リトルヴェニス
2週間とはあっという間に過ぎるもので、わたしたちは次の場所に移動しなければいけない。
これから先は、本格的にロンドンの中心部に入る。
人気の場所なので、中心地の停滞期間は1週間づつになる。
TとJもこの先までボートを移動したことはないので、初めての経験だ。
Tは特に張り切っている。
向かう場所はパディントンベアで有名なパディントン駅の真裏、リトルヴェニスと呼ばれるところだ。
歩いて移動してもいいが、バスに乗ると10分ほどで中心街に出ることができる、便利な場所だ。
四方に個性的な街があるので、1週間じゃ到底足りない。
と言うことで、旦那とTは休日と合わせて3連休を取っていた。
なぜそんなに浮かれる?
実際考えてみると、ロンドンの中心地なんてよく来ていたではないか。
何がそんなに珍しい?
わたしとJは、残念ながら移動当日仕事だったので、夕方パディントンで落ち合うことにした。
わたしが仕事に行く前にJが言った。
「2人で3連休取るなんて、何かおかしいわ」
うーん。確かにおかしい。
これから何週間かはロンドン中心部に停滞するのだから、なにも今、有給使わなくてもねえ。
その日の昼過ぎ、わたしは旦那から着信があったので昼休みに電話をした。旦那が出ると思いきや、大音量の音楽と共にWの大きな声が耳に響いた。
「いえーい!人生は最高だー!オレたちはベイビーを探しに向かってるんだー!」
旦那はボート操縦中で、Wがかわりに出たらしい。
っていうか、なんでー!?
しかも、言ってること意味不明......
わたし、とりあえず「ハ、ハロー」と言ってみるが、それ以上言葉が出ない。
なんで、なんでWが旦那とボートに乗ってるんだ?
後で旦那に聞くと、「リトルヴェニスなんてすごいところに行くから、Wに電話でそのことを言ったんだ。そしたら移動の日は一緒に行くっていうから、休みを取ったんだ。言ってなかったっけ?」
いや、聞いてないです。
まったく、はめられた気分です......
って、ちょっと待って、それでなぜ3日も連休を取る?
まさか、Wが3日間もうちのボートに居候するのでは!
とんでもないロンドン中心地での生活の始まりだった。
このままで、安らぎの生活は来るのだろうか?
無事にお金をセーブしてインバーターとバッテリーを手にすることはできるのだろうか?
わたしの頭の上に灰色の雲があるんではないか? というぐらいに気持ちが暗くなり、重い気分でパディントンに向かった。
イタリア、ヴェニス。
運河に囲まれた街。
それにちなんで名付けられたリトルヴェニス。
優雅な運河に浮かぶ、可愛く飾られたボートを見ながら旦那と過ごすロマンチックな夕暮れ。
って、夢みてたわたし、完全に期待外れ。
一週間しかない停滞期間。
なんで休日の貴重な日にWが耳元で騒いでいるんだ...... ?
Wの彼女のAから電話があった。
「W、2日も帰って来ないし、電話もつながらないのよ!来月には子供が産まれるっていうのに、何やってるのよ!」
わっ!すごく怒ってる。
でも話の様子では、ここにWがいることを知らないらしい。
うーん、言うべきかどうか?
と考えながらも、Wの声が電話越しに聞こえないように遠くまで歩いて行くわたし。
言いたかったらWが自分でどこに行ってたかAに言うだろうし、ここはとりあえず黙っていよう。と、なんでだかWのために配慮までしているわたし......
それにしてもWよ、もうすぐお父さんになるんだよ。
身重のAをもう少し大事にしてやってくださいよ。
そして、Jもカンカンだった。
機嫌が悪すぎて、わたしですら挨拶するのに気が引けた。
男3人は、浴びるほどビールを飲み、パブに行くやらクラブにいくやら、3日間ジャンクばかり食べて、飲んで、不健康に過ごしていた。
わたしは怒る気力もなかった。
一晩だけ彼らと一緒にパブに行ってみたが、あまりの飲みっぷりに目が回りそうになった。
3日間でこの人達、一体いくら使ってくれるんだ...... 悲しい。
せっかくの休日にバカ男たちと過ごすのも時間のムダなので、わたしは一人でリトルヴェニスの周りを散策して、センター街まで出かけた。
たくさんの通りを抜けて、ロンドンに来たばかりの頃を思い出した。
どこの通りを歩くのも、いちいちワクワクしたりドキドキしていた。
今はすっかり普通になってしまったロンドンの景色も、あの頃は一つ一つが感動だった。
あの頃から貧乏だったし、英語も下手くそだった。
旦那がいて、ボートに住んでと、状況は変わっても中身は全然変わっていないわたし......
色んな出来事を思い出しながら街を歩きまわった。
一人でブラブラ歩くのも悪くない。
夕暮れ時になって、センターから歩いて帰る途中で、リトルヴェニスの裏側から5分ほど先に、かっこいいバーがあることを思い出した。
その頃仲が良かった友達数人と、2度ほど行ったことがある。
どの友達も皆それぞれの国に帰国してしまってロンドンにはいない。
みんなどうしているんだろう...... と思うと、なんだか懐かしくなった。
たくさん歩いて喉も渇いていたし、たまには自分にご褒美もいいんじゃないかと思い、バーで一杯飲んでからボートに戻ろうかと考えた。
実際わたし、お酒は好きだけど、一杯飲んだら結構酔っ払ってしまうので、とても安上がり。
そのままいい気分でボートに戻れるし、うるさい男3人を流してあげることもできる。
「よし、決めた」
中に入ると、バーは名前も内装もあの頃のままだったが、かかっている音楽の種類が変わっていた。
音楽が変わると雰囲気も変わるもんだ、と思うか思わないか、なんか聞こえる。
音楽とは別に聞き覚えのある声が......
わっ!
またしてもここにW!
カウンターでビールをオーダーしているではないか!
しまった!
このバーからわたしたちのボートまでは非常に近い。
バッタリ出くわしても全然おかしくないのだ!
やられた......
Wは、わたしを見て大喜びでなんだか言っている。
そして上機嫌で一杯おごってくれた。
まあ、いいやと思い、Wについて行って旦那とTがいるテーブルに行くと、あれ?
お姉ちゃんが2人お付きではないか。
なんだかわたしを見るお姉ちゃんたちの視線が冷たい。
怖いよー!
わたしは彼らのただの友達です!ってことにしようかと、アタフタしていると、旦那が「オレのワイフだ」と素直に紹介するので、わたしはなぜかもっと動揺。
お姉ちゃんたちの反応が恐ろしいなあと思っていると、あれ? なんだか安心しているみたい。
急に優しい顔になった。
ああ、そうか、お姉ちゃんたちはWかT狙いなんだな。
あーあ、モテない旦那よ。
その夜、アジアのちんちくりんなわたしとモテない旦那は、完全に輪の中から外れてしまい、結局2人で踊ったり冗談を言ったりして、勝手に楽しい夜を過ごした。
思わぬ展開で休日の夜を旦那と過ごすことができたので、いいんだか、悪いんだか分からないが、わたしの思い出の場所に旦那も加わったので ( おまけのWとTもいるけど...... ) わたしは面白いもんだなあと思った。
向こうでは、WとTがお姉ちゃんをそれぞれお付きにして楽しそうだ。
って言うか、これでいいのか?
今頃きっとAもJもカンカンだよ。
結局男3人は「なぜそんなに!?」とツッコミたくなるぐらいに潰れてしまい、お姉ちゃんたちは帰ってしまった。
わたしは酔っ払い3人を誘導してボートに戻った。
ロンドンに来たばかりの頃、リトルヴェニスを見て感動した。
その頃のわたしが、今のわたしを想像できただろうか?
ライトニングされた夜のリトルヴェニスは映画でも見ているかのように綺麗だった。
その感動だけは、今も変わらず一緒だった。




