表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/96

恐ろしい出来事

2013年、ボート生活の貴重な夏を、家探しのためにムダに費やしてしまった。


気がついたら、何一ついいことがないまま長い冬を迎えようとしていた。


不動産屋や大家たちに長い間断られ続け、わたしは自分たちが世の中から否定されているような錯覚に陥って、酷く落ち込んだ。


水やトイレを自由に使えるかもしれないという、小さくて大きな夢と期待感が崩れ、娘を彼女の大好きなお風呂に入れてあげれないことや、学校すら決まらないかもしれない不安で、泣きたくて仕方がなかった。


わたしはできるだけ娘の前で泣かないようにしていた。


でも大声で泣きたいときもある。


そんなときは、娘をベビーカーに入れて散歩に行く。

後ろでベビーカーを押すわたしの顔は娘には見えないので、泣いてもいい。


バカみたいに声をだして泣きたいときは、人気の無い林の中を通り、テムズ川が段差になって大きな滝になっている辺りの前で泣く。


声を出して泣いても、流れる豪快な川の音がわたしの声も苦しさも、全部かき消してくれる。


娘はベビーカーの中で景色を見ながらはしゃいでいる。


チャンスだ。いっぱい泣こう。

いっぱい泣いたら元気になれるかもしれない。


そう思ってここに来たのに、涙がでない。

まったく出ない。


泣く気になれないのだ。


色んなことを思いだそうとしても絶望感しかわかない。

何かしようとしても、まったく上手く行かない。

高い壁の前で走っても、前には絶対に進めないような絶望感。


必死にがんばって出た結果が、家族離れて暮らすことだなんて、辛すぎる。


人々に否定され嫌われて、お金もなければ普通に暮らせる家もない。


長すぎた。


節約ばかりでいいことなんて何もない。


あるのは惨めな自分と失望感だけだ。


なんだか、疲れた。


泣く気にもなれないぐらい、もう体力も精神力も追いつかない。


川がごうごうとうねりながら流れる落ちる様子を見ていたら、「ああ」とすごいことに気がついた。


簡単だった。


ここから飛び降りたら全てが終わるのだ。


もう何も考えなくてもいい。

もう悩まなくてもいいのだ。


良かった。

そうだった。

そうか、そうだったんだ。


わたしは自分で酷く納得して、その豪快にうねる滝の方に近いて行った。


今思えばたぶん、本当に数秒の出来事だったのに、すごく長い時間滝の音に吸い寄せられそうになっていたような気がする。


「ママー。なんか食べたい!お腹すいた!」


娘の声で足を止めた。


よく小説や映画なんかで「我に返る」とか言う言葉を聞くが、本当にそのまま、その通りだ。


わたしは我に返った。


まるで、誰かがわたしに乗り移ったみたいだった。


あれはなんだったのだろう?


不思議に思い、次の瞬間恐ろしくなった。


娘を乗せたベビーカーを押して急いでそこから離れた。


「自殺する人はバカだ」

誰かが自殺したというニュースがあるとよく聞く言葉が、わたしの頭の中で響いた。


違う、違う。

そんなものではない。


それは突然やってくるのだ。


もしかしたら、脳のちょっとした部分を刺激すると起きる現象かもしれないし、自分でコントロールできない何かかもしれない。


それが弱い人間だからとか、そんなことではなくて、もしかしたら誰にでもありえることなのかもしれないのだ。


そう思うとそれはすごく、すごく恐ろしいことだった。


わたしはもう少しで、大切な家族を残して死んでしまうところだったのだ。


怖くて、わたしは旦那に早く帰ってきて欲しかった。


目の前で娘が幸せそうにリンゴをほうばっている。


ああ、良かった。

今こうやって娘の顔を見ていることがまるで奇跡のようだ。


大好きな旦那と娘をいっぱい抱きしめたい気持ちになった。


わたしはこの恐ろしい出来事を旦那に話した。

バカだと呆れられるのも分かっていたが、話すと少しは楽になる。


わたしの話を聞いて旦那は怒るかと思いきや、まったく予想外のことを言った。

「ウソでもいいからちょっと声を出して笑ってみろ」


は? 何言ってんの?


ああ、ムリにでも笑ったら元気になるっていう無理やりポジティブ戦法?バカバカしい。


わたしが「イヤだ」と断ると、旦那は「いいから笑ってみろ」としつこい。


仕方がないので、「あははは」と言って笑ってみる。


別にできないわけでもない。


旦那は言った。

「本当に辛い時はウソでも笑えないんだ。とりあえず笑えるんだから大丈夫だ。悩んでることはそこまで重要じゃない」


え? そうなの?


重要じゃないんだ......


そう言われるとそうかもしれない。

確かに、義母が亡くなった時はウソでも冗談でも、笑うことができなかった。

大切な人を失うということは、何よりも辛いことだ。


わたしは今、ウソでも笑える。


旦那は、自分の最愛の母親を突然亡くしたときに、今のわたしよりも絶望して悲しんだのだ。


それを乗り越えた旦那にしてみれば、人生が上手いこといかなくて落ち込んでいるわたしの悩みなど、そんなに重要なことではないのだ。


そして考えてみると、確かにそうだ。


前に進まないだけで、大事なものは全部ここにあるではないか。


大好きな旦那と娘。


節約生活と言っても何もないわけではない。

安心して眠れるベットもあるし、食べるものだってある。

寒くなったら薪ストーブだってあるし、テレビも見れる。


ケータイやパソコンまであって、なんだかんだと人並みに暮らしているではないか。


わたしは何に落ち込んで、何を悩んでいたんだろう。


家が見つからないなら、ただそのままいつものように暮らしていけばいいことなのだ。


人がわたしたちを見下そうが、生活保護者扱いしようが、関係ないではないか。


そう思ったら、ああ、本当に川に飛び込まなくて良かった。


考えれば考えるほど恐ろしい出来事なので、それすら考えるのも止めた。


次は何かにつまづいたり落ち込んだら、一度ウソでも笑ってみよう、と思った。


そして、大事な人たちがちゃんといるんだということを忘れないでいようと、心から誓った。


もう二度とこんな恐ろしいことはないように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ