第五話 神速のエヴィアリエーゼ
8月19日誤字脱字等修正しました。
「エルフ……!」
俺がそう呟くと、彼女はその神秘的で深い淵のような翡翠の瞳を真っ直ぐこちらに向けてくる。
「種族だけで判断するのは好ましい行為とは言えないわね」
軽く窘めるように言って、彼女は淡いクリームがかった長い金髪を優雅にたなびかせながら階段を下りてきた。
だがその溢れ出る魔力の大きさを感じれば、最大級の警戒感を持って応じざるを得ない。
何しろ詐称しているステータスを看破されれば、竜人であることがばれてしまう。そして、妖精族の魔力はそれが出来るほどに強大だとじいちゃんから口酸っぱく聞かされていた。
実際、彼女から感じられる魔力は普通の人族とは比べ物にならない程強い。
妖精族自身の持つ魔力の質もさることながら、彼女が身に着けている妖精族独特の装備――新緑の森をイメージする緑のワンピースや格式ばった濃紺のマント、それに木の幹のような色合いのブーツからも大きな魔力を感じるし、その力を増幅させるが如く手足には魔力の篭ったリングを幾重にも付けている。そして極めつけは額に付けられた真紅のサークレットだ。魔石なんかとは比べ物にならない純度の高い強烈な魔力は若干気圧されるほどである。
これらがただでさえ魔力の高い彼女の力を何倍にも高めていた。とてもじゃないけど警戒するなって方が無理だ。
俺が距離を取っていると、隣に居たナーサがすっと前に出た。そしてややおっかなびっくりに話しかける。
「申し訳ありません。連れが失礼しました。私はナータリアーナと申します。あなたの事は何とお呼びすれば良いですか?」
「そう、あなたが……。そうね、私の事はエーヴィと呼んでもらって結構よ。それにしても、あなたのお仲間は私の事をとんでもなく警戒しているようね」
そのエーヴィと名乗った妖精族の女性は、微笑みながらも俺から視線を外さなかった。
警戒しているのはお互い様、といった感じだ。
「エーヴィ……って、先日ギルドマスター付き補佐官に抜擢されたエヴィアリエーゼさんですか?!」
「何の因果かわからないけど、そうなってしまったわね。上が変わるとそれだけ面倒が生まれるということよ」
「お会い出来て光栄です。噂では、このカルミネの街中で楽々と魔法が使えるほどの魔力の持ち主なのに剣の腕も凄いとか」
「その噂はだいぶ尾ひれがあるようね」
そう言ってエーヴィはクスクス笑い出す。
ナーサと笑顔で話している様子を見ていると、性格は温和そうで補佐官に抜擢されるだけあって人格者のようだ。
遅まきながら俺も妖精族というだけで色眼鏡で見ていた自分を恥じて謝意を示す。
「初めてエルフに会ったんで……ごめんなさい」
「初めて、ね。あなたもリスドから来たのかしら?」
「えっ……、そうだけどなんで?」
「フフッ、つい最近、あなたと似たような反応をした人がいたからよ」
「それって、まさか……イェルド?!」
「あら、やっぱり知り合いだったのね。マスターも最初は本当に酷かったから」
イェルドの名前が出た瞬間、彼女の美しい顔が少しだけ歪み眉間に皺が寄ったのを見逃さなかった。
どうやらあいつも似たような反応をして顰蹙を買ったらしい。前例がいて助かったような、同類に思われて悲しいような。
「それならマスターに会いに来たのかしら? 残念だけど、マスターは王宮から呼び出しがあってしばらくは帰ってこないわよ」
「えっ、ああ、いや……」
なんだ。イェルドの奴、居ないのか。ついでに会って出世払いをせびるつもりだったんだけど。
でもまあ今はナーサの為に依頼を受ける方が先だ。
「あら、違うの? なら、二人で女性だけの高ランクパーティに加わろうって寸法かしら? でも、それはあまりオススメ出来ないわね。何しろ、この階にいる連中と来たらむさい男ばかりで暑苦しいんだもの」
きっと、エーヴィとすればそこまで悪気はなく冗談を言ったつもりだったのかもしれない。
「グッ……」
「プッ……! あっははは」
だが俺はガックリと肩を落とし、ナーサはツボに入ったのだろう、腹を抱えて盛大に笑い始めた。
「あら? 何か可笑しな事を言ったかしら?」
「俺はカトル=チェスター。れっきとした男だ!」
「……ええっ?!」
エーヴィは先ほどまでの優雅な振る舞いのままに全身で驚きを表すと、俺の顔をマジマジと見つめてくる。
「本当に……男?」
「お・と・こ・だ!」
「エルフは人族と比べて見た目だけは綺麗な男が多いけど……カトルの美しさは芸術の域ね」
「なっ……!」
「あはは、良かったじゃない。容姿端麗な妖精族に美しさを認められるなんて凄いことよ」
「良いわけあるかっ!」
俺は警戒していた事も忘れ頭を抱えて呻いてしまった。
妖精族からも素で女だと間違われるとは……。
ってかナーサは笑いすぎだ。俺は少しだけ力を入れてその頭を小突く。
「何と言うか、ごめんなさい。……人族の国に来て三年になるけれど、これほど驚いたことはなかったわ」
謝りながらも愉快そうに笑うエーヴィを見て俺は何だか力が抜けてしまい、もはや彼女の事は気にせず四階のフロアへと向かった。
そして一歩足を踏み入れた瞬間だった。ぞわっとした値踏みするような視線を感じ、俺は咄嗟にぐるりと周囲を見渡す。
見ればフロア自体の構造は一階とほぼ同じであり、奥の受付に何人かの傭兵たちがたむろしているだけだった。特にこちらを見ている者はいなかったが、肌を突き刺す緊張感だけがびんびんと伝わってくる。
この雰囲気をナーサも感じているらしい。さきほどまでの穏やかな空気はなりをひそめ、細心の注意を払いながら恐る恐る俺の後ろを歩いていた。
「ねっ? ここは暑苦しいでしょう?」
なぜか俺たちに付いてきたエーヴィが場違いな明るい声で尋ねてくる。するとこのフロアを漂う張り詰めた緊迫感があっという間に四散してしまった。
気が付けば受付近くにいたはずの傭兵の姿が消えており、俺たち以外には受付の職員しかいなくなっている。
……なんだか嫌な予感がするけど気にしていても仕方がない。エーヴィは無視して俺はナーサに向き直った。
「それで、どんな依頼を受けたいの?」
「えっ、私?」
「当たり前だろ。ナーサがこなせる内容じゃないと意味がない」
あくまで茶タグは見習いだから極力手を出さない。
まあ、今はこんな状況だから出来る限り協力はするけど、なるべくナーサの自主性を重んじるべきだ。
「……でも茶タグの私が選んでいいの?」
「あら、タグなんて飾りでしかないわ。その人の能力が優れていれば自然とタグの色なんて後から付いて来るもの」
そう言ってエーヴィが俺の方を見る。
「カトルは依頼に興味なさそうね。ランクアップを目指さないのかしら」
「今日の所はナーサの付き添いだから」
「あら、そう。あなたがどんな依頼を請け負うのか興味があったのだけれど、残念ね」
そう言ってにっこり微笑む。
やっぱり俺には、この女が何を考えているのかわからない。もう妖精族という色眼鏡で見ることはしないが、他の人が魔力を制限される中で一際大きな魔力を感じるエーヴィに俺は警戒心を解く事はなかった。
「この辺かな……」
一方、ナーサは壁に貼られた依頼を真面目に一つずつ検分していた。そして一つの依頼を俺に提示してくる。
【内容】:剣術道場の指南
【依頼人】:アルバネーゼ道場
【詳細】:師範代怪我による一時的な剣術指南。テストあり。
【ランク】:黒5
【数】:―――
【報酬】:20銀
【期限】:7
【品質】:―――
「どう? これなら私でも出来そうだし、期限も七日だから日数的にも余裕があるわ」
「えっと、ナーサって剣術教えられるのか?」
「フフン、これでも実家では師範代とまでは行かなかったけど、結構な人数を指導していたんだからね」
意外な事実だった。
剣術に自信があって傭兵ギルドに入ったってことか。
「ナーサは剣術に自信があるのね」
「はいっ!」
エーヴィの問いかけにナーサは勢いよく応え得意気に微笑む。だが、対照的にエーヴィは困った様子で顔を曇らせた。
「でも、残念だけどこの依頼はあまりオススメ出来ないわ」
「えっ……?」
「このアルバネーゼ道場はそれなりに名の知れた所よ。門下生にもギルドメンバーが多数いるわ。あまり口にしたくはないけれど、どれだけ剣術の腕前があっても茶タグのあなたでは門前払いを食うでしょうね。人族にとってプライドの問題は大きいもの」
「あっ……」
エーヴィに諭されナーサは途端にしょげ返る。
「あら、そんなに落ち込まないで。剣術に自信があるなら、この依頼なんてどうかしら?」
「えっ、なんですか?」
「ゲッ……それは!」
そう言ってエーヴィが見せて来たのは、見慣れた強制ミッションの文字が入った依頼書であった。
そういえばエーヴィはギルドの幹部なんだ。
そりゃあ、薦めてくるのはこの手の依頼に決まってる。
――なぜ彼女の声で傭兵どもが雲の子を散らすようにいなくなったのかよくわかった。厄介ごとを押し付けられる前に退散したんだ。
【内容】:決闘の代理人(強制依頼)
【依頼人】:マッシモ=アルベルティーニ
【詳細】:ミルコ=タソッティの用意する代理人たちとの決闘
【ランク】:白3
【数】:―――
【報酬】:5金貨
【期限】:0
【品質】:―――
……しかもなんだこの内容は。
「決闘ってなんだよ! それに、期限ゼロって今日これからってことか?!」
「あら、ナーサは剣術に自信があるのでしょう? さすがに私一人で行くのは大変だからお願いしたいの。今日一日で終わるし、あなたにも都合が良いでしょう?」
「私の事も全部お見通しだったってわけですね。まあ、当たり前か。ギルドマスター補佐官だし」
口では文句を言っていたが、ナーサの顔には笑みさえ浮かんでいた。
「おいおい、マジか? 強制ミッションなんだから、いくらすぐ終わるったって何があるかわからな――」
「自信がないならカトルは付いて来なくていいわ」
「なっ……!? 大体、茶タグのお前だけでどうやってこの依頼受けるんだよ」
「あら、それは大丈夫よ。私の付き添いってことにすれば問題ないわ。報酬は職員価格に落ちるけれど依頼の達成数にはカウントされるから安心して」
「カトルは女将さんの店で待ってなさい。だって、あなたは魔法が得意なんでしょう? この街で戦うのはさすがに厳しいわ」
「……はっ?」
俺が魔法得意って、どんな謎理論だ。
あまりの事にしばらく呆けてしまったよ。
「魔法が得意って誰情報だよ」
「えっ、だって女将さんから部屋で普通に魔法を使ってたって聞いたわよ」
「ったく、俺は剣の方が得意なの!」
そう言って俺はエーヴィから強制ミッションの依頼書をふんだくる。
「俺が受ければ正規の報酬が貰えるんだろ? どうせやるなら俺が受けるよ」
そのまま俺は自分の黒タグをエーヴィに手渡した。それを見た彼女は一瞬目を見張るが、すぐ口元に笑みを浮かべて手続きをし始める。
「助かったわ。ただ、私も仕事を抜ける気満々だったから、気晴らしに見物するけれどいいかしら?」
「幹部が公然とサボりって」
「失礼ね。見届け役と言って欲しいわ」
そして急造パーティとなった俺たち三人はエーヴィの道案内で依頼人に会うべくギルドを出た。
途中、一階にたむろしていた連中がまた俺たちに絡んでこようとしたが、エーヴィの顔を見てギョッとなりこそこそ逃げ出していったのは少し気分が晴れた。
次回は8月23日までに更新予定です。