第十八話 すべてのはじまり
9月8日誤字脱字等修正しました。
「そないなことより、はよ行くで」
陰鬱とした雰囲気を吹き飛ばすかのようにターニャは号令を掛けると、そのまま王宮の裏手の通路をずんずん進んで行った。慌てて俺たちも後に続くが、まだ先ほどのどす黒い感情で心がモヤモヤして、これからユミスに会えるってのにどうにも足取りが重い。
だが、そんな心の内を見透かしたようにターニャは突然こちらへ振り返ると満面の笑みを向けてくる。
「ここからが本番や。ほんまにカトルには期待しとるよ。何せぇユミスネリア様の事を家族って言うとったもんな」
「え? 何で今その話を――」
「ちょっと、それどういうことよ、カトル! 何であんたが女王と知り合いなの!?」
「いや、ちょっ、待って、ナーサ。確かにユミスの事は良く知ってるけど――」
突然ユミスの事を切り出された挙句、思考が追いつかないうちにナーサに問い詰められ、俺は困惑の色を隠せない。
ってか、この後ユミスに会って依頼の許可をもらうだけなんだよな?
ターニャはいったい俺に何を期待して……。
いや、ちょっと待て。
許可をもらうって、あの氷魔法をぶっ放すくらいお怒りモードのユミスにか?!
ユミスは普段はそんなに怒らないけど、一度機嫌を損ねると大変なんだ。
ふと見れば、ターニャがとても悪い顔をしていた。
久しぶりのユミスとの再会に心を躍らせていたはずなのに、嫌な予感しかしてこない。
「ああなってしもたユミスネリア様はうちではどないもならへん。っちゅうわけで頼むわ、カトル! ユミスネリア様の機嫌を直すの任せんで」
「はぁ?! 何で俺が! だいたい、ユミスがへそを曲げるとめちゃくちゃ大変なんだけど」
「それはもうめっさよぉ知っとる。なにせぇ、これで二回目やからね」
そういや前にも一度王宮で氷魔法ぶっ放したんだっけ。
ってか、ユミスが本気で怒るなんて孤島では魔法が絡んだ時くらいだったもんな。ただ、それもご飯を作ってくれなくなる程度のことで、氷魔法を暴発って、いったいどれだけ怒らせたんだって話だ。
「前はどうやって機嫌を直したの?」
「それは……触らぬ神にたたり無しや」
「なっ……!」
さらっとターニャがとんでもない事を言い放つ。
「怒らせっぱなしって、さすがにそれは酷いんじゃないか? だいたい、依頼の件はどうなるんだよ」
「せやから頼んどるんやって。ここで依頼がご破算になったらカトルも困るやろ?」
「……っ」
そう言われてしまっては俺も頷かざるを得なかった。ナーサの事もそうだけど、せっかくここまで来たのにユミスに会えないなんて考えられない。
「ありがとな」
ターニャはほくほく顔で笑みを向けて来る。
……なんだか、うまく丸め込まれたような気もするけど、そもそも最初から選択肢なんてないようなものだししょうがない。
俺に、ユミスを放っとくなんて出来るわけないしね。
「さて、ここを進めば後宮なわけやけど……」
ターニャの案内で俺たちは王宮の裏門から回り込み、二階へと上った先にある渡り廊下にたどり着いた。貴族たちを招き入れた広間とは全く違うなんとも簡素なしつらえで、申し訳ない程度に石の手すりが付いただけの狭い道が続いている。
ここを通った先にこの巨大な王宮の主が住んでいるっていうのも不思議な話だ。もしかしたら今、俺たちが厄介になっているターニャの店の二階の方が広くて過ごしやすいかもしれない。
けれど、それが孤島に居る頃のユミスなら――。ここの感じはとてもしっくり来た。
「この渡り廊下はユミスネリア様の魔力が満ち満ちとる。ちなみに前回の時はここを通ろうとしただけで魔法が飛んで来たんや」
「なっ……何よそれ?! あんなとんでもない威力の魔法を浴びたら最悪死んじゃうじゃない!」
ここまでターニャの軽口を黙って聞いていたナーサが悲鳴に近い声をあげた。
「うわあ、しーっ! 静かにしぃひんと聞こえてまう」
慌ててターニャが口を抑えようとするが、それをナーサは頑強に振り払った。
「何を言ってるの?! そんなのただの甘やかし過ぎなだけでしょ! 魔法を人に向けることが何を意味するのか、たとえそれが王たる者であっても、――いえ、王たる身分にある者こそ、それを理解しなくてはならないはずよ!」
「それは……!」
ナーサの言葉にターニャは絶句してしまう。
と、その時であった。
「大層な口を利くのね、あなたは」
渡り廊下の奥から、ギィィという扉の開く音がして、その声は響き渡った。
――とても懐かしい、ずっと待ち望んでいた声だ。
「ユミス!」
思わず俺は身を乗り出し叫んでいた。
あの向こう側に居るのは紛れもないユミスネリアその人だったのだから。
三年ぶりに見るユミスは気品に溢れとても眩しかった。
彼女が小さい頃から好きだったやや蒼がかった海の色のドレスに身を包み、ネックレスやサークレットに付いた燃えるような真紅の宝石が色鮮やかに目に映る。
淡く透き通るエメラルドグリーンの髪はさらに長く腰の辺りまで伸びており、ドレスの色に助長され彼女の美しさを際立たせていた。
「ユミス!」
もう一度声を掛けると、ユミスは驚いたように大きく目を見開いて俺を見てくる。
「……えっ?! あ、ああ……」
だがその直後軽やかな風が全身に駆け抜けたかと思うと、すぐに彼女の顔が落胆に変わっていった。
「タルクウィニア……! これは何の児戯?」
「なっ……児戯って何の話かわから――」
「とぼけないで!! どうやって調べたのかわからないけど、私にはカトル=チェスターという人族の知り合いなんていないんだからっ!」
「ええっ……?! ほんまですか、それは!」
俺を見るターニャの視線があっという間に恐ろしい何かを見るものへと変わっていく。
「カトル! 今のユミスネリア様の言葉はどういうことや?!」
「ええっ?! そんなこと言われても、俺にもさっぱり」
俺はもう一度渡り廊下の向こう側に立つユミスを見据えた。
綺麗なドレスを着こなし優雅に振る舞っているが、確かに三年前の面影は残っている。あれはどう見たってユミスで間違いない。
「やっぱり、どう見ても俺が知ってるユミスだ」
「……ユミスネリア様。彼はこう言っとりまっけど」
だが、俺たち二人の発言を聞いてますますユミスの態度は硬化していく。
「二人でどんな口裏を合わせたのか知らないけれど、ただでさえ故郷の事をけなされて気分が悪いの! 帰って。それ以上何か言うなら本当に怒るわ」
「いぃ!?」
ターニャはユミスの言葉に完全に怯んだ様子でたじたじになっていた。
だがせっかく会えたって言うのに、このまま別れるなんて出来るはずがない。
「なあ、ユミスはたった三年で俺がカトルだって事、分からなくなっちゃったのか?」
「――っ、あなたみたいな弱い人がカトルなわけないでしょ!!」
ユミスは俺をキッと睨みつけて来たかと思うと、ゆらりと魔力を立ち上らせる。
「完璧に怒った。死にたくなかったらさっさと逃げなさい。本当にあなたがカトルならこの程度、簡単にいなせるでしょ」
そう言うとユミスはこちらに向けてついに魔法を発動させた。
「ひぇっ!」
思わず頭を抱えて壁に張り付いたターニャの隣から空間が裂け、例の人形たちが一斉に現れ始める。加えてその手には魔力を帯びた光輝く精銀の剣が握られていた。
「うわっ……!」
とっさに紙一重で避けるが、さっきのテストの時とは比べ物にならないスピードで精銀の剣が俺の頬を掠めていく。
「……くっ!」
人形たちの連撃はさらに連携を増し、的確に俺の急所を突いてきていた。ユミスの魔力が上乗せされた今が本来備わっている人形のポテンシャルなんだ。
――さすがに精銀の一撃はまずい。当たれば竜族の皮膚でもただでは済まないだろう。本気で避けないと手ぶらの状況では危ういかもしれない。
だけど、それは自ら人族ではないと喧伝するようなものだ。
……
そこまで考えて俺はようやく状況を理解した。
「そうか、さっきの風は鑑定魔法だったのか!」
何の事はない。俺はまだ能力を詐称したままだったんだ。
普通ならこの街の魔力制御ですぐ効果が切れてしまうんだろうけど、俺の詐称魔法は三年間じいちゃんに散々扱かれたお陰でレヴィアにもお墨付きをもらうくらいのレベルだ。
ユミスの鑑定魔法でも見破れないだろう。
そして自分の魔力に絶対の自信があるからこそ、ユミスは魔法の結果を鵜呑みにして俺を人族だと思い込んだんだ。
でもそれは鑑定魔法の話で、ユミスが看破の魔法を使えないはずがない。
「ストップストップ!」
「問答無用っ!」
人形たちの連携の取れた凄まじい攻撃を前に俺はそれ以上しゃべることも出来ずギリギリの所でなんとか剣撃をかわし続けていた。
だが、このままではいつか本当にやられてしまう。
何とかユミスの誤解を解きたいけど、さすがにこの状況を切り抜けるのは困難極まりない。
「くうぅっ……!」
そうこうしているうちに、後ろからナーサの悲鳴が聞こえてきた。
自分のことで手一杯だったけど、一緒に来てる以上疑われるのが俺だけで済むはずがない。
慌ててナーサの方へ振り返ると、その刹那――目前の剣をなんとか横に避けた彼女の背中に俺を狙った人形の剣が貫こうとして――!!
「やめろぉおおおーっっ!!」
頭で考えるより先に肉体が疾駆した――。
俺は爆発的なスピードでナーサを掻っ攫うと、そのまま跳躍してユミスの元まで辿り着く。
「な、な、な……」
ターニャにはその瞬間、俺が消えたように見えたのだろう。何もない空間を前に呆然と立ち尽くし、そしてユミスのすぐそばに現れた俺を、何が起こったのかわからないという面持ちで見据えていた。
ただ、ユミスの方はそんな俺を前にして何だかほっとしたような様子だった。
まるで昔、ユミスを抱えて孤島の端から端まで風に乗って跳躍したときに見せてくれた、驚いたようなそれでいて満足したような顔つきだ。
「ユミス、看破だ」
「えっ……?」
「詐称してるに決まってるだろ? 誰かにバレたらじいちゃんにめちゃくちゃ怒られるんだし」
少しの間、口をポカーンとしていたユミスは急に顔を真っ赤に染めると魔法を展開し始める。
そしてすぐにその瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ふぇええん。カトルだよぉ……」
そう叫ぶと、もはやひと目を憚ることなくユミスは俺に抱き付いてくるのだった。
俺は右手一本で抱えていたナーサを下ろすと、ユミスの肩と背中をポンポンと叩く。
「やっと会えた。久しぶり、ユミス」
「ふぇえええん……」
「だぁ、もう泣かないでさ、ここにはターニャもナーサもいるんだし」
そう言って周りを見渡すと、唖然とした顔で佇む二人の姿があった。
特にターニャは顎が外れるんじゃないかと思うばかりに大きな口を開けて驚いている。
……一緒になって人形たちも口を開けているんで少しだけ笑ってしまった。
「何よ、カトルのバカッ! 私が泣いてる時に何笑ってるの?」
俺が笑っているのに気付いたユミスが不満そうな顔を向けてくる。
「いやだって、あの人形たち全員がターニャとシンクロして口開けてるのが目に入っちゃって」
「えっ?」
俺の指摘にハッとしたターニャが慌てて取り繕うように咳払いをした。その瞬間、すべての人形たちがあっという間に空間に消えていく。
結局、ほぼ見損なったユミスがふくれっ面を向けてきた。
そんな様子も昔に戻ったみたいだ。
「こ、公女閣下! いかがなさいましたか!? こちらからもの凄い音や叫び声が響き渡って参りましたが――」
騒ぎを聞き駆けつけてきた衛兵たちが次々に階段を上ってくる。
「いや、なんでもあらへん。ユミスネリア様のちょっとしたテストや」
「し、しかし……」
「今、そこにユミスネリア様がおられる。戻らへんと不敬にあたんで」
「――っ!? はっ、失礼しました」
ターニャは半ば脅すようににらみを利かせると、衛兵たちは皆涙目になりながらほうほうの体で去っていった。
「ユミスネリア様。その者たちに問題がないのであればいったんお部屋へ参りまへん?」
まだ近くにいるであろう衛兵の手前、粛々と言葉を紡いだターニャは、ゆっくりと渡り廊下を歩いてきた。そして俺に対して咎めるような視線を投げかけてくる。
「詳しい事はそこでたっぷり聞かせてもらうから覚悟したってな」
「……了解」
俺は苦笑いしながらそれに頷くと、ユミスの後に続いて後宮へと足を運ぶのだった。
やっとここまで来ました。
また今後とも宜しくお願いします。
次回は10月12日までに更新予定です。




