Wの作り方
自由奔放なWという人間は、どうやったらできてしまうのか?
わたしは何度かそんなことを思ったことがある。
Wがなぜ、どんな経過でボートに住むことになったかは分からないが、彼に聞くと、「自由が好きだからだ!」と言っただけだった。
彼が一番最初に手に入れたボートは、木製のカナルボートに近いような小さなボートだった。
シングルベッドと簡易トイレでいっぱいになるぐらいの大きさだ。
Wはそのボートを沈ませてしまった。
船着場に止めて、ロープに十分な長さを取らないで縛り付けたため、満潮になった時にボートが半分岸に上がり、干潮になったときにそのままひっくり返ってしまったのだ。
その時彼はパブで飲んでいて、ほろ酔い加減でボートに戻ると、ボートは半分以上沈んでいた。
ボートの中は全て水浸しで、ボートを引き上げるにもお金と時間がかかるので、彼は諦めた。
たった数時間で、家 ( ボート ) を含めたほとんどの私物を失ってしまったのだ。
その頃、わたしと旦那はまだ結婚前で、友達数人と家をシェアして暮らしていた。
そこにWが居候しにやって来たのだ。
彼は全てを失って、すっかり元気がなくなり、わたしたちの部屋の隅でがっくりと肩を落としていた。
風呂にも入ろうとしないし、食事もほとんど取らない。
ただ同じ姿勢で2、3日うなだれたままだった。
なんだか、Wがだんだん巨大なボロ雑巾に見えてきて、わたしは彼の存在を忘れそうになるところだった。
何日かして、彼は人が変わったようにまた元気になり、テムズ川に帰ると言って出て行った。
Wは、南アフリカの白人社会で産まれ育った。
Wの両親は、何かの理由で産まれたばかりの彼を養子に出したので、彼の今の両親は、血の繋がりのない両親だが、彼を自分たちの子供のように育てた。
Wが、いつ自分の両親が本当の親ではないと知ったかは分からないが、もしもそれを知っていて幼少時代を送っていたら、やはりどこかで一人になる不安を抱えていたのではないかと、わたしは勝手に思っている。
しかも彼は多動症と診断されて、子供時代を特別学校で過ごした。
この頃の南アフリカは、少し授業が遅れると、すぐに特別学校行きだ。
ちなみに旦那も特別学校出だ。
南アフリカの特別学校は、ほとんどが全寮制度なので、Wは早い時期から親元を離れて生活したのだ。
さみしい思いをしたのではないかと思われる。
だから、親の気を引きたくて、騒いだり悪いことをする。
そのまま大人になり、( 見た目は大人だが、中身は子供だけど...... ) 皆の気を引きたくて、また同じことをする。一人が不安だから、仲間とつるみたがる。
そうやって今のWができてしまったのではないかと、わたしはまた勝手に想像している。
Wは寂しがりやで、人に嫌われたくない割には、かなり自己中だ。
ただの自己中ではない。
人を振り回す自己中だ。
それでも、気前はいい。
少しお金が入るとみんなにおごったり、頼まれごとも聞いてくれる。
その代わり、人に何かを頼むのも、人におごらせるのもうまい。
はっきり言って、わたしはさっきからWの人格をフォローしようと思っているのに、全然フォローになっていない。
それでも、信者みたいについて来る仲間がたくさんいるのだ。
これがカリスマ性と言うのか。
わたしは、なんなのか分からない。
そして、何かあるたびに騒ぎや問題を起こし、年に一度ほど何かの理由でズトンと落ち込み、またボロ雑巾になるのだ。
Wは、本当に好き勝手に生きている。
わたしは日本で、本当に標準的に生きてきた。
親に捨てられたわけでもなく、戦争や紛争などを経験したわけでもない。
Wは、アパルトヘイト真っ只中で、黒人たちが奴隷にされているのを見ながら大きくなったのだ。( ちなみに旦那も )
特別学校で、人と違うということを意識して生きてきたのだ。( しつこいが、旦那も )
彼という人間が、どんな風にして出来上がったか、わたしには分からなくて当然だ。
周りから見ると彼はどうしようもない酔っ払いか、ただのお調子者にしか見えないかもしれないが、WはWで、わたしの全く知らない世界で、色んなことを思い、彼という人格を作り上げてきたのだ。
今日もWは出会った時と ( 体重が増えて、禿げたぐらいで ) ほとんど変わらずに生きている。
Wが抱えてきたものは、わたしには分からないが、これからもずっと彼はこのまま生きて行くんだと思う。
そして、わたしたちも振り回されながらも、ずっと付き合っていくんだと思う。




