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日本からの来客

冬も後半に差し掛かった頃、ダイアモンドに初めて寝泊まりしてくれるお客様が来た。


わたしの友人が東京から遊びに来てくれたのだ。

わたしは、彼女が来るのをとても楽しみにしていた。

気心が知れた友人がいるのはとても心地がいい。

旦那も、わたしの友人が来るのを楽しみにしていた。

彼女は大のビール好きで、旦那もビールが大好きなので、飲みっぷりのいい彼女をとても気に入っている。


わたしはといえば、お酒は嫌いではないが、飲みっぷりはあまり良くないので、旦那の飲み相手にはちょっと役不足だ。


友人は、真冬の2月に来るということで、わたしは天気や気温を心配していたが、彼女の来た週はとても天気が良く、日中は暖かかった。


友人は日本からたくさんお土産を持って来てくれた。

本当にいつもそうだが、彼女がイギリスに来ても、わたしたちが日本に行っても、彼女はわたしたちに本当に良くしてくれる。

わたしは甘えっぱなしだ。


彼女が持って来てくれたお土産の中に、日本の免税で購入したタバコがあった。

彼女はボート仲間何人かに、挨拶も含めてタバコを一箱づつあげた。

そして、残りを旦那がもらった。


友人は前にロンドンに来た時にWに会っていたし、色んなところに出歩いて、様々な状況に遭遇してるので、ちょっとワイルドなボート仲間たちに会っても大丈夫なようだった。


Wは友人の顔を見るなり、さっそく大張り切りで目立とうとしている。

ハグをしたり大声で冗談を言ったり、セクハラに近い発言をしたりして、さすがの友人もかなり引いていた。


Aも友人の顔を見に出てきた。


あれ、おかしい。

Aはいつもどうでもいいような格好をしていて、メイクもせず、髪もボサボサなのに、その日はしっかりメイクしてちゃんとしている。


わたしが、どこかに行くのかと尋ねると、Aは「どこにも行かないわ。休日だからゆっくりするの」と言った。

よく見ると、Aだけではない。

Wも、他の仲間たちも、いつもよりキレイなシャツなどを着ている。


もしかして、日本から遥々やって来るわたしの友人のために、皆少しめかしこんだのだろうか......


少し暖かいと言っても冬。

長旅で友人も疲れていたので、ボートの中で早めに休むことにした。

日が落ちて、気温が下がる前に友人はシャワーを浴びることにした。

彼女は、わたしからボート生活の話を聞いていたので、水を大事に使ってシャワーを浴びてくれた。


それでも、わたしは彼女がシャワーを浴びている時の、水の流れる音を聞きながら、気が気ではなかった。

流し続けて水がなくなったら、彼女の滞在中に水がないので、顔は洗えないだの、手も洗えないだのということになる。

いつも、2月は川の流れが早く、わたしたちは水の補給とトイレの汲み取りに行けないままでいたのだ。


でも、考えてみたら、せっかくお土産をたくさん持って訪ねてくれたのに、水は思うように使えない。ヒーターも弱いので寒い。

ボートは揺れるし、外では男たちが騒いでいる。

なんて酷いおもてなしだろう......


しかも、彼女が寒がっているので、夜にヒーターの温度を上げたら、ガスが切れてしまった。


ガスはボンベごとマリーナか、ガス屋に持って行って交換しなければ行けないので、ボートで行くか、車で運ばないと重くてムリだ。


結局、彼女は寒いまま朝を迎えなければならなかった。


今でも彼女は、骨の芯まで寒いと思ったのは、産まれて初めてだと笑う......ごめんね、本当に......


こんなんでは、友人はもう二度と遊びに来てくれない。

せっかくのイギリスでのボート生活が、酷い思い出で終わってしまっては悲しい。


それでも翌朝、旦那は張り切って友人に、イギリスの伝統的な朝食を用意してくれた。

トーストにソーセージ、ベーコン、目玉焼き、そしてベークドビーンズ ( インゲン豆のトマト煮 )

友人はとても喜んでくれた。


これで、少しは良い思い出が残るだろうと思いきや、その夜、友人を怖がらせてしまうような出来事が起こった。


わたしと友人は朝食の後、天気がいいので近くの国立公園などに行き、友人は海鮮レストランでランチをご馳走してくれた。

レストランで食事など、ボート暮らしを始めてから一度も行っていなかった。

というか、そんなことすら頭にないぐらいに、毎日ギリギリの生活だった。


少し友人とレストランで食事をするというだけで、わたしには最高の贅沢に思えた。


しかも牡蠣などの新鮮な魚介類を堪能して、まるで中流階級の仲間入りをしたような気分にもなれた。


夕方からはまたボートに戻り、友人は缶ビールを飲みながら、ボート仲間たちが戯れている中に、何の偏見もなく溶け込んでいた。


テムズ川に映る美しい夕日を見ながら、ボート仲間たちと、どうでもいいやりとりをして、友人はその時が最高に楽しかったと言ってくれた。


そうやって言ってくれると、特にわたし事ではないのに、なんだか家族を褒められたみたいに嬉しい気持ちになる。


翌日、友人は他の場所に移動のため、その夜が最後の夜だったので、世話になった旦那にビールを12本も買ってくれた。

旦那はすでに、自分のためと友人のためのビールを購入していたので、その12本は、ボートの入口のドアの外の端っこに隠しておいた。

冷蔵庫は電気代がかかるので、冬の間冷やせるものは、いつもそこに置いておく。

真冬なのでビールなどはよく冷える。


東京からの客人がよっぽど嬉しかったのか、Wを筆頭に、みんな友人の前でバカなことばかりしている。

わたしたちがボートの中に入ってしまっても、まだしつこく騒いでいた。


その夜、わたしと旦那と友人は平和に眠りにつこうとしていた。

外ではまだ仲間たちが騒いでいる。


少しして騒ぎ声が大きくなってきた。誰かが冬のテムズ川に落ちたらしく、笑い声や叫び声で、異常なぐらい騒がしくなった。


友人に声をかけたが、かなりうるさいのに友人は「ちょっと怖いけど大丈夫」と言ってくれた。


旦那が、うるさすぎるので彼らに言いに行く、と言いかけたとき、Wの叫び声が聞こえた。

わたしたちを呼んでいるらしい。


Wは叫びながら、今度はボートを揺らしてきた。


その時、友人はラウンジに一人で寝ていた。

ラウンジとわたしたちの寝室の間には、キッチンやバスルームがあったので、狭いボートの中とは言え、友人は一人ぼっちで大波にでも出くわしたかのように揺れるボートの中にいたようなものだった。


そして、Wはよりにもよって、友人が寝ているラウンジの窓を激しく叩きだした。


すぐさま旦那がラウンジに行き、窓越しに「何の用だ!客がここで寝てるんだぞ。あっちに行け!」と怒鳴ると、Wは「川に落ちてタバコが濡れてしまった。タバコくれー!」と叫んだ。


旦那は窓を少し開けて、隙間からタバコ一箱を押し込むようにして、Wに渡した。

「もうあっちに行け!これ以上騒ぐな!」と旦那が言うと、Wは騒ぎながらタバコを取って行ってしまった。

わたしも一緒になって、「あっちに行け!」と追いやった。


その後、一応離れたところでWたちは遅くまで騒いでいた。


友人は相当びっくりしたらしく、またWが来るのではないかと、心配しながら眠ったのだ。


翌日の朝、旦那が外に出ると、入り口に置いておいたビール12本が全部消えていた。

わたしと友人が、どこに行ったのだろうと話していると、旦那が思いついたようにボートを飛び出し、Wのボートを叩いて彼を呼んだ。


Wは寝ていたが、旦那はお構いなしに彼を叩き起こした。

そして、「ビールを全部飲んだだろう!」と問いただした。


わたしと友人は遠くから見守る。


Wが、「もう店が閉まっていたから、それを飲んだ」と言い、「今日中に全て買って返す」と言った。


旦那、完全にキレる。


「あれは、オレたちの友達が、礼にと言ってオレにプレゼントしてくれたものなんだ!買って返してもらっても意味がないんだ!彼女が買ったビールでなければ意味がないんだ!」


Wは「ビールはビールだろう。何が違うんだ」と不思議そうな顔をしている。


旦那は、とりあえず謝るWに、しつこく文句を言っていた。


友人はわたしに、「気にしていないよ」と、旦那に伝えてくれと言ったが、旦那は友人に申し訳ない思いでいっぱいだったのだ。


今までビールは取られたこともないし、見えないように隠してあったつもりだったが、それを見つけて、しかも全て飲んでしまうWたちは、ハイエナのようで恐ろしい。


友人は「すごい体験もしたけど楽しかった」と言って、ボートを後にした。

わたしに泊まり賃だからと言って、いくらかのお金まで置いていった。

そして、毎日すごい環境の中で暮らしているわたしに同情してくれた。


その日の夕方、Wがビールを12本買って旦那に渡しに来た。

Wは、昨晩わたしの友人に怖い思いをさせて、ビールまで飲んでしまったことを謝りたいと言った。


でも、友人はもうそこにはいなかった。


友人は久しぶりにWと再開して、Wに大歓迎されたので嬉しかったが、大歓迎の裏には、ビールやタバコをくれる人という下心があったのだと思い、本当はがっかりしていたのだ。


Wはわたしに、「友人は楽しい思いをして帰っていったのか?」と聞くので、「怖い思いもしたけど、楽しかったって」と言うと、「そうか...... 」と言って、自分のボートに戻って行った。


その日の夜、仲間たちは妙に静かだった。

二日酔いで疲れていたのか、それとも反省して落ち込んでいたのかは分からないが、静かすぎて、そっちの方がわたしは怖かった。


そして、わたしと旦那は、友人に気もお金も使わせてしまって、たった一人の客ですら気持ち良くもてなしてあげれなかったことを、いつまでも悔やんだ。

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