人の目
わたしのイギリス生活が少し長いからと言って、何でも知っているわけではない。
特に育児サークルや子供グループなどとは今まで無縁だったので、どこに行っていいかすら分からない。
とりあえず、近くの地域センターなどをネットでチェックして、赤ちゃんを遊ばせるようなグループをいくつか抑えておいた。
かと言って、いきなり飛び込むのも勇気がいるので、日本人用のコミュニティーのサイトから、近くのグループを見つけて参加してみることにした。
日本人のお母さんたちはみんな優しくて、とても話しやすい。
お陰で精神的にも楽になってきた。
少人数のグループだが、娘と同じくらいの子供から、話ができるくらいの子供までいる。
居心地がいい。
何度か通ううちに楽しくなってきたので、その勢いで現地の子供グループに参加することにした。
初めてで緊張していたが、特に問題なく小さな娘を遊ばせることができた。
狭いボートと違ってスペースもあり、玩具もたくさんある。
他の赤ちゃんたちも周りにいて、娘は楽しそうだ。
4、5回通うと、同じ年ぐらいの赤ちゃんがいる人たちと少しづつ話すようになった。
挨拶をかわしたり、短い会話をしたりしていい感じだ。
ある日わたしはボートの外で娘を抱っこしながらボート仲間数人と話をしていた。
そこを現地の子供グループで少し話をするようになったイギリス人のお母さん2人が、子供をベビーカーに乗せて通りかかったのだ。
彼女たちはわたしを見て「あら!」と言うような顔をして、わたしも散歩中なのかと尋ねてきた。
わたしは、ちょっとご近所さんと話をしているのだと言うようなことを言うと、彼女たちはボート仲間たちともいい感じに話をして、わたしに「ボートに住んでるなんてステキね」と言って、笑顔で去っていった。
ボート仲間たちは、「感じのいいママ友ができて良かったじゃないか」と言ってくれて、わたしもなんだか分からないが、ちょっと嬉しい。
翌週に気分を良くして張り切ってグループに行くと、あの川原で偶然会ったお母さん2人がいるので、ハローと挨拶しに近づいたら、完全無視。
目も合わせてくれない。
なんだ、どうしたんだろう?
少ししてわたしは思った。
ああ、そうだった。
わたしたちは地域の新聞に酷いことを書かれて、テムズ川のジプシーだとレッテルを貼られたんだった。
誰もそんな変わった人とは付き合いたくないし、子供にも付き合ってほしくないだろう。
日本人のお母さんたちが大らかで理解もあったので、ボートの話をしてもみんな快く聞いてくれていたが、この界隈に住んでいて事情を分かっていたら、やはりそうはいかなだろう。
わたしは急に寂しくなり、その子供グループに参加するのを止めてしまった。
小さい娘には広い場所で遊んでもらう機会を作ってあげたいので、わたしは他のグループに通いだした。
赤ちゃんマッサージや童謡を歌ったり、読み聞かせなどの無料のイベントはできる限り全て参加した。
その際は、どんなによく話をするようになっても、他のお母さんたちにはボートに住んでいることは一切言わないようにした。
外に出るときも、中に入るときも、辺りを見回してから行動するようになった。
旦那もボート仲間も、「そんな人たちは気にしなくていい」と言うが、そうはいかない。
自分一人だけなら、わたしもいちいち気にしないが、娘のことを考えると、彼女には嫌な思いをさせたくない。
「まだ小さいから分からない」と周りは言うが、その小さな子供たちもどんどん大きくなって、親とまったく同じことをしだすのだ。
この頃、わたしはボートに住んでいる貧乏家族という自分の現状を恥ずかしいと思うようになっていて、少しずつ自信をなくしていた。
いつの間にか、ボート生活から抜け出したいと考えるようになっていた。
今思えば、旦那やボート仲間たちが言っていたことは正しかったのだと思う。
わたしの生活を偏見の目で見るような人がいても、気にすることはなかったのだ。
仲良くなったママ友の中には、わたしたちの生活を尊重してくれて、手助けしてくれる人もちゃんといるのだから。
そんな貴重な暖かい友人ができるまで、わたしは一人で人目を気にしながらビクビクとボート生活をしていたのだった。
それでも、どんなに貧乏で辛くても、人にはそれを見せないようにしていた。
娘のためにいっぱい明るい歌を歌い、小さなことでも声を出して笑うようにした。
そんなわたしを旦那は、彼が仕事をしている間、ただのん気に子供を遊びに連れ出すだけなので、平和でいいなあと思っていたようだ。
それこそ、のん気である。
この時期わたしはある意味孤独で、逃げ場がなかった。
そして、あっと言う間に辛い冬が近づいていた。