かい風が店の中に入り込んできたとき、一緒に鈴の音のような金属音が鼓膜を揺らした。その音はだんだん大きくなり、近づいてきていることが分かる。この村に鈴を持ち歩いている人間なんていない。この音はよそ者だ。

「これはこれは、村長殿。このようなところでお会いできるなど、夢にも思いませんでした」

 店の前で鈴の音がぴたりと止んだ。そして音が止まったと同時に聞きなれない男の声が鳴り響いた。

「ここは私の村だ。どこにいたって不思議じゃあないさ」

「これは失礼を」

 現れた男は真っ青の外套に同じ色の頭巾のような帽子を目深に被っている。年の頃は俺と同じくらいで、腕には銀色の鈴が付いた腕輪をしていた。この服装はグッダの僧侶だ。しかもなかなかに上級僧侶に違いない。

「今日は村長殿にお願いがあって伺ったのです。我々神兵に今一度援助をお願いしたい」

 神兵とはグッダが自分たちの兵士をそう呼ぶ。

「援助と言われても、こっちは全財産を納めた蔵をあなた方に開放し、負傷兵を村の病院で治療している。それ以上の援助とはなんだい?」

 僧侶は嘘くさい笑みを崩すことなく、落ち着いた声で話を続ける。

「神兵の多くはまだ、深い傷による痛みと感染症の恐怖から救われていません。彼らはすぐ側に死を感じているのです。ルシオラが煎じた薬はとてもよく聞きますが、それでもすべての者にはまだ行き届いていないのです。どうか、この西側の国々を守るため王国兵と戦った勇敢な者たちに再び慈悲を頂きたい」

 とどのつまり、もっと支援物資をよこせと言ってきているのだ。こんな辺鄙で小さい豊かでもない村から搾取して、こいつらに良心というものはないのだろうか。当たり前のように物資が無料で手に入ると本気で思っているのだろうか。

「苦しむ子らには同情するが、ご存知の通り、私の蔵にはもう何もない」

「そうですか。因みに、こちらは何屋さんですか?」

 僧侶が俺の方に顔を向けて、崩れない笑顔を浮かべたまま、そう質問してきた。

「ここは煙草屋だ」と答えると、僧侶は一度頷いて見せる。

「昔から、花煙草の原材料は加工の仕方を変えるだけで薬剤になると聞いています」

 薬になりそうなものを片っ端からかき集めようという魂胆のようだ。しかし、そういう訳にはいかない。こっちだって生活が懸かっている。

「悪いが、煙草は戦の前に全部売っちまって売り切れ中だ」

「そうですか。それは残念です」

 とても残念そうな顔ではないし、声音にははっきりとした苛立ちを感じる。感情を隠そうとしても無駄だ。ここでは感情は声で読み取るものだと幼いころより教えられるのだ。ルシオラの耳を舐めてもらっては困る。

「神は、苦しむ者を軽んじる心も身勝手な嘘もご存じです。あなた方お二人が健やかであるように私が祈っておきましょう」

 腕輪の鈴を二三度鳴らし、目を閉じて祈るような仕草をとるが、どこか芝居がかって見える。

「祈ってもらって悪いが、ルシオラに神はいない。だからあんたらの言う天罰も下らない」

「っ……」

「トキト、口が過ぎるよ」

 僧侶が俺を鋭い眼光で睨みつけ何かを言おうとしたので、とっさに拍子様が口を挟んで遮った。ようやく本音が聞けそうだったのに、惜しいことするババアだ。

「僧侶殿。王国兵は徐々に陣を退いて壁向こうへと帰っていっている。明日には西側から完全撤退をして壁も閉じられるだろう。そちらさんも国に帰ったらどうだい?」

「お気遣いなく。王兵が壁を閉じたのを確認次第そうしますよ。それでは」

 僧侶は涼しい顔をしたまま青い外套を靡かせて去っていく。その後姿は夏には暑苦しく、見ているこっちが汗をかきそうなほどだ。

「あんな分厚い着物着て暑くないのかね」

 拍子様も同じことを思っていたらしい。

「神を信じれば汗すら止まるんじゃねえの」

「かもしれないね」

 そして拍子様はさっきの僧侶が何か問題を起こしていないかどうか確認すると言って、店の外へ出る。

「欲しいのはラグレインだろうに」

 ラグレイン。それは病原菌を殺す薬の名だった。

「トキト、たまには病院に顔を出してやりな。幼馴染が会いたがっているよ」

 拍子様が去り際にそんな珍しいことを言ったが、俺はあの幼馴染の医者は苦手にしているので軽く断った。



 これは困った。拍子様を見送って、店の扉に鍵をかけ、家に戻るとソラヤの姿が見えない。そういえば、僧侶が来る前くらいから、下手な歌が聞こえなくなっていた。近所を探し回ってもソラヤの姿は見えず、彼女を見かけたという人にも出会わない。土地勘もない少女が一人で出歩けばどうなるだろうか。年頃の若い娘が飢えた兵士たちの前をうろつけばどうなるだろうか。

「このままだったら、迷い疲れて暴漢に襲われるぞ」

 早く見つけなければ日も暮れ始めている。死者の所持品を盗もうとする賊すら徘徊し始める時刻にもなるし、野生の獣も死肉を漁りに山から下りてくる。最悪の事態ばかり頭をよぎって、夏場にもかかわらず冷や汗をかかせるのだった。

 ソラヤをようやく見つけたのは、壁近くの死体置き場だった。王国兵が自国の戦死者を荷台に乗せるために集めてある場所で、歌うルシオラ達の中に彼女の姿が見えた。

 未だに魂が残った遺体があるらしく、荷台は空のままで、王国兵はルシオラの仕事が終わるのを待っている、そんな静かな風景だった。

 一人また一人とルシオラが魂を連れて立ち去っていき、残された遺体を王国兵は機械的に荷台に乗せていく。そして最後に残ったのは下手な歌声だけ。もう、辺りはすっかり夜になり、はっきりと星の形が見えるほどだ。

 ソラヤはここで歌を歌っている。戦場で息を引き取った兵士に鎮魂の歌を。しかし、いくら音程通りに歌えたとしても何の意味もないのだ。

「ソラヤ、もうやめろ」

「嫌です。私だってできます」

 諦めずに歌い続けるのだが、冷たくなった体から光るものは浮き上がってくる気配もない。

「いくら歌っても無駄だ。あんたはルシオラじゃない。歌に力がある訳じゃねえんだ。ソラヤ、いい加減にしろ!」

 彼女の手を握ってこっちの話を聞かせようと引っ張ると、ようやく歌うのをやめた。

「なんで勝手に出て行って、こんなところで歌ってるんだ」

「魂を呼び出せたら、おじさんの近くで、村で生きていけると思ったから……」

「ババアとの会話を聞いてたのか」

 村にはルシオラ以外は住めない決まりという話を聞いて、彼女なりに村に残れる方法を探したという事だろう。

「私、帰る家もあるかどうか分からないし、知り合いも家族もいないかもしれない。この先どうやって生きていけばいいのか分からない。自分にもルシオラの仕事が出来ればいいのにって思って……」

 暗くてはっきり顔が見えないが、涙声だという事は分かる。

「ルシオラの血を受け継いだ奴だけがこの仕事をすることが出来るんだ」

「私、幽霊が見えるからもしかしてって」

「ユウレイってなんだ?」

 ソラヤが説明するには、幽霊というのは死んだ人間から抜け出てくるぼんやりとした光る霧で、その霧は喋るのだとか。

「俺にはその幽霊ってのが見えない。ソラヤはルシオラとは違う種族なんだろう」

 ソラヤはますます困ったような返事をして、押し黙ってしまった。

「この遺体は何って言ってるんだ?」

「国に帰りたいって、どうやったら戻れるのかって聞いてます。もう死んでしまったって説明しても信じてくれません」

 近くには俺たち以外にルシオラの姿は見えない。王国兵も俺たちが仕事を終えるのを待っているようで、じっと座ったままでそれ以外にやることはなさそうだ。

「ソラヤ、どうしてルシオラが死者に歌を捧げるか分かるか?」

昔、ある人に「どうして歌を歌うのか」と問われたことがあった。その時、俺はどう答えただろう。

「どうして?」

「さあ、俺にも分からん」

 そう言って、俺はその場に腰を下ろして胡坐をかいて目を閉じた。

 歌わないと決めても、なんだかんだと簡単に歌ってしまう。意志が弱いのか、それともこの身に流れるルシオラの血が強いせいなのか、どうしてもやめることが出来ない。

 口遊むのではなく腹の底から息を出すように喉を震わせ、肺に大量に空気を送り込む。何年ぶりだろうか。こんなに声を出して歌ったのは。

 死者に呼び掛けるように空気を震わせる。何のために俺たちは歌うのだろう。

 一曲が終わるころ、目の前の遺体から魂がゆっくりと姿を現し、俺はソラヤの目の前でその魂を黒いナイフで切り取った。

「おじさん、歌が上手だったんですね」

「一応、これが本業だからな」

 さあ、帰ろうとソラヤを立たせて村へ戻ろうとした時、後方から人が駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。

「待ってくれ」

 蝋燭の入ったランプ片手に走ってきたのは王国軍の男で、立派な羽織には名家の文様が描かれており、兵士というよりは貴族騎士でおそらくこの部隊の将ではないかと思われた。

「とても素晴らしい歌を聴かせていただいた。我が兵士達を弔って頂き心より感謝を述べたい」

 とても誠実そうな声の男で、大人っぽい雰囲気だが年は俺より若い。

「感謝なんていらない。こっちは役目を果たしただけだ」

「ルシオラ殿、一つ質問してもいいだろうか」

「質問?」

「どうしてあなたは古語で歌われるのだ?」

「大した意味はない。ただ、そっちの方が歌い心地良いってだけだ。それ以上の意味はない」

 俺がそう言うと、ソラヤが「聞き心地も良かった」と大いに感動して言うと、騎士はソラヤの嬉しそうな姿につられて一緒に笑顔を浮かべる。

「私も、娘さんと同じ意見だ」

「ちなみに、こいつは俺の娘じゃないからな」

「それは失礼した。その歌は東のルシオラ達も古語で歌えるだろうか」

 中央山脈が出来て以来、ルシオラは西と東に別れてそれぞれの道を進むことになったという。西ではよそ者を排除し、ルシオラだけで生きていく道を選び、東ではケルウス王国の国民として市民権を得て、人間と共存して生きる道を選んだ。

「さあ、東の奴らが古語を捨てたかどうかまでは知らねえが、歌までは捨てはしないだろう」

 ルシオラという生き物は歌をこよなく愛する生き物だという。楽譜を捨てることが出来ない性分であることにきっと間違いはない。

「歌の名は?」

「追憶の歌。あらゆるものを懐かしみ、感謝と共に別れるという歌で、本来なら天寿を全うしたような者に歌われる歌だ」

「どうして志半ばで倒れた兵士にその歌を?」

「ただ、気に入っているだけだ」

 志半ばであろうが、老衰でその命が付きようが、天寿を全うしたことに変わりはないだろうと思うから、俺はこの歌を歌う。

「実にいい理由だ。その歌の名を覚えておくとしよう。私もこの歌を気に入った。自分のレクイエムを追憶の歌にしよう」

「あんた、まさか……」

「お二方、村まで送って行きたいのだが、何かと忙しいもので、ここで失礼することを許していただきたい。くれぐれも気をつけて帰られよ。我々も明日には壁を閉じ、自国へと帰還する。ルシオラの方々には感謝してもしきれない、それに頭を下げないといけないのはこちらの方だ。きっと仲間たちもあなた方の歌を聴けて自らの死を悟り、安らかに眠れるだろうから。本当にありがとう。そしてすまないと村長に伝えてくれ」

 ソラヤが騎士に名を尋ねた。彼はディアン・アルスメールと名乗って、優しく微笑んで見せた。嫌味や毒気など微塵も含まない、清々しい男だ。

「ディアンさん、それではまた、どこかで会いましょう」

 ソラヤがそんな不思議なことを言うもんだから、騎士は困ったような微笑みをたたえて深々と頭を下げたのだった。

 この戦いの勝敗は、王国軍の降伏で幕を閉じたという言う。手勢の少ない王国軍は壁を越えるや否や、大群で固めたグッダの僧兵軍に返り討ちに合った。すぐに王国軍は壁の東側に敗走し降伏したという。一体、何のための戦いだったのだろうかと村人たちは疑問視するほど、あっけない戦だった。

「王国の兵士っていい人もいるんですね」

「ああ、あんな奴は珍しい」

「また、会えるかな?」

「ああいう男が好きなのか?」

「そういう意味じゃないです。いい人にはもう一度会いたくなるもんでしょう?」

 俺は「そうかもな」と答えて、村へ続く道を急いだ。

 敗戦の将が国に帰るとどうなるかぐらい、田舎者でも知っている。ケルウスでは打ち首だ。ソラヤがあの男に会うことは二度とない。

 ソラヤと俺はぷかぷか浮く魂を連れて夜空の下をゆっくり来た道を戻っていく。



 村はずれの山へ続く細い獣道の入り口に大きな樽を背負った少年が蹲っている。この辺りでは見かけない顔の少年で、身なりもくすんだ色のヨレヨレした服で髪も誰かに引きちぎられたような散切り頭だった。

「ねえ、大丈夫?」

 ソラヤ駆け寄って声をかけると、少年ははっと驚いて樽を背負ったまま尻餅をついた。

「どこか怪我でもしたのか?」

 少年は細い首を横に振って、後ずさりし始める。よほど目の前の俺の顔が怖いのか、終止怯えていて話しかけるたびに、両手で頭をかばうような仕草をとる。動くと背中の樽の中で水音がちゃぷんとなっているので、少年はどうやら山水を汲んで下山してきたところのようだった。

「水を汲むのはいいが、その牛蒡のような足じゃあその樽は大きすぎるぞ。手を貸してやろうか?」

 少年は首を再び横に振る。どうしてこの子は何も喋らないのだろうか。

 樽の重みで立ち上がれない少年は、泣きそうになりながら一度樽を背からおろし、再び背負おうとするのだが、両足に力が入らず、樽を転がしてしまった。

「言わんこっちゃない。人の親切は有り難く受け取っておくもんだ。それに樽なんだから転がして進めばいいじゃねえか」

 転がった樽を受け止めたのは、一人の僧兵だった。

「こんなところにいたのですか。大切な刻印の入った樽を転がすなど、罰当たりですね」

 僧兵は戦も終わっているのに未だに甲冑を着込み、口元があいた兜を被っている。

「さあ、今すぐに野営地に戻りなさい」

 少年の背に水の入った大樽を躊躇なく乗せ、僧兵は自分が来た方角を指さした。

 少年は足をガタガタ震わせながら一歩一歩狭い歩幅で進んでいく。

 神聖な戦地に僧侶でもない子どもの奴隷を連れてきたということは、ますますグッダの人手不足は深刻らしい。

 僧兵が苛ついたように甲冑の擦れる音を大袈裟に鳴らしながら、少年を置き去りにして先先へと進んでいく。

 自分でも不思議なのだが、気づけば右手にいつものナイフを握っていた。あの樽に穴をあけて困らせて、この苛立ちを発散してやろうかと思ったその時、僧兵が足の遅い少年にしびれを切らして、引き返してきたのだ。そして「とっとと歩きなさい」と言葉を投げ捨てて、金属を纏った右手で少年を殴り飛ばしたのだ。少年は簡単に膝から崩れ落ち、樽と一緒に土の上で倒れ、同時に樽からは歪が出来たのか水がだらだらとこぼれていく。

 ソラヤが真っ先に駆け寄ると、少年は気を失っていて、揺すっても呼び掛けても返事がない。僧兵が何とか起こそうと手を出そうとした時、俺は芝居を打つことを決めた。

「……黙っててやるよ」

「は?何を言っているんです?」

「グッダでは神に仕える者は聖戦以外での殺人を認めていなかったはずだ。殺人での最高刑は死刑だったか?」

「何を言っているんですか。少し打ったくらいで死ぬはずがないじゃないですか」

 兜で表情は読めない。しかし明らかに声は動揺して震えているのが分かる。

「もともとこの子は弱っていた。見るからに栄養不足だ。そのうえ過労も窺えるし、その上あんたの手袋は金属だ。石で殴るのと変わらない。弱った人間を鈍器で殴打するとどうなるかくらい分かるだろう?」

「その子を返しなさい。衛生兵に治療させます」

 ああ、歌わないと決めていたのに。どうしてこうも歌わなくてはならない場面ばかりがやってくるのだろうか。どうして俺は歌ってしまうのだろう。

 ルシオラが歌を歌う。それは人が死んだという事。それにこうして、魂も連れているから、ルシオラであることを信じさせるには丁度いい。僧兵は後ろ向きにヨタヨタと逃げようとし始める。

「黙っててやるから、この少年は山で滑落して死んだという事にしたらいい」

 歌を再開させると、僧兵は足早に逃げ去っていった。



 どうして急にこんなことをしたのか自分でも理解が出来ないでいる。もともとそんなに善意の多い男ではないし、面倒見の良い質でもない。子ども好きではないし、人恋しいという訳でもないが、いつの間にか人を二人も連れてきてしまっている。

「トキト、アンタが人助けをねえ」

「ババア、何も言うな」

「父性かねえ」

「黙っててくれ」

 病院にはグッタの僧兵も入院してるので、一先ず拍子様の家に少年を連れ帰った。拍子様の家は村で一番大きな屋敷で、使用人も数人住みこんでいるので、怪我人の看病を頼むには向いている。

 俺がプルモに連れてきた魂を引き渡して戻っても、寝台に寝かされた少年は未だ目を覚まさず、苦しそうに目をつぶっている。

「あ!」

 突然大声を上げて、周りの人間を脅かしたのはソラヤで、今にも泣きだしそうな顔で俺の服を引っ張った。

「なんだ、急に大声を出して。吃驚するだろう」

「忘れたんです」

「何を?」

「ランタン!」

 最悪だ。何が幸運の灯だ。彼女が唯一自分の身元を証明できる物を失うなど、最悪としか言いようがない。

「どこに忘れてきたんだ?」

「さっきの、ディアンさんと出会った場所」

「もう、諦めろ」

「そんな、今戻れば……」

「たぶん、無理だ」

 あんな貴重なもの、とっくに盗られている。あの辺りは、戦死した兵士たちの遺品などを盗む人間がよく出歩いているし、時間が経った今、戻ったところで同じ場所にランタンは存在しないだろう。

「嫌、今から戻ります」

「ソラヤ、やめておけ。もう、ルシオラ達も殆どいない、辺りは真っ暗だ。獣もウロウロし始めたって聞く、危険すぎる」

 人間の持つ松明や魂の光が減ると、野生の獣たちが闇に紛れて森から下りてくる。あいつらは肉食で、ソラヤのように細い人間くらい一口で噛み殺すことが出来るだろう。

「残念だけど、諦めるしかなさそうだ。もし行くなら日が昇ってすぐしかないね」

 拍子様もそう言うので、ソラヤは涙を浮かべながら歯を食いしばった。

「時に諦めることは肝心ですが、今回は必要ありませんよ」

 この部屋には確か、俺とソラヤと少年と拍子様だけだったはずだ。突如現れたこの、背の高い女騎士は誰だ?

「何度か声を掛けたのですが、お取込みの様子で、不躾ながら上がらせていただきました」

 女騎士は王家の文様であるアルゲオの花が描かれた髪飾りを付けている。歳は二十代前半で、溌溂とした雰囲気の美女だった。

「あんた、誰?」

「あ、申し遅れました。私、アルスメール領ディアン部隊で隊長補佐を務めております、ヴィオリーナ・ハンゼアートと申します。ヴィオとお呼びください」

 一兵士といよりは育ちのよい女騎士といった風で、背筋も真っすぐに伸び、声の通りも良い、人の目を真っすぐ見て話をする人だ。

「諦めることは無いとはどいういうことですか?」

 ソラヤが涙声でヴィオに話しかける。

「我が隊長ディアン・アルスメールより預かって参りました。お探しの物はこちらでしょうか」

 ヴィオが脇に抱えていたのは黒い布に覆われたソラヤのランタンだった。

「ありがとうございます!」

「お礼など良いのです。皆さんは仲間たちに良くしてくださった。礼を言いたいのはこちらですから」

 ソラヤは跳びついて喜び、ランタンを力強く抱きしめてまた泣き始めた。ソラヤがランタンを抱きしめた時、黒い布袋からひらひらと紙が落ちたので、拾い上げるとそこには目の前の女騎士の名が書かれてあった。

「ハンゼアートさん、あんた宛だ」

 俺が手紙をヴィオに差し出すと、彼女は驚いた顔をし、筆跡に心当たりがあるのか、開く前から顔色を悪くさせた。

「灯と椅子を借りてもいいですか?」

「ああ、構わないよ。好きなところに座りな」

 拍子様の許可を得て、ヴィオは窓際の椅子に腰を下ろすと、深呼吸して手紙を読み始めた。そして眉間に皺を寄せながら大きなため息をつき、頭を抱える。

 何十回目のため息ののち、手紙を折りたたんで胸のポケットにしまうと、おもむろに立ち上がり、唐突に俺たちに質問してきた。

「少年を見ませんでしたか?」

「少年なら、そこに寝てるけど?」

 俺が寝台で横になる散切り頭の少年を指さした。

「いいえ、彼ではなく。歳は二十歳前で、濃い茶色のふわっとした髪に、真鍮で出来た蝶の耳飾りをしているんです。身長は私より少し低いくらいで、ここで寝ている彼よりも、田舎臭くなく、垢抜けていて、小奇麗で、もっとこう、美少年なんです」

 少年が眠っていて良かったと思った。

「そんなヤツは見かけてないな」

「そうですか」

 残念そうに肩を落としたヴィオだったが、すぐに気持ちを持ち直し、拍子様の元へ大股で近寄っていく。

「村長様。私、たった今手紙にて除隊命令が出されました」

「え?」と一同が驚いている中、女騎士は淡々と話を続けていく。

「明日私は帰国しません、しばらく負傷兵と共にこの村に滞在させていただけませんでしょうか。もちろん私も微力ながら同胞の看病をいたします」

「もちろん構わないけど。あんた、隊長補佐なんだろう?いいのかい」

「はい。私はディアン様を信じていますので」

 そう、はっきり言ってのけたが、表情はどこか複雑で少し悲しげでもあった。

「ですので、私はここで負傷兵を看病しつつ、少年を探します。もし該当するような者をお見掛けしましたらご一報お願いいしたします」

 だんだん、ヴィオの瞳がキラキラと輝き始めた。瞬きすれば何かが零れ落ちそうだ。

「すみません。ちょっと失礼します」と言って、彼女は少し開けていた窓を大きく開け、身を乗り出して夏の空に向かって叫び始めた。

「ディアンのバカヤロー!」

 あまりにも良く通る声だったので、眠っていた少年が驚いて跳び起きてしまった。

 その後、ヴィオは膝から崩れ落ち、小さく蹲って静かに泣き続けた。

 泣き止んだのは日が昇ったころで、すぐに負傷兵の看病に向かうと言い、家を飛び出そうとするのでソラヤと俺とで必死に止めた。

 隊長を見送りに行こうと説得してみるが、頑なに拒まれてしまう。ヴィオは何かしらの覚悟を決めたらしく、王家の文様が入った髪飾りを外し、甲冑を脱いで、病院へと急いだのだった。

 その日、太陽が真上に昇る前に、壁は閉じられた。戦場後には王国兵の死体が一人も残されていなかったという。その翌日、グッタの僧兵も壁を補修し撤退した。可笑しな戦がこれでようやく幕を閉じたのだった。

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