この先
2014年11月22日、わたしたちは不動産屋の契約書にサインして、晴れて陸生活者の一員になることができた。
なんと、お役所から連絡がきてからここまで、たったの4日だったのだ。
家が見つからなくて苦労したときは、精神的に疲れてしまうぐらいだったのに、あの時間は一体なんだったのだろうかと思うほどあっという間だった。
わたしたちは契約書にサインした翌日に、ボートから新しい場所に荷物を運んだ。
ボート生活7年間は、なんだったのだろう、と思うぐらい少ない荷物だった。
すべてが一台の車に収まってしまったのだ。
その代わり捨てる物はたくさんあった。
大事にとっておいた思い出の品や服、靴などが湿ったまま真っ黒にカビだらけになってたくさん出てきた。
洗えば済むレベルではなかったので、捨てるしかなかった。
写真やアルバム、娘が赤ちゃんだったときに頂いた大事なカードや手紙。
そんな思い出が詰まったものが湿気で濡れてくっついて、カビだらけになっていた。
わたしたちはこんな環境の中で暮らしていたのだ。
仕方なく処分しなければいけない物をかき集めて、わたしは涙が止まらなかった。
ボート生活にはもちろんたくさんの思い出があるけれど、もう二度とこんな生活はしたくないと思った。
わたしたちがボートを離れたなんと翌日に、お役所がまた警官たちを引き連れてボート全てに警告書を貼りに来た。
春には確実に、テムズ川もカナルも停滞期間の法律が変わるので、すぐにボートを移動しろという内容だった。
コミュニティの場所も正式にお役所の管理下になったので、もう移動しない訳にはいかなかった。
どうりでおかしいと思った。
もともとわたしたちのことなんてどうでもよかった適当なお役所が、わたしたちに物件を提供して、さっさとボート生活を脱出させたのには、何か理由があったからしかないのだ。
そしてボート仲間たちが感じていた嫌な予感は的中した。
コミュニティは本当に近いうちになくなり、皆あてもなくテムズ川を彷徨う日々を送らなければいけなくなるのだ。
状況が厳しくなるのはお役所も分かっていたので、とりあえず子供がいるボート生活者だけは助けることにしたのだろう。
冬場の川の流れが早い危険な時期にボートを動かしながら生活して、子供たちに何かあって訴えられでもしたら、お役所も大変だ。
わたしたち家族は真冬突入寸前に家に住むことができた。
でも、わたしたちのボートはまだテムズ川に浮かんでいるのだ。
これからすぐ先、ボートは一体どうなるのだろう、仲間たちは一体どこへ行くのだろうか、と心配になった。




