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ホカホカと湯気が立ち込める浴室内に足を踏み入れると、芳醇な薔薇の匂いが広がった。大の薔薇好きのお母様が特別に隣国から取り寄せた、数ある品種の中でも最も香り高いと評価されている種類の薔薇らしい。湯船には真っ赤な薔薇の花弁が豪華に散りばめられて、水面をゆらゆらと踊っている。


わたしは十分に香りを楽しんだ後、ゆっくりと浴槽に体を沈めた。


「ふぃ~~~…極楽極楽~~~~…」


ゴージャスな薔薇風呂に入って一番最初に出てきた台詞がこれである。優雅な気分も一気に萎えるであろう、まるで銭湯の湯船に浸かった親父のごとき台詞を言いながら大きく伸びをする。とてもご令嬢の放つ言葉とは思えないなぁと我ながら思うが、何せわたしの前世は超超超・庶民だったのだから当然の反応だと思って欲しい。こんな風呂に入ることになろうとは、死ぬ前のわたしは夢にも思わなかっただろう。


ふと湯船を漂う鮮やかな花弁を一枚指でつまみあげて、くんくんと匂いを嗅いでみる。薔薇特有のあの芳醇な香りが一気に鼻孔を通って、ダイレクトに脳に届く。


「ん~~確かにいい香りよね…これはお母様が好きなはずだわ…」


そういえば今朝のお母様はやけにご機嫌だった。ずっとニヤケ顔だったし、何をするにもルンルンと浮足立っているようだったし。とはいえ、その原因が薔薇風呂(これ)だったのだと知ったのはつい先ほどのことなのだが。


庭仕事を終えて屋敷に戻ったわたしはいつものように食事前に軽くシャワーを浴びてこようと思ったのだが、その時にアマンダからお母様専用の浴室に行くようにと勧められたのだ。公爵家というだけあって、この屋敷内には浴室がいくつも存在する。勿論、お父様や家族が使う浴室はあるが、その外に使用人たちだけが使える浴室もあったりして、水周りは本当に充実感がある。(ちなみにトイレの数も多いので、前世のように朝のトイレ待ち戦争が起こることがないので、そこは非常に高く評価している)


そしてお風呂好きなお母様にも当然のように、彼女専用の浴室というものが存在する。それもかなり立派なやつだ。白を基調とした浴室内に金で縁どられた高級感溢れるバスタブは、どこぞの高級ホテルで使われているものですかと言いたくなるようなものだし。とにかくその高級ホテルばりの浴室はお母様専用のものなので、わたしもめったに入ったことはないのだが…。


「お母様?アマンダにここに来るように言われたのですが…」


ノックをしてからわたしが浴室に顔を出すと、そこにはバスローブ姿のお母様が立っていた。その顔は少しあからんでいて…うーん、なんというか、これ、凄く色っぽく感じる。彼女が湯上りなのだということは一目瞭然だったが、それにしてもこの恍惚そうな表情は何事だ。同性のわたしですらドキッとしてしまうじゃないか。こんな姿のお母様をお父様が見たら…と考えると、今夜は大変なことになりそうだなってレベルである。


「あらシャルロットちゃん、お疲れ様。実は今日はね、特別に取り寄せた薔薇のお風呂にしてみたのよぉ。と~~ってもいいお湯だから、シャルロットちゃんも温かいうちに入ってらっしゃい。それじゃあアマンダ、後はよろしくね~」


うふふ、と笑いながらシャルロット(わたし)の頭を軽く撫でて彼女は上機嫌で浴室を出て行く。それに変わるようにしてバスタオル等を携えたアマンダがやってきて、状況が読み込めないわたしの背中を押すようにして浴室内へと足を進めた。まぁ、それで湯船がこの状況だったわけだ。どうりで。どうりでお母様の機嫌が良かったわけだよ、だって薔薇風呂ですもの。


「奥様がね、せっかくだから庭仕事が終わったらお嬢様も呼んでくれって仰ったんですよ。秋薔薇の植え替え作業を手伝ってくれているお嬢様にも、ぜひこの薔薇風呂に入って欲しいって」


アマンダが着替え類を脱衣籠に入れながらそう教えてくれた。お母様は優しいし花がある人だけど、こういう気遣いの出来る人だから社交界でも目を引くし人の心を引き付けるのだろう。流石は公爵家の夫人だ。我が母ながら心の中で称賛しつつ、早速わたしも汚れた衣服を脱ぎすてて湯船に入ったのだった。


その日の夜は案の定、食事を終えるとお父様とお母様は早めに部屋に戻ってしまった。理由はまぁ、流れで察して欲しい。お父様とお母様はもともとは政略結婚ではあったようだが、現在はお互いに大変愛し合っているようなので仲は非常に良い。それでいてお母様は今日は薔薇風呂にも入ってすこぶるツヤツヤ、フェロモンも出ていた。


…となれば、お察し頂けるだろう。何を、という野暮な質問はしないで欲しい。うーん、しかしもしかすると来年あたりには弟か妹が出来るかもしれないわね…。


夕飯を終えたわたしはすっかり手持無沙汰になってしまったので、仕方がなく2階のテラスに出て外を眺めていた。眼下に見える庭は、今日ようやく薔薇の植え替え作業を行ったばかりだ。これから手入れをすれば、お茶会を開くのにぴったりな秋薔薇が美しく咲き誇るだろう。そしたら今回のお茶会にはわたしも参加する予定だ。アマンダの作ってくれる特製マドレーヌがこれまた紅茶によく合うのよね…。美しい花を見ながら美味しい紅茶と美味しいお菓子が食べられるなんて、考えただけで今から楽しみで仕方がない。


長いこと屈んだ状態での作業が続くので腰が痛くなったりと色々と大変ではあったが、やはり土いじりをするのは楽しい。パウロともすっかり仲良くなって、最近では軽口も叩き合える仲になった。それから―…当初の目的である、アステリオとも。流石にパウロのように軽口や冗談を言えるまでにはなってはいないが、こちらから話しかければ答えてくれるし、以前よりも脅えた感じも少なくなり会話が成立するようになってきたのでははないかと思う。やはりこういう自然との触れあいは、心や人間関係も豊かにしてくれるようだ。


とりあえず声を大にして言っておきたいのだが、わたしは魔物に体を食いちぎられて死ぬだなんて無残な死に方をするのはまったくもって御免なのだ。このままアステリオと良好な関係が築けていけば、着実に来る死亡フラグのうちのひとつをなんとか防ぐことが出来るはずだ。うんうん、やっぱりこれは我ながら名案だったな!ふふふふ、と誰もいないテラスで含み笑いを零す。あとはもしも魔物に襲われたとしても、それをなんとか防ぐことが出来るだけの魔法が使えるようになることが必要になってくるのだが…。


(残念なことに、思うように魔法を発動出来てないのよね…)


悩みのタネはそこだった。聞けばシャルロットは赤ん坊の頃に既に魔法を発動させたことがあるらしく、当時は「この子は天才だ!」と両親含め周囲の者も大喜びしていたらしい。


そもそも、この世界には魔法が存在するが、誰かれ構わずに使用できる訳ではない。生まれつき魔力を有する者だけが扱える、いわば特殊能力なのである。魔法を使用できる素質があるかどうかの判断は、およそ8歳頃までに発動があったかその有無で判断される。4~5歳に発動すればかなり優秀らしく、生まれて間もないわたしが魔法を発動したことがあるというのは極めて特殊な事だったらしいので、当時は大変な騒ぎにもなったようだ。


しかし当の本人にはそんな記憶は勿論ないので、「貴方は赤ん坊の頃から既に魔法を使ったことがあるのだ」と言われても、なんとも不思議な気持ちになる。それどころか、現在の状況では何十回かに一度魔法を発動させることに成功したとしても、甕に張った水に薄い氷を張らせるだとか、そよ風程度の微弱な風を起こすとか…どれもショボすぎるものばかりで身を守ることが出来るようなものではないし。もっとこう、ドカーン!とかズバーン!とか、ファンタジーRPGに出てくるみたいな、ド派手なエフェクトがかかるような魔法を使えれば良かったのになあ。くそっ、なにゆえわたしにはチート能力が備わっていないのだ…!


既に魔法を発動させることが出来、将来魔法学園に入学することが決まっている他の同年代の子供たちに比べると、どうにもわたしは頗る成長が悪い。我が家の魔法専属の家庭教師ミス・ビバルディは、わたしの発動させる魔法を見るたびに「お嬢様、嘆いてはいけません。これからの伸びしろに期待していきましょう…希望は捨ててはいけませんよ」と、慈愛(と言う名の憐れみ)の瞳を向けてくる始末だ。その瞳を向けられる度に、果たしてこんなので本当にわが身に起こる危険を回避することが出来るのだろうか…とかなり不安になる。


対してアステリオはというと、彼はこれまた大変優秀で一通りの魔法をきちんと発動出来るようだ。その容量の良さが羨ましい限り。ちなみにシャルロット(わたし)の6つ年上の兄であり攻略キャラクターの1人、現在魔法学園の一員として寮生活をしているアドルフもまた、魔法に関しては大変優秀で学園でもトップクラスなのだとか。


ハイこの扱いの差である。わたしが悪役令嬢だからこんな酷い扱いなのですか神よ…。


とはいえ、弱気にばかりもなってはいられまい。魔法学校に入学するまでにはまだ6年あるじゃないか!自分に言い聞かせるようにして、頭を振った。と、そこで、眼下に広がる庭園で動く人影の存在に気が付き、わたしは動きを止めた。……んん?こんな時間に誰かしら…まさか不審者じゃないわよね…。暗闇の中で動くその人影に目を凝らす。


するとその人影は何やら不審な動きをしながら、今日植えたばかりの秋薔薇がある中庭のほうへと消えていく。……まさかわたしが必死に植え替えた薔薇の苗に何かするつもりなんじゃ!?ふと、前世で母親が庭先に植えた花苗を野良猫が掘り返して台無しになり、翌朝嘆いていた姿を思い出して、サァッと血の気が引く。そんなことをされたら、ここ数日の頑張りが全て無駄になってしまうじゃないか!それだけは許すまじ…!わたしは体を反転させると大急ぎで階段を駆け下り、中庭へと走った。



***



中庭に辿りつくが、辺りには人影はなく嫌な静けさが漂っていた。虫の音と遠くの森から聞こえてくるかすかなフクロウの鳴き声。闇夜には無数の星が煌めいてはいるものの月が雲に隠れているせいであたりは暗く、静まり返っている。ゴクリ。わたしは生唾を飲んだ。薔薇が心配でここまで来たものの、実を言うとわたしはあまり暗闇だとかお化けだとか、そういうのが得意ではない―…否、大の苦手だったりする。だがここに来た手前、何の確認もせずに引き返すのもどうかと思う。それに本当に不審者だったら大問題だ。


近くに置きっぱなしになっていた添え木用の木の棒があったので、それを手にして恐る恐る先へと進んでいく。人の気配は感じられないが、確かに先程テラスから見えたのは人影だった。誰かが潜んでいるのは間違いないはずなのだが…。ザァッと頬を撫でて行く風は生温かく、加えてどこか湿気を含んでいるようで気持ちが悪い。そういえば今日の昼間、休憩をしていた時にパウロに怪談話を聞いたことを何故かこのタイミングで思い出してしまい、背中をゾワゾワと嫌な悪寒が伝う。


「ま、まさかあ。お化けとか、そんなもの、存在しないもの。根拠がないもの。そんなのいるワケないのよね。要は気の持ちようよ、そうに決まって、」


猛烈に襲いかかる恐怖心をおさめようと独り言を呟いていた、その時だった。


ガサガサッ!!!!


わたしの少し先にある噴水の向こう側…つまりは、薔薇の苗が植えてある方で突然物音がして、心臓が跳ね上がった。手にしている木の棒を握る手の平に自然と力がこもる。


「だ―…」


誰かいるの!?そう続けようとした瞬間、目の前を白い何かが横切ったのをわたしの目が確かに捉えた。夜。暗闇。白い人影。昼間パウロに聞いた幽霊の話…


―…とくれば。

わたしの絶叫ポイントを刺激するのは、それはもう十分すぎるほどで。



「ぎゃああああああ出たああああああああーーーーーーー!!!!」



リアクション芸人の反応よろしく、わたしは自分がお嬢様だということも何もかも忘れて、大絶叫をしながら全速力で脱兎のごとくその場から走り去った。


…ただ、必死になりすぎてひとつ忘れていた。今のわたしは前世のようなTシャツにジャージ姿の独身OLではなく、公爵家のご令嬢。当然、着用しているのはワンピースドレスだし、足元は運動靴ではなく可愛らしいリボンのついたおめかし靴だ。それが全速力で突然走りだしたのだから、スカートや靴に足をとられるのは必然だった。そんなわけで、それはもう見事に、わたしは顔面から地面にスライディングした。


そして倒れ込んだまま、わたしの思考は停止していた。


あなたももしかしたら一度は体験したことがあるかもしれない。たとえば50m走で思い切り走っている最中に突然足がもつれて転んでしまうとか、何かに躓いて勢いよく転んでしまった、とかそういうことが。予想していなかった突然のアクシデントというものは、案外体だけでなく頭もビックリするもののようで、脳の思考が追い付いてこなかったりする。まさしく「何が起こったのか分からない」といった具合に。


そう。それがまさに、今のわたしの状態だった…。



前回更新よりも間があいてしまい大変申し訳ありません(; ;)

私生活で転職したり研修があったりでなんやかんや忙しく、更新が遅くなってしましましたorz

次回更新こそ!そこまで間をあけずに更新するつもりですので、お待ちくださいませ…(´`*)

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