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NAと二人きりで

旦那とANは朝食もコーヒーだけで済ませ、エンジン作業に取り掛かった。

今まで知らなかったが、NAは癌に侵される前はエンジニアだったと言う。

今は喉に穴が開いているので、ディーゼルなどの匂いが直接喉に入ってくると危険だと言う。

なので、彼が指導して旦那が作業することになった。


昼過ぎ、やっとオーバーヒートの原因がわかったらしい。

やはりいくつかの部品が必要だった。部品を手に入れて直したとしても、最後の仕上げに特別なレンチで全てのナットを調節しなければいけない。

とても高価なレンチセットで、所持しているのは、途中でエンジン修理を放り投げていなくなったエンジニアのANの他にいるかいないかだった。


結局、その場所でエンジンを直すことは不可能になり、翌日NAのナローボートでわたしたちのボートを牽引してもらって移動することになった。


あと3日あれば、余裕でコミュニティーの場所に戻ることができる。

わたしは安心と共に、これ以上問題が起こらないことを祈った。

祈ったとたん、また面倒な状況になった。


なんで物事すんなりいかないよっ!って言いたくなる。


夕方、旦那に職場のマネージャーから切羽詰まった声で電話がかかってきた。

旦那の勤務先とは別の場所でスタッフが急に足りなくなり、翌日来てくれないかと頼み込まれたのだ。


旦那、すごく考えて、なんと「OK」と言ったのだ!


うーん。と、言うことは、旦那は始発の電車で仕事に行き、わたしはNAと一緒にテムズ川を下って戻るってことですよね......



わたしが不安がっているのを見て旦那は言った。

「NAがボートを運転するんだ。オレたちのボートはくっついてるだけだから、何もしなくていいんだ。乗ってるだけでいいんだ。大丈夫だ」


いやいや、そうはいかないと思います。絶対に。


翌日、旦那は朝早く出勤して、わたしとNAもその後すぐに出発した。


広いテムズ川をゆっくりと下る。


NAはさっそくわたしに言った。

「オーブンにトウモロコシがあるから、食え」


ああ、今日はトウモロコシか。と、言うか、今日もトウモロコシなんだね......


わたしとNAはほとんど話をしなかった。

彼は話すたびに喉のボタンを押して、できるだけ会話を短縮して話さなければいけないので、なんだか話しかけるのに気が引けた。


NAがボートを操作する横で、わたしはゆっくりとトウモロコシを食べながら景色を眺めていた。

わたしたちのボート、「ダイアモンド」は隣にくっついていたが、自分のボートには座らず、NAの横に座った。


少しして水門が見えてきた。

水門係が水門を開けてくれるまでボートを岸に寄せて止めておく。

だいたいはボートの前に1人立ち、岸が近づいたら岸に飛び降りボートのロープを引く、そして後ろで操縦している人が自分側のロープを持って岸に降りるという感じでボートを止めるのだ。


と言っても、わたし......

臨月に入る直前の大きいお腹で下がよく見えない。

NAがボートを岸に近づけてくれているのに、怖くて岸までジャンプできない。

だって、足元ちゃんと見えなくて、足でも踏み外して川に落ちたら、それで、ボートと岸の間に挟まったりでもしたら......


わたしがもたもたしていると、NAが軽くクラクションを鳴らして催促してきた。


だから、ムリだってー!

もー、旦那! 何が「何もしなくていい」よっ!

何もしないわけにいかないでしょー。こっちはNAに助けてもらってるんだから、ちょっとはボートが止まりやすいように手助けしたいじゃないの!


実際、わたしのお腹が大きくなってきてから、旦那はわたしにボート作業を一切させなかったのだ。

ボートの乗り降りだけでも苦戦することがあるということに気がついてから、旦那はボートを動かす時、1人で全ての作業をやるようになっていた。

だから旦那も、NAが普通にそうしてくれると思っていたにちがいない。


NAはそこまで頭が回らないので、わたしが普通にロープを持ってジャンプしてくれるものだと思っている。


NAのクラクションがまた鳴り、わたしはロープを持ったまま動けないでいる。

ボートは岸からどんどん離れていき、NAがバックしてまたボートを止め直す作業をしなければいけなかった。

ギリギリ岸の近くまで寄せてもらい、やっとのことでわたしはロープを持って岸に降り立った。


怖い、怖いよー。

これ、何回やるんだろう。

無事にコミュニティーに帰る前に、わたしが無事にお腹の子供を守れるかが心配だ。


水門が開き、わたしはまたボートに飛び乗り、ボートはゆっくりと水門の中に入って行く。

水門係に「ありがとう」と手をあげると、水門係、めずらしく女性だった。

彼女は水門を閉めて水を外に流している間、怖い顔でこっちにやって来てNAに言った。

「あなた、彼女は妊娠しているのに何をやらせてるの? 川に落ちたらどうするの? ボートぐらい自分で止めてっ!」


なんだか、わたしのためにすごく怒ってくれている。


NAはいつものようにマイペースで喉のボタンを押しながら、「自分も障害者で喉に穴が開いているから、水に落ちたらすぐ死ぬんだ」と言った。

そして、「善意で2隻のボートを一緒に動かしているんだから、いちいち怒るな」と言って水門係を追い返した。


わたし、こんなときどうしたらいいんでしょう......

早くこの水門、通り過ぎたいです......


水門係の女性は出がけに、「出産、幸運を祈るわっ!」とわたしに手を振ってくれて、とりあえず気分良くその場を去ることができた。


わたしとNAはまた会話のない航海を続けた。


NAは人に何か言われても気にする性格ではないので、さっきのことはなかったかのようになっていた。

時々わたしに、キッチンにあるパンを食べろとか、ジュースがあるから飲めとか言ってくれる。

お互い無口だが、居心地は悪くない。


またしばらくして、次の水門が現れた。


わっ!まただ。こ、怖い。


すると、NAがぶっきらぼうに言った。

「ジャマになるから何もするな。ボートは自分1人で止める」


え? あれ?

さっきのこと気にしてたの?


わたしが、「大丈夫だから手伝うよ」と言っても、「いらない」と彼は言い張った。


あはは、やっぱりさっきのこと気にしてたんだー。

NA、ちょっとおもしろい。


と言うことで、わたしは丸一日、優雅に景色を見ながらボートに揺られることができた。


なあんだ。

結局、旦那の言う通り、何もしなくてもいい日になったのか。なんか、良かった。


ボートはなんと、その日のうちにウォルトンまで着いてしまった。


夕方旦那も帰って来て、わたしたちはまた翌日出発することにした。

今度は旦那も一緒なので、スムーズに事は進んだ。


こうしてNAのおかげでわたしたちは無事にコミュニティーの場所にたどり着くことができた。

大冒険のホリデークルーズだった。


ボート仲間たちはいつものように平和だ。

みんな、とりあえず「心配していた」と言ってくれた。


どこに行っても、どんな状況でも、慣れたところに戻って来ると気持ちが休まる。

わたしたちのボートのエンジンが直るまで、NAも近くにいてくれた。


NA、本当にありがとう。

こうやって仲間がいてくれて本当に良かった。


もう少しで臨月に入る。

月日はどんどん流れて行くのだ。

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