第十話 別れの朝は壮絶に
6月6日誤字脱字等修正しました。
「はぁあああ!」
「……っ、くっ!」
俺は機先を制して剣を振るったのだが、それはマリーの予測の範疇であった。うまく腰の位置で回すように曲剣で薙ぎ払ってくる。その動きに慌てて剣で受け止めると、そのまま二歩三歩と後ろへ下がった。
「もう攻撃を繰り出すことに躊躇はないみたいだな」
「……っ、お陰様でねっ!」
実際はまだおっかなびっくりだけど、マリー相手に動きを隠す必要はない。ここにはレヴィアしかいないから思い切って行ける。
だが、そんな俺の動きにマリーはほんの少しずれただけですぐに合わせてきた。
「……これって、あの【終焉なき強化】ってやつ?!」
「まさか! そんなものを使っていたら、すぐに倒れてしまう」
「これが普通の身体強化? ……くっ! それにしちゃ、凄い強化な気がするんだけど」
「ただの身体強化ではカトルに敵わないからな。これは速さに特化した敏捷強化だ」
俺が曲剣をかわすタイミングでマリーは二の太刀を振るってくる。それを剣で受け流そうとするも、独特の曲剣の形がそれを容易にさせてくれない。これが剣術に魔法を掛け合わせた技だとすれば、やはりマリーの技術は侮れない。
「さすが、マリーね」
戦いを見守るレヴィアから賞賛の声が聞こえる。最初は速攻に出て主導権を握ろうと思ったが、もはや完全に後手に回ってしまった。それからはマリーの猛攻を俺が受け流すという前回と同じ構図である。
どう考えてもまずいのは明白だ。ただでさえ真剣で動きが鋭くなっているところに、この敏捷強化である。
「そらっ! そらっ! そらっ! そらっ!」
「……うっ、くっ!」
マリーの気合の声とともに左右からの素早い攻撃が雨あられのように降り注ぐ。厄介なのは彼女の声と攻撃のテンポが違う所だ。微妙にずらしてくるあたりとても嫌らしい。
これがマリーの本気か。
一対一に特化していると思っていたが、これほど強いとは……!
俺が横に逃げてもすぐに死角から剣を振り下ろしてくるし、前に出ようとしても、素早い薙ぎでなかなか攻撃の糸口を掴ませてくれない。
「私はあの日、カトルに敗れてからずっと思っていたんだ。真剣で全力をもって戦いたいと! 本当に今、最高の気分だ!」
「そうか、よっ! 俺は結構しんどくなってきた」
「ふふふっ、このまま終わってくれるなよ。もっと私を楽しませてくれ!」
さらに、マリーの踏み込みが苛烈さを増してくる。
俺はその全てを捌ききるべく必死で左右に逃げながら剣を振るうのだが、マリーの曲剣は受けたと思えば柔らかく逃げ、捌こうとすると重く力強い。
「なるほど……。これはマリーに一日の長がありそうね」
「レヴィ! 助太刀はダメだぞ」
一瞬、攻撃が緩んだかと思えば、マリーはレヴィアに対して不服そうに叫ぶ。
「アドバイスもダメかい?」
「ダ・メ・だ!」
「見ているこちらとしては非常に歯がゆくてね。苛立ちを覚えるほどよ」
えっ、どういうこと?
レヴィアが俺にアドバイスって、何か足りないものがあるってことか。
「……っ! 一気に行くぞ。はぁあああ!」
「ちっ!」
俺が何か考えようとするのを見て、間髪入れずマリーが攻めてきた。
勢いのある斬撃を素早く受け流すと、そのまま右へ飛ぶ。マリーは空を切った勢いで少しよろけるが、すぐに体勢を立て直すと再び攻撃を繰り出してきた。
「――あっ!」
俺はそれを同じように受け流そうとして、打撃に重さが無いことに気が付いた。
――完全にマリーの緩急に翻弄された!
そのわずかに出来た隙を付くように右側から横薙ぎの一撃が襲い掛かる。俺はそれを柄近くで何とか押さえるものの、さすがに受けた場所が悪い。そのままマリーの勢いに押され、後ろに下がらざるを得なくなった。
「――くっ!」
俺はそのまま右に避けようとして、さっきも右から横薙ぎの一撃が来たのを思い出し、咄嗟に左へと回転しながら回り込んだ。
空を切る曲剣の音が虚しく響き、俺は自分の判断が正しかった事を知る。
「ふぅ……ふぅ……」
「……あれ?」
そこから連続的な攻撃にくるかと思いきや、なぜかマリーは俺を追わずいったん攻めの手を緩めた。かなり形勢が悪いと覚悟していたのだが、滴り落ちる汗を拭っている彼女を見て少し安堵を覚える。
――マリーはずっと敏捷強化を使い続けているんだ。戦いが長引けば魔力の少ない彼女はそれだけ不利になる。このまま粘れば俺の勝ちは揺るがないだろう。
「持久戦でキミが勝つのは分かりきっているでしょう。ダ・メ・よ。もう夜遅いのだから、早く決着をつけなさい」
俺の考えを読んだのか、レヴィアが痛烈にダメ出ししてくる。
一瞬、それもまともな戦略だろうという考えが脳裏を過ぎったが、汗だくで肩で息をしているマリーを見てそんな考えは吹き飛んだ。
本気のマリーに立ち向かわないで何の為の模擬戦だ。
すぐにマリーへと剣先を向け攻撃態勢を整える。
「……ありがたい。私も残りの魔力の全てを費やして全力でぶつからせてもらう」
マリーが俺の姿勢に礼を述べてくる。
「マリーの全力に立ち向かう機会を自分から捨てるような野暮な事はしないよ!」
「格好付けて負けないようにね」
「レヴィア、うるさい!」
俺の邪険な声に氷の微笑を浮かべるレヴィアを無視して再びマリーと対峙する。
……しかし、どうやって攻めよう。
よく考えたら、俺は攻撃を自分からするのは苦手なんだよな。相手の隙を突くのは出来るけど、それも自分の運動能力を当てにしたものだ。敏捷強化を掛けているマリー相手に優位性は無いに等しい。
だいたい、さっきのマリーの攻撃は危なかった。あれはフェイントだったのだろうか? 全く力感が乗っていない斬撃を受け流すことに失敗し、かえって体勢を崩したところを右から攻められた。
俺もあんなふうに攻めることが出来たら良かったんだけど。
こういう駆け引きみたいな攻撃は、じいちゃん全くなかったもんなあ……。
常に全力、常に渾身の一撃。
力量が同じ相手なら、マリーのように強弱織り交ぜて、隙が出来たところに必殺の一撃を繰り出した方が勝ちに繋がるってことか。
それなら全ての攻撃を捌くのではなく、あえて隙を作るっていうのも一つの手なのかもな。
いろいろ試してみよう。こういうのは模擬戦だからこそ出来るんだ。試すには最高の相手だしね。
「むっ……?」
マリーが何かに気付いたのか、一度構えた前傾姿勢を解いて俺の動きを注視する。わずかな手足の動きの差異だけでわかるものなのか。
「どうやら私が何も言わなくても気付いたみたいね」
若干のインターバルに、レヴィアがマリーに話しかける。
「何も、じゃないぞ! さっきのレヴィの言葉のせいでカトルの動きが明らかに変わった。せっかく私は互角の戦いを楽しんでいたというのに」
「ごめんなさい、マリー。可愛い弟の成長にはテコ入れしたくなるものよ。それにね――」
そう言って、レヴィアは悪戯っぽく笑った。
「こんなもので終わってしまったら、楽しくないでしょう? 特にキミ。本当の戦いになったら、一対一の戦いにはならないよ。相手には常に、こんな風に味方からの援護射撃が来るわけだからね」
レヴィアは何事か念じると、マリーに向けて青白い炎を送り込む。
「強化魔法ね。他にも重力削減魔法に、精神高揚魔法も掛けておいたよ」
「なっ……!」
マリーの全身から魔力の渦が沸き立つのが見える。そのありえない効能の重ね掛けは、明らかに敏捷強化を上回る凄まじい力を彼女にもたらした。
「おお、おおお――!」
マリーもこんなにも援護魔法を受けた経験は初めてなのか戸惑いを隠せないようだった。逆に動きがぎこちなくなって愛剣を恐る恐る振りかざしている。
「ちょっ、レヴィア! さすがに酷くないか?」
圧倒的な力を手にしたマリーを前に、俺はレヴィアに文句をたれる。だが飛んできたのは予想外の一喝であった。
「本来、前衛の役目たるマリーにはこの程度の援護は当然かかるよ。キミはそれに対抗する力を手にする必要があるのでしょう?」
「……っ!」
「この先には一対一すらありえない――複数対キミ一人という戦場が訪れるかもしれない。その時、泣き言を言っても誰も助けてはくれないよ。キミが自分で打開して活路を見出さなくては守るべきものを守れない、そんな時が必ずやってくるわ」
それは厳しい現実を見据えたレヴィアなりの檄であった。――だが、このレヴィアの言葉こそがまさに今後起こりうる現実なんだ。俺はじいちゃんとの修業に比べてぬるさを感じていた自分を見つめ返す。
確かにマリーの攻撃は素早く、俺はたじたじになっていた。だがそこに、じいちゃんが繰り出すような死の恐怖を感じる一撃は皆無だ。
――俺は知らず知らずのうちにそのぬるま湯のような感覚に浸っていたのかもしれない。
この恐怖への反応こそ孤島で培った技量であり、一瞬の隙も見せられないぎりぎりの戦いに対する力の表れなんだ。
俺は全ての意識をマリーの挙動に集中する。いつ、どんな攻撃が来ようとも迎え撃たなくてはならない。それが出来ないときに待つのは俺自身の終わりか、守るべき者の死だ――。
「ふぅ、やっとね」
「これが、本当のカトルか……!」
レヴィアは感嘆の声をあげ、マリーは息を呑む。
だが、二人の挙動は視界に映らなかった。意識をそこに持っていくなどありえない。
――次の一撃を捉える。俺にあるのはそれだけだ。
「どうする、マリー? やっとあなたが待ち望んでいた戦いが味わえそうよ」
「……ああ。正直、レヴィの援護射撃は過剰だと憤っていたんだが――とんでもない誤解だった」
「明日からの事を考えるとやめさせたい所だけれど……マリーはやめないでしょう?」
「もちろんだ! 本当に、この湧き上がる力を制御出来ない自分がもどかしい!」
「骨は拾ってあげるわ、マリー。あなたにとっても素晴らしい経験になるでしょうから」
「ここまで来たら全てをこの一撃に託すさ。後の事はレヴィに丸投げだな」
「酷いじゃないか、マリー。……これではいつもと立場が逆になってしまったね」
「ふふ、たまにはいいだろう? では行くぞ」
そしてマリーが全力で突撃して来る――!
「アンリミテッドォブーストォォォ!」
「来いっ! マリィィィ!!」
―――
その時の衝撃は深夜の一等地にくまなく響き渡ったそうだ。
そして報告を受けて翌朝一番でやってきたトム爺さんは、地下二階の惨状を見てしばらく呆然と立ち尽くしていた。
その様子を見ていたレヴィアの表情が清々した感じだったのは正直どうかと思ったが、良く考えれば普段の行為がアレだったのでトム爺さんに同情の余地は無いのかもしれない。
屋敷をトム爺さんに任せると、レヴィアとマリーと俺はそのままサーニャの待つアラゴン商会本店へと向かった。
俺たちが着く頃にはサーニャの準備はほぼ完了していた。
レヴィアはもちろん、マリーの持ち物もいたって簡素なものだったので、出発までは時間を要さず、あっという間に別れの時を迎えることになる。
「それで結局、マリーのスキルはどうだったの?」
俺が気になったので問いかけるとマリーは嬉しそうに応えてくれた。
「よくぞ聞いてくれた。凄いぞ。なんと5つも剣術のレベルが上がったんだ!」
この辺り何がどういう基準でレベルが決まっているのか毎回怪しく思えてくる。ただ、実際のレベルが上がって喜んでいるマリーに水を差したくない。それだけ昨日の戦いは苛烈を極めた。
最後の衝突は予想だにしない結果となった。
やはり“終焉なき強化”は凄まじく、ほとんど反応出来ないまま致命傷を回避するので精一杯だった。それだけマリーの奥義は烈しいものであり、まさにじいちゃんと対峙する時と同じ恐怖を感じたのである。
だが、マリーの曲剣は俺が咄嗟に掲げた剣との衝撃に耐え切れず粉々に砕け散ってしまった。防具も同様でちょっと触れただけなのにあっさり粉微塵となり、慌てて俺はマリーを抱きかかえたのだが、受けた衝撃もろとも壁へふっ飛ばされる羽目になる。
「魔法の重ね掛けに素材が耐え切れなかったのね」
レヴィアは暢気にそう嘯いていたが、今考えると彼女は最初から今回の結末が見えていたんだろう。それほどにあの時のマリーの攻撃は凄絶であった。
それにしても、あの瞬間の攻防は鳥肌ものだった。
間違いなくマリーの攻撃はじいちゃんの振り下ろす剣撃よりも速かった。俺の反応が少しでも遅ければ大打撃を食らっていたに違いない。ただそれはマリーにも言えるわけで、俺の咄嗟の返しに彼女が上手く反応できたかどうかはなんとも言えないところだ。
いずれにせよ、あの勢いの中では寸止めなど出来るはずもなく、お互いギリギリの所でせめぎ合っていた。そう考えれば武器や防具が砕けただけで済んで良かったのかもしれない。
まあ、よく考えると結局レヴィアの手の上で踊らされていたんだから、何かもんもんするんだよな……。別に今の結果に不満があるわけじゃないけど、なんとなく気持ちがかき乱されてしまう。
「次、戦う時は魔法に耐えうる装備を整えてからだな」
マリーが笑顔で話しかけてきた。
どうやらマリーは俺と違ってあまり気にしていないらしい。それどころかもう次を考える前向きさは見習いたいものだ。
「それで、キミ。昨日の熟睡魔法は参考になったかな?」
「お陰様でぐっすり寝れたよ」
「違う! キミが使いこなすのよ。スッキリ起きれたようで何よりだけれどね」
戦いの後、マリーは【終焉なき強化】の影響で全く動けず、俺に抱きかかえられたまま寝てしまった。俺はと言うと、壁に激突して結構なダメージを受けていたのだが立ち上がれないということもなく、よたよたとレヴィアの所までマリーを抱えて行った。
その時レヴィアがニヤリとほくそ笑んで「最後の修行ね」と熟睡魔法を放ってきたのである。
そりゃあ、確かにどんなふうに魔力を展開するのか参考にしたかったけど、さすがにあの時は心身ともにズタボロでとても観察する余裕は無かった。というか、熟睡魔法をもろに食らってあっという間に深い眠りに落ちてしまったのである。
「私が帰るまでに出来るようになるといいね」
そう言ってレヴィアはニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
――くっそー! あれは絶対に出来っこないと思っている顔だ。確かにその通りなんだけどさ!
というか、昨日感じただけじゃどうやったらいいのか皆目見当もつかない。皮肉たっぷりの言葉に俺は少しだけ苛立ちを覚えたが、こんな旅立ちの時に怒るのも野暮だろう。
「じゃあな、カトル。私はお前に出会えて本当に良かった。きっとまた会おう。そしてその時はもう一度再戦だな!」
「マリーと戦うんじゃなくて、マリーと共同して戦う方がいいよ」
「私とカトルでか? 誰が相手をしてくれるんだ?」
「それこそレヴィアでいいじゃん」
「なっ!」
レヴィアが素っ頓狂な声をあげたので皆が相好を崩す。
「キミ、後で覚えておくがいい」という怖い声が聞こえたがきっと明日になれば忘れていると信じたい。
「カトル、いろいろとありがとう。今度カルミネに来るのよね? 首をながーくして待ってるからね!」
サーニャからも別れの言葉をもらい、少しだけ熱いものがこみ上げて来る。
「ああ。きっと行くから、その時はまたご馳走してくれ!」
「店でまたカトレーヌとして働いてくれたらいくらでもご馳走してあげるわ」
「ええっ?! それはもう勘弁してよ」
俺の心からの叫びにみんなの笑い声がこだまする。
「それじゃあ、行きましょうか」
サーニャの言葉に皆頷くと用意された荷馬車の中に乗り込んで行った。
「マリー、元気で」
「カトルもな!」
最後に残ったマリーがぎゅっと抱きついてくる。
そのぬくもりを忘れないように、俺も彼女を抱き返した。
「ラヴェンナで待っている――」
後ろ髪を引かれる思いで俺はマリーから離れた。
そして、彼女たちが北門から去っていくのを大きく手を振りながらいつまでも眺めているのだった。
次回は3月28日までに更新予定です。