第二十五話 貴族たちの裁定
7月7日誤字脱字等修正しました。
何だか、変だった。
久方ぶりに熟睡出来た俺はまだ完全に覚醒していない。寝心地の良い布団で快適な睡眠を享受している。
それなのにどうにも落ち着かなった。まるで誰かに眠りを邪魔されている、そんな気分の悪さだ。
「うーん」
俺はこれ以上起きたくなくて寝返りを打った。
このまどろみが心地良いんだ。本当は少しだけ包まるものがあると良いんだけど、初夏の陽気でそんなに肌寒くもないから我慢できる――。
…
……
……あれ?
そこまで思うに至り、やっと違和感に気が付いた。
やたら足元がすーすーするのだ。
確か昨日寝る時にアラゴン商会の従業員が使う長袖長ズボンの寝間着を借り受けたはず。それなのに、まるでズボンの裾が膝上まで捲くり上がっているかのような肌寒さを感じる。
「……っ」
俺は我慢できなくなって、不本意ながら薄目を開けることにした。
カーテンの隙間から太陽が顔を覗かせている。
だんだん意識がはっきりしてくるにつれて若干暑さを感じるようになった。窓が閉まっていて、部屋の温度が上がっているからだろう。着ている長袖が汗ばんでいる。
あ、でも何だか、この寝間着はすべすべで肌触りがいいな……。
……
――そんなばかな!
「――?! なんだこりゃあああ!!」
俺は驚きの余り飛び起きて、自分のとんでもない格好を二度見する。
白い、ふわふわふりふり。ドレスのようなワンピース――。
この肌触りの良さはどんな材質なんだろう? ……思わず思考があさっての方向に行ってしまう。
何で俺はこんな格好してるんだ?! 一体いつの間にこんなことになってんだ。
……サーニャの店で起きたあの悪夢がつぶさによみがえって来る。
落ち着け、落ち着け。
もうあの時の主犯三人はここにはいないんだ。
そう思って周りを見ると、昨日夜寝た部屋とは全く違う場所だった。ベッド自体は同じ作りなので、別の所に連れていかれたわけではなさそうだ。
「あら、起きたのね、カトレーヌ」
「ロベルタ――!」
扉の開かれた先に居たのは、サーニャの店で俺が着ていたウェイトレスの服をさらにドレスっぽく絢爛にした装いのロベルタであった。どう見ても、この前着ていた服よりフリフリ具合がパワーアップしている。もしかして、こういう服を作るのが趣味なんだろうか。
「あらあら、起きてもお似合いですわね」
「起きても?! って、寝てる時にこんな服着せたのって――!」
「私です」
なっ……! 平然と言いきったよ。
一体、何考えてんだ!
「でも仕方のないことなんですよ。男性の方が寝泊りした部屋は本来客間として使わなくてはならない部屋なのですから、カトレーヌをそのまま寝かせるわけには参りません」
「だからカトレーヌじゃないっての」
「そうなると女性部屋しか空いておりません。ですが――」
この人も話を聞かない人だな。
「女性部屋であのような男性用の寝間着のまま休まれても困ります。ですから、カトレーヌは私が密かに作り直した可愛い寝間着に着替えさせて頂きました。……うふふ、なんてお似合いなのかしら。うっとりしてしまいます。まるで天使が舞い降りたようです!」
「あのな、ロベルタ、一体何を――」
「最初にカトレーヌをひと目拝見した時から思っていたんです! ああ、なんて可憐な人なんでしょうって。これは絶対に私の衣装を着せてみたい……! その思いが一つ叶いました」
「だから俺は男だっての」
「何を言うのです?! こんなに可愛いのに、こんなに可愛いのに、そんな酷いことを言わないで下さい!」
これはヤバイ。頭の中で警鐘がものすごい勢いで鳴り出している。
完全に油断してた。ロベルタはあのフアンの姉なんだ!
「あの、俺そろそろ行かないと――」
「あ、それならここに用意した外出着に着替えると良いですわ」
そう言ってロベルタが出してきたのは、もう服なんだか装飾なんだか分からなくなるほどにコテコテのフリフリがたくさんついたピンクのドレスであった。
「いやあの、俺の昨日まで着てた服は?」
「それはとても汚れていたので洗濯して外に干してます」
「いや、それすぐ着るから!」
「ですが、まだ乾いていませんよ?」
「乾燥魔法ですぐ乾く!」
「……そうですか。でも、一度だけこの服を着てみませんか? きっとそれはもう神話の世界を再現できるくらい素敵な光景が広がるはずですよ」
「いや絶対に着ないから」
「それは……残念です。ですが、何かの機会にきっと……そうだ……」
ロベルタはあさっての方向を向いてぶつぶつと妖しげなことを呟き出した。
――ここは危険だ。このままここにいると、いつまた適当なことを言われてあのフリフリを着せられるかわかったものじゃない。
弟も弟だが、姉も大概だ。
早く自分の服を着て、みんなと合流し……って、あれ?
服は外に干してあるって……俺、この格好で外に出なきゃいけないの?!
「いくら何でもあんまりだ!」
サーニャの店でウェイトレスの格好をする羽目になって、もう二度と女の服なんか着ないと思っていたのに……悪夢だ。
これも全部あのバ火竜のいびきのせいだ。
俺は泣く泣く白のフリフリワンピース姿のまま外に出て自分の服を掻っ攫うと、すぐに乾燥魔法で乾かし始める。
行き交う人たちの視線がほぼ全て自分に集中するが、それは仕方ない。俺だってこの服ちょっと可愛いなって思ったくらいだし。
せっかく熟睡できたのになんだかもうヘトヘトだよ。
全く意識せず乾燥魔法を手足のように使えたことだけが収穫だった。
―――
ようやく着替え終わった俺はロベルタと共に王宮へ向かうことになった。さすがのロベルタも外だとさっきまでの変態モードは影をひそめるようで少し安心する。
「それにしても凄いな」
明るくなって破壊された壁を見ると、あのバ火竜がどれだけむちゃくちゃやったのかよく分かる。
そんな瓦礫の山を汗だくになって片付けている人たちを横目で見ながら、俺たちは新たに出来た支部と王宮を繋ぐ直通ルートを足早に歩いていった。やったのはラドンなんだが、心が痛むのは否定できない。
「ここに城門が出来ると楽でいいわね」
俺とは対照的にロベルタは暢気そうな感想を漏らした。
まあそれが普通だろう。あのバ火竜が起こした不始末とか余計な事を考えるからいけないんだ。
だいたいその当事者は王宮に居て、リスドの主要メンバーを集めた緊急会議に何食わぬ顔で参加している。
何でも各ギルドに主要三貴族も集まっているとのことで、その中に臆面もなく加わるラドンには正直恐れ入るばかりだ。まあ貴族だからと言って二の足を踏む俺が考えすぎなだけかもしれないけど。
「あの子はきちんとやっているかしら?」
そう言えばフアンがアラゴン家の代表として参加しているんだっけ。それならあまり尻込みしているのもおかしいか。
そんなことを考えながら王宮までやってくると、俺たちは最上級の敬礼を受けて部屋に案内されることになった。
「おお、ロベルタ様!」
どうやら俺じゃなく、隣のロベルタが敬われているらしい。どの者も平伏せんばかりの対応をしてくるのだが、やっぱり彼女は凄い人なんだろうか。にこにこ笑っている姿からはあまり想像出来ない。俺には今朝の出来事の方がよっぽど恐怖の記憶だ。
「凄い人気なんだね、ロベルタって」
「いえ、さすがにこの対応は私も驚いています」
驚いている表情など全く見せていないのだが、ロベルタによればどうやら王宮の様子がいつもと違うらしい。そう言えば、何だかありとあらゆる視線がこちらに向けられている気がする。
「どうしてしまったのでしょう?」
微笑みながらもロベルタは少しだけ戸惑いの言葉を零す。
果たして、その答えは俺たちが向かう先で一人立ち尽くすアルフォンソによって明かされたのであった。
「申し訳ない、ロベルタ殿」
玉座の間に続く扉の前に立っていたアルフォンソは、その言葉とは裏腹にロベルタの手を取って握り締めた。
「あら、どうしたのです? アルフォンソ様」
いつになく積極的なアルフォンソに初めてロベルタはその表情にかげりを見せる。だがそれで王子が引くことはなかった。
「是非とも引き受けて欲しい。僕にはあなたが絶対に必要なんだ」
そして扉に手を置くと、もう一度だけロベルタを見据えた。それを見た彼女は困ったような顔をして、ただすぐにニコリと笑みを浮かべた。
「それが貴族としての定めならば」
ゆっくりと二人の手で扉が開かれる。そしてすぐに多くの人々による喝采と祝福が二人を包み込んだ。
「どうなってるの?」
俺は何が起こったのかわからず、きょろきょろと周りを見渡した。大広間に置かれた大きな円卓を囲む三十人ほどの人たちが全員立ち上がって盛大な拍手を二人に送っている。
二人はそのまま手を取り合い、円卓を通り過ぎて誰も座っていない玉座の方へと歩みを進めていった。
二人の向かう先には何故か壇上に祭り上げられて複雑そうにしているフアンの姿があった。拍手をしてはいるのだがいつものお気楽な調子ではない。きっとあれは厄介ごとに巻き込まれているのだろう。だいたい、すぐ隣にアデリナがいるのに嬉しそうにしていないのがその証拠だ。
ちなみにアデリナはアルフォンソとロベルタを見て感涙にむせびながら大きな拍手を送っていた。彼女がこの場で一番感極まっていたかもしれない。
さきほどは少しだけ表情を曇らせたロベルタだったが、もうそんな様子は微塵も感じさせなかった。微笑みを絶やすことなく、アルフォンソに付き添い静々と歩いていく。
「ロベルタ様の付き添いご苦労様、カトル君」
「ロベルタ――様?」
扉の近くで所在無く立っていたら、ヴィオラが俺の所まで来てくれた。
だが彼女にしては他人行儀な呼び方だ。こういう場所での貴族に対する姿勢としてはそれが普通なのかもしれないけど、なんとなく嫌な感じがしてしまう。ネーレウスみたいにレヴィアに仕えているならともかく、親しい友人なのに王宮だと接し方を変えなくてはならないなんて、肩の凝る考え方だ。
そんな俺の戸惑いにヴィオラは珍しく彼女の嫌うレヴィアのような悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「アルフォンソ様とロベルタ様は婚約されたの。そしてアルフォンソ様は戴冠し王となるわ」
「……へっ?!」
俺は口をポカンと開けてロベルタとヴィオラの顔を交互に見やった。それがおかしかったのか、ヴィオラはくすくす笑いながらさらに衝撃的な真実を伝えてくる。
「ついでにフアンの奴も、アデリナ様と婚約しアラゴン家当主の座を引き継ぐことになったわ」
「……はぁあああ?! アデリナさんがフアンと?! 何をトチ狂ってそんな!」
俺があまりにも驚いたものだから、一瞬、部屋の歓喜の輪が収まり視線が集中する。
「てめ、カトル! 他人事だと思って!」
玉座の方からフアンの魂の叫びが響き渡った。……あれ? フアンの奴、アデリナさんアデリナさん言ってたわりに、実際に婚約するとなったら不満そうなんだけど。
「フアン、あなたは私とでは不服、ということですか?」
「なっ?! と、とんでもない! アデリナさんに不服なんてどこにもあるわけないじゃないですか!」
案の定、隣に居るアデリナに突っ込まれ、たじたじになっている。
「がっはっは、いい気味だ。フアンの奴は年貢の納め時だな。これで俺様の天下だ」
それを見てラウルが踏ん反り返りながら笑い声を上げた。
「ぬうう」
何か、妙なうめき声を上げるフアンだったが、すぐにアデリナに腕を抓られてまたペコペコ頭を下げている。……なるほど。あれが尻に敷かれると言うんだな。
そういやフアンはたくさんの女性にちやほやされたいんだっけ。それが婚約だなんてことになれば目移りしている場合じゃなくなるわけだ。愛の伝道師なんてアホなこと言ってたけど、名実共にそんな大層な名前は返上ってことか。
それに比べて、アルフォンソはいっそ清々しいほど一途であった。その隣でロベルタもまた笑みを絶やさないでいる。――俺に、自作のふりふりドレスを着せようと躍起になっていた女性と同一人物とは到底思えない。お似合いの二人に見えた。
でも王宮に来るまでそんな話は一切なかったのになあ。ロベルタも話を聞いてほんの少しだけ驚いた素振りをしていたし、きっと知らなかったはずだ。それなのに表面上は全く動揺を見せないどころか笑顔を振りまいているのだから凄い。
自分が同じ立場ならどうだっただろう。
「何だか、複雑だな」
「それが貴族なのだから仕方ないでしょう?」
思わず俺が漏らした言葉に、ヴィオラは苦笑しながら答えた。
やっぱり貴族なんて好んで関わるものではないな。
そして玉座にアルフォンソとロベルタが座るのを見て、一同円卓の席に着く。
「私としてはこれで一気に肩の荷が下りた気分よ」
「わしには理解できん習性だがな」
ヴィオラの隣に座っていたラドンが面白くもなさそうに呟く。
「だが、これでようやく会議は次へと進む。因果なものだ。建前、責任、誇り、それに続く圧倒的な欲望がすべてを飲み込む。わしはとっととこんな場所を離れて研究に勤しみたいものよ」
そして俺もまたラドンの隣の空いている席へ着席した。
ここまでの会議の所要時間は3時間半。
まだまだ会議は踊る――。
次回は5月19日までに更新予定です。




