Aの妊娠
イギリスの夏はあっという間に終わる。
毎年ロンドンで恒例のノッティングヒルカーニバルが終わると、不思議に肌寒くなり、夏が終わったのだという気がする。
9月になると、残暑なんて言葉は存在しない。さっさと秋になってしまう。なんだか、 いつも心なしか寂しい気持ちになる。
2008年9月のある日、わたしとAはいつものようにコインランドリーに行った。
洗濯を待っている間、特にすることもなく、おしゃべりしたり新聞を読んだりするが、その日はAが、カフェに行きたいと言うので付き合った。
席に着くとコーヒーが運ばれてくる前にAは、「絶対に誰にも言わないでね」と前置きしてから、「実はWの子を妊娠しているらしいの」と言うのだ。
わたしはびっくりした。
わたしはその時点で35歳、Aは36歳。前に子供は欲しいが、年も年だし、という話をAとしたことがあった。
それもつい最近だった。
そんな話の後にAが妊娠するとは。
Aは「検査薬を使って陽性が出たけどドクターに見てもらって、はっきりとしてからWに言いたいから、Wにもだれにも内緒にして欲しい」と言った。
そして、Wが怒るのではないかと心配した。
「わたし、絶対に子供が欲しいの。Wは予想もしていないだろうし、怒られたらどうしよう」
心配しながらも、Aは嬉しさを隠せないようだった。
妊娠していると分かった今までの経過や、喜び、それからWはどんな顔をするかなど、洗濯の待ち時間中、マシンガンみたいにAは喋り続けた。
わたしはその間、雲の上で地上の話を聞いている気分だった。
彼女が妊娠したという事実以外は、何も頭に入って来なかったのだ。
今思えば、「良かったね」の一言すら言わなかったような気がする。
洗濯が終了すると、わたしたちはそれぞれのボートに戻った。
わたしが、キレイになった洗濯物が入った大きな袋を床にドシンと置くと、ボートが心なしか揺れた。
さっきまでAの話を聞いていたので、独りになって急に静かになった。
ソファーに座り込むと涙が流れてきた。
無気力状態の脳で流れる涙は、わたしにはコントロールすることができなかった。
旦那と結婚してボートを買うと決めるまでの2年間、わたしたちはどうして子供ができないのだろうかと考え、病院に行って検査したが、特に何の問題もなかった。
とりあえずドクターは、まだ結婚して2年しかたっていないので、もう少し様子を見ようと言った。
わたしは自分の年齢のことも心配なので、ドクターの言葉がもどかしかった。
子供ができないことで、わたしはかなりのストレスを溜め、毎月泣くことに嫌気がさしてきて、どうせなら旦那と自由に生きようと決断した時は、掴めそうな大きな夢を諦めるかのように、何かすっきりしない気持ちでいた。
ボート生活が始まり、そんなことはすっかりと忘れていた。
これからのことよりも、今の状態のことを考えなければいけない日々だったからだ。
それなのに、Aの妊娠で、また前の苦しみが蘇ってきていた。
もちろん、友達が妊娠したことは嬉しい。
Aだって誰よりもずっとそれを望んでいたのだ。
わたしだって友達の赤ちゃんを見て、成長する姿を思うとワクワクする。
わたしが悲しくなるのは自分にだった。誰かにあり得ることが、自分にはあり得ないという事実に失望した。
泣いてもどうしようもないのだが、黙っていても涙が止まらないので、わたしはそのまま泣きながら洗濯物をしまったり、掃除をしたりした。
身の回りが整頓されると、気分も落ち着いた。
今の状態で子供が欲しいなどと言っている余裕はない。
やることはたくさんあるし、旦那という心強いパートナーがいて、友達もたくさんいる。
今の自分にある物をいっぱい好きになって、自分に失望するのはやめようと思った。
少し泣いてスッキリするなんて、わたしもなかなか単純なものだ。
少しして旦那が帰って来た。
なんと、旦那はなぜかAの妊娠情報を持って帰ってきたのだ。
いったい、どこから?
Aが妊娠したと言うことを誰にも言わないで欲しいと、彼女から口止めされていたので、旦那が帰って来たとき、わたしは何事もなかったように振舞った。
それなのに旦那が「A、妊娠したんだって」と言ったので、びっくりして「どこからその情報を入手したのか」と、慌てて問いただした。
どうやらAはわたしと別れた後、自分を抑え切れなかったのか、Wに告知したらしい。
そして、大喜びのWは、自分が父親になるのだと、旦那に張り切って電話してきたと言うのだ。
流れが速すぎる。
わたしは旦那に、「それをAから聞いて、さっきちょっと泣いちゃったんだ」と言うと、旦那がイラついたように言った。
「なんで泣くんだ。ヤキモチか。友達の妊娠も一緒に喜んであげられないような人間になったのか」
がーん!
そんなふうに言わなくても。
と言うか、ここは、そうだねと言って、優しい言葉をかけてくれるところなのではないのか?
実際、子供が欲しいと切に願っているのはわたしだけだった。
旦那は子供ができたら嬉しいが、できなければそれはそれでいいと思っていたのだ。
だから、わたしのこの微妙な心理状態やストレスをまったく分かってくれない。
日本語と英語、互いに違う母国語を持ち、それでも旦那は、わたしがうまく表現できないことまで理解してくれた。
同じ日本人でも分かり合えないこともあるのに、旦那はいつもわたしを分かってくれて、そばにいてくれた。
わたしもそうだったと思う。
だからわたしたちは結婚したのだ。
なのに、このときばかりはわたしの気持ちを理解していないようだった。
わたしの英語力では上手く伝えられない。
旦那なのに。
そんなことなど気づきもせず、旦那は言った。
「AもWも今の状態で子供なんかできて、どうやって育てるんだ。ボートも古くてオレたちのより狭いし、経済的にもギリギリだろう」
すぐに産まれるわけではないので、それまでになんとかするだろう、とわたしが言うと、旦那は言った。
「どう考えたってAが子供欲しさに計画的にやったんだろう。Wはまた騙されたんだ」
うーん。わたしも本当はそう思う。
WはAと出会う前にも似たようなことがあった。
そのときの彼女は40を超えていて、Wと付き合い始めて数カ月で妊娠が発覚した。
そのときもWは浮かれていたのだが、彼女はそのままどこかに行ってしまった。
そして、自分はどこに居るとも明かさず、無事に男の子を出産したとメールだけしてきた。
子供はもう2歳くらいになっていると思う。
わたしは、Aは行方をくらましたりはしないまでも、計画的だったのは確かだと思った。
でも、それが悪いことかなんて誰に言えるのだろう。
Aは今決断しなければ、望んでいたものが手に入らなかったかもしれないのだ。
旦那は、親友が女の身勝手で利用されているのが気に入らなかった。
Wだけではなかった。
旦那の友人で、何人か同じような経験をした人たちを旦那は知っている。
妊娠したと分かった途端、彼女たちは行方をくらましてしまったり、子供を産んで、子供ごとどこかへ行ってしまったり。
いなくならないまでも、母親になった途端、彼氏を束縛したり、子供を盾にコントロールしようとしたり、旦那は嫌と言うほど悲しい友人たちの嘆きを見て、聞いてきた。
だからか、Aの妊娠にも敏感だった。
「それは彼女たちのせいではなく、彼女たちのDNAやホルモンがそうさせているので、絶対的に彼女たちが悪いわけではない」とわたしが言うと、DNAなどと難しい単語が出てきたので、旦那はポカンと口を開けて、少し硬直してから、もう議論するのをやめた。
しばらくして、外が騒がしいので出て見ると、Wがボート仲間どころか、川沿いを歩く人達にまで「オレは父親になるんだ!」と叫んでいた。
旦那にも今日は祝いだと言って、ビールを渡している。
Wの過去に何があろうが、旦那の友人たちが自分たちの子供に会えなくて寂しい思いをしていようが、今はWが喜んでいるのだからいいではないか。
旦那もそう思ったらしく、有頂天になっているWに付き合って、またその夜も飲み明かして過ごした。
わたしはAの嬉しそうな顔を見て、本当に良かったと思った。
初めてまともに「おめでとう」と彼女に言って、ハグをした。




