年越しうどん
2007年大晦日。
わたしと旦那は初めての年越しをボート仲間たちと迎えようとしていた。
ボートを買うと決めてから、本当に色々あり過ぎた。
ギリギリの生活の中でもなんとかやってこれて、無事に次の年を迎えることができそうだ。
わたしはイギリスに来てから毎年31日は、朝から大掃除をする。
そして午後3時に間に合うように、ちらし寿司などのちょっとした日本食を作って、年越しのお祝いの準備をする。
なぜならイギリスの午後3時は、日本の夜中12時、元旦だからだ。
日本にいる両親に新年の挨拶の電話をしてから、乾杯して料理を食べるのだ。
旦那も毎年わたしに付き合って、張り切って大掃除をしてくれる。
その年は、豪華な日本食はムリだったので、冷凍のオーブンに入れるだけのオリエンタルセットなるものをいくつか買った。
エビのミニ天ぷらや春巻きなど、値段の割りにはご馳走らしくなった。
WとAも呼んで4人で乾杯をして、わたしたちのボートで小さなパーティをした。
わたしは、年越しのパーティーが始まる前にWとAにちょっとしたお礼をしたかったのだ。
彼らがいなかったら、ボート仲間たちとも仲良くならなかったかもしれないし、不安なことも多かっただろう。
わたしにとってAの存在は特に心の支えになった。
わたしは毎年、年越しソバを準備するのだが、その日はスーパーで安いうどんを見つけて、それで間に合わせることにした。
ボート仲間たちは年越しソバ(うどん)などどうでもいいだろうから、とりあえず4人分だけ買った。
そのことをAに言うと、彼女は「素敵!」となんだか感動してくれて、彼女もぜひ食べたいと言った。
わたしは彼女に年越しソバの意味を簡単に長寿、次の年も健康で過ごせますようにと伝えていたのだ。
旦那もなぜか、毎年年越しソバを楽しみにしているので、彼はボート仲間たちにソバのことを話していた。
わたしが両親と過ごしていたとき、年越しソバは、いつも年末恒例のテレビを見ながら食べて年を迎えていたので、その日も夜中の12時に間に合うように準備していると、ボート仲間たちが次々にボートに顔を出して、ヌードルが食べたいと言ってきた。
Aと旦那の話は大きくなって、いつの間にか皆、「幸運が来るだの、金持ちになるヌードルを食べる!」ということになっていた。
気がつくと仲間たちは20人ほどに膨らんでいて、全員が食べることになってしまった。
4人分しか用意していなかったわたしは、しかたなく何本かのうどんをプラスチックの使い捨てのカップに入れて、つゆを少しずつ入れてやった。
もう少しで年が開ける。
外には焚き火だの花火、ビール、発泡ワインなどが準備されて、準備万端だ。
わたしたちは、皆でうどんが入ったカップを手に乾杯した。
始めわたしがボート仲間たちにうどんを手渡したときは、ほとんどが不思議そうな顔をして、匂いを嗅いだりした。
皆、焼きそばのようなスープがない麺を想像していたらしい。
スープに浸かったうどんを食べるのは初めての人たちばかりだ。
それでも乾杯して、コップに入ったうどんを一気につゆごと口に流し込んだ。
一人、男が急にむせて口からうどんを落としてしまった。
わたしはそれを見て吹き出してしまい、わたしこそむせそうになった。
少ししてWがカウントダウンを始めた。
皆でそれに続き、年が明けると、全員で「ハッピーニューイヤー!」と叫び、一人一人と抱き合って新年を祝った。
「幸運のヌードルを食べたから、今年はいい年になるぞ!」と男たちはテンションが高かった。
わたしに「ヌードルを作ってくれてありがとう!」と、両手をとってお礼を言いに来た人もいた。
そんなに幸運が足りない人たちなのだろうか。
それともただ単に単純なだけなのか。
とにかく、年越しうどんは好評だった。
皆が新しい年に浮かれているときに、うどんを落としてしまって食べそこねた男だけが、「オレはヌードルを落としたんだ。オレの一年はどうなるんだー!」と叫んでいた。
たぶんヌードルを食べようが食べまいが、誰の人生もそんなに変わらないと思うよ...... と、わたしは仲間たちを見渡して思った。
2008年、日本の文化とイギリスの文化と、それからボート生活文化 (?) が入り混じった変な年越しをして、新しい年が始まった。




