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翌日は快晴だった。
済み渡る青空に白い雲が浮いていて、とても気持ちよさそうに空を泳いでいる。夏も終わりを告げつつあるのか、長らく続いた猛暑もようやく落ち着き、今日は過ごしやすい陽気である。
「さぁ!いざ花植えよ!!!」
そんな空のもと、わたしシャルロット・ランヴィアは作業用の服をばっちり着こんでシャベルを片手に声高らかに宣言した。アマンダが用意してくれた作業着は可愛らしいデザインではあるが動きやすいようによく考えられたもので、ポケットなんかも沢山ついている。長袖なのが多少気にはなったが、これは外で作業する者の鉄則。下手に素肌を晒していると毒虫なんかに刺されたりすることもあるからだ。それから日焼け防止の対策にもなるしね!
前世ならば虫よけスプレーでもシューっとかけて…なんて出来るかもしれないが、おあいにくそんなものはこの世界にはない。勿論日焼け止めなんてものも。
ちなみに足元は長靴を。メイドの1人が可愛らしいデザインの靴を持ってきてはくれたが、汚れるし動きにくいからと、わたしがこちらを用意して貰ったのだ。爪の間に土が入ったり、手が茶色になってしまうので今日はきちんと軍手もしているし、頭には現代の工事現場でよく見かけるようなタオルを頭に巻いた上に麦わら帽子をかぶる。途中でお腹が減らないように朝ごはんもしっかり食べたし、わたしはもう準備万端だ!
とても公爵家の令嬢とは思えない作業着スタイルをして仁王立ちするわたしの姿には、流石のアステリオもなんとも言えない表情をしていた。どういう言葉をかけるべきか相当悩んだ挙句、「よくお似合いです」と言われて、わたしは笑った。
対するアステリオの格好は執事服を脱いでワイシャツ姿。足元は長靴だが、羽織を着ていない分随分ラフに見える。しかしこれくらいの年の子からしていれば普段のかしこまった格好のほうが不自然なので、こういう彼の姿を見れるのはなんだか得した気分だ。
「お嬢様?どうかなさいましたか?」
アステリオを見ながらニヤニヤしているわたしを不審に思ったのか、彼が小首を傾げながら問う。はっ!いけない、変態モードになってた!?あまり耐性もないので、油断すると美少年オーラに充てられて、すっかりニヤケ顔になってしまうのだから気をつけなくては…。するとそんなわたしたちの背後から1人の男性が近付いてきた。
「おはようございます。さぁ、お2人とも、準備はよろしいですかな?」
振り返るとそこには作業着姿の初老の男性がいた。彼はパウロ・ギルダー。わたしが生まれるずーっと前からこの屋敷に従事している専属の庭師だ。かなり若い頃から働いていたようで、アマンダとは長い付き合いだという。
「ええ!勿論よ!」
わたしは右手に持っているシャベルを頭上に振りかざしながら興奮気味に答えた。アステリオもその隣で軍手をしながらコクリと頷いている。パウロはわたしたちの格好を見て納得したように頷くと、口元に笑みを浮かべた。
「よろしい。さて、今日は幾分涼しくはありますが、お嬢様もアステリオも水分補給はしっかりととるように。外で作業する時に一番気をつけなくてはならないことは…」
「はい!分かってるわ。脱水症状にならないようにこまめに水分を取る!よね」
今度は何も持っていない左手挙げて挙手するような動作をしながらわたしが答えた。パウロは目を丸くしたがすぐにまた朗らかに笑って頷く。
「その通り。では今日は時期の終わった花を刈り取るとしよう」
「えっ、植えるんじゃないの?」
せっかくシャベルも持参して来たんだけど…。わたしが少々残念そうな声をあげると、隣にいたアステリオが困った顔をしながらこう付けくわえた。
「ええと、お嬢様、まずはジュリア様のお好みの秋バラを植える場所を確保する必要があるのです。それに、咲き終わった花を放置しておくと腐れていってしまったり、新しく植えた花にうまく栄養がいかなくなったりもするんですよ」
ふむふむなるほど。そりゃ確かにそうだ。面倒だと思うかもしれないが、そういうところまで手を抜かずしっかり行うことで綺麗な庭を保っているらしい。流石だ。わたしが感心していると、パウロが大きな一輪車を引きながら移動を始めたので慌ててその背中を追いかけた。
メインとなる場所は噴水が見える中庭でも一番綺麗な場所だった。そういえば以前もお母様がお茶会を催したことがあったのでわたしもここでお茶を飲んだ記憶がある。ただわたしは「日に焼けてしまう」とか「虫が嫌」とか駄々をこねて早々と室内に戻ってしまったはずだ。今のわたしは日焼けが~とか、虫が~とかはむしろどうでもいい。美味しいお茶とお菓子が食べられるなら、いつまでも居座ることが出来そうだけどなぁ…。ああ、次のお茶会はいつになるのかしら?
「では、アステリオとお嬢様はこちら側の刈り取りをよろしく頼むよ。わたしは反対側から行いますからね」
わたしが次のお茶会に思いを馳せていると、パウロが一輪車を置いて帽子を少し上げてこちらを見ながら言った。わたしは「はーい」と返事をして意気揚々とその場にしゃがみこむ。―…さて、刈るか。銀色のバケツには小さめの鎌が入っている。早速手に取ろうとすると、不意にそれが取り上げられ。あー!その鎌わたしの!と心の中で言いかけたところで顔をあげると、それはアステリオだった。
「あ…あの、お嬢様、これは僕が使います。もし鎌で指を切ったりしたら大変なので…お嬢様は僕が刈り取った後の雑草のほうをお願い出来ますか?」
躊躇いがちに彼はそう言って頭を下げた。鎌くらい使えるのだが、確かに今のわたしは公爵家の令嬢シャルロット。もし怪我でもしたら一大事になってしまう。前世でジャージでポイポイ草を刈っていたわたしではないのだ。ここで意地を張っても仕方がないし、せっかく彼が気を利かせてくれたのだ、とりあえずは彼の指示に従うことにした。
「分かったわ。じゃあ、わたしは草むしりしてるわね」
「無茶はしないで下さいね。あと疲れたらすぐに休んで下さい。それから汗も…」
「もう、大丈夫よアステリオ。慣れてるから―…じゃなくて、えっと、分かってるから!」
うっかり前世の癖で慣れてるから、だなんて口走ってしまって、慌てて誤魔化しておいた。頭をかきながら笑うわたしを見て一瞬不思議そうな顔をしたが、彼はしゃがんですぐに作業を始めた。しかし過保護すぎやしないかアステリオよ…。そんなに甘やかしたらシャルロットは益々調子に乗ってしまうじゃないか。…まぁでも、それが執事の仕事だしな。何かあったら責任問題だもの。
でも前世で超庶民だったわたしには、なんだか慣れなくてムズムズしてしまうのだけれど。
わたしも作業に集中する。昔、よく小学校などで全校生徒で草むしりとかさせられたが、わたしはあの時間が以外と好きだった。周りの女の子たちは口々に「だるい」だの「帰りたい」だの言っていたが、無心になれるというか、わたしは好きであった。根から綺麗に取れた時の気持ちよさときたらそりゃもう!思わず「採ったどー!」と叫びたくなるくらいの衝動に駆られる。
ブチッ、ブチッ。
ザックザック。
ブチッ、ブチッ。
ザックザック。
しばらくの間、草をむしる音と鎌で刈り取る音だけがあたりを包む。
時折小鳥たちが何か話しながらすぐそばの木の枝で戯れているようだったが、それぞれが作業に没頭しているので他の会話はない。吹き渡る風が頬を優しく撫でて行く。夏と秋の中間のあの独特の季節の匂いがして、わたしは空を見上げた。
(ああ…なんて穏やかないい天気なんだ…)
前世でもこんな自然と関わっている時間なんてなかったと思う。社会人になってからは毎日、会社と自宅の行き来だけだったし、休日は疲れ果てて爆睡しているかゲームをしているかだったし。こんな風に土に触れて大地を感じる、というのもかなり久しぶりだった。……風って、こんなに気持ち良かったっけ。
深呼吸をしてふと手元を見やる。そこにいたものを見て、わたしは思わず声をあげた。
「あー!!!!!」
その大声に、作業していたアステリオが大慌てて振り返る。
「!?どうかなさったのですか!?」
「ええ!事件よ、大事件!!ねぇアステリオ、見てこれ!!!!」
わたしの顔と、わたしの手元にいたソレとを交互に見て、彼はポカンとした顔をした。わたしの手元でにょろにょろとのたうちまわっているソレは、何の変哲もないミミズだった。
「……これは…ミミズ、ですか?」
「ええそうよ!ミミズなんて久しぶりに見たわ…!ミミズってね、いい土壌にしか住まないらしいのよ。しかもこんなに大きくて立派じゃない。ここの土地はとても肥沃なのね!」
わたしは白い歯を見せながら笑う。というか、この世界にもミミズっているのね。前世のソレとなんら変わりがないこの生き物の姿を見て、謎の安心感が芽生えた。普通の女子なら顔を真っ青にするところだとは思うのだが。
「わーっ、こっちにもいるわ!ねぇ、ねぇ、凄いわね、アステリオ!」
安心感が出たものだから、ついつい馴れ馴れしく彼のワイシャツを引っ張りながら語りかけてしまった。呆気に取られていた彼だったが、わたしに服を引っ張られてようやく我に返ったようだった。ミミズを見ながらキラキラと目を輝かせる目の前の公爵令嬢が、彼の目にはどれほど奇異にみえたことだろう。…これ、逆の立場でわたしだったら果てしなくドン引きしてるわ。
だがアステリオはそんなわたしを見て驚いてはいたものの、やがて笑ってくれた。
「ええ、本当に。…このミミズたちが元気なように、この土地もまた、元気なのですね。シャルロットお嬢様の仰るように、とても誇れることだと僕も思います」
―…悪役令嬢シャルロットとして生まれて10年が経つが、今のような彼の笑顔を見たのは初めてだったと思う。心からの笑顔だったように感じた。主人と執事とかそういうのじゃなくて、ごく自然に。なんかこう…上手く言えないけど、まるで幼馴染に笑いかける、みたいな。そういう自然な笑顔で、それでいて…とても。とても綺麗だった。
わたしが思わず見惚れてしまっていると、アステリオも自分が素で笑っていたことに気付いたのか、急に顔を赤くして俯いてしまった。気まずい沈黙が流れる。
「おーい、お嬢様にアステリオ!いったん休憩にしましょう!」
そこで調度よくパウロの鶴の一声が聞こえたのでわたしたちは返事をすると、腰をあげて彼の元へと向かった。…ああそうそう、掘り返してしまったミミズたちは土の中に戻してあげた。猛暑ではなくなったとはいえ、この空の下に放置しておくのは可哀そうだからね。
***
日陰に入って冷たいレモン水を飲む。これはアマンダが準備していてくれたらしい。少し砂糖も入っているので甘くてとても美味しい。わたしは勢いでそれを飲み干すと、ハーっと深く息を吐き出した。するとそれを隣で見ていたパウロが破顔した。
「ははは、お嬢様、それじゃまるでどこぞの親父みたいだぞ。奥様が見たらなんて言うか…」
「大丈夫よ、お母様にはバレないようにくれぐれも気をつけているから」
彼の冗談にこちらも冗談で返して笑った。
パウロはとても気の良いおじさんだ。話しやすいし植物の知識も沢山持っている。わたしが知らない昔のお父様やお母様の話、自分が経験した話とか、聞いていて凄く楽しい。
「ああ…良かったいたいた。お嬢様、アステリオにパウロも」
いつの間に現われたのか、アマンダがゼリーを片手に立っていた。まさか…あれはおやつ!?おやつだよね!?わたしの目が完全にゼリーを捕えたのを見逃さなかったのか、アマンダは苦笑交じりに皿に乗ったゼリーとスプーンとを1人ずつに配ってくれた。
ゼリーの中には細かく刻んだリンゴが沢山入っていて、これまた凄く美味しい。パウロの隣に腰掛けているアステリオがお行儀よく一口ずつ食べているのに対して、わたしは大口でバクバク食べるのだから無くなるのはあっという間だった。ゼリーは飲み物だよ?という、どこぞのフードファイターが言ったような謎の台詞が浮かんできて、わたしはぶんぶんと頭を振った。
「さて、明日は雨が降るって言うし、そろそろ作業に戻るとするか」
「そうね。ああそうだ、雨が降ったらきっとミミズも大助かりね!こんなに天気の日が続くとカラカラに干からびてしまうもの」
わたしはヒョイと立ちあがると膝の上に置いていた麦わら帽子をかぶって草むしりを再開すべく、中庭に小走りに戻る。その少し後ろにアステリオが続いた。そんなわたしの後ろ姿を眺めていたアマンダが、目を細めて独り言のように小さく呟く。
「…本当に、何が起こったんだろうね、うちのお嬢様に」
「さてなぁ。もしやお前まで、お嬢様が何かに取り憑かれているとでも?」
「まさか。違うわよ。………うーん…でもどっちかっていうと、わたしはその逆、かしら」
「逆?逆というのは?」
パウロの問いに、アマンダは複雑な顔をしていた。それは笑っているような、でも悲しんでいるような、不思議な表情。長い沈黙の後、彼女は答えた。でもそれは風にかき消される。2人の間を吹き抜けた風は、どこまでも爽やかだった。