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家探し

なかなか春にならないもどかしい4月、わたしは風邪を引いた。

何をしても良くならないので、しかたなくドクターに診てもらうことにした。


娘と一緒に待合室にいると、あの優しい保健婦さんが通りかかった。

そして、わたしと娘を見るとすぐに話しかけてくれて、娘が普通に歩いていることを喜んでくれた。


保健婦さんは、わたしたちの生活を心配してくれて、わたしが「家はお役所に断られて、まだボート生活をしている」と言うと、彼女は「わたしが役所宛に手紙を書いてあなたに送るから、それを持って今度は役所に直接行きなさい」と言った。


ありがとう。

本当にありがとう。

こんなわたしたちのためにこうまで言ってくれるなんて。


わたしは彼女のその言葉だけで充分だった。

たとえ、手紙が届かなくても、そうやって気にかけてくれる人がいてくれるのだと思うだけで、その時のわたしは救われた。


全く期待していなかったのに、3、4日後に郵便物をチェックしに行くと、手紙は届いていた。

しかもすぐに送ってくれたらしく、日付は保健婦さんと話した翌日になっていた。

わたしは嬉しくて嬉しくて、涙が出そうになった。


これでボート生活から抜け出せるのかもしれない。

やっと人並みの生活ができるのだ。


どんなに小さな家でもいい。

もともと物なんてほとんど持っていないのだから。

ベット一つ入るぐらいの部屋でいいのだ。

暖かくて水や電気が使えて、トイレが普通に使えたら、本当にそれだけでいい。


わたしは旦那に手紙を見せて、「これでまたお役所にお願いしよう」と言った。


旦那はいつになくネガティヴだ。

「どんな手紙を提出したって、役所は何もしてくれないから時間のムダだ」と言う。


いつもポジティブで、元気ハツラツの旦那は、過酷な冬を過ごして相当疲れていた。


わたしは少しでも旦那を元気付けてやりたくて、翌日朝一で娘を連れて役所に出向いた。


朝から子連れのお母さんたちや若者がたくさんいる。

みんな色々な事情を抱えてそこにいるのだ。


わたしは長くかかるだろうと思い、娘のためにおもちゃや、お弁当まで準備していたが、それほど待たされずに、さくさくと事は済んだ。


係の人は保健婦さんの手紙を読むと、「住まいが子供を育てる環境に適していないので、一時的に住宅補助を受ける事ができるはずだ。必要な書類を渡すので申し込みをしてください」と言った。


おおっ!

なんと、手紙一つでこんなにも簡単に受け入れてもらえるとは!


旦那はあんなにネガティヴで、どうでもいいと言っていたくせに、「家に住めるぞー!」と、まるでもう決まったみたいに周りに言いふらして喜んだ。


申込書はすぐに受理され、お役所から「面接にきて下さい」と言う連絡がきた。


どんな話をするのだろうか、住宅の空きがあったら、今すぐにでも引っ越すことができるのだろうか。


ワクワクしながら行くと、話しはそう簡単ではなさそうだった。


まず、わたしたちは働いていて収入があるので、ボートのローンを返していても、家賃は少しも補助してもらえないが、最初の月の家賃と敷金などはお役所が全額貸してくれるのだそうで、その家を出るときに、そのお金を全額お役所さんに返済しなければいけない。


なので、ボートを1ヶ月以内に売ってしまわないと、家賃とローンの2重払いになってしまうのだ。


そして家は自分で探し、いい物件があったらすぐにお役所の生活福祉課に連絡して、役所が補助してもいいような物件か調べてもらい、それが受理されてから初めて不動産屋、または大家に、役所から直接お金が振り込まれるのだと言う。


この他にも細かい決まりがいくつかあり、そう簡単には生活保護も受けれないようになっているんだなあと、感心させられた。


と言うか、感心している場合ではないのだ。


ここまでやっとこぎつけたのに、このチャンスを逃してなるものか!


絶対に次の冬までに住む場所を見つけ出すんだー。


こうしてわたしたちの部屋探しが始まった。


わたしと旦那はこれで辛いボート生活から抜けれると喜んだ。


何か明るい未来すらそこにあるような気がした。


その時点でわたしたちは無垢すぎた。

人生、本当にそんなに甘くないのだ。


家探しが始まった。


ボートに住んでいる5、6年の間に家賃の相場がすっかり変わっていた。

3割は確実に値上がりしている。


わたしたちはお役所が指定してきた予算内の家賃の物件を探さなければいけなかった。

わたしたちも安いければ安い方がいいので、一部屋の物件を見つけるが、物件の条件にはいつも「ファミリー不可」とか、「1人住まい限定」などと書いてある。


わたしたちのボートがあった地区は、中流階級者が多い地区なので、家賃もそれなりに高い。

ファミリー可の物件だと2部屋以上になるので、予算内に当てはまる物件ははっきり言って一軒もなかった。


仕方ないので、ボートや職場から結構離れたところで探すことにした。


日本も場所によってはそうかもしれないが、イギリスは生活保護者や所得が低い人たちの地区と中流、上流階級の地区がはっきり分かれている。

同じ地区でも分かりやすく分かれていたりする。

なので、安い物件はあまり治安が良さそうではないところに固まっている。


そして、そんな地区は、同じように学んでいるはずなのに、なぜか学校のレベルが低かったりする。


わたしと旦那はとにかくボート生活から脱出できればいいので、場所は特に選ばない。

逆に生活保護者が多い地区だと見つかりやすいかも、と期待さえした。


それなのに、どこの不動産屋も、「役所が検討してからお金が払われる」と聞くと、あからさまに血相を変えて「生活保護者は御断り」だと言うのだ。


わたしと旦那はまだ援助すら受けていないのに生活保護者扱いされ、相当嫌な思いをし続けた。


それでも予算内の物件を見つけるたびに体当たりし、丸3ヶ月間ひたすら色々な不動産屋に断られ続けた。


仕方がないので、こんどは広告やネットなどから不動産屋を通さず個人で貸し出している家をあたるが、いいところが見つかっても、役所が物件の審査をしているあいだに他の人に取られてしまう始末。


季節は夏真っ盛り、ボート仲間たちは夏のボート生活を存分に楽しんでいた。

それを横目に、わたしと旦那は必死で物件を見て回り、不動産屋と交渉する日々に追われた。


夏が終わるとすぐに冬が来る。

その前にどうしても家に移りたかった。


そして、懸命に家を探すのにはもう一つ、理由があった。


娘の学校だ。


イギリスの一年生は6歳になる年に始まるが、その前の5歳になる年にレセプションと言って小学生になる練習クラスと、4歳になる年には1日3時間だけの幼稚園クラスがあった。


娘は次の年の9月には( イギリスの入学式は9月 ) 幼稚園クラスに入れる歳になるので、その申し込みを入学の年の正月明けまでにしなければいけなかった。


なので冬までか、遅くてもクリスマスまでには家に移って住所を明確にしなければ、面倒なことになる。


家を必死で探し続けているうちに、夏ももう少しで終わろうとしていた。


わたしと旦那は徐々に疲れはじめていた。

毎回同じような繰り返しで一向に決まらないのだ。


わたしと旦那からは笑顔が消えた。

物件情報を見るのすら嫌になっていた。


お役所が出した条件と方法で家を借りることに成功した人たちは、果たしているのだろうか?


周りの仲間たちは、わたしが娘を連れて旦那に追い出されたので住む家がない、と役所に言えばすぐに家を与えてもらえるので、そうするか、仕事を辞めて職がないから助けてくれ、と言ったらすぐに援助してもらえるぞと、皮肉っぽく言った。


わたしも旦那も本当にそうなんだろうなあ、と思った。


もうダメだと諦めて、「お役所にもう家探しをやめる」と連絡しようかと旦那と話しているときに、一つの不動産屋から電話がかかってきた。


ある物件の大家が「生活保護者でもちゃんと仕事をしているような人たちならいい」と言っていると言うのだ。


わたしたちが必死で家探しをしているのが気になって、わざわざ連絡してくれたらしい。


不動産屋は冷たい人たちばかりだと思っていたら、信じられないことにわたしたちのことを気にかけてくれる人もいたのだ!


わたしと旦那はすぐに役所に連絡をとった。

役所の担当者もとても喜んでくれ、「今度こそは、この物件を逃さないようにすぐに審査に入って、不動産屋にお金を振り込む」と言ってくれた。


わたしと旦那は、飛び跳ねて喜んだ。

いつも朗報は諦めたころにやって来る。


嫌な思いをしながら必死で探して、交渉してきた苦労が実ったのだ!


そして、役所は本当にすぐに良い返事を出してくれて、「これから不動産屋にお金を振り込む」と連絡が入ったその日に、今度は不動産屋から電話がかかってきた。


「本当に申し訳ないが、他のカップルがあの物件を借りたいと申し出て来て、大家はやはり国から援助を受けていないそちらに貸すことにしたので、この話は無かったことにして欲しい」と、申し訳無さそうに言った。


これが大きな打撃になった。


わたしと旦那は完全に家探しを諦めた。


力という力が全部、無抵抗なまま何かに吸い取られてしまった。


わたしは悔しくて一晩中泣いた。


働いても働いても貧乏なわたしたちには、これ以上どうすることもできなかった。


真面目に一生懸命生きることは、人生においてあまり重要なことではないのかもしれない。


家探しを諦めた後、わたしと旦那はできれば避けたかった選択をするしかなかった。


わたしと娘が日本の実家か、イギリスの北にある旦那の父親の家に移り、旦那だけがボートのローンが終わるまでボートに住み続けることだった。


ローンさえ払い終わったら、その後少しの期間貯金して、アパートを借りることができる。


約2年間の別居生活だ。


その頃のわたしは、あれが本当にわたし自身だったのか? 本当はわたしではなかったんじゃないだろうか? と思うぐらい別人のように落ち込んで、最悪の精神状況だった。


毎晩悪い夢で目を覚まし、旦那と娘の寝顔を見ながら、悲しくてどうしようもなくなって泣いてしまう日々が続いた。


長くて先の見えない真っ暗な森の中に迷いこんでしまったようだった。

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