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薪ストーブ

その年の冬も、人の気持ちなどお構いなしにそこまで来ていた。


ボート暮らしをしていると、「冬、寒いでしょう」とよく聞かれる。


確かに、寒い。


ボートは氷のように冷たい川に浮いているのだから。


その代わり、夏は心地よい自然のクーラーのように涼しい。

木陰などにボートをとめて窓や戸を全開にすると、今夏真っ盛りだということを忘れるくらい、本当に気持ちがいい。

ボートに住んでいて本当に良かったと思える瞬間だ。


でも、冬はそんなことも忘れてしまうぐらいに寒いし、不便。

そこで、薪ストーブ登場。

ガスのストーブもあるけれど、ほとんどのボートは薪ストーブを使っている。

安くて暖かいからだ。


わたしたちがボートを購入したとき、薪ストーブはついていなかった。

セントラルヒーティングと言うものがついていて、ガスでボイラーのお湯を沸かして、その暑いお湯がパイプを通り室内を暖めるというもので、ガス代が結構かかった。

かと言って、ガス代をケチると死ぬほど寒かった。


わたしたちは予算オーバーでボートを購入してしまったため、最初の冬は薪ストーブ購入など夢のまた夢。

ガス代を賄うほどの余裕もなかったので、毎日震えながら暮らした。

あまりにも過酷だったので、次の年は薪ストーブを買うのがなによりも大事なことだった。


ボイラーと発電機を買ったあと、わたしは銀行の明細書を見てため息をついた。

どう考えても薪ストーブはその冬も買えそうになかった。


わたしと旦那は、またあの激寒の冬を過ごすと思うと、本当に恐ろしかった。


10月も終わりに近づいていた。本格的な冬が来るまであと少しだった。


そんなある日、わたしが母親と電話をしているとき、母が思わずすごいことを言った。

「あなたの預金に結婚祝いのお金が全部入ってなかったけ?」


そうだ!忘れていた!


わたしと旦那は日本で式を挙げ、お祝い金を銀行に入れてロンドンに戻ってきたのだった。

2年半以上経過してから、そのことに気がつくなんて!


わたしは即効、そのお金をストーブ購入にあてることにした。

旦那も大喜び!!

 

家族、親戚、友人の皆様、本当にありがとうございます!

皆様のお祝い金は本当に必要なものに使わせてもらいました。

本当に、これがなければ、ボート生活2回目の冬も凍死ギリギリの冬を過ごすところでした!!


こうしてわたしたちは、念願の薪ストーブを手に入れることができた。


ストーブはパイプにつなげると、お湯も沸かせるし、セントラルヒーティングにも繋げることができる代物。

そこまでするには、また高価な部品やパイプなどを買わなければいけないので、とりあえず、薪ストーブだけ設置。

旦那が休みの日に、ボート仲間と3人で作業することになった。


 

その日わたしは仕事だったため、いてもたってもいられなかった。

ストーブ設置のためには煙突用に天井に穴を開けなければいけない。

わたしたちの唯一の持ち家に素人が穴をあけるのだ。

旦那は始めての経験。後の2人は、1度だけストーブを設置したことがあるという経験だけだ。


わたしが仕事から戻るとボートの中は想像以上に暖かかった。


ついに念願のストーブがついたのだ!


わたしと旦那は手を取り合って喜んだ。

そしてその夜は窓を開けなければいけなくなるほど暖かくなった室内で、ゆっくりと寛いだ。


しばらくして問題は起きた。


やっと手に入れた念願の薪ストーブ。

でもこれがまた大変な代物だったのだ。

 

休日、わたしは目を覚ましてすぐに薪ストーブに火をつけることにした。

今まで旦那が火をつけていたので、わたしがやるのは初めてだ。

旦那は朝早くに仕事に行ってしまった。


まず着火剤に火をつける。

石油の匂いが広がって体に悪そうなので、さっさと薪を入れて戸を閉める。小さい薪ストーブなので、薪は一つしか入らない。

ストーブのガラス窓を覗くと燃え上がる火が見える。


よし。

わたしは一仕事終えてコーヒーを作ることにした。

コーヒーを飲みながら薪ストーブの火を眺める休日の朝、なんて素敵なんだろう。

 

コーヒーを作ってストーブを覗くと、あれ?火が消えている。

どうしてだろう?

わたしは着火剤に火をつけて、またストーブに放り投げる。


コーヒーを飲み終えた頃にまた火が消えた......


わたしはヤケになって、今度は多めに着火剤を入れる。

そして薪ストーブの前にしゃがみこんで燃え上がっている火を監視した。


しばらくしてまた火が消えてしまった。


えー! なんで???


ストーブの中を見ると、少し焦げた薪がドンとある。

薪のくせに燃えないの?


おかしい!

旦那がつけると大きな炎をメラメラと上げて燃えるくせに、あたしは薪にバカにされてるとしか思えない!


ようし!

今度は燃えやすい新聞紙を、着火剤と一緒にいっぱい詰め込んだ。


それなのに、少しすると火は消えてしまうのだ!


ストーブの戸を開けると、新聞紙の燃えカスがストーブの周りや床、わたしの顔に舞い散った。


何これー!! なんなの!

なんでこんなことになるの!?


わたしは意地になって何度も同じことを繰り返した。

薪さえ燃えてくれたらいいのだ。


気がつくと着火剤を使い果たしてしまい、ストーブに関わってから1時間は軽く越えていた。

しゃがんだままのわたしは、足も痺れて、しかも寒くて、イライラとしてきた。


やめた!!

こんなストーブ、もういらん!!


さっさとボートを出て、隣人のボートに逃げ込んだ。

寒くて、あんなところには居られない!


そして、仕事中の旦那に電話をして、文句の留守電を残してやった。


隣人はわたしのボートまで来て、ストーブに火をつけてあげると言ってくれたが、わたしは悔しくて、旦那が帰るまであのボートには戻らないと言い張った。


さて、旦那帰宅。


彼は子供みたいにスネたわたしを迎えに来て、二人でボートに戻った。


旦那がストーブの戸を開けて大笑い!


そこには真っ黒になった薪の塊がポツンとあって、白くなった新聞紙の燃えカスに埋まっていた。


「どうやって火をつけようとしたんだ?」

そう聞く旦那に一部始終を説明する。


旦那、絶句......

「ストーブの火のつけ方も知らなかったの?」と言った......


知るか!

この現代に薪ストーブの使い方を知っている若者が何人いるっていうのか!


「じゃあ、ストーブの中をキレイにして、1から始めよう。まずは、灰を全部掬い取って中を空にしないと、火がついても暖かくならないんだ」


旦那はそう言って、スコップで灰をすくう。

スコップいっぱいになったのが3回分ぐらい、たくさん灰が詰まっていた。

そして、大きい着火剤に火をつけてストーブに入れ、小さい木をたくさん入れた。


「発火しやすいように、燃えやすい木をたくさん入れるんだ。これが完全に燃えたら、もう完成に近い。薪をくめて、石炭を入れるんだ。そのあと、戸を完全に閉めないで、火が広がるまで空気を入れてやるんだ。」


なんと!

この行為で10から15分はかかった。

仕事前の忙しい朝に、こんな面倒なことはやってられない。

ボートが暖かくなる前に仕事に行かなくてはいけなくなる。


面倒なのはこれだけじゃなかった。

ストーブが小さいので、薪も石炭も少ししかくべることができない。

なので、燃え尽きるのが早い。

1、2時間おきに薪や石炭を補充しないと、ほとんど消えてしまう。


ボートは煤で黒っぽくなるし、灰を取る作業も怠れない。

薪を割る作業も重労働だし、石炭で手がいつも真っ黒だ。


家に薪ストーブを取り付けたいと思う人は、少し考えた方がいいかもしれない。

灯油代が上がれば石炭の値段も上がるし、薪や着火剤などもバカにならない。


わたしはだんだん欲しくて夢にまでみていた薪ストーブが嫌いになっていた。

できれば、指一本か何か簡単な作業でストーブをつけたい、と思うようになっていた。


ある日、わたしの友人が訪ねてきた。


そして薪ストーブを見て言った。

「素敵!こうやって自然の木が燃えるにおいと、この火を見てると、すごく癒されるなあ」


わたしはその夜、その友人の言葉を思い出して火を眺めた。


あれ、本当だ。

癒されてるかは分からないけど、ゆっくりと燃え上がる火を眺めていると、なんだか落ち着く。


旦那がわたしの横でビールを飲みながらテレビを見て笑っている。

この薪ストーブがなかったら寒すぎて、こうやってくつろぐこともできない。


「ストーブあったかいね」

わたしが旦那に言うと、旦那は言った。

「このストーブはオレたちが買った色々なもののなかでも、最高の買い物だよな」


そうだね。本当にその通りだよ。


大事な薪ストーブを嫌になっていた自分が、子供じみている気がしてきた。


ごめんよ、薪ストーブ......

この冬も、これからも、よろしくね。


わたしは、特に心なんてない薪ストーブなのに、ちょっと愛着が湧いた。

 

 


 


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