お別れまであと少し
天気の良い初夏の週末、わたしたちは家族揃って最後のクルーズに出ることになった。
ボート購入者のご夫婦も、旦那にボートの操縦をおしえてもらうことになっていて、一緒にクルーズに参加した。
二人ともとても愛想が良くて、親しみやすい人たちだ。
わたしは、なんとなくヒッピーみたいな人を想像していたが、二人ともジーンズにトレーナーで、いたって普通の感じだったので、拍子抜けした。
「のんびりと人生を楽しんでます」というのがにじみ出てるように、リラックスした印象を与えるようなカップルだった。
奥さんは娘を可愛がってくれて、実は恥ずかしがり屋の娘も、いつの間にかわたしの横に隠れるのをやめて、彼女と話をするようになっていた。
旦那と彼女のご主人がエンジンや発電機など外のことを見ている間、わたしは彼女にボートの中のボイラーの使い方やバスルームやトイレ、薪ストーブなどの使い方を説明した。
こうやって一つずつ説明すると、やっぱりボート生活はやることが多いなあ、と改めて思った。
「家の方が断然楽だよ」と言いたかったが、これからのボート生活に胸を弾ませている彼女には、そんなことを言っても無意味そうだったのでやめた。
ご主人の方は、薪割りや石炭、灯油の調達などから、トイレの汲み取り方、水の補充の仕方、発電機の使い方や電気のしくみ、エンジンの簡単なシステムからボートの操縦まで、覚えることが多すぎて、少し緊張しているようだった。
なんだかんだと出発まで時間がかかってしまったが、ボート購入者の二人は交代でボートを操縦することもできた。
旦那がつきっきりで教えてたが、やはり大きなボートが横を通ったり、カヌーの集団が通り過ぎる時は、怖がって旦那に舵を託していた。
分かる、分かる、あたしも肝心な時にうまく舵が取れないし、旦那が「トイレに行きたいから少し代わってくれ」なんて言った日には、「どうか余計なボートなんかとすれ違わないように!」と祈りながら操縦したものだ。
カナルボートはゆっくりと動く。
よっぽどのことがない限り他とぶつかったりしない。
それでもわたしは、反対岸に正面から突っ込んでしまったりするから、わたしに関してはボート操縦のセンスが完全にないのだと思う。
しばらくして皆ボートの感覚になれてきた頃、ご夫婦は初めてテムズ川に面した景色を落ち着いて見ることができるようになったようで、とても感動していた。
旦那も自分の庭でもないのに、この美しく広がる景色が自慢のようで、誇らしげにしていた。
わたしは皆が景色を堪能している間、ボートの中に入った。
変なの、本当に何もない。
誰か他人のボートにおじゃましに来たみたいに、ラウンジの端っこに腰を下ろす。
「ダイアモンド」は初めて出会ったときから、わたしたちが暮らしていた時、辛かったとき楽しかったとき、嵐で大揺れしているときも、大雨に打たれていても、ずっと変わらない。
そして、他人のものになってしまった今も、最後のクルーズのこのひと時も、表情を変えずに静かにわたしたちを乗せている。
テムズ川の流れにずっと身を任せながら、あるがままを受けとめて今まで来たのだ。
その無表情さが、ときには寂しく思えたり、ときには安心感さえ覚えたりした。
わたしは本当は知らないうちに、助けられたり学んだりしていたのかもしれない。
本当は直前まで「ダイアモンド」に乗ったら、色んなことを思い出して切なくなったり名残惜しくなったりするんだろうなあと思っていたが、わたしの気持ちも「ダイアモンド」と同じだった。
流れるように身を任せて、別れるときはそれを受け入れるだけなのだ。
「お家に帰りたい」
娘にとってはボートも景色も生活の一部だったので飽きたらしく、しばらくしてから、わたしと娘だけバスで帰ることにした。
「お家に帰りたい」かあ、娘の家はもうここではないのだ。
わたしたちは途中で降ろしてもらい、娘と二人でボートにお別れをした。
「今まで本当にありがとう。またいつかどこかで会おうね」
わたしと娘が岸から離れて行く「ダイアモンド」を見ているあいだ、購入者のご夫婦は、旦那がボートを操縦する横でいつまでも、わたしたちが見えなくなるまで手を振っていた。
「良かったね、すごくいい人たちに買われて」
わたしが娘に言うと、娘は「ダディーのボート、いつまで貸してあげるの?」と言った。
って言うか、へ? 娘、分かってないじゃん、全然。
「ボートはあの人たちに売っちゃったから、もう彼らの物になっちゃったんだよ。だから、あのボートに乗るのはこれで最後、さよならだよ」
「じゃあ、ダディーはどうするの?」
娘はポカンとしながら言った。
そして「ダディー、ボートがなくなったら泣いちゃうね」と続けて、「ダディーがかわいそう」と言った。
なんか実は、娘の方が旦那の気持ちを分かっているようだ。
わたしは心のどこかで面倒なことがなくなって実はホッとしていた。
「ダイアモンド」との最後のクルーズを、旦那はどんな風に感じているんだろうか、落ち込みながら帰って来るんだろうか、それとも開き直って戻って来るんだろうか、などと考えていた。
それなのに、なんと旦那は大喜びで帰ってきた。
なんでも購入者夫婦は、やはりボートの操縦が不安なので、日当を払うから次の週末にロンドンの北までボートを動かして欲しいと言ったのだそうだ。
旦那は、またボートを操縦して、しかもお金までもらえるのだ。
そんなことで、その日は旦那最後のクルーズの日ではなくなった。
子供みたいに浮かれて嬉しそうな旦那を見て、娘の言葉がわたしの胸に突き刺さった。
「ダディーかわいそう」
わたしもなんだかこっそりつぶやいてしまった。
「旦那、なんだか、かわいそう...... 」
旦那にとって、名残惜しいお別れまで、あと少しだった。