変わったA
6月末、初夏の眠ってしまいそうなぐらい心地よい太陽と緑の匂いが、町中を幸せな空気にさせる季節。
そんな時期にMAちゃんは産まれた。
わたしたち家族は彼女の誕生会のためにAの家に行った。
車には1週間分の洗濯物と着替え、シャンプー類などを積んで......
誕生会の準備の手伝いをする代わりに、洗濯機とお風呂を借りることになったので、家族揃ってキャンプに行くみたいな大荷物で友達の家に行くわたしたち。
なんか、もう普通に暮らしたい......
とにかくわたしたちは朝一でAの家に行き、身支度を済ませて、誕生会の準備に取り掛かった。
イギリスの子供の誕生会は、日本人のわたしにとっては少し異常だ。
家族や友達を招待して、小さい子供は親同伴で参加する。
数週間前に招待状を配り、そこから何人ぐらいの人がが来るかとか、食べ物は何を出そうか、どんなアクティビティーをするかなどを考える。
子供が大体6歳ぐらいになるまでは、親が同伴で誕生会をするが、その後は仲良しの子供たちだけで家やレストランでパーティーをしたり、映画や劇場に行ったりと、少しずつ楽になるが、出費はどちらにしろかなり多い。
Aは今回は、MAちゃんのために約20人の子供たちとその兄弟、親を呼び、Aの家族と友人も招待した。
いったいどんな大きい家なのか?と疑問に思うだろう。
Aの家はリビングなども大きいが、庭が広いのだ。
何人もの人がごちゃごちゃいても、まだ子供たちが走って遊べる広さ。
Aは、空気で膨らます巨大クッションのジャンピングハウスをレンタルして、トランポリン、ミニプールまで買った。
大量の食べ物に飲み物、ビールやワイン、飾り付けの風船や垂れ幕、そしてパーティーの最後に子供たち全員に配る「お楽しみ袋」
一体いくら使ったんだろう?
バースデーケーキは、Wが出来合いの城型ケーキに飾り付けをした。
Aに「プリンセスのお城にして」と言われたのにもかかわらず、チョコレートを塗りたくっておばけ屋敷にしてしまい、Aがカンカンに怒ってしまった。
娘はMAちゃんが大好きなので、大人たちが誕生会の準備をしている間、二人で本当に楽しそうに遊んでいる。
赤ちゃんの頃からの仲良しなので、わたしたちが放っておいても、二人でよく遊んでくれるし、あまりケンカもしないので助かる。
旦那とWは風船で庭や家中を飾り付けながら、すでにビールを飲んでバカな話ばかりしている。
わたしとAも準備しながら世間話をする。
わたしはAに、保健婦さんに言われて役所に連絡して住宅を申し込んだが断られ、そのあと市民相談協会に連絡して、酷いことを言われた話をした。
Aは「ボートの生活を思い出すだけで気分が悪くなるのよ。わたしは本当にラッキーだったわ。あなたが今でもボートに住んでいるのが信じられない。娘のためにも良くないわよ」と言った。
そしてわたしに、「バカねえ、やり方を間違えたのよ。旦那と別れて暴力を振るわれたから、行くところがないって言ったら、家を与えてもらえるわよ」と、アドバイスしてくれた。
あはは、そんなことができたらとっくにやっている。
そしてAは思い出したようにわたしに言った。
「そうそう、誕生会に来る他の親たちにボートに住んでるって言わない方がいいわよ。色んな目で見る人がいるから」
そしてAもボートに住んでいたとは誰にも言わず、Wがボートに住んでいるとも絶対に言わず、「Wはボートを所有している」と言っているのだと言う。
ふーん、そうなんだ。なんか、ちょっとショック......
と、わたしが思っていると、横で旦那が黙って立って、わたしたちを見てから、何も言わずにどこかへ行ってしまった。
わわわっ、聞いてたんだ。 旦那......
そんなこともお構いなしに、Aはボート仲間たちのことまで見下した言い方で、「関わりたくない」と言ったのだった。
って言うか、わたしたち家族もあなたのパートナーのWも、その仲間なんだけど......
Aは準備が終わると、「皆が来る前に着替える」と言って寝室に消えた。
少しして、ブランド名がジャーンとついているラメラメのワンピースに、高いヒールのサンダルを履いて颯爽と現れた。
って言うか、A、陸に住み始めてから変わりすぎだよ......
悲しいと言うより、ちょっと面白すぎる!
誕生会は思ったよりも遅くまで続き、わたしたちは、Aの家に泊まることになった。
娘とMAちゃんは大はしゃぎで遅くまでベットで遊んでいた。
「たぶん、これからここにお邪魔しに来ることはあまりなくなるだろうから、今のうちにいっぱい楽しんでね」と、わたしはなんとなく思った。
娘はMAちゃんが大好きで、わたしもAが大好きだった。
Aはわたしの貴重なイギリス人の友達の一人だ。
なかなか仲良しになってくれないイギリス人の中でも、彼女だけはいつもわたしを対等に扱ってくれた。
それなのに、今はまったく違う世界で生きているような気がする。
洗いあがったわたしたちの洗濯物や、キレイになったわたしの髪とか、なんだか今はちょっと虚しい。
Aが顔をしかめて「汚い」と言ったボート仲間たちは、そんなことを言われているとも知らず、この夜も平和にバカ騒ぎして過ごしているだろう。
夜が更けて静かになると、なんだか急に寂しくなった。
そして全然眠れない。
こんな時に限って、旦那は酔っ払ってソファーで大イビキをかいている。
Aとのことをたくさん、たくさん思い出した。
人は変わる。
環境や状況で別人のようになれるのに、でも別人ではないのだ。
変わったように見えてもAはAなのだ。
わたしに優しくしてくれて、今でも必要なときは助けてくれる大切な友人だ。
どんな状況であれ、彼女やMAちゃんが幸せでいることが一番なのだと思った。
翌朝、わたしたちはAの家を後にした。
キレイになった洗濯物やシャンプーなどを車に積んで、「ありがとう」とAに言ったとき、こうやってAに世話になっている自分が恥ずかしくなった。
お風呂に入れるのはすごく嬉しいし、娘をたっぷりのお湯で洗ってあげたいけれど、「Aに見下されているんだろうなあ」と思いながら世話になるのは気が引けたし、マジメに生きていて、バカだと言われるのもなんだか腑に落ちない。
車を運転している旦那が「大丈夫か?」と、前触れもなく聞いてきた。
わたしは「大丈夫」と言ってから、「Aの家、遠いからあまり頻繁に行けないね」と言うと、旦那は「そうだなあ」と言っただけだった。
娘が後部座席でまたいつものように楽しそうに歌っている。
大きい家も庭も、それからお風呂もない暮らしだけど、貧乏で大きい誕生会もやってあげれないし、ブランド物の服も着せてあげれないけど、娘はいつか、わたしたちが親で良かったと言ってくれるだろうか?
何が良いことで、何が悪いことなのか、わたしの中でさっぱり分からなくなってしまった。
ただ1つだけ分かることは、たとえAが違う世界に行ってしまったとしても、わたしも ( 旦那も ) Aも、「大事な子供のために一生懸命生きている」ということだけは一緒なのだ。
夏がそこまで来ている。
暖かい風は、なぜかわたしを少し寂しい思いにさせた。