旦那爆発
わたしたちの発電機が壊れたので、電化製品が前のように使えなくなった。
電気と冷蔵庫は12ボルトなのでエンジンで充電できるが、240ボルトの家電は、それ用のバッテリーすらないので充電しておくことができない。
旦那はテレビがないと生きていけないぐらいなので、テレビを見る時間は夜1時間と決めて、エンジンをつけながらテレビを見ることになった。
その短い間で、わたしはケータイとパソコンを充電する。
ボートが小刻みに振動するエンジン音の中で、旦那とわたしは毎日テレビを見る。
すごく普通じゃない。
そんなある日、Tが新しい発電機を買ってきた。
なんと、ボート所有者たちが崇拝しているホンダの発電機だ。
彼ら曰く、ホンダの発電機は音も静かなのにパワーがあって、軽くて長持ち。
いいところだらけの発電機だ。
日本製というだけで、日本人のわたしは、なぜか誇らしい気分だ。
ただ問題は、やはり値段。
結構高い。
わたしたちにはホンダの発電機が買える余裕はないので、ホンダ社の半額の中国の会社のホンダと性能を似せて作ったという発電機を使っていた。
なるほど、Tが買ってきたホンダのは軽くて静かだ。
と言うか、お金がないなどと旦那に泣きついていたTのどこに発電機を買うお金があったのだろう。
しかも高価なホンダ社のだ。
とにかく彼は発電機が手に入ってかなり有頂天だ。
そしてわたしたちに、「必要だったら自分の発電機につないでいい」と言った。
旦那は、「ほら、Tもそんなに悪いヤツじゃないだろう」とわたしに言う。
って言うか、普通ですから。
と言うか、普通だったらホンダの発電機が買える分で、先にわたしたちの発電機を弁償するのが筋だと思いますが。
わたしがまだまだTを認めないでいたので、旦那が言った。
「オレたちはテムズ川にいた時からTとJのことを知っている仲間だろう。彼らがいたからカナルでの生活もスムーズにここまで来たんだろう」
確かにそうだった。
わたしだって彼らがいたから、治安が悪いなどと噂されているカナルに安心して出てこれたのだ。
楽しかったことの方がずっと多かったはずだ。
発電機を壊されたことは大きいけど、本人も気にして、急いで発電機を買ってわたしたちに使ってもらおうと思ったのかもしれない。
少しは許してもいいかなと思い始めてきた。
旦那は発電機を使わせてもらえるので、一番最初に発電機満タン分の灯油を買って来てTに渡した。
それなのに、Tは1日1時間ほど発電機をつけると、さっさとボートの中にしまってしまう。
確かにTには十分なバッテリーがあるので、充電しておいたら一晩はもつ。でも、わたしたちにはバッテリーがないので、発電機が使えなかったら電化製品も使えない。
テレビを見ながらケータイなどを充電していると、Tが発電機を勝手に消してしまうので電源が突然消えてしまう。
そして、Tは自分でいつでも使っていいといいながら、発電機を自分のボートの中にしまい込んで鍵をしてしまうので、わたしたちが使える隙間は少しもなかった。
わたしも旦那も、Tに頼み込んでまで使いたくなかったので、しばらく我慢してボートのエンジンを使ったりしていた。
旦那は、「灯油満タン分で6時間は持つから、しばらく灯油は買わなくていいな。と言うか、もう絶対に買わない」などと、少しずつ怒りが増しているようだった。
そんな状況が一週間ほど続き、ある日、旦那がTと話しついでに、「その日の夜、どうしても見たいサッカーの試合があるから、発電機を2時間だけつけてくれないかとお願いした。
旦那、サッカーが大好きなので、うるさいエンジン音の中でサッカーを観戦するより、Tにちょっとお願いした方がいいと思ったのだ。
Tは普通に「オーケー」と言い、旦那は平和にサッカー観戦ができるかと思われた。
それが、そうはいかなかったのだ。
旦那がビールを飲みながら満足そうにサッカーを見ている。
彼にとって、ささやかな幸せのひとときだ。
わたしはワールドカップは大好きだが、プレミアリーグはよくわからないので、パソコンをしながら試合を流し見る。
試合は後半戦。
2ー1だったか、1-1だったか、とにかく最後まで見ないとわからないような試合だった。
旦那はテレビの前で、相手に聞こえない声援を送る。
と、テレビが突然消えた。
旦那はよっぽどいいところで途切れたらしく、「うおー!」と悲観のうねり声をあげた。
急いで外に出るとTが発電機を中にしまおうとしている。
「2時間だけって頼んだじゃないか。まだ試合の途中なんだぞ」と旦那が言うと、Tは「明日仕事で早く寝るから、もう中にしまうよ」と言った。
と言ってもまだ夜の9時前。
9月中旬のこの時期は、まだ少し明るい。
それでも旦那には言い争いをしているヒマはない。
急いでボートのエンジンをつけて、試合の続きを見だした。
少しすると、誰かがボートをノックしている。
旦那が少しイラついた様子で応対すると、またもやサッカー観戦の邪魔をするのはTだった。
Tは言った。
「明日仕事で朝早いってさっき言ったじゃないか。うるさいからエンジン消してくれよ」
ブチンッと音はしないまでも、わたしにはすぐに分かった。
旦那、今のでキレた。
それでも、絶対に最後まで見ると決めた試合。
旦那、とりあえずぶっきらぼうに「ノー」とだけ言ってドアを閉めた。
さて、試合も終了して旦那はテレビとエンジンを消すと、直ちにTのボートをノックしに行った。
Tは何か旦那の殺気に気がついたらしく、ドアから顔を出すと、愛想笑いをしながら旦那が何か言う前に言い訳をし出した。
「すまん。テレビを見ると言ってた2時間は発電機をつけておくはずだったが、買ったばかりの発電機を長くつけっぱなしにして壊れやすくなったら困るからさあ。しかも明日朝早いし」
旦那、本格的にキレた!
「お前は友達よりも発電機が大事なのか!F*** OFF ! 」
そして旦那、もうブレーキがきかない暴走車のように怒鳴り散らす。
今までの経過で旦那もわたしと同じ気持ちでいたのに、それでも周りに嫌われているTを思って黙っていたのだ。その思いを全部吐き出す。
しかも、区切りごとにFワード付きで......
しまいには「今すぐ掃除機を使うから、お前の発電機を貸せっ!そんなにいい発電機なら、掃除機の電圧ぐらいじゃ壊れないだろう!今すぐ発電機をだせっ! だせー!!」
わっ!旦那、ヤクザみたいになってる.......
Tは今にも泣きそうに立ちすくんでいる。
外ではボート仲間たちがまだたむろしていたので、ほぼ全員が旦那の言い分を聞いていた。
わたしと旦那は、Tに発電機を壊された過程を誰にも言ってなかったので、内容を知ってボート仲間たちは驚いていたようだった。
MAがゆっくりとやって来て、かなり冷静に「お前、サイテーな奴だなあ」とTに言うと、いつもは調子良く言い訳をするTが、まるで瞬間冷凍されたように硬直状況になってしまった。
わたしはTに同情すらできなかった。と言うか、彼に言いたかったことを旦那が全部言ってくれたので、これで良かったのかなと思った。
そして翌日早朝に、Tはボートごとどこかに行ってしまった。
その後、わたしたちの発電機が壊れてしまったことを知ったボート仲間たちは、」必要なときにいつでも発電機を使っていい」とわたしたちに言ってくれたが、旦那は誰からも発電機を借りようとはしなかった。
そうして、わたしたちの暮らしもまた完全に振り出しに戻った。
発電機を買うまで更に切り詰めてやっていかなければいけない。
Tと旦那の仲が、できれば避けたかった状況で切れてしまったので、旦那はしばらく「Tに悪いことをしたなあ」と言っていたが......
旦那よ、そんなことを心配するよりも発電機が壊れてしまったので、不便な生活に戻ってしまったことを心配してくださいよ......
これを境にわたしたちの生活が、あれよあれよと言う間に悪化していったのだった。