最後に
2018年
あれからボート仲間たちは、ドキュメンタリードラマが軽く2、3本できてしまうのではないかと思うぐらい、色々なことがあった。
それでも多くが、今でも変わらずボート暮らしをしている。
Wは寝泊まりできる釣り用のボートだけを所有して、ボートとAのところを行ったり来たりしている。
相変わらずめちゃくちゃで、数回ミニ事件や事故などを起こして大騒ぎになったり、何度も浮気してAと修羅場になったりと、ドタバタだけど、自分の娘のMAちゃんだけは、無条件に可愛がっている様子だ。
旦那とも飲みに行ったり、電話はけっこう頻繁にかかってくるので、あまりためにならないW情報は、いつも盛りだくさんだ。
Aはどんなことが有ろうが、苦境に立たされようが、変わらず強く生きている。
今でも数ヶ月に一度ぐらいの周期で、娘たちを遊ばせながら、互いに近況報告をし合ったりしている。
親分のPは結局パートナーと別れ、手切れ金として持ち家を彼女にあげたそうだ。
そして、ボート仲間の仲間割れの原因となった20歳年下の若い子と、晴れて一緒になることができて、ちょっとした田舎に停滞場所を借りて、二人で一緒にボートに住んでいる。
恰幅のいいPは、彼女と一緒になってから、どうやって?とコツを聞きたくなるぐらいに痩せて、服のセンスも若々しく変わってしまい、人って環境でガラッと変わるんだなあと、改めて関心させられた。
もちろん、Pはやっぱり今でも親分肌で、皆に慕われている。
強烈な双子は、Pと女の取り合いで仲が悪くなったかと思いきや、調子のいい二人。
ボートをPのいる場所に移動して、相変わらずPの恩恵を受けながら、仕事をしたりクビになったり、暴れたり騒いだりしながら日々を送っている。
彼らはわたしたちが引っ越した当初は、「お腹が空いた」とよくうちまで徒歩40分ほどかけて来ていたが、今は田舎に移動したので、時々旦那に電話してきたり、旦那が遊びに行ったりしている。
他の仲間たちも一緒に田舎に移動してしまい、小さなコミュニティーを作って時々移動したり、居座って罰金を払わされたりしているようだ。
一人だけ旦那を崇拝している若者がいて、彼に関しては、遠いのにもかかわらずよくうちに来る。
家族で出かけると言っているのに、なぜか一緒に付いてきたりして、時々微妙に邪魔だけど......
あと、数人のボート仲間たちは、それぞれカナルに出たり、その辺を毎日移動しながら暮らしていたり、実家に引っ込んでしまったりと、バラバラだけど、旦那とソーシャルネットワークで繋がっていて、みんな元気に生きている。
たった一人だけ、悲しいことに、今年の冬にボートから冷たいテムズ川に転落して、亡くなってしまった。
彼の死は、新聞に載るわけでも、ニュースになるわけでもなく、なぜか葬式もボート仲間は全て出席拒否され、親族だけで小さなセレモニーをしたようだ。
たった一つの命が、何もなかったように、消えてしまったことに、わたしたちはすごく虚しい気持ちになった。
彼の彼女は、わたしがボート暮らしをしていたときは、若々しくて可愛かったのに、今は10歳分くらい老けてしまい、最近久々に会ったとき、わたしはあまりの変わりようにびっくりして、挨拶以外は声も出なかった。
それから、とてもお世話になってボート生活には欠かせなかったエンジニアのANが、2016年に癌で亡くなった。
末期癌だと告知されてから約半年の闘病期間、彼は最後まで彼らしく振舞っていた。
AやWを筆頭に、わたしたちがどんなに救いの手を差し伸べても、彼は「一人で大丈夫だ」と言い張り、ギリギリまでボートに住み、毎日タバコをくわえながら大好きなビールを飲んで、弱いところなど一切見せなかったのだ。
突然容態が悪化して、病院に入院してから亡くなるまでの2週間は、彼の娘夫婦や、ボート仲間が絶え間なく彼を見舞っていた。
最後の日、ボート仲間たちがたくさん集り、わたしも仕事が終わってから走って病院まで行った。
その時のANは、もうほとんど夢の中にいるような状態だった。
みんなが一人一人彼の手を握っているとき、彼は息も途切れ途切れで、ほとんど目も開いていなかった。
でも、Wの手だけはしっかりと握り返していた。
長い長いボート生活で、一番多くを知っているWに、ANは何か伝えたかったのだろう。
そして、自分の家族よりも誰よりもWを待っていたのだと思う。
皆が集まってから30分後に、ANは帰らぬ人となった。
お葬式は、本当に盛大に行われ、わたしたちはまた更に、ANの大切さを実感したのだ。
いいも悪いも、生きていると色んなことが起きて、変わりたくなくても変わらなければいけなかったり、変わりたくても変われなかったり。
がんばっても報われなかったり、せっかく手に入れても無くしたり。
泣いたり笑ったり。
それで、じゃあわたしたちって結局何のために生きてるの?
とか、問いかけてしまいたくなるような心境で、わたしは今ボート仲間たちを思い出している。
わたしがこうやって彼らの物語を残したことで、小さな彼らの存在が少しでも大きくなるといいなと、心から思っている。
そして、わたしにたくさんの影響力と自信を与えてくれた仲間たちに、こんな小さな見えない場所で、しかも日本語だけど、感謝の気持ちがいつか伝わるといいなと願っている。
そうそう、わたしたち家族は、と言えば。
不思議なことに家暮らしを始めてから、ボートで暮らしていたときは見えなかった小さなものが見えてくるようになった。
花の色とか季節の風の変化とか、ボート暮らしのときは毎日のように自然と一緒になって過ごしていたはずなのに、花一つ一つに命があることすら、どうでもよかったのだ。
家に住んでからあっという間に月日が過ぎて、今でもお風呂に浸かるとき、洗濯機が回っているとき、トイレを流すとき、色んな場面でありがたいと思うことが多い。
旦那も娘も同じような感じだ。
だから、飛び抜けて便利なものもないし、庭もなく小さなアパートだけど、毎日を大事に、楽しく生きている。
旦那は天気がいい日は決まって「ボートが恋しい」ようなことを言う。
その度に「いつか小さなボートでも所有できる日がくるといいね」とわたしは答える。
そして、ボート暮らしだけは二度とごめんだけど、と心の中で思うのだ。
娘はボート暮らしをまだよく覚えていて、「洗面器みたいなお風呂にはいったねー」とか「ダディのお友達いっつも酔っ払ってたねえ」とか言う割には、家族でクルーズしたことなどは覚えていないようだ。
その娘がこの間、学校で宇宙の勉強をしてきたらしく、こんなことを行った。
「 宇宙の星の数って、地球の全部の砂の数よりも多いんだって」
この物語を書いているわたしは、思わず苦笑いをしてしまった。
わたしはこの数ある多くの星の中の、たった一粒の星屑にすぎないのだ。
輝くこともなければ、何かの役にたつわけでもない。
消えたからと言って、世界は変わらない。
ボート仲間たちも同じようなのかもしれない。
でも、このわたしの周りのほとんど無いように等しい小さい、小さい宇宙の中で、わたしたちはみんな重要な星なのだ。
だから、わたしは物語を描いている。
わたしの大好きな人たちが輝かない星だとしても、彼らが少しでも輝けるように。
そして、誰かの心に、この小さい宇宙が広がって行くようにと。
「辛いときも悲しいときも、とりあえず笑ってみろ」
と旦那は言う。
「嘘でも笑えるなら、それはそんなに重要な問題じゃないんだ」
わたしの中で繰り返す。
ボート暮らしがなかったら、こんな簡単なことさえ気がつかなかったのかもしれない。
わたしの小さい宇宙に感謝して、いっぱい「ありがとう」を心に染み込ませて、わたしは今日もここにいる。




