T、わたしを怒らせる
ビクトリアパークに居ついてから、停滞場所にボートがどんどん増え始めた。
旦那と仲が良くなったMAが、他の場所に移動しようと提案した。
そこの方が静かでスペースもたくさんあるという。
旦那がイヤだと言うはずがない。
わたしたちはすぐに新しい場所に移動することになった。
場所はロンドンの北、ハックニー地区。
カナルとリー川という川の中間地点だ。
停滞した場所はフィルターベットと呼ばれる18から19世紀に下水処理場だったところの真ん前で、自然保護地区になっている。
今でも、昔の下水処理場の跡が古墳のように残っている。
なんだか少し神秘的なところだ。
これまで一緒に移動を続けてきたTとJももちろん一緒だが、他に4隻のボートも一緒に移動した。
若い女の子が所有するカナルボート、いつも一輪車を乗り回し、ヒッピーみたいな格好の変わったおじさんのボート、中年英国紳士と優しいお姉さんのカップルのカナルボート、そしてパーティー大好きのイギリス人女性とフランス人男性の中年カップルの大きいハウスボート。
7隻のボートが一気に移動...... って、静けさとスペースを求めての移動なのに、ちょっと多すぎないか?
わたしにしてみれば、どちらにいてもバス一本で職場まで30分という距離なので、景色が変わったぐらいでほとんど何も変わらない。
フィルターベットに着くと、他にも3隻ほどボートが止めてあった。
10隻のボートで何となく近所付き合いが始まった。
ビクトリアパークにいた時はたくさん人がいて、誰が何をしていてもあまり目立たない感じだったが、少人数でまとまると周りが良く見えて来るのか、ボート仲間たちがTのことを悪く言いだした。
TもJもテムズ川で暮らしていた時から少し変わったカップルで、特にTは調子が良くて自分の話ばかりするので、面倒がられてはいたが、テムズ川のコミュニティーでは普通に仲間たちの中に溶け込んでいた。
わたしも旦那もTはそんなもんだと分かっていたので、あまり気にしていなかったが、新しい仲間たちは相当気に入らなかったらしく、大人気なく彼を無視しだした。
もちろん、TもJも居心地が悪くなる。
わたしだって彼らを多く知っている分、切ない気持ちになる。
そしてそれと同時に、なんだか新しいコミュニティーが怖くなってきた。
少しのことで、人ひとりを孤立させてしまうのだから。
テムズ川にいた時は、よっぽど悪なことをする以外は、仲間たちは軽くなんでも流していた。
文句を言ったとしても、その場でみんな忘れてしまう。というか、子供じゃあるまいし、無視はしないよねえ、と皆思っていた。
不便なことも多いボート生活、助け合って生活していったら、なんて心強いだろう。
それをできなくしてしまうって、どうだろう。
旦那はそんなことなどまったく気にしていないようだった。
周りにもTにもいつも通りに接して、周りがTのことを悪く言っていても、聞いてるのか聞いてないのかあやふやだし、Tが居心地が悪くなったと旦那に相談してきても、「なぜだ?」と言うように話を聞いている。
旦那、長いこと付き合っているけれど、時々彼の思考回路がよく分からない。
一体どう思っているのかと聞いても、「自分はあまり気にならないけどなあ」などと、適当な回答をするのだ。
わたしは、Tの気持ちがよく分かったので、彼がなんだかかわいそうになってきた。
周りの話を聞きながらもTに同情していたのだが、その後すぐにTはわたしでさえもカンカンに激怒させてしまうことをした。
そして、そのうち呑気な旦那までも怒らせることになってしまうのだった。
事件はここから始まった。
フィルターベットの停滞場所に移動してからすぐにTの発電機が壊れた。
修理してもムリなほど致命的だった。
Tはボートを充電するのにボートのエンジンを使ったが、今度はエンジンがおかしくなりそうな勢いだったので、旦那が自分の発電機につないで充電したらいい、とTに言った。
わたしたちが発電機を買う前もWの発電機に便乗していたので、わたしもお互い様だと思い、Tが必要なときに貸したりしていた。
しばらくしてわたしは思った。
Tが発電機を使うたびに灯油が大幅に減るが、Tが灯油を買って来たところを見たことがない。
Wと共有していた時は、お互い交互に灯油を買っていた。
その上わたしたちは、借りている分申し訳ないので、多めに灯油を入れたりしていた。
気になって旦那に聞くと、「Tたちは新しい発電機を買いたくてお金をセーブしているし、エンジンも故障気味だから、お金が必要なんだろう」と言った。
それは、Tが言ってきたのか、それとも旦那の勝手な判断かと聞くと、「灯油代ぐらいでそんなにケチケチするな」という答えが返ってきた。
いやいや、そうはいきません。
灯油代だって毎年上がり続けて、このまま彼らの分まで払い続ける余裕は、うちにはないのだ。
仕方がないので、Tの彼女のJにおしゃべりのついでに聞いてみた。
するとJは目を丸くして「えっ!ずっと灯油代出してなかったの? わたしも彼に灯油代だってこの間お金を渡したばかりなのに!」と、すぐにわたしにいくらかお金を払ってくれた。
今度はそれを知ったTが、お金を払っているんだからと言って、エンジンを修理するからとか、なんだかんだと理由をつけて発電機を使っていた。
少しして、Tがエンジン室の水が溜まりすぎたので、掃除機で吸い取ると言って、どこからか巨大な掃除機を持ってきて、わたしたちの発電機につないだ。
そして、電圧が強すぎてわたしたちの発電機が爆発してしまったのだ。
その時、わたしと旦那は仕事に行っていて、帰宅してから煤けたように黒っぽくなった発電機を見たのだった。
わたしはショックで何も言えない。
旦那が慌てて中を開けてみたが、発電機のエンジンの重要部分が爆発してしまったので、部品交換して直すよりは買った方が早いだろうという状態だった。
旦那がTに「エンジンも自分で直せるぐらい知識があるのに、なぜ電圧が強い掃除機を使ったんだ?」と聞くと、Tは、「電圧の使用量は確認したし、発電機のコンディションが悪かったんじゃないか?」と、とんでもないことを言った。
それでもかなり平謝りだったが、そのどこにも、「弁償する」という言葉はない。
Tは、自分も発電機がなくてエンジンも壊れ、お金もなくてどうしようもできないと旦那に泣きつくだけだった。
旦那はそれでもなぜか怒らなかった。
おかしい。
Wがもしも同じことをしていたら、旦那は怒ってガンガンと言ってるはずだ。
でも、なぜTにはしない?
旦那曰く、「Wはそんなことで怒鳴ってもケンカにならないし、気にしない。それどころか、自分で壊してしまったら、借金してまでも弁償するだろう」と言う。
それに比べてTは、怒っても傷ついて落ち込むだけで、自分がいじめたみたいに感じるので、怒る気になれないと言う。
しかも、自分から使っていいと彼に勧めたので、自分にも責任はあるのだそうな。
って言うか、そうか?
そんな旦那とは正反対に、わたしはカンカンだった。
そして、それと同時に最愛の友人を亡くしたくらいに悲しかった。
発電機を買うために、わたしと旦那は長いことかなりギリギリまでセーブしてがんばった。
念願の発電機がやって来て、旦那はクリスマスが来たみたいに大喜びしたのだ。
あの時の旦那の子供みたいな顔。
これからのボート生活に必要な物が手に入ったと安心したわたし。
あの時のことを思い出すと、悲しくて泣けてくる。
旦那は、発電機を大事に使った。
灯油がついたら丁寧に拭いて、オイルもマメにチェックして、雨の日はボートの囲いの中に入れて。
わたしたちの発電機は同じ時期に買ったSやANの発電機よりも、ずっとキレイでよく手入れがされていた。
それなのに、Tはコンディションが悪いなどと言うのだ。
わたしは怒りと共に、悔しくて悲しくて涙が出てきて止まらなかった。
Tに文句を言わないわけにはいかなかった。
それなのに、Tの顔を見たらなぜだか分からないが、彼の近くに行くのさえ嫌な気分になった。
わたしは怒りを通り越して、Tが生理的にダメになってしまったのだった。顔を見るのさえ嫌になってしまった。
ボート仲間たちが彼を無視しだして、なんて子供みたいなんだろうと思っていたのに、自分が彼らと同じ状況になってしまったのだ。
こうなったらもう、自分で自分のことがコントロールできないので、わたしは気がすむまでTを避けて生きるしかない。
Tはそんなことを知ってか知らずか、わたしと旦那の機嫌をとろうとしたり、用も無いのにわたしたちのボートに来たりしていた。
その度にわたしは理由をつけて、他のボート仲間のところに行ったりしていた。
旦那はと言うと、とりあえずいつものようにTに接していた。
そんな優しい旦那にもやはりタイムリミットがあった。
この後、T、完全に旦那までも怒らせてしまった。
旦那、爆破まであと少し......




