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旦那 最後の旅

ロンドンの南西部から北方面にボートで行くには、二通りの方法がある。


一つはわたしたちがロンドン中心部に出るときに使った運河ルートと、もう一つはテムズ川を渡って行くルートだ。


運河ルートは安全だが、20以上の水門を抜けなければいけないので時間がかかるし、ほとんどが手動なので体力もいる。


テムズ川ルートは早いが、川の流れが速くて大きいので、カナルボートには少しワイルドすぎて危険だ。


でも旦那は、その危険な方を選んだ。


まず、週末の2日間しか時間がないのと、今まで通ったことのないルートを最後に通りたいと思ったからだ。


ボート仲間の一人が、運河に彼のボートを移そうと考えていたので、彼も一緒に行くことになった。


ボートが大きく揺れても、二つのカナルボートを隣同士にしてくっつけていれば、その分揺れの大きさも抑えられる。

何かあったとき誰かがいれば心強い。


旦那は大張り切りだ。


どれどれ、わたしは同行しないけど、テムズ川ルートとはどんなもんだろうと、ルートマップを開いて見てみる。


うわっ!

ロンドン橋の下を通るの?

ビックベンとかロンドンアイがあるあの辺!?


大変だー!


あの辺のテムズ川はデカイ!

大きな豪華客船ですら小さく見えるほどだ。

そこにあの小さなナローボートが浮いていたら、もうただの小舟に過ぎない。

大きな船が横を通ったら、大揺れどころではないではないか!


いくらボートを2つくっつけても、全然しょぼい!


旦那よ、本当に大丈夫なのか...... ?


「ナローボートは毎日のようにあそこを通ってるんだ。今までボートがひっくり返ったなんて聞いたことないよ」

って旦那、のんきだよ......


出発まで1週間あったが、準備することは意外に多かった。

大きな水門を通るために、満潮や干潮に合わせて門を開けてもらう予約を取ったり、ロンドン中心部を通るのに管理機関に連絡をしなければいけなかった。


ロンドン橋の下など広くて波が立つようなところでは、小さいボートは危険にさらされやすいので、すぐに陸や管理機関と連絡が取れるように、専用のトランシーバーとラジオを購入しなければいけないし、ライフガードは必須だった。


ここまで色々と準備をしだすと、さすがの旦那も出発当日の朝は緊張していたようだった。


まあ、とりあえずロンドン中心部が近くなるまでは問題ないだろう、と思っていたら、いきなり2つ目の水門で問題が起きた。


旦那が操縦する「ダイアモンド」だけが通行止めをくらったのだ。

「ブラックリストのボートをその地区に入れたくない」と言うのが理由らしい。


旦那は「この辺りには居座らないし、ボートはロンドンの北の新しい持ち主のところに移動するから、ここに戻って来ることはない」と言っても、管理機関の職員は聞く耳なし。


結局事実を証明するのに、そこで無駄に30分以上を過ごしたのだそうだ。


管理機関も相当しつこい。

ブラックリストのボートの住民を、どんな人たちだと勘違いしているのやら......


なんとか面倒なことも済んで、旦那とボート仲間の2隻のボートは旅の続きを始めた。


きっと旦那は「ダイアモンド」に出会った頃から今までのことを思い出したり、懐かしんだりしながら旅を楽しんでいたに違いない。


その頃わたしは、やっていることをが手につかないぐらい旦那の旅路が心配で仕方がなかった。

ボートが万が一ひっくり返ったりでもしたらボート代を購入者に返して、こっちは大きな損害だ。


保険会社の連絡先を旦那にわたしておくんだった。とか、またいつものように、後悔やありもしないようなことを無駄に心配していた。

と言っても、今思えば旦那の身の心配より、ボートの心配ばかりしていたような気がする......


そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、旦那からは電話もメッセージも送られて来ない。

こちらから電話をしようかどうかと迷ったが、手が離せないときだと困るだろうと思い、「調子はどう?」とだけメッセージを送った。


夜の7時ぐらいにやっと電話がかかってきた。


旦那、すごくハイテンションだ......


テムズ川が大きくて海を渡っている気分だったとか、ビックベンが目の前に立ちはだかり、タワーブリッジやロンドン橋の大きさを体で感じたのだと言う。


その日はロンドンの中心地を抜けた辺りにいたが、カナルは夜8時以降はエンジンを消さなければいけないのと、疲れていたので、そこで一晩過ごしてから翌日目的地に向かうと旦那は言った。


わたしはやっと安心して夜はゆっくりと過ごせると思っていたが、その夜の11時過ぎ頃、旦那から電話がかかってきた。


「このボートに寝泊まりするのも今日が最後だと思うと...... 」


あれ、あれ?旦那、泣いてるのー?


「色んなことをいっぱい思い出して、このまま寝たらいつの間にか朝が来てしまうし、寝たくない......


子供か、あんたは......


旦那は滅多なことでは泣かない。

いつも明るくて強気の旦那が泣いてるよ......


わたしはいつまでもウジウジとしつこい酔っ払いみたいに ( と言うか、酔っ払ってるのか...... ) 同じようなことを繰り返す旦那に付き合った。


そうだね、本当だね。

初めて「ダイアモンド」に一目惚れした時から、わたしたちの生活は全て彼女と共にあったのだ。

旦那はその大好きな彼女を、今までずっと精一杯心を込めて面倒みてきたのだ。


誰よりも彼女に思い入れが強かったのは旦那だ。


彼女を誇りに思い、時には信頼して、また時には心配して。

どんなにエンジンが動かなくなっても、言うことを聞かなくても、また一から、またやり直しと、ずっと彼女に付き合ってきたんだもんね。


わたしは胸が痛かった。


わたしたちがお金持ちだったら「ダイアモンド」も旦那のそばに置くことができるのにね。

生活のために家族のために、諦めなきゃいけないことってあるんだよね。


旦那は大好きな「ダイアモンド」を、わたしと娘、それから3人のこれからのために手放すのだ。


これからは、いっぱい遊びに行ったり友達に会いに行ったり、今まで以上に好きにしていいから。

「ダイアモンド」のことが懐かしくなって、また泣きたくならないように、家族3人でいっぱい楽しい毎日を送ろう。

「あの時彼女を手放して、結果良かったよね」って思えるように、またこれからも色んな思い出をいっぱい作って行こうね。


翌日、旦那はスッキリした様子で帰ってきた。

リュックサックにはお礼にもらった予定よりも多めのお金と、娘にとぬいぐるみのプレゼントまで入っていた。


「お昼はステーキと美味しいビールまでご馳走になってきた!」と、昨日のあんたはどこ? と言いたくなるぐらいご機嫌で帰ってきた。

旦那、単純すぎる......


こうして旦那が「ダイアモンド」と過ごす最後の旅が終わった。


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