プロローグ
8月22日誤字脱字等修正しました。
大陸の東側で一、二を争う有数の大都市カルミネは大河川テーヴェレ川中流域の穀倉地帯から発展を遂げた城塞都市であった。やや小高い丘に建てられた王城を中心に二重三重に城壁が敷設され、最外層は総延長40キロにも達する。それだけ大きな都市だから城壁の外は肥沃な土壌を基にした田畑が広がっており、市民は皆基本的には城壁の中で生活を営んでいた。
夜に城外を出歩く者の姿はほとんどない。
唯一例外があるとすれば、夕刻で城門が閉まる為、到着が夜半になってしまった行商人らしきグループのテントが点在する程度だ。
そんな場所に赤い髪を振り乱し息も絶え絶えな様子で若者が転がり込んでくれば、騒然とするのも当然であった。
城門の前が騒がしくなったことで城壁の一区画の扉が開き、中から衛兵が出てくる。
「どうした? 騒がしいぞ。開門時間まで大人しく待てないのか!」
深青の特徴的な色合いの鎧を纏い、大剣をこれ見よがしに振りかざす姿はかなり高圧的な態度であった。だが騒いでいた面々には効果があったようで、反抗的な態度を取る者もなく大人しく引き上げていく。
「ったく、こっちは眠いんだ。騒ぎを起こすなら朝の開門時間になってからにしてくれ」
そう吐き捨てると衛兵は舌打ちしながら城壁の中へ戻っていく。
「あんた、大丈夫かい?」
誰も居なくなったの見計らって、近くにいた年配の女性が声を掛けてくれる。
「ああ、何とか。……ありがとう」
「間に合ってよかったよ」
この女性はさきほど俺が倒れこんで騒然とした時、咄嗟に毛布を掛けて衛兵の目を誤魔化してくれた人だ。あの衛兵の態度だと最悪捕まって牢屋に入れられてた可能性もあったから彼女の機転は本当に助かった。
「どうしたんだい、そんなボロボロになるまで走って。盗賊にでも会ったかい?」
「ああ、そんなとこ」
「こんな王都の近くでかい? また物騒になってきたねえ」
「ずっと走ってきたからそんなに近くじゃないよ」
嘘は言っていない。だけど、走ってきたというのは少々胡散臭かったかもしれない。
「災難だったねえ。ティロールの方から来たのかい?」
ジロリと値踏みされているように見られ、俺は苦笑いを浮かべる。
「リスドだよ。街道の途中で襲われて馬で逃げてきたんだ。森の中で振り落とされちゃって、そこからはもう死に物狂いさ」
「ありゃ、まあ。それは大変だったねえ」
少しだけ疑いの眼差しが和らいだ気がした。少し脚色したけど、これならもう大丈夫だろう。
「悪いけど、疲れたから……休ませてもらってもいい?」
「ああ、ゆっくり眠りな。なんなら明日の朝までその毛布を使ってくれていいよ、嬢ちゃん」
「……いや、俺は……おと……」
安堵から急激に襲ってきた眠気に耐え切れず意識が分断される。最後になんとか目覚まし魔法だけは掛けて、俺はそのまま深い眠りへと落ちていった。
―――
「嬢ちゃん、嬢ちゃん、起きた起きた。開門するよ」
「……う、ううう」
俺は目覚まし魔法が頭の中で鳴り響く中、昨日の年配の女性にゆさゆさ揺らされてなんとか目を開けて起き上がった。
まだ頭がボーっとして半分寝ているような感覚が残っていたが、それでも轟音と共に開かれる城門を見てようやくここがどこなのか認識する。
「入城審査は6時からだ。一列に並び順番を待て」
城門を空けた衛兵が大声で周囲に伝えると、先を争うように人々が並び始めた。
「ほらっ、嬢ちゃんも並ばないと、どんどん待たされるよっ!」
彼女は有無を言わせず俺の腕をもの凄い力で掴むと、急いで列の後ろに付く。お節介なんだけど、その気持ちがとても嬉しい。
「ありがとう。……でも、一つだけ訂正させてくれ」
「なんだい」
「俺はおとこだ」
「そうかいそうかい……えええっっっ?!」
やたらと大げさに驚いてくれたこの女性はオルネッラ=トリエステ。カルミネ西地区にある雑貨屋トリエスタンを営む女主人とのことだ。
「まさか美男子さんだったとはねえ。はぁ、驚いた」
「俺はオルネッラの腕力に驚いたよ」
「ふふっ。この商売、ここが頼りだからねえ」
そう言ってオルネッラは二の腕に力こぶを作る。
「カトルは傭兵なんだね。なら是非贔屓にしておくれ。まとめ買いしてくれたら少しくらい割り引いて上げるからさ」
「ありがとう」
結構話し好きなようで、ともすればまだ眠気が襲ってくる今の俺にはすこぶるありがたい。
あ、そうだ、ついでに聞いておこう。
「サーニャ=ミロシュの店ってわかる?」
「ああ、最近帰ってきたミロシュさんとこの酒場だね。知ってるよ、それは――」
そんな話をしていたら、ドン、という音が鳴り響き、ようやく審査が開始されたようだった。衛兵が出てきて列の先頭の者から城門の内側へと順番に呼ばれ始める。
「あたしゃ、どうにも鉄石って奴が苦手でね。何だか身体がぞわぞわってなっちまってむず痒くなるんだよ」
オルネッラが愚痴をこぼしていると衛兵に呼ばれ彼女の番になった。
「じゃあ今度店においで。朱色の屋根が目印さ。待ってるよ」
手を振ってオルネッラに別れを告げると、俺もすぐ違う衛兵に呼ばれ城壁内の反対側の部屋へ導かれた。
「では鉄石で調べさせてもらおう」
何人かの衛兵に囲まれながら、俺は緊張した面持ちでいつものように鉄石に手をかざした。
名前:【カトル=チェスター】
年齢:【19】
種族:【人族】
性別:【男】
出身:【大陸外孤島】
レベル:【13】
体力:【113】
魔力:【125】
魔法:【火属6】【水属7】【土属6】【風属8】【特殊14】
スキル:【剣術75】【槍術11】
カルマ:【なし】
魔法とスキル以外は詐称の魔法を掛けたわけだが、魔法レベルの伸びには驚きを隠せない。
だが、じっくり結果を眺め見ている場合ではなくなっていた。鉄石の数値を見ていた衛兵たちにどよめきが起こったのである。
「なっ、何だ貴様の魔力の高さは!? まさかシュテフェンの魔道師ギルドの手先ではあるまいな」
「そんなわけあるか! 魔道具を使わないで地道に修練を重ねた成果なのに」
「魔道具を使わず……?! いや、島出身ならありえるか。……凄い、女王の言葉通りだとは」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
俺は努力の証明とばかりにリスドで受け取ったばかりの鉄のタグを鎧の下から提示する。
「ほらっ、修練の成果がこのタグだよ。めちゃくちゃ頑張ったんだ」
「こ、これは失礼した。まさか黒タグを持つ傭兵だったとは……。君も人が悪い。それならそうと最初に教えてくれれば良かったのに」
黒タグを提示すると衛兵の態度がコロッと変わった。ちょっとは影響あるかなと思って出したのだが効果抜群である。
「俺も黒タグになったばかりなんだけど、これってそんなに凄いものなの?」
「はは、さすがに黒タグになれるほどの傭兵ギルドの実力者を魔道師ギルドの手先呼ばわりはしないさ。こんな状況になる前から二つのギルドの仲の悪さは折り紙付きだからな」
そう言って衛兵は打って変わって和やかに城内へ送り出してくれた。俺も手を振り笑顔を返しつつ城門を抜けると、衛兵の姿が見えなくなるや大きな溜め息を吐く。
――まさか詐称した魔力で詰問されるとは思ってなかった。
焦って少し声が裏返ってしまった。咄嗟に言い訳したが、少し怪しかったかもしれない。
嘘を付いてるわけじゃないけど、それでも詐称を使っている以上、どこか後ろめたいのはもはや一生付きまとうんだろう。
「ふぅっ……」
俺はもう一度大きく息を吐くと気持ちを入れ替えて目の前に広がるカルミネの城下町を見渡した。
カルミネの街並みはリスドと異なり雑然としていて入り組んだ迷路のようになっていた。一応大きな通りはいくつかあるのだが繁華街というわけでもなく住宅と店が連なっており、さらにクネクネと右に左に曲がっていて方向感覚が失われてしまう。
「オルネッラに聞いといて良かった……」
自分の勘だけで進んでいたら間違いなく迷っていただろう。当然街中で探知魔法なんか使えないので、サーニャの店を見つけるだけで一日が終わっていたかもしれない。
オルネッラによれば南側の大通りを進み二層目の城門の手前にサーニャの店があるとのことだった。だがその大通りが曲者で、敵に攻め込まれた際に進軍を遅くするべくわざと入り組んで敷設されており、あっちこっちに折れ曲がることで通る人の感覚を狂わせているらしい。
ただそこでわき道に逸れようものなら無秩序に建てられたさらに迷いやすい住宅の密集地に出てしまうので、結局時間がかかるように思えても通り沿いに進むのが一番早いとのことだった。
「それがわかっていたとしても道が長いのに変わりはない、か」
大体1時間も歩けば着くとの事だったが、今の俺には結構辛い。睡眠時間が足りないせいで身体がフラフラしていた。朝の6時を過ぎたばかりで人通りがまばらなのは幸いだったが、それでもたまに凄い勢いで馬車が走り去っていくのでぼんやりしているとぶつかりそうになる。
しかも困った事に、民家の至るところから朝食のおいしそうな匂いがプンプン漂い、すきっ腹をこれでもかと刺激して来るのだ。
「はぁ……腹減った……」
いつもなら一日食べないだけでここまで空腹を感じることはない。それだけ昨晩は無茶しすぎたってことなんだろうけど、油断すると本当にその辺で倒れそうなくらいもうヘロヘロな状況であった。
「確かこの辺りのはずだよな……」
やっとの事で二層目の城門前に辿り着くと、俺はきょろきょろ辺りを確認し始めた。だが、なかなかそれらしき店の外観は見つからない。
そう言えばサーニャの店は夕方から夜の営業なのでこんな朝から開いているはずない――。
と、そこまで考えて、ここはカルミネなんだからリスドの時と店の外観が違う事にようやく気が付く。
俺はもう一度今度はニの門の手前からそれらしき店が無いか一軒ずつ見ていくことにした。傍から見れば不審な行動に映るだろうけど、倒れる寸前の俺に四の五の言っている余裕は無い。
「おっ、あった! よかった……」
見据える先には年季の入った造りの一軒の店があった。正面の扉は閉まっていたが、窓から覗き込むと酒場らしきテーブルが並んでおり、その上にリスドでも見かけた店の看板が無造作に置いてある。
「サーニャは、まだこの時間だと寝てるかな……?」
俺はそう呟くとわき道から裏手に回り、薄暗い路地に入り込む。そこには空の酒瓶と、それに倍する数の酒樽が山のように詰まれていた。
「誰?! お客さんならこっちはダメよ。それに、まだ営業時間じゃないからまた後で来て――」
その、久しぶりに聞く声に俺は思わず相好を崩してしまう。
声の主を見れば間違いない、少し眠そうであったがサーニャ本人であった。
だがサーニャにはちょうど陽光が重なって俺の顔が見づらかったらしい。腰にかけていた剣の鞘だけが反射し、訝しげな表情をさらに強張らせている。
「な、な、何の用よ。そんな剣で脅そうってったってそうはいかないんだから!」
「何の用ってひどいな、サーニャ。久しぶりの再会だけど、もう俺の顔忘れちゃったの?」
「えっ……? その声――」
サーニャは眩しそうに目を細めながら、まだおっかなびっくりにそろりそろりと近づいてくる。
「あーっ! やっぱりカトレーヌじゃないの!!」
「だーっ、その名前で呼ぶな!!」
だが、そんな俺の叫びもなんのその、興奮のあまりぎゅっと抱きついてくる勢いに思わずそのまま倒れこんでしまった。
「いたたた」
「あはは、大丈夫? カトレーヌ」
「だからカトレーヌじゃないって――」
「ほんとに、めちゃくちゃ心配したんだから! リスドで叛乱があったって聞いて、でもここじゃどうしようもなくって、そのうち入国制限がかかったとかで情報も入らなくなって」
「サーニャ……」
俺に抱きついたままサーニャは少し泣いていたのかもしれない。そんな彼女の気持ちに心が温かくなる。
「ああ、ごめんね。つい嬉しくて押し倒しちゃった」
「心配してくれてありがと。叛乱は結構あっさりなんとかなったんだ」
「あら、そうだったの」
「てか……そろそろ重いからどいてくれ」
「なっ! 重いなんて失礼ねっ!」
ようやくサーニャは起き上がると、少し乱れた髪をかきあげる。
俺も立ち上がって腰に掛かっていた剣鞘を外して手に持った。ふと視線を感じて振り返るとサーニャが溜息を付きながらこちらを見ている。
「何だかカトレーヌ、少し背が伸びた?」
「えっ? いやどうだろ。……って、カトレーヌじゃない、カトルだ!」
「何言ってるのよ、カトレーヌはカトレーヌじゃない。またうちで看板娘として働いてくれるんでしょ?」
「何でそうなる?!」
「それで、今日は泊まって行くんでしょうね? 今日までどんな風だったかたっぷり話を聞かせてもらうから覚悟しといて」
有無を言わせぬ口調で、サーニャは微笑みながら俺の行動の指針を決定してしまう。
だが、見知らぬ土地で知り合いの家に泊めてもらえるというのは非常に心強かった。彼女の気遣いに自然と笑みがこぼれる。
「とりあえず二階の奥に開いている部屋がたくさんあるからどれでも好きなの使って。ちょっと散らかっているけど適当に片付けてくれれば大丈夫だから」
そう言いながら、ようやく裏路地に来た自分の仕事を思い出したのか、サーニャは急いで酒瓶を厨房に運ぼうとする。
「あ、それ俺がやるよ」
「そう? 力仕事は助かるわ」
「それで、何か忙しそうな所に頼むのはあれなんだけど……」
「あら、なーに?」
サーニャがきょとんとした顔つきでこちらに向き直った瞬間、ぐぅううというなんとも威勢のいい腹の虫の音が厨房に響き渡った。
「いや、飯を作ってくれないかな……。昨日の昼から何も食べてなくて正直倒れそうで……」
「おいおい、もしかして感動の再会の主要因は飯をたかりに来ただけって言うんじゃないでしょうね」
そう軽口を叩きながらも、サーニャは優しく微笑んで俺を出迎えてくれるのだった。
次回は8月15日までに更新予定です。




