今だけのために
2011時、4月。
またテムズ川にも春がやって来た。
3月までに立ち退けと警告が出されたのに、あれはなんだったのかと思うぐらい役所からは何の音沙汰もない。
その代わり、ボートコミュニティーが少しずつ変わりつつあった。
ボート仲間の間では、好き放題勝手なことをやり過ぎて、どちらかと言うとどうでもいいような存在のALという男がいた。
彼は酷く古くて巨大なボートを2隻も手に入れて、「テムズ川で格安で夢のような暮らしをしよう!」とどこかに張り紙をして阿漕な商売を始め、コミュニティーのすぐ目の前に居座り出した。
そして、それに飛びついた若者や学生たちが増えだしたのだ。
ボート仲間たちも仕事をしてないようなものなので、若者たちと仲良くなったりして、すっかり浮かれている。
Wがいなくなって静かになったと思ったら、休みなくまた賑やかになった。
旦那はすぐに新しい仲間に飛びこむタイプではないので、気にしていないような素振りをしながら、少しずつ様子見で中に入って行っているようだ。
そんなことに気を使うよりも、少しは育児のヘルプでもして欲しい。
外に出ると、座禅を組んで瞑想している若者や、花輪を頭に乗せたヒッピーやらウクレレをならしている人などがいる。
大きなキャンパスを川辺に置いて、不思議な抽象画を書いてるものまでいた。
コミュニティーは春と共に天国になってしまった......
わたしはその中で、ほとんどいるかいないかの存在で、時々ヒッピーたちの横を娘を抱っこ紐で抱え、大きなゴミ袋を両手に抱えて通り過ぎているだけだ。
彼らは特に自分たち以外のことには興味がないらしく、たとえボート仲間の誰かが困っていたとしても気にもしない。
時代も少しずつ変わるものだなあ。
そんなことをと思っているある日、ワイドビームという大きいカナルボートに住むPと言う男がいきなりやって来て、コミュニティーに居座った。
彼は45から50歳ぐらいのイギリス人で、体格がよく、頭は丸刈りで、怖そうだけど優しい目をする、ヤクザの親分を思わせる風格だった。
ボートには同年代ぐらいの彼女と犬と一緒に住んでいた。
そしていつも似たような風格の友達や、子分みたいな人たちがボートにやって来る。
彼はなんだかよくわからないが、すごく気前がいい。
ボート仲間や若者全てにテイクアウトの中華をご馳走したり、お酒を振舞ってパーティーをしたりする。
そして皆に優しい。
ほぼ引きこもり気味で、どうでもいいような存在のわたしにすら気をかけてくれる。
旦那も「Pは宝くじでも当たったんだろうか?それにしても太っ腹だし、いい奴だ」と絶賛だ。
いつの間にかみんなPのボートに集まるようになり、ボートコミュニティーにまた、まとまりが戻って来た。
わたしに見向きもしなかった若者たちでさえ、わたしが通りかかると手を振ってくれるようになった。
なんだかPの影響力がすごい。
コミュニティーの状況も少しずつ良くなり、暖かくなって、わたしの気分も良くなってきた。
川の流れを気にしないでボートを動かすことができるようになり、少しずつ薪ストーブも使わなくなったので、少し楽になる。
わたしは出産後7ヶ月目にして、初めて何か行動を起こしたいという気になった。
長いようだが、あっという間だった。毎日育児と家事、ハードな冬のボート生活に追われて、やることがたくさんあったので、それはそれで充実していた。
それに、小さな可愛い娘を毎日独り占め感覚で世話するのも楽しかった。
できればこのまま引きこもって娘といてもいいくらいなのだが、そうはいかない。
娘だって春の空気を吸って自然に触れたいだろうし、他の子供たちと触れ合うことも必要だろう。
そろそろわたしも外の世界に出なければ。
春と共に少しずつ色んなことが変わりつつあった。
もしかしたら何かいいことがあるかもしれないとすら思った。
でもいつものように、そんなわたしの予感は外れた。
今思えば、この春を栄にボート生活は変わっていったのではないかと思う。
わたしはこれからのことなど深く考えず、その時はただ「今」だけのために生きていた。