ダイアモンドが売れた
家に住むようになってから半年が過ぎようとしていた。
2015年、季節は春。
旦那は毎日のようにボートを移動しながら、ペンキを塗ったり修理に追われたりと、ボートを売りに出せる状態にするために働き続けた。
春になって日が長くなると、数日間帰って来ないこともあった。
そして、ある日突然、「作業が終わったからボートを見においで」という電話がかかってきた。
わたしは、旦那はボート作業をしていると言いながらボート仲間たちと遊んでいるのだろうと思っていて、夏が終わるまで遊び続けるだろう、と予測していたので、「作業が済んですぐに売りに出す」と言ってきたときは、「まさか!」と自分の耳を疑った。
そしてボートに行ってみると、中はわたしたちが住んでいたことがまるで嘘だったかのように、空っぽになっていて、業者に頼んで清掃してもらったのではないかと疑うぐらいキレイになっていた。
わたしは心底驚き、「旦那もやるじゃん」と久々に彼を見直した。
ボートはすっかり生まれ変わり、わたしは嬉しいながらも、なんだかわたしたちのボートが他人のボートに感じられて、「あの7年間は一体なんだったんだろう」と、心のどこかに埋めきれない寂しさが湧いてきた。
多分旦那も同じ想いだったのかもしれない。
だから旦那は一刻も早くボートを手放したかったのだろう。
旦那は、ボートが売れるまでどれぐらいかかるか分からないが、とりあえず仲介業者を使わず無料で売り出しの広告を出すことにして、初めにボートコミュニティのソーシャルネットワークに、買った時とほぼ同じぐらいの値段で売り出し中と掲載した。
まあ、売れなかったら徐々に値段を下げてみてもいいし、とにかくこれで反応を見てみようと思うか思わないか、なんと、信じられないことに掲載したその朝に問い合わせの電話が鳴り続けた。
そして、最初にボートを見に来てくれた人が、問い合わせの電話に何度も出ている旦那を見て焦ったのかなんなのか、「すぐに買う!」と言い出した。
その人は、そんなにボートが欲しかったのか、その夜にボートの全額を旦那の口座に振り込んでくれた。
まるで夢のような話である。
わたしも旦那もボートが売れたと決まったときは、その現実を疑ったが、口座に振り込まれた金額を見て、まさかまさかと驚いた。
嬉しいような寂しいような複雑な気持ちだった。
ボートを購入してくれた人は、30代後半ぐらいのご夫婦で、どこかの建設業者の経営者だった。
アイルランドの地元に持ち家はあるのだが、ロンドンに滞在して仕事をすることも多いので、ロンドン生活はボート暮らしにすることにしたそうだ。
正直者の旦那は何を思ったか彼に、「このボートはお役所や組合のブラックリストになっていて、下手したら停滞場所が見つからないかもしれないし、水門すら通過させてもらえないかもしれないからディスカウントしようか?」と言った。
って言うか、旦那......
それ言っちゃったらディスカウントどころか、買わないって言われちゃうよ。
と、わたしの心配をよそに、購入者さんは「大丈夫だ。場所はロンドンの北にもう借りてあるし、北の方に行ってしまったら、そんなブラックリストも関係ないだろう」と、なんだか別にディスカウントしなくていいよー、ってなことを言った。
おまけに、彼は「今いるロンドンのマンションは引き払うから、ボートに入りきれない家具をもらって欲しい」とまで言ってくれた。
旦那も人がいいが、この購入者さんもそうとう人がいい。
と言うことで、翌週にはさっそくリクライニングソファーやらベットやダイニングテーブルなんかがうちに運ばれてきた。
嘘みたいな本当の話だ。
わたしたちのアパート暮らしは、ボートでの貧乏生活を引きずっていたので、半年たってもまだ家具がそろっていなかった。
拾ってきたようなものとか、箱とかを代用して暮らしていたので、いきなりちゃんとした家具がやってきて、ボロアパートが社長室みたいに変身した。
そして、購入者さんは旦那が飛び跳ねたくなるようなことまで言ってくれた。
「実は、今まで半年以上かけて毎日のように色んなボートを見てきたんだ。でもなかなかいいのがみつからなくて困っていたんだ。でもこのボートを見たときに、これだって直感したんだ。この値段でこんなに手入れがゆきとどいていて使いやすいボートは初めてみたよ」
それは、今までボートを一生懸命可愛がってきた旦那にとっては感動的に嬉しい言葉だった。
そして次にボートを引き継いでくれる人が、旦那も初めてこのボート、「ダイアモンド」を見たときに「これだ!」と直感した思いと同じ思いをしてくれたことに、旦那は更に感動した。
こうしてわたしたちのボートは無事に売却された。
翌週末、わたしたちは最後の航海にでることになった。
「 ダイアモンド 」とも、もう少しでお別れだ。




