第三十九話 寝坊は大損の元
7月20日誤字脱字等修正しました。
「……む、うーん……」
寝返りを打って、少しだけまどろむ。
久しぶりにゆったりとした朝だった。それこそ、誰にも邪魔されないことを考えれば孤島に居るとき以来だ。
手足をうんと伸ばしても全く落ちそうにないベッドも、心地よい風が流れる寝室も、遠くの方から少しだけ誰かの声が響いてくるものの基本静かで優雅な環境も、全てが最高の安らぎを演出してくれている。
「……う、ふわぁあ、あ」
大きく欠伸をして、俺はようやくまどろみから目を開いた。カーテンの隙間から強い陽光が輝いており、日が昇って結構な時間が経っていることを悟る。
「……ん?」
ちょっと待て。俺は昨日、何やってたんだっけ?
「うわっ、しまった!!」
自分の失態に気付き、身体にかかっていたタオルケットを思わず蹴り上げて飛び起きる。
「今、何時……! って12時過ぎ?!」
もはや何もかも遅い。
昨日アルフォンソと一緒に王宮へ集う貴族たちとの会議に出るとヴィオラに伝えていたのに、その時間はとっくに過ぎ去ってもはや昼食すら終わる時間であった。
「何でこうなった?」
こういう時こそ落ち着いて、よく考えてみよう。
確かフアンの馬鹿に温泉を勧められて、いざ行ってみたら脱衣所の前にロベルタら女性陣が複数たむろっていたんだよな。だから慌てて踵を返して、途中で会ったフアンをいけにえに自室に戻って、それから……。
「熟睡魔法を試した――!」
だんだん、昨夜の状況を思い出してくる。
俺は温泉に入ろうと仮眠のテストも兼ねて熟睡魔法を試したんだ。
魔法は上手く行った。以前までは想像することさえ出来なかった熟睡魔法が、ラドンのレッスンによって前から使えていたかのように手に馴染んだのをはっきり覚えている。
そのまま俺自身に魔法を展開して……、そこから記憶がない――。
あれ?
そうだよ、何で熟睡魔法が上手く行ったのに、俺は夜中に起きれなかったんだ?
「ううう、風呂に入りたい」
今は引いているとはいえ、昨日動き回ったお陰で大量に掻いた汗のべたべたするような感覚が残っていてなんとも嫌な感じだ。洗浄魔法と乾燥魔法で済ましても良いけど、せっかく入れる機会があるのなら風呂に入る方が断然良い。それが温泉とあればなおさらだ。
だが、きっとアルフォンソやヴィオラは俺の事を待っているだろう。特にヴィオラはかんかんになって怒ってそうだ。
「……この際、何時間遅れても同じか?」
そんな考えが少しだけ過ぎるが、寝坊した挙句のんびり温泉につかっていたなんてバレたらどれだけどやされるかわからない。
「混浴なんて聞いてないっての。さすがに入れないよ」
なぜロベルタたちが入るような場所を俺に勧めてきたのか、そこはフアンに小一時間問い詰めたいところだ。
まあ、あんな時間まで彼女たちが風呂に入っていないとは思ってなかったのかもしれないが。
そんなわけで渋々洗浄魔法と乾燥魔法を掛け、出来るだけ早く王の間に行こうと部屋の扉に手を掛けた俺は、同時に響いて来た冷ややかな声に縮み上がった。
「カ、ト、ル、くん?」
「は、はいっ……?!」
「今朝はとってもよく眠れたようで」
「おかげさまで……すみません」
なんと部屋のすぐ目の前に少し呆れた表情のヴィオラが佇んでいたのだ。まさか彼女がこんな所で待っているなんて思いもよらず俺は顔面蒼白になる。
「あ、あの……。看破の魔法の件はどうなって……?」
「ああ、それなら平気よ。あの偉大なる魔法使い様に全部やらせているからね」
「……えっ?」
渋い顔のヴィオラに連れられて王の間に足を運ぶと、そこには幾分疲れ気味ながらも偉そうな態度は崩さずにひたすら魔法を掛け続けているラドンの姿があった。
「わしに尻拭いをさせるとは……! やってくれたな、小僧」
「いや、もう本当にごめんなさい」
「む……。素直に謝る所は鬼のレヴィアとは違い好感が持てるところだが」
ラドンがまた何かよからぬことを口走っていたが、そこはスルーしよう。
でも感知魔法にたかが看破が加わっただけで、なんでこんなに疲弊しているんだ?
「くっ、小僧め……。少しばかり鑑定魔法を使えるからと言って舐めた口を利きおるわ」
ラドンによれば、何の指標もないままに看破魔法を使った場合、とんでもない魔力を費やすことになるらしい。鑑定魔法があればその数値を基準に出来るのだが、鑑定魔法の習熟をサボっていたラドンはまるで雲を掴むかのような感覚で闇雲に看破を使うしかなかったとのこと。確かに、そんなんじゃいくら魔力があっても足りないわけだ。
「この代償は高くつくぞ、小僧……!」
「でも、そんなにきついなら起こしてくれれば良かったじゃん」
「いくら起こしてもビクともしなかった筋金入りの居眠り小僧が何を言っておる!」
「えっ?! ちょっと待った。起こしに来てくれたの?」
「そうよ。カトルくんをいくら起こしても――それこそ、そこの偉大なる魔法使い様の目覚めの魔法でさえ全く反応しなかったのよ。あまりの効き目の無さに呆然としていたのがちょっと可笑しかったわね」
そう言って、ラドンの顔を見ながら思い出したようにヴィオラは笑い出した。それを苦々しい表情で見ながらラドンは眉を顰める。
「小僧、おぬし熟睡魔法を使ったな? そして熟睡魔法だけしか使わなかったな?」
「? どういうこと?」
「くはっ……。おぬし、本当に長老から魔法を教わったのか? 熟睡魔法だけ使えばただ熟睡して眠りが深くなるだけではないか」
えっ? ラドンが何を言いたいのかさっぱりわからない。
熟睡魔法は眠りを深くして短時間で疲れを取り睡眠を少なく出来る魔法なんじゃないのか?
だがそれを伝えるとラドンは深く溜息を付いた。
「間違ってはおらん。だが、深い眠りで疲れが取れるまでずっと眠り続けることになる。小僧、おぬしは昨日ずっと魔法を使い続けておっただろう? その疲労が完全に回復するまで眠りこけていたということだ」
「なっ?!」
「普段より睡眠が長かった、ということは普段の眠りでは魔力が完全に回復していないのかもしれん。……おぬし、どれだけ魔力の使い方が下手なのだ。いや、たかが探知と看破と鑑定魔法如きでそれだけの魔力を費やせるのはもはや一つの才能だな。考えられん」
微妙に褒められているのか盛大にけなされているのか良く分からない言い草だった。俺はなんとも複雑な気分になりながら、一人頷いているラドンに何が間違いだったのか尋ねる。
「つまり、疲れている時は熟睡魔法だけじゃダメってこと?」
「そうだ。熟睡魔法の効き目が解けるよう魔力を調整するか、そのコントロールが無理であれば目覚まし魔法を使え」
そんなもの当たり前ではないか、とラドンが白い目で俺を見る。いやでもそれ誰にも教わっていないはず……なんだけど、ユミス辺りに聞いたらじいちゃんの授業でしっかり習ったとか言われそうだ。
うーん。
完全に俺のミスか。
とりあえず俺は平謝りして、ラドンに魔力のコントロールと目覚まし魔法について教えてもらう。
目覚まし魔法は熟睡魔法に比べるととても簡単な魔法だった。ただ試しに使ってみるとちょっとした刺激を受けるだけなのが気掛かりだ。……本当にこんなんで熟睡魔法の深い眠りから起きれるのか心配になる。
「魔法の系統としては時魔法に類する。だが万人が使いこなせるであろう簡単な魔法だ。……フン、道理で小僧がネボスケなはずだ。日々有限なる時間を無為にさせる行為を推奨した長老の腹づもりが理解できんわい」
ラドンは呆れ半分、怒り半分といった感じでブツブツと呟いている。
「……と、ところで今どんな感じなの?」
「そうね。キミが寝てる間もとても順調に事は推移したわ。今は昨日受けた依頼の関係者を集めてアルフォンソ様が協議しているところよ」
「えっと、それって」
「昨日の予定では、魔道師ギルドに使者を立てた後、リカルド=レンテリアを中心とした下位貴族を集めた会議にかなりの時間がかかるはず、と思っていたのだけれど、案外とんとん拍子に進んだの」
ヴィオラによると、下位貴族を集めた貴族と王の間の契約についての重要な話し合いは、ギルドを含めた都市が契約を請け負うということでまとまりを見せた。下位貴族が傭兵ギルドなどに寄せられる困難な依頼の解決に尽力し、ギルド側もより高額な報奨の用意する。それによってギルド側は慢性的に不足していた有能な人材の確保にめどが立ち、貴族側も能力があれば生活の困窮からは抜け出せることとなった。
王はその仲介をすればいい。
「ギルドに組するのは貴族にとってプライド的に許されないんでしょうが、王を仲立ちにして組織立って行動するのは矜持を保てると言う事ね。あの子じゃないけど、貴族なんて面倒くさい生き物よ」
話し合い自体はものの1時間弱で終わり、リカルド=レンテリアが連れてきた貴族の中に昨日受けた依頼の主が複数存在したことで、早速実験的に依頼解決の取り組みをアルフォンソが中心になって今行っているところだという。
「じゃあ、この話し合いが終わればアルフォンソは灰タグにランクアップ出来るってこと?」
「そうね。さっき午前中の会議に参加していない依頼の当事者連中も来たから、もうすぐ終わるわ。良かったわね、カトルくん。果報は寝て待てを体現できて」
ヴィオラがここぞとばかりに皮肉をぶつけてくる。もう俺としては平謝りするしかないのだが、笑顔が垣間見えることからそこまで怒っていないのかもしれない。
「まあ、あの馬鹿に比べれば昨日の疲れで休んでいただけのカトルくんは百倍マシよ」
「……えっ、と? あの馬鹿って――?」
俺はそしてようやく気付いた。
この場にフアンがいないことに。
「あの、フアンは……?」
「さ・あ・ね! どこをほっつき歩いているんだか、ほんっとにあの馬鹿は!」
一気にヒートアップするヴィオラは、フアンを容赦なく罵る。まあ実際、昨日フアン自身が言った通りこの場に居ても何の役にも立たなかったんだろうけど、本当にサボる所がフアンの馬鹿たるゆえんだろう。
「本当はわしも休めるはずだったのだ。少なくとも小僧、昼食はおぬしの奢りで何か馳走せい。とりあえずそれくらいで許してやろう」
「……了解。ほんとすみませんでした」
俺はラドンにもう一度謝り、その後はアルフォンソを中心に活発な意見の交換がなされる円卓会議を眺めていた。
―――
「それで、結局フアンの奴はどこに行ったかわからないと」
「さっきまでは貴族街の屋敷に居たと思ったんだけど、突然、探知魔法で探せなくなった」
「ふむう……。小僧の探知魔法から逃れるとなると、なかなかに手ごわいな」
「いえ、その場所が、ですね。アルフォンソ様が褒賞を与えたラウルの屋敷で間違いないかと」
「ほう、なるほど。あの女か。それならば致し方あるまい。小僧の探知魔法などかき消されるであろうな」
「問題は、探知魔法をかき消してまでどこをほっつき歩いているのか、ということよ!」
無事アルフォンソたちの話し合いが終わり、依頼も全て解決を見たところでギルドへ報告する事になったのだが、そんな時間になってもフアンは全く現れる気配がなかった。
「本当にあの子は、どこに行っているのでしょうね」
「皆様には申し訳ありません」
アルフォンソの隣で微笑んでいるロベルタの表情が怖い。アデリナも眼鏡の奥の目が笑っていないので後でフアンは二人にみっちり絞られるのだろう。完全に自業自得だ。
昼間から、ラウルと二人でフアンが行きそうな場所……。
やめよう。考えるだけアホらしい。
フアンが色々被ってくれたおかげで盛大に寝坊した件がある程度寛大に許されたことに感謝しつつ、明日こそは寝坊しないと心に誓うのであった。
次回は7月15日までには更新予定です。




