厳しくなる生活
その歳の冬は、本当に長くて寒くて、辛かった。
ボート生活をしていて何度も辛い思いをしてきたけど、というか、人生色々とあったけど、ここまで辛くて惨めな思いはしたことがなかった。
いつもは強がりでポジティブ思考の旦那が、弱音を吐くほどだったのだから。
その年は、冬が始まってから雨が降り止まなかった。
よって、川は氾濫し流れが速く、わたしたちはしばらくボートを動かせないでいた。
おまけに冬到来とともに、またエンジンが壊れた。
これってもう、わたしたち親子は、雨風しか防ぐことのできない箱に住んでいるようなものだ。
その頃わたしは、毎日のように思っていた。
「本当に、何のためにこんな思いをしてボートに住んでいるのだろう」
そして、辛い冬に追い打ちをかけるように、テムズ川管理機関から気の遠くなるようなメールを受け取った。
「水門の改装工事をするので12月中旬から3ヶ月、水門が利用できなくなります」
わたしは始め読み間違いかと思った。
水門が使えないということは、そこから先へは行けない。
通行止めということだ。
水の補給場所もトイレの汲み取りも、全て水門の向こう側にあるのだ。
だったら簡単。
水門の向こう側にボートを移動したらいいではないか。
それが、そうはいかないのだ。
そこが広いテムズ川の辛いところ。
水門の向こうは、住居禁止のボート置き場ばかり。
自由にボートを止めれるところまでは、水門から更に45分ほど先に一つと、その30分先に一つ。
しかも、停滞期間はたったの24時間。
おまけに旦那の通勤が不便になる。
そうじゃなくても不便な生活なのだに......
とりあえず一つラッキーなことに、わたしたちが居座っていたコミュニティーは、地方自治体が管理していない場所にあった。
個人が所有しているらしい土地で、24時間以上停滞できないという決まりがなかった。
コインランドリーもバス停も、指定のゴミ捨て場も歩いて15分以内にあった。
だか、水補給所とトイレの汲み取りの場所だけは近くになかった。
工事する水門の先にあるところが一番近かったのだ。
と言っても、川の流れによって、たどり着くまで2時間以上かかることもあった。
とにかく、3ヶ月もそこが使えなくなったら、わたしたちは皆どうなるのだろうか......
それに加えてその年は気温が下がり、川の流れも早く、カナルボートを動かすにはムリがあった。
冬が以上に長く、4月末まで異常に寒かったのだ。
丸4ヶ月、わたしたちはボートを動かすことができなかった。
「今までで最高記録!」と自慢している場合ではない。
わたしと旦那がシャワーを週に一回にしても、2ヶ月で水は完全に尽きた。それでも、大事な娘は汚くしておけないので、旦那が毎日仕事帰りに5リットルのボトルの水を2本持ってきて、それをヤカンで沸かし、10センチほどの浅いお風呂を作ってあげた。
そして、娘の入浴が終わったら、その水でわたしが髪を洗う。
その後旦那がその水で足を洗う。
と、その10リットルはかなり有効に使われた。
夜になると近くの公園などに、こっそりと水を汲みに行き、重いタンクをかついで何度も往復した。
ボート仲間たち全員が、同じ場所から水を拝借していたので、公共の水道が使えないようにされたり、門に大きなカギをかけられて、「水の汲み取り禁止!」と張り紙までされてしまった。
わたしたちボートの住民は、人々からかなり厄介者扱いをされていたのだ。
そして同じ頃、トイレもいっぱいになり使えなくなった......
旦那もわたしも、仕事や出かける時までトイレを我慢して、公共のトイレをできるだけ使ったり、努力はしたのだが、努力にも限界がある......
というか、何の努力だか......
旦那はどんな発想か、中古の業務用の掃除機を買って来た。
夜中にそれでトイレを汲み取って、車で指定の破棄場まで捨てに行く作業をし出した。
わたしはというと、娘のオムツに用をたしたりした。
わたしたち、一体何をやってるんだか......
ちなみに、ボートのトイレは何種類かあって、汲み取り式、簡易トイレ、垂れ流し式というのがある。
もちろん垂れ流し式は、海ではどうかは分からないが、運河やテムズ川などでは違法となっている。
簡易トイレはキャンプなどでお馴染みの、取り外して捨てに行けるタイプだ。
そして、わたしたちのボートは汲み取り式である。
ベットの下の一角にタンクがあって、そこに溜まるようになっていた。
家族3人で使って、だいたい3から4週間は持つ。
ボートを自由に動かせるうちは、3週間おきに水の補給とトイレの汲み取りを同時にする。
場所はほとんどのところが、水汲み場、ゴミ捨て場、簡易トイレの汚物を捨てるところと、全て一緒にできるようになっている。
水は無料で汲めるが、トイレの汲み取りは£5から£10ポンドはかかるので、800円から1800円の間ぐらいだろうか。
どんなに不便でも、トイレが使えなくても、わたしと旦那は、絶対に外や川で用はたさなかった。
それでなくても人間離れした生活なのに、これ以上自分を捨てたくなかったのと、このテムズ川、夏の暑い日は泳ぐ人がいたり、人々が川原で散歩やピクニックを楽しむのだ。
そんな場所を汚すことだけはできなかった。
たとえ、他の人たちが川や自然を汚そうとも、旦那とわたしは自分たちの意思を変えなかった。
こんな変わった生活でも、楽をしようとしたらいくらでも出来るのだ。
ボート暮らしは基本的には自由なのだから。
それが分かっているのに、面倒な方を選んでしまうわたしたち......
水が無くてトイレが使えないということは、なんと惨めなものだろう。
わたしと旦那の顔に、笑顔というものが消えて行った。
娘だけが何も知らず、毎日楽しそうにコロコロと笑っていた。
そうなのだ。
彼女はたとえ体を洗えなかったとしても、垂れ流しだろうと、わたしと旦那が側に居ることが一番の幸せなのだ。
わたしたちはいつも3人でいた。
台風が来てボートが大揺れしても、3人で抱き合いながら寝た。
食べるものだってある。
着るものだってある。
楽しいことはいっぱいあっても、悲しいことはなかった。
辛いこともいっぱいあるけど、寂しいことはなかった。
たかが水、たかがトイレなのだ。
そして周りを見ると、友人たちがいつも「お風呂入りに来て」などと声をかけてくれる。
近くにプールもあったので、そこもよく利用した。
娘はいつか親の背中を見て、それに沿って生きて行くのだろうか。
それがいいことなのか、悪いことなのかは、わたしにはまったくわからない。
苦労はして欲しくないし、楽に生きて欲しい。
辛いことを経験したって、惨めな思いをして卑屈になっていくだけで、いいことなんて何もないのだから。
その頃わたしは、そんなことばかり思っていた。
結局今でも本当にそれが彼女にとっていいことなのか、実は苦労もした方がいいのか、全然わからない。
インターネットで調べたって、自分の親に聞いたって、確かな答えは見つからないのだ......




