15
男性陣2人はシャルロットの言葉に反論出来ずに口の中で呻っていた。
当然だろう。正論を言われたのだから、反論する余地がないのだ。ヒューバートは魔力がないだけであって、現王の血を引く立派な後継者の1人。愛妾の子とはいえ、血筋的には何の問題もない。冷静に考えればすぐに理解出来ることだ。ただ、彼のその姿と魔力がない、ということをまるで重大な欠点だとでも言うように周りの大人たちが騒ぐから、だからこんな馬鹿げたことを言う人が増える。いつの世も、そういう問題はつきものなのだろう。そして忠実の彼は見事に、大人たちの作り上げた陰鬱な嫌味の蔓延る世界の中でグレてしまったのだ。
だが今は違う。わたしには(なぜか)前世の記憶が戻っているし、彼が闇落ちしてしまう前に正しい道へと戻してあげなくてはならない。そうしなければ巡り巡って、いずれはシャルロットの身を破滅させる存在になることだろう。彼は重大な死亡フラグの1人なのだから。この首をかっ切られるのは二度と御免だ。
挑むような目をしたわたしと貴族の男性たちの無言の睨みあいが続く。―…だが、その後ちょび髭の男は何事かを考え付いたのか口元に怪しげな笑みを浮かべると、一歩、こちらへと足を踏み出した。
「……はて、先程から何を仰っておられるのですかな、小さなレディ」
「は…?」
「貴女は一体何を聞いたと言うんです?何を見たと言うのです。今日貴女はここで何を聞いたのですか?そんなもの、誰も聞いていないじゃないか。君以外は、ね」
するともう一人の男性も言葉の意味を理解したのか、卑しい笑みを浮かべると唐突にシャルロットの手を掴んで乱暴に自分のほうへと引き寄せた。ギャッ!イケメンならともかく、こんな好みでもないおじさんに抱かれて喜ぶ趣味はないんだけど!?
「痛っ…!」
大人の男に引っ張られれば10歳の少女がどう抵抗した所でかなわない。それはもう目に見えて分かることだ。腕を掴んでいる男はそのままわたしの耳元に顔を近づけ、そして低く声を上げる。
「君は今日、”何も聞いていない”んだよ。あまり小さな少女に手を出す趣味はないんだが…君の弱みも握っておかなくてはならないから、ね。さぁ、もっと静かな所に行こうか」
フッと息がかかった瞬間、あまりに気味が悪くて体に電撃が走ったみたいに毛が逆立った。わたしにも流石に意味は分かる。彼らはまだ幼いこの少女のことを蹂躙しようとしているのだ。…ちょっと!ていうか、わたしまだ10歳よ!?10歳の女の子に乱暴働くつもりだなんてなんて気持ち悪い…!このけだもの!!!根性の腐ったロリコンじじい共め!!!こんな奴ら、頭の毛根全部死滅して二度と毛の生えない体になればいいわ!
鋭い瞳を向けるヒューバートが彼らの腕を掴むのと、怒りの沸点を悠に越えたわたしが渾身の頭突きをかまそうとするのと、ほぼ同時。ビュン、と彼らの目の前を何かが吹っ飛んでいってかと思うと、それはギィィ…ンと独特の反響音を立てて壁に突き刺さった。視線だけ動かして見やれば、なんとそれは食卓用に並べられる銀色のナイフだったのである。キラリ、と光るその刃が鋭さを物語っている。
…いやそれよりも、なぜに突然ナイフが?
「失礼しました。シャル様がいつお腹を空かせて食事をしてもいいようにと、常に持ち歩いているカトラリーの一部を、ついうっかり、手を滑らせてしまいました。……ところで、」
そして聞こえてきたのは聞きなれた声。まだ声変わりのない、愛らしさの残る少年の声だ。わたしはこの声の主のことを、とてもよく知っている。
「僕の主に、何か御用ですか?」
外廊下をゆっくりと歩いてくる靴音と、暗がりから見えたそのオッドアイの瞳が、これでもかと言うほどの殺意をはらんでいる。
…ちょっと、これは主人のわたしでもかなり肝が冷える冷酷な瞳だわ…!あまりにも殺気だった彼から放たれる威圧感に、大の大人である男性たちもヒッと声をあげて一歩後ずさった。しかし虚しくも振り向いた先にはヒューバート本人の姿があるではないか。またしても男たちは潰れたカエルのような変な声をあげて飛び退いた。
「よう、さっきは俺の噂話をしてくれていたみたいだな。ご丁寧に、お前たちが俺がいるとにも気付かずにベラベラと喋ってくれたおかげで、全部包み隠さず俺にも聞こえていたぞ。王位継承権のない第三王子は出来損ない、だったか?その挙句―…関係のない令嬢に、手をあげようとしていたな」
「い、いえそのようなことは…!コイツが!コイツが言ったんです!俺じゃない!」
「何だと!?お前責任逃れするつもりかお前こそ…!」
「もとはと言えばお前がこんな所であんな話題を振ってくるのが悪かったんだ!!!」
「言わせておけば…!お前だって話に乗ってきたじゃないか…!」
目の前で繰り広げられる、言った言ってないの罪のなすりつけ合い。なんとも醜い大人たちのその姿に、ヒューバートは冷ややかな視線を投げかける。体中に脂汗を滲ませる彼らは一瞬の隙をついて急いで逃げ出そうとしたのだが、その先に新たな人影が現われて逃げ道を塞いだ。…彼らも、そしてわたしも予想だにしていなかった人物の登場で。
「あらあら~。ごきげんよう、バルバラ子爵とイェニッタ男爵ではないですか。奇遇ですわね~。こんな所でうちの娘たちと何のお話をしていらっしゃるのですか?…ふふ、大変興味深いですわ」
逃げ出した2人の男の前に颯爽と現われたのは、なんとお母様。優雅な微笑を浮かべて一礼した後に、白い羽のついた扇子で口元を隠してこれまたとびきり美しい笑顔を見せる。「社交界の華」と名高いお母様の笑みは、いつも一瞬でその場の空気を華やかにするほどの眩い光を放つ宝石のような笑顔だ。だがしかし、今はその笑顔が何だかとても恐ろしく感じられる。
「い…いやぁ、あのこれには訳がありまして…」
「言い訳無用」
男が声を上げようとするよりも先に、お母様は氷のような冷たい目をしてピシャリと言い放った。
「もし、またうちの娘に下手な真似しようとしてみなさい。―…二度と、表に出て来られないようにして差し上げますわよ」
「「ヒイッ!!!!」」
今までに聞いたことのないほどにドスの聞いた声でお母様がそう言うなり、男たちは顔を真っ青にして逃げて行ってしまった。どうしよう…またここにお母様最強伝説が誕生したわ…。この世で一番強いものとは、どの生物も「母親」の存在であると、どこかの生物学の研究者が言っていたような気がするけど、確かにそうなのかもしれない。母は強し、というわけだ。…と同時に、二度とお母様に逆らわないようにしようと、わたしも心に強く誓った。
呆気にとられたのとびっくりしたのとで、途端に気が抜けてしまったらしいわたしは、そのままフラフラとその場に座り込んでしまった。
「シャル様!?大丈夫ですか!?」
心配そうに駆け寄ってきたアステリオに支えて貰ったおかげで、なんとか頭を強打することは避けられた。1日に2つもタンコブを作るのはいくらなんでも御免である。
「ええ、大丈夫よありがとう。なんだか、色々ありすぎて腰が抜けちゃったみたい…」
「もう、シャルロットちゃんたら、突然いなくなるんだもの~。アステリオが気付いて教えてくれたから良かったものの…。駄目よぅ、1人でいなくなったりしたら~」
続いてお母様がいつもののんびりとした口調に戻って声をかけてくれる。先程のドスの聞いた声は幻聴だったのかと疑ってしまいたくなるくらいだが、そこにはあえて触れないでおこう。でも確かに、2人にはしこたま心配と迷惑をかけてしまった。情けないが、完全にわたしの責任だ。
「それに…その格好はどうしたの?なんでこんなにボロボロになってるの~?」
うっ!気付かれたくはなかったが、やっぱり気付いてしまったか。化粧が崩れドレスにも泥がついているし、髪の毛もボサボサ。メイドたちのおかげで綺麗に着飾ってきたはずの娘の薄汚れた姿に、改めてお母様がいぶかしげに眉根をひそめた。
「あっ、ええと…お母様、これには話すと長くなるのですが理由が…」
「そこについては全て俺の責任だ。すまない、ランヴィア夫人。ドレスについても、すぐに替えのものを用意させよう。それから崩れた髪型もな」
すると今まで黙っていたヒューバートが突然2人の前に立ち、すんなりと頭を下げた。お母様もこれにはびっくりした様子で、目をまん丸にしている。まさか王子本人が頭を下げてくるとは思わなかったのだろう。あらそう…とだけ言って、あとは扇子で口元を隠しながらわたしとヒューバートをしげしげと交互に眺めては、意味ありげな笑みを浮かべた。加えて、その隣にいるアステリオも何とも言えない微妙な顔をしてわたしのほうを見ているじゃないか。なんだなんだ、その意味ありげな視線はなんだ!?
「…あの、お母様、さっきから何なんです?じろじろと…」
「いやねぇ、シャルロットちゃんたら!いつの間にそんなに仲良くなったのかしらってことよ~」
「いやいや、お母様。ヒューバート様は第三王子ですよ?仲良くなったなんて、そんな気安く口に出来る方ではないですよ」
「……仲良く、か。そうだな」
お母様とのやり取りにわたしが苦笑いを浮かべていると、ヒューバートは小さく呟いて、それから突然わたしの前に片膝を立てて跪いた。
「ど…どうなさったんですか?」
もしや急に気分でも悪くなったのだろうか。そういえばここに来た理由も気分が優れないからだと言っていたような気がするし…。どうしよう、早く医務室とか運んだほうがいいんじゃ!?わたしが1人でアタフタしていると、ヒューバートは口元に小さく笑みを浮かべてからソッとわたしの左手を取り、そして―…。
「―…!」
チュッ。
その甲に優しく口づけたのだ。そう、まるでおとぎ話で王子様がお姫様によくやるあれを。
なぜか、わたしに。何の前触れもなく。
目を丸くしたまま硬直してしまったわたしに向けて、ヒューバートは面白そうに、悪戯っぽく笑ってから呟いた。
「―…尊敬と敬愛を。強い女だな、お前は。…不思議な奴だ」
思考回路はショート寸前(というか、むしろもうショートしている)だ。これはもう、完全にキャパオーバーだ。プスプスと頭から煙さえ出ているような気もする。お母様は嬉しそうに手を叩いているし、アステリオは顔を真っ青にして口をパクパクさせているし、わたしはわたしで突然の慣れない出来事に驚いて頭が真っ白になっていた。
(…うん?えっ…何、どういうこと?)
彼の謎の行動とあの言葉の意味を測りかね、茫然と立ち尽くすより他ない。
「ヒューバート様!ああ良かった、こちらにいらしていたのですね。外の空気を吸ってからすぐ戻ると仰っていたのに、いつまでたってもお戻りにならないからと、探しに来ました。ぜひ王子とダンスを、との方々が大勢お待ちでいらっしゃいます。お早めにお戻りを」
駆け足にやってきたのはどうやらヒューバートの側近の男らしい。しかしすぐにこちらの存在に気がつくと、深々と頭を下げて口を開いた。
「これは…ランヴィア夫人とそのお嬢様とお見受け致します。大変失礼致しました、わたしはヒューバート様の側近のエルク・ダンケルと申します」
このエルクという名の青年は、おそらくお兄様と同じくらいの年なのだろう。まだ年若いがキッチリした青年だ。糸目がちで茶の髪を後ろで一つに束ねており、人懐こそうな笑みを携えた人物だった。しかし挨拶も早々に、ヒューバートは割って入るように早口に付け加える。
「エルク、早速だがこのご令嬢の新しい替えのドレスを至急手配してくれ」
「……わたしとしては王子に色々とお聞きしたいことが山ほどあるのですが…、分かりました。何やらひと悶着あったとお見受けします。すぐに手配致しますので、どうぞこちらへ。部屋までご案内させて頂きます。…それから王子。王子のお召し物も少なからず汚れているように見えるのですが、わたしの気のせいでしょうか?」
「ほう、目がいいな。やはりお前の目は誤魔化せないか。察しの通り、汚した」
「いや何を開き直っていらっしゃるんですか…。まったく、エドモンド卿に小言を言われるわたしの身にもなって下さい」
「はは、そんなものいつものことだろう。慣れろ」
ヒューバートの開き直り発言を聞いた側近の男は額に片手を当ててから深いため息を吐きだした。いつもこんな感じなのだろう、もう慣れた様子だった。案外仲良しさんなのかもしれないな。ああいう主従関係のほんわかしたやり取りって見てて和むのよねぇ。
お母様とアステリオは先に会場に戻って待っているとのことだったので、わたしはそんなことを考えながらエルクの後ろをてくてく歩いてついていく。(ちなみにヒューバートも着替えてから真っ直ぐ会場に向かうのだそうだ。)靴音だけが夜闇に響く中、突然エルクが後ろを振り返って、にっこりと私に笑顔を向けた。
「不躾に話しかけることをお許し下さい、ランヴィア家のお嬢様。ただどうしてもお伝えしたくて。……ありがとうございます。ビックリしましたよ、あんな顔してる王子の姿、わたしも初めて見ました」
「え…」
「憑きものが落ちたような…何か、ふっきれたような顔をしていたので。きっとこの短い時間の間に、きっかけがあったのでしょうね。勿論、何が、とは深く追求しません。わたしはあくまで、ただの側近ですので。でも…これだけはお伝えしておきたかったのです。ありがとう、と」
満足げにそれだけ言うと、また前を向いて歩いていく。彼の言うようなそんな大層なことをした記憶はないのだが…。でも毎日ヒューバートの傍にいる彼が言うのだから、やっぱり何か変化はあったのだろう。直接的にわたしが関係あるかどうかは否としても、彼が、自分の生まれおちた境遇にこれ以上憎悪と悲しみを抱かずに済むのなら、それにこしたことはない。幼い少年がこれ以上傷つかずにいられるのならそれでいい。
(…あっ、なるほど、もしかしてヒューバートのあの謎の行動はそういうお礼的な意味でのアレだったのでは…?うん、そうだきっと。なるほどね、腑に落ちたわ)
あの手の甲へのキスは、ヒューバートなりのわたしへのお礼だったのかもしれない。ただお礼を言えばいいだけなのに、わざわざキスまでするなんてキザだなぁ。流石は王子様といったところだろうか。…まぁ、あんなの人生で経験することなんてないような貴重な出来事だったわけだし、役得だった、いい経験をさせて貰ったと考えておこう。前世の社畜OL時代にゃ考えられないようなものだしね。
それにヒューバート闇落ちの件がなくなるのならば、不用意に彼といがみ合う必要もなくなる訳だし、今後は彼と深く関わることもなくなるだろう。シャルロットはこのままフェードアウトして、その後は学園で「主人公ちゃん」に出会って恋でもなんでもご自由にどうぞ!ってね。悪役シャルロットはお役御免、ってワケだ。万歳!!!
ふっふっふ…!今回もなんとか事前にフラグ回避出来たんじゃないかしら!わたしは満足げに1人でうんうん頷いては、心の中で万歳三唱をしているのだった。
真夜中にひっそりと投稿する奴~!←
お母様最強伝説再来です。
生物にとって「母」の存在って大きいんですよね…
いくつになっても母親は母親、偉大な存在ですね(*^^*)
ヒューバートのイラストもそのうち描きたいなぁ…(言うだけタダ)
雑談等、活動報告のほうでしていきたいと思いますので、ご興味あればお付き合い下さい!
ではでは!次回更新をおたのしみに。