酷い冬
2013年1月、この冬も、ボート仲間たちは日に日にみすぼらしくなっていく。
薪ストーブのせいで、さらに薄汚れていく。
彼らは春が来るまでシャワーを浴びなくてもいいと思っているようだった。
いつもキレイにしているのは、親分のPと彼のパートナー、そしてかろうじてわたしたち家族だけだった。
彼らはトイレも近くのレジャー施設に走って行く。
ちなみにこのレジャー施設、ビール1本分の値段でシャワーが浴びれる。
シャワーよりもお酒が大事なのか......
と思うと、同じボート仲間ながら、思考回路がさっぱりわからない。
わたしは2、3日髪を洗わないと頭が重い気がして元気がなくなるのに、彼らは元気だ。
もう、汚いというのが普通の感覚になっているのだろう......
そして彼らは、燃料費を節約するために皆で焚き火をして冬を乗り切り、水がないので、色んなところから調達してきたりして冬を乗り切る。
こんな状態なので、もちろん近所の住民たちからもっと嫌われ、攻撃されるようになり、わたしたちボート住民はいつのまにかローカル新聞の記事の常連になってしまっていた。
こうなったらお役所さんも黙っているわけには行かず、「春になったら立ち退け」という警告をまた出さなければいけなくなる。
それでも、わたしたちが停滞している場所は法律的にはお役所の管理下にないので、法律が変わるまで役所からの警告は無意味なものだった。
わたしたちボート住民は、なぜここまでして、こうやってコミュニティーでボート暮らしを続けているのか、誰もわからない。
彼らは「好きな生き方をしているんだ!」と主張するわりには、「お金があったら豪邸に住みたい」などと言う。
本当は、ボート暮らしの他に選択はないのだと思う。
わたしと旦那もそうだった。
せめてボートのローンが終わるまでは、ボート生活をし続けるしかないのだ。
氷点下の寒い朝にボート仲間が1人でも外に出てこなかったら、凍死したのではないかと心配して様子を見に行ったり、わざわざレジャー施設まで行ってトイレをかりたり、シャワーを浴びるのを我慢したりして生活しているなど、すぐ目の前に住んでいる地域住民は想像もつかないだろう。
先祖代々から同じ家に住んで、小さな頃から慣れ親しんだ自然と川をボート住民たちに占領され、不快な思いをしている住民たちの気持ちはよく分かる。
でもきっと、地域の住民たちは、とうていこちら側の気持ちは分からないだろう。
どうにもできないまま、わたしたちは皆、何か大きい変化が起きるまでボートで暮らしていくしかなかった。
たとえ水が無くてトイレが使えなくなったとしても、そうやって暮らして行くしかないのだ。
冬が終わったとしても、短い夏が終わるとまた冬が来る。
地域住民の力で法律が変わったら、次の冬が来る前にここを立ち退かなければいけなくなる。
そうなったら、わたしたちは皆、行き場を失ってしまう。
厳しい生活の中で先が見えないまま、ボート仲間たちの結束だけが強くなっていった。
その年の冬は、更に台風と雨が多かった。
2ヶ月以上、川が溢れかえり、流れが以上に早く、ボートは恐ろしいほど揺れた。
わたしたちのボートは他の航海用のボートよりもとても揺れた。
ボートが大きければその分揺れも感じない。
小さくなればなるほど、本当に揺れる。
わたしたちのボートは小さいのだ......
誰かがボートに乗っかると、その体重分グワンと大きく揺れる。
他のボートが通りかかると、波に合わせてユラユラと揺れるし、波が大きいと立ってられないぐらい揺れる。
ボートから地面に降りると、揺れてない地面が揺れている気がしたり、誰かの家に泊まりに行くと、いつものように揺れないので、眠れなかったりする。
それぐらい揺れる生活に慣れてしまっていた。
揺れるのも大変だが、川の嵩が頻繁にかわるのも大変だ。
わたしたちが停滞しているテムズ川は、満潮と干潮の差が激しい。
一日で川の高さがどんどん変わる。
満潮の時はボートが高くなり、沖に水が溢れるので、そのままだとボートから降りれない。
干潮の時はボートが地面に着いてしまうので、ボートが斜めになったままになったりする。
そんな時は斜めに傾いた室内で生活する。
朝、親子3人で押しあって壁側に張り付いて目が覚める、などということがよくあった。
娘は傾いた室内を、文句も言わず普通に歩いていたのを覚えている。
気をつけなければいけないのは、満潮から干潮に変わる時だ。
川の水圧が上がって地面にボートの底が半分着いたまま水圧が下がると、ボートがひっくり返ってしまうことがよくある。
そして、沈んでしまったボートを何度も見てきた。
わたしたちのボート仲間たちも、これで何人もボートを失った。
防ぐ方法はいくつかある。
沖と川の間にポールなどを立てて、ボートが沖に上がらないようにするのだ。
干潮になった時にボートが沖から離れやすいように、ボートを繋いであるロープを長めに残す。
しかし、長く残しすぎると、ボートが川の流れに乗ってしまうので、すごく揺れる。
加減が大事だ。
わたしたちがいつも停滞していた場所は、川の底が硬いのでポールが刺さらない。
だから、ロープで調節する。
満潮で川が溢れかえったりしたら、時間を見て、干潮に変わる時にボートを川に押してあげたりする。
そんな時は朝の2時だろうが4時だろうが、目覚ましをつけて起きる。
心配して友人たちが、「家に避難しにおいで」と言ってくれたほどだ。
でも、わたしたちはそこを離れるわけにはいかなかった。
ボートを守らいなければいけないからだ。
わたしたちがボートを空けると、ボート仲間たちが、わたしたちのボートを見てくれる。
自分たちの暮らで精一杯なのに、そんなことを何度もお願いできない。
みんな正義感が強いのでなおさらだ。
満潮といえば、ちょっとした事件を思い出した......
テムズ川は満潮と干潮の差が激しい。
わたしたちのボート、ダイアモンドは満潮の川の水面に、しっかりと浮いていた。
川の水は岸からあふれて、ボートから岸までは1メートルほどある。
それを飛び越えるのは困難なので、わたしは娘を連れて外に出ることができない。
ご近所さんたちのボートは、渡り板をボートから岸に架けていた。
わたしたちの渡り板は、だいぶ前に流されてどこかへ行ってしまっていた。
しっかりした板はその辺には落ちていないので、丈夫なものを買いに行かなければいけない。
そして、いつものようにそれをケチっていたわたしたち......
3歳になる動き盛りの娘を狭いボートに閉じ込めておくわけにはいかないので、わたしは意地でも外にでる。
まずはわたしと娘の身支度をして、折り畳んだベビーカーを肩にしょってボートの縁に上がり、となりのボートにジャンプ!
となりのボートの渡り板を渡り、安全で移動しやすいところまで行き、ベビーカーを広げて、またとなりのボートからジャンプして戻り、今度はリュックを背負ってジャンプ、ベビーカーに置き、最後に14キロの娘をおんぶ紐でしっかりとおんぶして、ジャンプ!
ああ、恐ろしい!
落ちたら娘と一緒に川に沈んでしまう。確実に。
冬のテムズ川は流れが以上に速い。
この時期に、誰もボートなんて動かしていない。
動かしでもしたら、わたしたちの運河用に作られたカナルボートは、完全に流されてしまう。
それほど危険な川なのに......
娘を背負ってジャンプのときは、しっかりと隣のボートに手を掛けて、勢いよくジャンプしなければっ!
そんなキケンなことをしていたある日、隣のボートの住人、双子の片割れが慌てて出てきて、「出かけるときは自分たちの渡り板を使え」と言ってくれたのだ。
特に娘を下ろすときだけは、絶対にジャンプ作業ではなく、橋を渡ってくれ、と言うのだ。
うちの旦那もその話を聞いて、「そんな危ないことしてたのか!」と呆れて、わたしは仕方なく「隣の渡り橋をダイアモンドに移動してから渡ります」と、いい加減に約束した。
本当にもう!
あんな重そうで泥だらけの渡り橋を持ちあげて動かすなんて、かなり面倒だ。
とりあえず、約束してしまったので、一度はやっておくか、とやってみた。
それが、とんでもないことになってしまったのだ。
翌朝、近くのチルドレンセンターで娘を遊ばせるために、わたしは少し早めに出ることにした。
渡り板を移動するのに、15分あれば十分だろうと判断した。
外は小雨、いつものことだ。
隣のボートにジャンプして橋を渡り、岸から「よいしょっ」と渡り板を持ち上げる。
「あれ?」まったく動かない。
この渡り板、板と言ってもアルミ製の頑丈な作りをしていた。
しかも長いこと同じ場所にあるので、地面にしっかりと食い込んでいる。
とりあえずボート側の先端はちょっとの力で持ち上げられるが、地面側についている先端が中々抜けない!
「はっ!」と掛け声を上げて持ち上げた瞬間!
雨で橋が濡れていたので手が滑って、渡り板の先端が川に落ちたのだ!
そのお陰?で「てこの原理」で地面に食い込んだ渡り橋が抜けたが、今度は反対側が川に突き刺さるように落ちてしまった!
このままだと、わたしたちの渡り橋同様、川に流されてしまう!
川の流れが少し速いので、わたしは必死に渡り橋を引き上げようと引っぱった。
どうやら、何かに引っかかっているようだ。
全然抜けない。
そしてドラマティックにも雨が強くなってきた。
風まで一緒に強くなる。
あっという間に天気は、台風並みの状態に変わってしまった。
わたしは川に突き刺さった状態の渡り橋を、体全体で引き抜こうとした。
雨がビシビシと水圧の強いシャワーのように顔面を打つ。
ボート住民は昼近くまっで寝ている。夏だろうが冬だろうが、住民たちは毎晩遅くまで騒いでいる。
朝6時に起きて元気に仕事に行くのは、うちの旦那ぐらいだ。
台風のせいで、いつも川原を散歩している人や、通勤の自転車も通らない。
誰もいない。
わたしは孤独に渡り板と戦っている。
寒くて手が痛い。
その日使う予定だった全てのパワーを使ったのではないか!
わたしは「おりゃー!!!!」と髪を振り乱して渡り橋を持ち上げた。
抜けた!!!
と、同時に、泥だらけの地面に渡り橋ごと、バシャーン!!!
わたしの叫び声を聞いてか、隣の双子兄弟が慌てて出てきて、全身ほぼ泥だらけの渡り橋に抱きついて倒れている私を見て叫んだ。
「誰だ!お前は!!」
誰だって...... わたしです。
彼らはすぐにわたしに気がつき、「頭がおかしくなったのかこの人? 」と思うぐらい笑い転げた。
そして「次は、朝早くても自分たちを起こしてくれたら、渡り橋を動かしてやる」と言ってくれた。
さて、その後、わたしはボートの中に戻り、泥だらけのわたしを見て今度は娘が悲鳴をあげた。
母が何かただならぬ物に巻き込まれたと思ったのか何なのか、大泣きした。
わたしが「今日のチルドレンセンターは行けない」と伝えると、快く?理解してくれたようだった。
時計を見るとすでに1時間は経過していた。
長い戦いだったのだ。
こんなことが起きると、家での生活は簡単にシャワーを浴びたり風呂に浸かったりできる。
でも、ボート生活はそうはいかない。
わたしは泣く泣く、少ない水を使ってシャワーを浴びた。
よく考えたら、普通にあり得ないことなのだ。
今思えば笑える話ばかりだが、あの時は、冬が永遠に続くのではないかと思うぐらい長く感じた。
長い長い冬だった。




