Aに幸あれ
カナル ( 運河 ) への移動は、翌月の旦那の誕生日に決まった。
それまであと4週間ほどあった。
旦那とWは、それまでにまた色々なところにボートを移動して過ごすことに決めた。
ボートコミュニティの場所には、一年近くいたことになる。
移動している間も、他のボート仲間たちには会えるのだが、わたしは少しさみしい気持ちになった。
それでも、Wのボートとわたしたちのボートは、何もなかったようにその場所を離れた。
相変わらず、どこに停滞するかはWの気分次第だった。
旦那は、毎回楽しそうにWとつるみながら後をついて行った。
同じ町の中で、停滞場所だけが変わるので、わたしも文句はなかった。
大変なのはWの彼女のAだった。
彼女は車で仕事に行くので、いちいち駐車する場所を心配しなければならなかったし、妊娠中期の体には酷な場所もあった。
ある日Wは、わたしたちがテレタビーランドと呼んでいる原っぱの前に滞在することにしたが、先客のボートが二隻すでに止まっていたので、その横の背丈ほどもある柵の前にボートを止めた。
ボートから下りて柵を登らないと、原っぱに出ることはできない。
駐車場も道路も、原っぱを抜けないと行けないので、イヤでも柵は登らないといけない。
わたしでも困難だと思う柵なので、妊娠中期のAにはムリがあった。
柵を登るだけではなく、足を踏み外したら川に落ちてしまう。
旦那が、「この場所はAにはムリがあるし危険だから、場所が空くまでここに滞在するのはやめよう」と言うと、Wは「オレがいたいのだから、何が悪い!」と主張して、しばらく口論になった。
そのうちAが仕事から戻って来て、柵の真ん前にボートがあるのを見て、絶句していた。
かわいそうになった旦那が、折りたたみのイスでAが柵を越えるのを手伝っていたが、Wはわざとらしい、と笑って、どうでも良さそうだった。
翌日わたしは休日で、街を一人でブラブラとしていると、急に大雨が降り出してきた。
あまりの土砂降りなので、とりあえず目の前にあったパブに飛び込んだ。
窓の外を見ると、なんと、大きなお腹のAが両手になにやら重そうな買い物袋を担いで、ずぶ濡れで歩いているでないか!
わたしはびっくりして雨の中を飛び出し、Aをパブの中の入れてあげようとすると、Aは「Wにビールを買って来いって頼まれてて、その後すぐに仕事に行かなきゃいけないから、雨宿りなんてしているヒマはないの」と言った。
「車はどうしたの」と聞くと、「ちょっと散歩に出たついでにWから電話がかかって来たから、駐車場においたままなのよ」と言う。
Aは両手に6本づつのビールを持っていた。
12本のビールなど、わたしにとっては容易いことだが、妊婦に買って来てくれと頼むとは、Wも無神経すぎると思った。
WはAの体のことなどは考えないのだろうか?
Aもなぜムリだと言わないのだろう、と不思議に思った。
もちろん、わたしがその12本のビールを持つことにして、雨の中、Aとボートに戻った。
二人で歩いていると、Aが突然泣き出した。
お腹が目立つようになってきてから、Wの態度が冷たくなってきたのだと言う。
わざと酷いことを彼女にしているとしか思えないのだ、と言う。
こんなことを聞いてしまうと、放っておいてカナルに移動してしまっていいのか、それとも面倒なことになる前に移動してしまった方がいいのか、分からなくなる。
Aはその夜、仕事から戻るとわたしのところにやって来て、泣きながらWの文句を言い続けた。
そして、それはほとんど毎晩のように続いた。
わたしは時々眠くて、目を開けているのも困難だったが、同じような話を何度も繰り返すAに、彼女の気がすむまで付き合った。
そして思った。
カナルに行くという選択は、ある意味わたしにとっていいタイミングだったのだろうと。
わたしがここに居ようが居まいが、結局のところ、Aは自分の人生を自分で決めるだろうし、わたしのしてあげれることは何もないんだろうと思った。
あともう少しでテムズ川での生活も終わる。
Aには新しい命がやって来て、新しい選択をすることになるのかもしれない。
わたしと旦那も新しい場所に移動するのだ。
もしも、本当に友達という絆が持続するのであれば、離れていてもわたしはAのことを思っているし、Aもここで、わたしが少しでも支えになろうとしていたことを忘れないでいてくれるだろう。
本当に、「互いに思いやる」という友人関係が存在するんだったら。
テムズ川は相変わらず何も変わらない。
わたしたちがやって来た日と、全く同じだった。