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書くと決めた理由

クリスマスが近くなってきた。

クリスマスツリーの点灯式が行われたり、クリスマスマーケットが開催されたりする。

赤、緑、白、そして金や銀で飾り付けられた町は、クリスマスショッピングに繰り出した人で賑わう。


人々は「忙しい、忙しい」と言う割にはクリスマスが好きで、顔にこそ出さないが、浮かれている。


ボート仲間たちは分かりやすいぐらい浮かれていた。


まだ12月前半なのに、すでにサンタの帽子を被ってミンスパイをストーブで温めて食べている。


関係ないが、このミンスパイ、洋酒で煮詰めたレーズンやリンゴやらのドライフルーツが甘いビスケットの中に入っていて、相当重い。

カロリーも高いだろうに、その上に更にカスタードクリームをかける。

カスタードをかけると言っても半端じゃない。

ミンスパイが見えなくなるほどかける。


ボート仲間たちはカスタードまで買う余裕がないので、温めたミンスパイをそのままがぶりと食べる。

時々カスタード缶が手に入ると大喜びだ。


そんな無邪気な仲間たちがいるボートコミュニティに、面倒なことが起きた。


またお役所が「立ち退き命令」を出したのだった。


今年もまた水上ポリスと御同伴でだ。それに加え、その年は陸上警察までお役所さんと手を組んでる。


ボート仲間たちは誰一人として、お役所に何か言われたからと言って逆上したり、暴れたりなどしない。

皆大人しく警告状をもらい、反論さえしない。


何が恐ろしくてお役所は、警察同伴でやって来るのか?


外を見ると、なんと!

更に数人の陸上警官たちがボートのまわりに立って、軽く包囲しているではないか!


わたしたちは凶悪犯罪者か?


なんだか様子がおかしいので、警告状を読むと、また昨年のように「春になったら立ち退け」ということの他に、かなり強い文書で、「早くても春には法律が改正され、この場所は役所の管理下になるので、立ち退かない場合は犯罪になり、罰金を払うか裁判に掛ける」というものだった。


この文書でボート住民たちがキレるとでも思ったのだろうか?


呆れた。


役所は警官を何人も動員して、更に法律まで変えようとして、市民の大事な税金をかなりムダに使っているような気がする。


ボート住民たちは相変わらずだった。法律が変わったら、もう仕方がないので、どこかに移動するしかない。

でも、去年も大人しくしていたのに、今年もまたお役所が警戒心丸出しの態度で警告状を配布して回ったので、みんな少し傷ついたようだった。


そして、楽しいクリスマスが始まろうとしているのに、わたしたちは地域住民からの嫌がらせを受けるようになった。


ほとんどが年寄りばかりだが、通りすがりに「お前たちがこの綺麗な景色を壊している」とか「ジプシーたちめ! 目ざわりだ」とか頻繁に言われるようになった。


その度にボート住民たちは「ごめんよ」と言って軽くあしらうしかないのだ。

これ以上何もできないのだから。


もちろん誰もがこの先のことを心配しだした。

この場所にいれなくなったら一体どこに行くというのか。


わたしと旦那も同じだった。

ボートのローンを払い終えて、その分で貯金ができるまで、どこにも行けない。

それまであと最低でも1年、それ以上は必要だった。

ボートの場所代を払い、家賃を払い、ボートと家の税金を払いながらローンも返済する......


わたしと旦那の収入では、かなりムリがあった。


そしてボート仲間たちも一緒だった。


その中でたった一人だけなんとかなりそうな人がいた。

Pだ。

彼にはお金があった。

一緒にボートで暮らしている彼女には、もう成人した子供たちと孫がいるのだが、Pはその全員を連れてバルバドスに旅行に行って来たばかりだった。


彼だけは、高いお金を出してボートの停滞場所を借りることができた。


でも、問題はお金だけではないのだ。


場所がないのだ。


ボートだけを止めておける場所はあるのだが、中に住んではいけないという条件の場所ばかりだった。


Pは実は、ロンドンのどこかに自分の家もあるのだが、なぜこんな状況でもボートに住み続けているのかさっぱりわからない。


とにかくわたしたちは皆、とりあえず法律が変わってそこにいられなくなるまで大人しく暮らして行くしかなかった。


そんな中、住民たちの嫌がらせは少しずつひどくなって行った。

窓ガラスに石を投げられたり、車のタイヤをパンクさせられたり、旦那の車はフロントガラスまで割られた。


地域の新聞は、ありもしないことをどんどん書き出し、たまたまゴミを数分だけ外に置いておいたときの写真を撮られ、「ゴミを外に置きっぱなしで景色や自然を汚している」などと書かれた。


その辺は、裕福な一件屋住まいの家族が多く、教養ある方々が多いはずなのだが、そんな育ちの良い人たちがやる行動とは、とても思えなかった。


2013年のクリスマス、この冬ばかりは、さすがのボート仲間たちも、パーティーなどと言って騒いでばかりいられなかった。


無邪気にミンスパイを食べる彼らは、サンタの帽子をかぶりながら、静かなクリスマスを過ごした。



年も暮れに迫ってきたある日、わたしが仕事から戻ると、ボート仲間たちがホースで川から水を汲み上げて、一斉にみんなのボートに水をかけていた。


旦那も一緒になってタワシで誰かのボートを擦っている。


娘は弾ける水しぶきで遊びながら大はしゃぎだ。


寒空の中、何をしているんだろう。


年末大掃除の一環だろうか、と思って聞いてみると、全てのボートに地域住民が生卵を投げつけて行った、というのだ。


それで、みんなでボートを洗っているのだという。


わたしたちの「ダイアモンド」もやられたらしかったが、わたしが見た時はもう綺麗に洗い流された後だった。


ボート仲間たちは誰も怒ることも悲しむこともなく、普通にそれを受け入れて、みんなのボートを仲間同士で洗っていた。

途中互いに水をかけ合って遊んでみたりして、いつものように楽しんでいるようだった。


そして「卵をこうやってムダに使うなんて、よっぽど金がありあまってるんだなあ」と、訳のわからないことに関心していた。


その様子を見て、わたしはなんだかすごく切なくなった。


バカだ。

この人たち、本当にバカでお人好しで、すごく優しい人たちなんだ。


その年の冬、わたしはボート仲間たち、特にPやPの彼女、双子兄弟に今までになく助けてもらっていた。

彼らは、わたしが家探しを諦めて落ち込んでいると知ってから、何かと力になろうとしてくれて、いつも娘を抱えて洗濯に行ったり、ゴミを運んだりしているわたしのことを気にかけてくれていた。


彼らが居たから、わたしと旦那は家族そろってまだボートに住もう、もう少しだけやって行こう、と決めることができた。


わたしにとって彼らは他の誰よりも価値がある人たちだった。


それなのに......

わたしたち、ボート住民たちは本当にゴミのように扱われていた。


確かに、この大きい世界から見たら、彼らは小さな小さな存在だけど、その小さな存在も、ちゃんと生きているのだ。


色々なことを心に秘めて、静かに、そして楽しく笑って人生を送っているのだ。


わたしはボートを懸命に洗い流す彼らを見ながら、全く動けなくなった。


わたしにとっては特別な場所で、特別な仲間たちが、みんなで特別な時間を一緒に過ごしているのだ。


ここにこうして生きている人たちがいる。

この人たちがどんな人たちかなんて、世界中に知られなくてもいいけど、でもどこかの誰かに知ってもらいたい。


彼らの価値なんて、その辺の人たちから見たら全く無いに等しいけれど、どこかの誰かが、たった一人でも、彼らのことを価値があるって思ってくれたら、わたしはそれだけで嬉しい。


彼らの人生は、ただ意味もなく流れて終わってしまうかもしれないけど、わたしが少しでも彼らがこうやって生きていることを文章にしておいたら、彼らはすごくすごく小さな物語の中で、ずっと残ることができるかもしれないのだ。


この人たちを、この瞬間を、ずっと忘れないでいたい。

そして、本当に少しでいいから、誰かに知ってもらいたい。


わたしは決めた。

彼らを文に残そう。


本当は、ボート暮らしを始めた頃から友人たちに、本を書いたりブログにしたらと勧められていたが、ネット環境が整っていないのと、なんだか恥ずかしいという思いがあったので、ためらっていた。


何か書くのは好きなので、ちょこちょことどうでもいいものは書いてはいたが、はっきり言って人に見てもらうようなレベルではない。


わたしを良く知る友人なんかは、わたしが書いたものを小学生レベルだと笑うぐらいだ。


しかも、ソーシャルネットワークもしないぐらい時代遅れのわたしが、パソコン開いてブログや小説だなんて言ったら、みんなびっくりしてひっくり返ってしまうだろう。


なので、こんなわたしがを小説を書こうと決意したということは、すごく大きな決断だったのだ。


そして、わたしがボート生活を綴ったからと言って、わたしたちの生活が変わるわけでも、ボート仲間たちの助けになるわけでもない。


本当にすごく意味のないことなのは分かっているけれど、わたしは彼らのために何かしたい気持ちになった。


お金がたくさんあったら、いくらでも彼らを助けてあげれるけど、残念ながらわたしにそれはムリだ。

でも、味方を増やしてあげることはできるかもしれない。

迫害を受けて嫌われている彼らを、少しでも理解してくれる人がいてくれるかもしれない。


それから、わたしが伝えたかったことも、たくさん吐き出すこともできる。


わたしはパソコンに向かった。

はっきり言って、まったく未知の世界に突入することになるので、かなり手探り状態だった。


それでも少しづつ、どこにいるかわからない誰かにボート生活と仲間たちを分かってもらえたらいいな、と願いながら、わたしは物語を綴り始めた。

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