ありがとう
2年間の子育てで、わたしにもママ友ができた。
イギリスに住んでいながら、イギリス人のママ友はなぜかできないが、数人の外国人ママさんと日本人のママさんだ。
みんな子供が幼稚園に行かない日などは、集まって子供たちを遊ばせたり、情報交換などをする。
ボートに住んでいると知って態度を変えたり、無視するような人たちもいる中で、親切で理解力のあるお母さんたちもたくさんいた。
わたしたちのボートが狭いのと、すぐそこが川で危険、トイレの使い方も普通の家とは違って不便なこともあって、いつもわたしと娘は人様の家にお邪魔してばかりだ。
どこの家にお邪魔しても、あたりまえのことだが、あたりまえのものが普通にある。
お風呂、食器洗い機に掃除機、アイロン、電子レンジ......
ママ友の家に遊びに行ってバスルームを見るたびに、本当にヨダレが出るぐらいにバスタブを見入ってしまう。
生活の次元がまったく違うので、わたしはだんだん自分の生活が恥ずかしいと思うようになっていった。
家に招待したり、ランチをご馳走したりしてあげれない状況の中で、わたしはだんだん人の家にお邪魔するのが申し訳ない気持ちになってきた。
そして、しばらく髪が洗えなかったら、自分が脂っこくて臭いんじゃないかと心配になり、だんだん人と関わるのも怖くなってきていた。
そんなわたしを察してか、それともやはり、わたしたちの生活感と彼女たちの生活感が合わないと思われたのか、ただ単に忙しくなったのかは知らないが、お母さんたちからのお誘いもだんだんと減っていった。
それでも娘は「〇〇ちゃんの家に行こうよ」などと言い出すので、余計にわたしを悲しくさせる。
そんな中、わたしとずっと関わりあってくれるママ友がいた。
ボートコミュニティーのすぐ近くに住むフランス人のママ友だ。
彼女はなぜだかすごく、わたしたちの世話を焼いてくれる。
ローカル新聞にわたしたちボートコミュニティーのことが載ったら、新聞を持って自転車でわたしのところまで慌てて持ってきてくれたり、嵐の日は、わたしがいくら遠慮しても、「せめてわたしと娘だけでも」と言って家に泊めてくれたり、わたしが頭を掻いてると、「もう、いつも勝手にシャワー使っていいって言ってるでしょう」と言ってタオルを渡してくれる。
彼女には娘と同じ歳の男の子がいて、二人とも仲良く遊んでくれる。
彼女のパートナーもイギリス人で、うちの旦那と気が合うらしく、家族ぐるみで付き合うようになった。
日が経つにつれて、彼女はママ友から、信頼のおける友人に変わっていた。
彼女のおかげで辛いボート生活を何度乗り切ることができたのだ。
そして、もちろん気軽に日本語で付き合える日本人のママ友も少しだけれどもいてくれた。
子供抜きでお茶したりグチを言い合ったり、一緒に日本を懐かしんだりすることもある。
本当に少数だけれども、今でもわたしたちと付き合ってくれるママ友、友人、ボート仲間たち。
彼らがいてくれたおかげで、わたしは本当に救われた。
いつか彼らが困った時は、わたしたちが同じように助けることができるように、わたし自身が強くなっていきたいと、今でもずっと思っている。
ボート生活は大変で、生活はみすぼらしいけど、わたしはたぶん普通に家で暮らしていた時よりも、心ある人とそうでない人が見分けやすくなったのではないかと思う。
傷つくことも多いけど、感謝の気持ちで人に接することができるようになったのは、ボート生活のおかげなんだろうなあ、と思う。
思い出すのも嫌になるぐらい辛かった2012、13年の冬、そしてその後も、わたしたち家族を助けてくれた全ての人たちを、わたしは絶対に忘れない。
冬が来るたびに、わたしは全ての人たちのことを思いながら、聞こえないありがとうを言う。
今でも。これからも、ずっと。




