わたしの家出
2009年10月、ロンドンは秋真っ只中。
わたしたちが停滞していた場所は、自然に囲まれていて、イギリスの紅葉を楽しむことができた。
発電機がない生活が始まって3週間ほどがたった。
旦那はテレビを毎日見るのをやめた。ケータイとパソコンを充電するために一日置きにボートのエンジンを2時間ほどつけるので、その時だけはテレビを見ることができた。
エンジン音と振動の中でこの生活はどれだけ続くのだろうか、と思っていたら、それもすぐに終了してしまった。
エンジンが壊れたのだ。
それはそうだ。
エンジンはボートを動かすものであって、ボートを充電するためだけにあるのではない。
壊れたっておかしくはない。
ということで、わたしたちはケータイが充電できないどころか、ボートまでも充電できなくなった。と同時に電気もつかないし、電気で水を組み上げるモーターも動かなくなるので水も使えなくなる。
急いでエンジンを修理しなければいけない。
旦那がエンジンをチェックしたが、修理には特別な部品を買い換えなければいけないようだった。
そして交換作業が少し難しい部分なので、旦那は自分で修理するのには限界があると言うのだ。
エンジンが壊れたのはよりにもよって金曜日の夕方だった。
いくつかのボート専門店に電話で問い合わせてみたが、部品を今から注文しても、週末なので早くても月曜日、下手したら一週間ほどかかると言う店もあった。
とりあえず難しい場所にある部品を旦那が取り出して、部品番号だか部品名だかをはっきりさせないと注文さえできないようだった。
旦那は部品の取り外し作業に自信がないのかなんなのか、なかなか部品を取り外そうとしない。
わたしにしてみれば、土曜日のうちに部品を取り外して、一刻も早く新しい部品を注文する手続きをとって欲しかった。
それでなくても不便なボート生活、これ以上の不便なんて冗談じゃない。
土曜日の朝、このままだとその夜にでも電気すらつかなくなりそうなので、わたしが心配していると、旦那がのんきにありえないことを言った。
「今日は友達の誕生日だから、そいつと飲みに行くってことになったから出かけるんだけど、一緒に来ないか?」
は? エンジンを直さなきゃいけないからお金をセーブしなきゃいけないのに飲みに行くって、一体......
旦那は翌日休みだったが、わたしは仕事があるので、誘いをすぐに断った。
旦那が言う友達とは、旦那の幼なじみなので、まさか彼の誕生日に出かけるな とは言えない。
わたしは一人で充電の切れかかったボートで過ごすことになった。
夜8時を過ぎると照明が徐々に暗くなってきた。
そろそろ水も使えなくなるので、わたしは急いで歯を磨いたりした。
電気がもったいないのでロウソクをいくつかつける。
そして、職場でケータイを充電することにして、充電器をカバンに入れた。
それから、特にやることもなくなってしまったので、さっさと寝ることにした。
旦那はいつ帰って来るかわからなかったが、せめて翌日にでもエンジンの部品を取り外して欲しい、と願いながら眠りについたのだ。
翌朝、だいたいの予想はついていたが、旦那はまだ帰ってきていなかった。
わたしは顔も洗えず、仕方なくそのまま仕事にでかけた。
その朝すでに電気も水も使えなくなっていたのだ。
わたしはどうしてもその日中にエンジンをどうにかして欲しかったので、旦那と早く連絡を取りたくて、ソワソワしながら仕事をしていた。
休憩時間に旦那に電話をする。
昼頃にはいくらなんでも戻っているだろうと思ったが、旦那は電話にでなかった。
仕方がないのでわたしはメッセージを残す。
それでも返事がないので午後にまた電話をすると、すぐに留守番電話に切り替わった。
どうやら旦那のケータイの充電が切れたらしい。
しかたなく夕方にそのまま帰宅すると、旦那はいなかったのだ。
「まさかまだ帰って来てないということはないだろうなあ、どこかに行っているのかなあ」と思っていると、旦那が帰って来た。
旦那の幼なじみと一緒に。
しかも、二人共ベロンベロンに酔っ払って戻って来たのだ......
わたし、絶句......
この状態だと、絶対に旦那がエンジンから部品を取り外す作業をしていたとは到底思えない。
旦那も旦那の友達も泥酔してる上に、草むらかどこかで寝たのか知らないが、体半分以上に乾燥した泥らしきものがついていてすごく汚い!
はっきり言って、中に入ってきて欲しくない。
旦那はその汚い状態のままベットに倒れこむと、一瞬にして大イビキをかいて寝てしまった。
旦那の友達はウイスキーのボトルを片手に、よくマンガで見る酔っ払いのおじさんみたいに座った目で、わたしに言った。
「ウイスキーでも飲むかー?」
って言うか何、この状態!?
わたし、もう完全にキレた!
ケータイとカバンだけ持ってさっさとボートを出た!
もう、こうなったら家出だ!
その時旦那の友達はポカンとなっていたに違いない。
でも、そんなことなんてどうでも良かった。
わたしは怒りで発狂する代わりに、全力で走り出した。
近所のボート仲間たちも、わたしが全速力で走り抜けていくのを、これもまたポカンとして見ていただろう。
本当に、本当にムカつく!
とりあえず気がすむまで走り終えてから、わたしは決めた。
エンジンが直って電気が使えるようになるまでボートには帰らない。
ちょうど良く、すぐ近くに職場の上司の家があった。
彼女は日本人で、わたしより一つ年上で、わたしの生活にとても理解があった。
そしてボートから近かったので、わたしはよく遊びに行っていた。
彼女に電話をすると、「すぐにうちに来てゆっくりお風呂にでも浸かったら?」と言ってくれたので、完全にお言葉に甘えることにした。
翌日、わたしは上司と一緒に出勤して、そのまま上司の家に帰った。
その間、ケータイの電源は切っていた。
旦那とは話す気にもなれなかったし、わたしが家出して、少しは後悔と反省をして欲しかった。
夜になって上司が、旦那が心配するので電話してあげたら、と言うので、仕方なく旦那に連絡をした。
旦那「なんだか急に出て行ったらしいなあ。」
ただ出て行ったのではない。家出したのだ。
旦那「どうせ、職場の上司の家にいるんだろう?彼女にあまり迷惑かけるなよ。」
わっ!バレてる。
わたし「心配してないの?」
旦那「何の心配だ?まあ、電気が使えるまであと1、2日ほどそこにいるほうがいいかもなあ。」
旦那よ、妻が愛想尽かして家出していると言うのに余裕ではないか。
上司は問題が解決するまでいていいと言ってくれたが、翌日、「たぶん電気はつくだろうから帰っておいで」と旦那が言った。
えー、もうすでに部品も注文してエンジン直りそうなの?
わたしは疑いの思いでボートに戻ることになってしまった。
そして、わたしの家出もたった3日目にして終了してしまったのだった。