10
―…暗闇。漆黒の暗闇の中。
ただ、時折天井から落ちる雫の反響する音と、ジメジメと肌にまとわりつくような陰鬱さが、ここがひどい閉鎖空間であるということを認識させた。視界から入る情報が何もないので、室内なのかはたまた別の場所なのか判別がつかない。そもそも、なぜ自分はこんな所にいるのだろう。そこまで考えたところで、視界の先にぼうっと見えた紫色の光に気がついた。
「……俺は、幼い頃から俺のことが嫌いだった。何をするにも常に優秀な兄たちと比べられ、そのたびに、なぜ彼らと同じように出来ないのかと、いつも酷い陰口をたたかれ続けてきた。優秀な兄貴たちと違う”出来そこない”だと言われ続けてきた」
暗がりから男の声が聞こえる。まだ若い青年の声だ。それも、わたしはこの声には覚えがある。否。それどころか、この台詞にすら聞き覚えがある。
「生まれつき魔力がない俺を周囲の者は酷く馬鹿にしていた。王家の者は皆、優れた魔力を継承しているというのに、俺だけが、魔力を持たない。俺だけが、使えない。妾の子だからだと、蔑まれてきた。王家の血筋として恥だと」
青年の声は静かだったが、それでもその声は少し震えているようだった。暗闇の中、この声の主の姿は見えないし、顔も見えない。今どんな表情で話をしているのか見ることも出来ない。でもわたしには分かってしまう。その言葉を紡いでいる人物が誰なのかが。それはわたしにとっても身近な人だったから。
「それでもアイツは―…あの女は、俺は俺のままでいいと言ってくれた。王家の恥だと馬鹿にされ続けていた俺のことを受け入れ、愛をくれた。人を愛するということを、初めて知った。初めて教わった。一生涯を駆けて守り抜こうと心に誓える、そんな女だった。大切だった。愛している、今でも」
切ないほどの思いが言葉に含まれていることが嫌でも分かってしまう。そうか、この人は恋をしていたんだ。愛を、彼女に捧げていたんだ。暗闇の中、表情も見えないけれどその深い思いは伝わってくる。だからこそ、わたしの胸も痛んだ。
「―…その俺の何よりも大切な者の命を脅かしたお前のことを、誰が許すと思う。誰が見逃すと思う。誰が、手を下さないと言える。そしてお前はいまだにアイツの命を狙っている」
瞬間、空気が震える。静かな声に含まれているのは確かな殺意。その殺意の矛先は、他の誰でもないこのシャルロット。この声の主に言わなくちゃならないことがわたしにはある。言わなくちゃ、伝えなくちゃならないことが。でも、足も体も、喉すら震えて思うように声が出てこないのだ。…そこで気付いた。わたしの体は動かない。否、動けないということに。手足にまとわりつくドス黒い影が、身動きすらとらせてくれないのだ。
男の手にしている剣が禍々しい光を纏う。魔剣アンダロイド。魔力を持たないヒューバートが魔法学園に在学することが出来ている所以であるその剣が、怪しく煌めいている。かつてその一振りで大国を滅ぼしたという伝説の魔剣は、今度は悪女であるわたしを滅ぼさんと、血をよこせと輝いている。ゴクリ。生唾を飲み込む。
「…ああそうだ、どこかの令嬢は婚約が決まった時に俺にこうも言ったな。魔力も持たず王位継承権の低い出来損ないの第三王子など、と。吐き捨てるように言っていたことがあったな」
コツコツと、こちらに近づく足音がまるで処刑を告げる時計の針の音のようにさえ思える。紫色の光がゆっくりとこちらに近づく。口元には嘲るような笑みを浮かべたその人は、ゆっくりとその剣を握り直してわたしの喉元にその切っ先を向けた。
「ッ、ち、違うのです、わたし、は、」
「今更言い逃れか?どこまで醜い女だ」
紫色の光に赤黒い色が混じり込み、刃から恐ろしいほどの魔力が放たれる。その光に照らされて、金色の瞳が怪しく煌めいた。その金の瞳に映っていたのは、酷く青ざめた少女―…シャルロットの姿。
「地獄で後悔するといい」
「ッ、ち、が…、ヒューバー…ト、さ、ま、!」
鋭い切っ先が、容赦なくそのか細い喉を貫いた。
***
窓からは明るい日差しが差し込み、木々からは小鳥の爽やかな鳴き声が聞こえてくる。空は秋晴れ、白い雲が流れて行き、優しい風が花々を揺らしている。
…ああ、なんて穏やかな朝なんだろう。わたしの先程まで見ていた「夢以外」は。
「ぬああああああああぁぁぁ…」
最悪だ。
最悪な目覚めだ。
わたしは顔を両手で覆ってなんとも言えない呻り声を上げながら、ベッドの上で悶絶する。先程見ていた夢の内容はバッチリ覚えている。それも、嫌にリアルに。首元を裂かれた感触があまりにもリアルで、目覚めた瞬間、自分が生きていることに本気で驚いたくらいだ。夢であったことに感謝したいが、それと同時にどうしようもない感情が胸の中をぐるぐると駆けまわっていく。
「あんな死に方するなんて御免被りたいよ…」
……なぜならば。あの夢は、正夢なのだ。いや、正確に言うと、あれは6年後の未来のわたしに待っている悲劇。「マージナル・ラヴァーズ」でのシャルロット・ランヴィアの数ある凄惨な死亡フラグ中の、無残な末路のひとつなのである。
第三王子であるヒューバートとシャルロットは幼い頃に婚約者となっていたが、先にも述べたように2人の中は最悪。婚約が決まったその瞬間、本人を目の前にして「王位継承権もない魔法も使えない、そんな出来損ないが婚約者だなんてあんまりだわ!」と、声高らかに言ってしまうのがシャルロット。…今のわたしにはそんな酷い台詞は口が裂けても言えそうにないが。っていうか、むしろ王子様と結婚出来るなんて光栄じゃないか。毎日美味しいもの食べられるじゃん。
とにかく、周囲からだけでなく婚約者からも冷たく接され続け、ロクに愛情を受けて来なかったヒューバートは自己中心的でワガママな俺様に育ったわけだが―…学園でヒロインと出会い恋に落ちる。優秀な兄たちと常に比較され続けてすっかり捻くれていたヒューバートは、そんな自分でもありのまま受け入れてくれるヒロインに次第に心を開き、やがて恋心を抱くようになる…という、まぁ恋愛ゲームにありがちな流れになるわけだ。わたしもキュンキュンしたものだ。
しかしそこにもれなく登場するのが悪役令嬢シャルロットである。
どんな時でも颯爽と邪魔をしに登場するあたり、流石は悪役令嬢というべきか…。よく働く悪役だ。彼女の言動にはとにかく、悪役としては非の打ちどころがない。散々ヒューバートのことを見下してきた癖に、いざ主人公と彼が恋仲になると憤慨してしゃしゃり出てくる。しかも怒るだけならばまだいいが、彼女の場合はその嫉妬と制裁に一切の容赦がない。イジメだの陰口だの、そういうのを超越しているのだ。最終的には禁術と呼ばれる黒魔術を使い、主人公を殺そうとまでする。まったく、アステリオルートでのシャルロットもそうだが、なぜ貴方はもっと穏便に出来ないのだろう…。
結局、黒魔術を使って主人公を毒殺する寸での所でヒューバートが駆け付けるのだが、主人公は深いダメージを負い、昏睡状態に陥ってしまう。いつ目覚めるかも分からず、もしかしたらこのまま一生目覚めないかもしれない。それも自分が関わったせいでシャルロットからの報復を受けてしまったのだ。唯一の心の支えだった主人公を傷つけてしまうことになった結果に、ヒューバートはとても心を痛めた。そして彼は愛する彼女を救うべく、なおも主人公の息の根を止めようと企んでいたシャルロットを、その手で討つのだ。
「この喉をかっ切られるのね…」
わたしは自分の喉元に右手を当てて、眉根を寄せた。ヒューバートエンドをクリアしているわたしは、当時シャルロットの粛清シーンを「イケイケドンドン!」気分で見ていたけれども、これがいざ自分の身に起こると考えると恐怖でしかない。大体、魔剣に喉かっ切られるとかどんな恐怖だよ…。いくら自業自得とはいえ、そんな最後は死んでも嫌である。夢の中で見たリアルな感覚を思い出して、背筋にゾクリと悪寒が走る。
「いやいやいや!駄目よ、弱気になっちゃ。わたしはヒューバートルートは攻略しているんだもの!これから先に起こるイベントについても他のキャラよりは熟知しているつもりだし…うん、大丈夫。死亡フラグはへし折って見せるわ!」
そうだ。せっかく前世の記憶を取り戻したのだ。しかもヒューバートは、生前唯一攻略していたキャラクターなのだから、他のキャラクターに比べれば今後自分の身に起こるであろう事件も、幾分も対策を練ることが出来るだろう。まず間近に迫っているのは彼の生誕パーティーへの出席だ。そこでシャルロットとヒューバートは顔を合わせることになる。忠実ではこの時に既にシャルロットは彼に酷い態度を取っていたようなので、まずはその最悪な出会いを阻止せねばならない。
出来るだけ友好的に、且つ彼のプライドを傷つけることのないように。あまり目立ちすぎないように穏便に。そして勿論、公爵家の令嬢として恥じない言動を。
ベッドの上で胡坐をかきながら腕をくみ、自分で何度も何度も自己暗示のように頭の中で繰り返す。目下の目標はまず、パーティーで恥をかかないようにすること。テーブルマナーやダンスの練習など、覚えることは山積みだ。正直なところ、この2週間で習得しきれるかどうか自信はないのだが、今はそんなことも言っていられない。というか、わたしが拒否した所で、お母様が(背中に阿修羅を背負いながら)にこやかに指導してくるだろうし。
「―…っしゃあ!!!いっちょやったるわ!!!」
バチン、と両頬を叩いて気合いを入れると同時に扉をノックする音が聞こえて、アステリオが入ってきた。ベッドの上でガッツポーズを取っているわたしの姿を見つけるやいなや、大層不思議そうな顔をしていたが、流石は優秀な執事。すぐにいつもの天使のごとく可愛らしい笑顔を浮かべて「おはようございますシャル様。朝食の用意が出来ました。」と一言。主の不審な行動をあまり深く追求しないあたりは流石である。わたしは返事を返すとベッドから軽快に飛び降りて急いで着替えるのだった。
「違うわよぅ、シャルロットちゃん。そこはもっと優雅に流れるように~!」
想像していたよりもずっとハードだった。社交ダンスなんてしたことがないし(そもそもダンス自体やったことがなかったし)、男性と一緒に踊るなんてハードルが高すぎる。さっきから何度も先生の足を踏みつけてしまっているし。見かねたお母様が横からアドバイスをくれるのだが、抽象的すぎてイマイチ分からない。優雅に、とか流れるように、とか何なの!わたしが知っている「流れるように」というのは、川の流れのように~という名曲だけだ!!
「……大丈夫ですか?シャル様…」
すっかり疲労困憊になってしまったわたしは、レッスンを終えて自室に戻るなり力なくベッドに倒れ込んだ。いや、まじ無理、これかなりしんどい。社交ダンスってこんなに神経を使う踊りだったのね…知らなかったとはいえ、舐めていた。ふかふかのシーツに顔を埋めて深々と溜息を吐きだしていると、心配そうにアステリオが声をかけてくれた。
「ええ、なんとかね…。でも正直、こんなにしんどいとは思ってなかったわ。こんなダンスを続けて踊れるだなんて、お母様も勿論だけど世の女性たちは本当に凄いわね…頭が下がるわ。わたしにはとてもじゃないけど優雅に踊れる自信ないわ、センスもないようだし。」
実際、わたしにはダンスのセンスがないようだった。ダンス講師のダンさんも、最初は足を踏みつけてしまうのも笑って許してくれていたが最後の方は若干涙目になっていたし。そこまで強く踏みつけたつもりはなかったのだけれど、ついつい力んでしまっているせいか、知らないうちに足にも力が入ってしまっていたに違いない。今日の夜あたり赤くなってしまっているんじゃないだろうか。それについては本当に、大変申し訳なく思っている。
「魔法だけじゃなくてダンスのセンスもないなんて、取り柄が無さ過ぎて笑えてきちゃうわね」
ほんとに、なぜチート能力が備わっていないんだろうか。ほぼほぼ白目状態である。こんなことになるなら前世で課長に進められてた社交ダンス教室に通っておけば良かったなコンチクショウ!まぁもう前世のわたしは死んでしまっているわけだし、今更そんなこと言ったところで意味はないのだが。分かってはいるがやっぱりなんとなく悔しい。
むくりと起き上がったわたしは、唇を尖らせてベッドの縁に座り直した。世の中はなんて不公平なのかしらねぇ。もう一度溜息をつくと、ドアの前に立っていたアステリオがゆっくりとこちらに近付いてきた。そしてベッドに座るわたしの前で立ち止まると、失礼します、と小さく呟いてからソッとわたしの頭に手を乗せ、優しく撫でた。
「……シャル様、そんなこと言わないで下さい。貴方に取り柄がないだなんて、そんなことありません。貴方はまっすぐで純粋で、そして心がとても綺麗な方です」
「ふふ、真っ直ぐってところは認める。猪突猛進だものね、わたし」
思えば昔からそうだった。わたしは良い意味でも悪い意味でも、物事に熱中し過ぎると周りが見えなくなってしまう傾向がある。小学校の頃に自分に似合う四字熟語を探しましょうという授業で見つけた四字熟語も「猪突猛進」だった。うーん、まさにわたしを表す四字熟語だわ。1人で笑っていると、アステリオは首を横に振ってから、口を開いた。
「いえ、それだけではありません。それに―…僕も、シャル様のその優しさにどれだけ救われたことか。貴方はとても、とても…魅力的な方だと、そう思います」
「へ…」
あまりにも優しい声音にびっくりして顔を上げると、アステリオは少し控えめな笑みを浮かべてスッと手を離した。……んん?聞き間違いじゃなければ、なんか今、もの凄く甘い台詞を言われたような気がするけれど、え、幻聴かしら?
「で、では僕はこれで失礼致します。シャル様もお疲れだと思いますので、夕食の時間までゆっくり体を休めて下さい。それでは、」
アステリオは気まずそうに早口でそう言うと足取り早く、部屋を出て行ってしまった。残されたわたしはしばらくの間茫然としていたが、疲れもあってかすぐに眠気が襲ってきたのでそのままベッドに倒れ込んだ。ドアの外で彼が顔を真っ赤にして自分の発言にすっかり動揺しきっているなんてこと、わたしは知る由もなかったのだった。
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私生活多忙のため、なかなか更新する時間を取ることが出来ず…orz
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