忘れられない月
2014年12月
わたしたち家族にとって忘れられない月になった。
家に引っ越して、改めて水や電気、トイレやヒーターが普通に使えるありがたさを実感した。
「幸せってこんなに些細なところにいっぱい存在しているんだ」と思わずにはいられなかった。
念願のお風呂に浸かれるようになったので、家族3人ともやけに早く帰宅したり、インターネットが使い放題になったので、始めの1、2ヶ月は冬ということも重なり、家族で取り憑かれたようにネットで映画を見たり、音楽を聴いたりした。
まるで長期休暇を取っているかのように、引きこもって過ごした。
ある日の休日などは旦那がスマホ、娘がテレビにかじりついたままで、わたしはPCで日本のドラマを見まくる、という1日を送ってしまったこともある。
狭いボート生活では、雨でも嵐でも無理やりわたしと一緒に外に出て遊ばなければならなかった娘は、よっぽど家生活が心地よかったのか、意地でも外に出ようとしない日が続いた。
そしてわたしもそれをいいことに、怠けた数週間を送ってしまった。
何の変化もなく、ただ過ぎていっただけなのに、そうやって家族3人で過ごしたあの年の冬は、本当に心地よく、平和で安らげる時間だった。
そんな平和な我が家の外では、色んなことが起きていた。
わたしたちのボートはまだ売りに出すには直すところが多すぎた。
なのでコミュニティの場所にまだ置いたままだった。
冬中いつコミュニティを追い出されるのかとハラハラしながら暮らしていたボート仲間の中で、人が住んでいないボートがいくつかお役所様に撤去された。
持ち主が少しの間里帰りをしている間に自分のボートが突然なくなったので、彼はその時点でホームレスになってしまった。
わたしたちのボートも撤去されては困るので、ストーブが無い小さなボートに住んでいる仲間に住んでもらうことにした。
彼が今までどんな暮らしをしていたか、わたしは今でも首をひねって考えてしまうのだが、彼は自分のボートにはないストーブやトイレ、シャワーやキッチンがわたしたちのボートにあったので、とても喜んで住んでくれることになった。
12月に入ると、とりあえずイギリス人たちはクリスマスが来るので浮かれる。
でもその年ばかりは、家に住むことができたわたしたちですら、浮かれて過ごすことのできないニュースが舞い込んできた。
わたしたちが窮地に陥っていた時に一番に助けてくれたNAが亡くなった。
喉頭癌で60歳になる直前だった。
娘の誕生会の時にもNAは、もちろん来てくれた。
末期癌に侵されて弱っているのに、Aに支えられながらお祝いに来てくれた。
それでも大好きなお酒だけは嬉しそうに飲んでいて、子供たちが遊んでいるのを満足そうに眺めていた。
そして帰り際娘に「今日がもしかしたら最後になるかもしれないなあ」と言って、娘の手に20ポンド札を握らせてAの車で帰って行った。
その後すぐに入院することになり、Aと彼の家族が、頻繁に見舞うようになった。
旦那もWも、AからNAの弱り具合や病状を聞いているのに、なぜだかお見舞いに行こうとしなかった。
旦那はわたしが促しても落ち込むばかりで、「NAの顔を見るのが辛くて会いに行けない」と訳の分からないことを言い続けた。
わたしはどうしても家族揃って会いに行きたかったので、旦那を説得してやっとお見舞いに行けたのは12月に入ってからだった。
NAは思ったよりも元気そうで、孫と過ごすクリスマスを楽しみにしていた。これならまた何度か会いに来れそうだと安心した2日後に、彼は帰らぬ人となった。
お見舞いもろくに行けなかった旦那が大泣きした。
分かっていたことだが、それでもショックで「せめてクリスマスを彼に迎えて欲しかった」と言った。
葬式は彼の家族に加え、たくさんのボート仲間や友人たちが集まった。
その後皆で彼の行きつけのパブに行き、NAを惜しんだ。
古いボート仲間たちは、「こうやって世代が変わっていくんだ」と言った。
わたしも少しづつ変化していくボートコミュニティの状況を痛いほど感じた。
わたしと旦那は、その日の帰りにNAを偲んで、彼がよく飲んでいたお酒や食べ物を買って、それを夕食にすることにした。
NAはいなくなってしまった。
7年前に初めて会った時のことや、ボートを動かすのを手伝ってくれたとき、おもむろに「トウモロコシを食え」と手渡してきた時の顔や、さりげなく野菜を持ってきてくれたときの照れ笑いとか、小さな忘れていたことをたくさん思い出した。
NAが亡くなったと聞いたときも、葬式のときも涙が出なかったというか、ショックで泣けなかったくせに、トウモロコシを食べていたら急に込み上げてきて、ムシャムシャとキチガイみたいにトウモロコシにかぶりついて、子供みたいにワンワン泣いた。
娘がビックリして一緒に泣いている。
「ママなんで? 泣かないでー」
ごめん、本当にごめん。
娘まで泣かせてしまうぐらい悲しくて悔しかった。
クリスマスまでもう少しだったのに。彼の大好きな最後のクリスマスを家族で過ごして欲しかった。
彼の小さな孫にも最後の思い出を残して欲しかった。
わたしは「ありがとう」もろくに言えず、弱っているNAの手さえ握ってあげれなかった。
次に会った時は、もっと色んなことをしてあげたいと思っていたのに。
その夜、わたしと旦那と娘は3人で一つのベットに、ぴったりとよりそって寝た。
大切なボート仲間が一人逝ってしまった。
ボートコミュニティーもバラバラになってきている。
新しい住まいは快適だけど、もうボート仲間の笑ったり叫んだりする声は聞こえないのだ。
せめてわたしたちだけでも、しっかり手を繋いでいないと不安になるような夜だった。
平和な暮らしの中に良いことと悪いこと、悲しいことや寂しい想いが全部まとめてやって来て、わたしたちを混乱させた、2014年最後の月だった。




