第二十六話 ロベルタ無双
7月8日誤字脱字等修正しました。
俺たちが合流して二時間あまりの時が経った。
「いったん休憩にしましょう」
そのロベルタの言葉で多くの者が大きく吐息をつき王座の間から退席していく。かく言う俺も疲労困憊であった。
「こんなに会議ってどうしようもないものなのか」
「そうだろ、そうだろ。お前もようやく貴族がいかにどうしようもない生き物なのかわかったか!」
俺が思わず漏らした一言を逃さず聞きつけたフアンに後ろから肩を叩かれる。
「その筆頭が貴様ではないか、フアン」
「およ? お兄様がなんか言ってますな」
「フアン、貴様! その気色の悪い言い方をやめんか」
「しゃーねえだろ! 非常に遺憾ながら俺はお前の義弟になるんだからよ」
何だか二人とも荒れてるな。まあ、俺より三時間も長くこんな会議に参加してれば無理もないけど。
実際の所、会議は紛糾しなかった。堂々巡りを繰り返しているだけなのだ。それぞれが言いたい事だけを言う。折り合おうともしなければ、さりとて強行に主張するわけでもない。
こんなに疲弊するだけの無駄な時間は他にないだろう。正直、ロベルタが休憩にしてくれて助かった。あれ以上あの空間にいたらおかしくなりそうだ。
逆に、よく俺が不参加だった三時間でアルフォンソとロベルタの婚儀が決まったもんだ。貴族の理屈は全然わからない。
「本当に何だってこんなことになったの?」
「大体の事は理解できますけれど、それは私にも説明して欲しいですね」
いつの間にやってきたのか、俺に連なってロベルタも眉を顰めながら二人に詰めよる。
「げっ……姉ちゃん、俺は関係ない、関係ないんです。アルに聞いて」
「なっ!? フアン、貴様! それではまるで僕が全部仕組んだみたいではないか!」
「アルは姉ちゃんと婚約したんだろ? だったらアルが全ての責任を取るべきだ」
ここまで醜い押し付け合いも珍しい。先ほどまで輝いていたアルフォンソの姿はすでに無く、ロベルタの剣幕におろおろしながら醜態をさらしまくっていた。
「若……!」
そこに頭を抱えながらアデリナがやってくる。
「ロベルタ様と婚約してこの体たらくでどうするのです! フアンもフアンです。二人とももっとしゃんとしなさい!」
「「は、はいぃい!」」
「まったく、だらしないよねー若。フアンもだけど。二人ともこんなんじゃ、アデリナもロベルタも大変だねー」
「……っ!」
テオが腕組みしながらうんうん頷いているのを二人が殺意のこもった瞳で睨む。
「そもそもの発端はベルムード様の発言からでした」
アデリナが状況をまとめるべく説明してくれた。
俺たちが突然追われる身となったあの日、いち早く危険を察した次男ベルムードは王妃ムニアを伴い、三貴族の一つカストリア家に逃げ込んだ。カストリア家は王妃ムニアの実家であり、その実弟が現当主フェルナンド=カストリアである。アラゴン家同様叛乱に反対の立場を強行に貫いたのも当然で、もう一つの三貴族レオン家と謀って港を完全封鎖したことが状況をかなり優位に傾かせた。
叛乱を裏で操っていたのは魔道師ギルドで、その本拠はカルミネのさらに北東に位置する大陸東海岸の都市シュテフェンである。もし、三貴族の足並みが乱れていたら容易に海からの侵入を許してもはや取り返しのつかない事態になっていただろう。それを防いだのがベルムードの機転であった。
「ですが、ベルムード様はすべてを諦めていたそうです」
「あきらめていた?」
「そもそもベルムード様に逃げるよう指示を出されたのがマウレガート様でした」
「――!?」
長男マウレガートはやはりあの部屋で幽閉されたままだった。
半年前ファウストの甘言に乗ったのは彼だったが、「その代償は自分の人生だけでは足りなかった」と涙も枯れた声で話したという。
フルエーラ王はその翌日に誅殺された。
息子の不始末を取った格好だが、すでにその時点でベルムードは父王の死を確信し絶望していた。フェルナンドから何度も反撃の主として立ち上がるよう促されたが一向に首を縦に振らなかったそうだ。
だからこそアルフォンソが立ち上がり一気に叛乱を治めたことでベルムードは宣言した。次期王はアルフォンソしかいないと。
そうなると後ろ盾を模索するのが貴族である。だが、アルフォンソの母、王妃ムニアはカストリア家の出で、祖母アドシンダはレオン家の出であった。つまり釣り合いを考えたとしてもアルフォンソの要望を聞いたとしても、次代の王妃はアラゴン家から出すしかない――ロベルタしかいなかったのだ。
「ただそうなると現当主にして商会を切り盛りするロベルタ様がアラゴン家からいなくなり、せっかくの有力な後ろ盾も意味をなさなくなります」
「そこでなぜ俺みたいな傭兵にお鉢が回ってくるのかさっぱりわからんけどな」
「いえ、当たり前の理屈です。ロベルタ様の直系の一族はフアンしかいないのですから」
アデリナにそう諭されフアンは不満そうに口をすぼめる。
フアンとロベルタの父母はすでに他界していた。つまり唯一の直系であるフアンが当主の座に収まるのはもはや貴族としての義務であった。
ただフアンは貴族社会を毛嫌いして傭兵ギルドに入るような落ちこぼれ貴族だ。そんな人間を商会の会長兼当主に任せるのはあまりにも荷が重いと見なされたわけで、そこで浮上したのがアデリナとの婚約であった。
「私はレオン家の現当主ラミロ様から見れば姪に当たります。父がビマラーノ公の側近だった為、勘当状態ではありますが、私がアラゴンの家に入るのはレオン家にとって好都合ですし、カストリア家はベルムード様の失点で口を噤むしかありません」
「はぁ……、何だか凄い世界だな」
要は貴族たちの都合でこの二組の婚約が成立したということだった。そこに個人の見解は一切ない。まあ、アルフォンソやフアンは望んだ相手と結婚できるわけだから、他の貴族よりよほど幸せなのかもしれないが。
「まあ、そんなところでしょうね」
ロベルタは淡々とアデリナの説明を受け入れた。
「では改めて婚約を認めて頂けると!」
「はい。混乱を治めるには最善でしょう」
嬉しそうにアルフォンソは彼女の言葉に頷いて両手を握り締めた。そんな様子にフアンが呆れながら文句を言う。
「アルはそれで良いかもしれないけど、俺には青天の霹靂だぜ。何でなりたくもない当主をさせられて、しかも商会の会長とかせにゃならんのよ」
「貴様も往生際が悪いな」
「フアンはそんなに私との婚約が嫌なのですね」
「えっ……? いやいやいやいや、そんな滅相もない! アデリナさんと結婚出来るのは、このフアン一生の財産であります!」
「で、本音は? 愛の伝道師さん」
「そうなんだよ、カトル! 俺はアデリナさんを本気で口説きたかったんだ。何でこんななし崩し的になっちゃったんだ。これじゃあ、地位も名誉もくそくらえの燃え上がるような恋は出来ないじゃん!」
「肩書き無しだとフアンは一生結婚出来なそうだけどな」
「んだと、てめえ! いいか。よぉーく聞けよ! 男たるものすべてを捨ててでも女を奪いに行くくらいの根性見せないでどうするってんだ!」
「……おお!」
何だか、珍しく心に響いた。全てを捨ててでも好きな女に、というのはとても共感出来る。見ればアデリナの顔が若干赤くなっていた。
少しだけフアンを見直したよ。それだけアデリナを好きなんだな。
「でもこれで二度と女を口説けないってわけじゃあない。まだまだこの世界のどこかで素晴らしい出会いが待っているかもしれないんだ。それまで俺は愛の伝道師の名を返上するわけにはいかないぜ!」
いや、そこは返上しとこうよ……。何もかも台無しだ。
「フ・ア・ン!」
「げっ、姉ちゃん! 何をす――」
怒り顔のロベルタが問答無用でフアンの首根っこを掴まえズルズルと向こうへ引きずっていった。それを見たアルフォンソが若干顔色を青くしているが、まあ、あの二人は放っておこう。
「くっくっく、やはり出来損ないは出来損ないのようだ。これから大変だな、アラゴンは」
「アデリナの苦労は続くってこーと!」
フアンがロベルタに強烈な折檻を食らっていると、アルフォンソの所に見ない顔がやってきた。
日に焼けた褐色の肌をした二人の男たちはどことなく風貌が似ている。さきほどまでの会議にはいなかったはずだが。
「あれは?」
「アデリナ様にとって従兄弟にあたるレオン家の兄弟ね」
俺の疑問にヴィオラが小声で答えてくれる。
白地のシャツにエメラルドグリーンを基調とした涼しげな色合いの上着を羽織る気障っぽいのが兄のガルシア。対して背は俺より小さく首が隠れるほどのあごひげを蓄えているのが弟のオルドーニョだ。
特に弟のオルドーニョは、黒地のシャツに銀の胸当てを着込み、そこに目を引く真っ赤なストールを肩から前だけでなく後ろにもマントのようになびかせ、一際異彩を放っている。
「不本意ながらフアンは僕の義弟になる。出来損ないはやめてやってくれ」
「これはこれは確かにそうでしたな。いや失敬失敬。ですが、アラゴン商会が傾くと我らの交易にも悪影響が出ますゆえ。……そうですな、なんでしたら、弟のオルドーニョをアラゴン商会に派遣してやっても良いのですがね」
そのガルシアの発言にアデリナが唇を真一文字にして小刻みに震えだした。
――これは明らかに挑発だ。ロベルタの抜けるアラゴン商会をあわよくば牛耳ってしまおうという魂胆を隠そうともしない言動は、あまりに露骨過ぎて耳障りであった。何より従妹であるはずのアデリナの存在をまるで無視した物言いに俺でさえ少し苛立ちを覚える。
「我が不肖の弟ながら、その商才はロベルタ殿に勝るとも劣らない。さらには個としての剣術の腕前もある。この混乱の時代、隣国の猛威に負けない武を兼ね備える必要がありますからな」
そう言って弟のオルドーニョを見る。オルドーニョは不適な笑みを浮かべ肩を怒らせて見るからに威圧してくるが、この男がそこまで強いってことか?
……うーん、鑑定魔法を使うまでもなく、明らかにフアンの方が強そうだけど。
だが、俺がそれを言う前に穏やかな声が響き渡った。
「それはそうでしょう。魔道師ギルドに魔法の力で対抗するなどそう簡単には出来ませんもの」
いつの間にか、アルフォンソのそばにロベルタが戻っていた。そして彼の代わりにガルシアの前に立つ。
「おや、ロベルタ殿、弟君のしつけはもういいのか?」
「はい。お互い不肖の弟を持つと苦労しますね」
「なっ……」
ロベルタは笑みを絶やさずガルシアに話し掛けた。だが、その声にはいつもと違う色が混ざっているような気がする。
「ロベルタ、怒ってるわね」
隣のヴィオラからそんな呟きが聞こえてくる。やっぱりあれはそうなのか。いつものおっとりとした口調の中に若干トゲが混じっているような、そんな怖さを感じる。
「あら、私、何か驚かせてしまいましたでしょうか?」
「ぬ……、いやそんなことはない」
「それは良かったです。ラミロ殿にも宜しくお伝え下さい。姪御殿を弟の嫁に貰い受けたお礼をしなくてはなりませんので。お陰でアラゴン商会は安泰ですから」
「――!」
ロベルタは痛烈な皮肉でガルシアの軽口を黙らせる。
「あーあ、姉ちゃんに口でかなうわけないのに」
「フアン」
「姉ちゃんを本気で怒らせると怖えんだぜ。レオン兄弟なんか、交易商っつったってまだ付き添いの立場だろ。姉ちゃんは俺と大して年変わらないのに、この町一番のアラゴン商会の会長として海千山千の商人たちと日々渡り合ってるんだ。――役者が違えよ」
年齢も背丈もガルシアが上なのに、彼女の方がはるかに風格があった。その威厳に大男がたじろいでいるのは傍目からも容易にわかる。
でもそう考えるとロベルタと互角の交渉に持っていったサーニャやマリーもまた凄いのかもしれない。よく考えたらサーニャも王都カルミネで店を切り盛りしてたって言うし、マリーも一軍の将とか言ってたもんな。そんなマリーを手玉に取るレヴィアは……うん、考えないでおこう。
ロベルタは笑顔を絶やさないまま、あっさりガルシアを翻弄していた。
相手は日焼けした肌がこげ茶色に見えるほど怒り心頭の様子だったが、ほとんど何も言い返せず苛立ったまま向こうに行ってしまう。そんな兄の姿を呆然と見送ってから、オルドーニョは慌てて後ろについていった。
「大丈夫ですか、アデリナ様」
「はい、いえ、様は止めてください、ロベルタ様。あなたはもう若の大事な婚約者で、私の義姉なのですから」
「それならあなたも止めてくださいね、アデリナ」
「――! はい、ロベルタ」
二人は互いに呼び捨て合うと笑みを零した。その美しき姉妹愛に皆が微笑む。
だが、毎度のことながら空気を読まずぶち壊すのがラドンであった。
「やっと行ったか、鬱陶しい奴らだったわい。おぬしら少し話がある……と、その前に静寂魔法をかけるか」
そう言ってラドンは手のひらを上にかざした。
音魔法が得意と言うだけあって、レヴィアより精度も早さも比較にならない強力な障壁が周囲に張られる。事前に言われなかったら、何をされたかさえ気付かなかっただろう。
「よし、こんなものか」
「おい、魔法使い! 王宮でむやみに魔法を使ってもらっては困――」
「おぬしら、暢気にじゃれ合っている場合ではないぞ。まだ戦いは終わっとらんのだからな。ほれ、まだこの町の北方に危険分子が残っておる」
「……なっ?!」
――まだ終わっていない。その唐突な言葉に戦慄が走る。
そして皆の視線がラドンに集中するのであった。
次回は5月22日までに更新予定です。