第二話 境界島のレヴィア
1月26日誤字脱字等修正しました
5月5日サブタイトル、および誤字等修正
「少し南へ旋回するぞ」
長老はなぜかまっすぐ大陸に向かおうとはせず、速度を落としながら海面すれすれを南へと方向転換した。
かなり暗くなってきてなかなか目視するのは難しかったが、どうやら長老が降り立つことが出来る程度の小さな島がある。
そこには一つ、明かりが見えていた。
大陸からはかなり離れた僻地の島だったが、それでも誰か住んでいるものがいるのだろう。
島の海岸へ辿り着くと、長老は音も立てず砂浜にゆるりと着地する。
そして竜人化の秘法を使い人族と同じ姿になると、魔法で取り出した服装を着込み、明かりの方へと歩き始めた。
「なんで大陸に行かないの?」
「この島は人族との境界じゃからな。わしは誓約によりこれより先へは竜の姿では進めん」
「えっ……」
「ふぉっふぉっふぉっ、心配するでない。さすがに人族の風習もわからぬお前をこのまま一人で大陸に向かわせるようなことはない。ほれ、見よ」
長老が指す方向を見ると、一人の女がこちらに向かって陽気に手を振りつつ近付いてくる。
あわてて俺は鑑定魔法を展開した。この辺は長老に徹底された決まりごとの一つだ。
名前:【レヴィア=ラハブ】
年齢:【22】
種族:【竜人】
カルマ:【なし】
今の俺がわかる最大限の情報がこの四つ。
まだ修練が足りず、最近ようやく一番重要な【カルマ】の情報がわかるようになったばかりだ。
長老クラスになると、もはや逆にわからないことがないらしいが。
それにしてもユミスネリア以外の人族と会うのは初めてで新鮮――と思ったら竜人かよ。
暗がりでわからなかったが近付いてきたレヴィアは悪戯っぽい笑みを俺に向けてきていた。
絶対わざとだ。
何がわざとかと言えば、種族が【竜人】になっているところだ。
種族を隠したり偽ったりすることは魔法が苦手な俺でも出来る。ちなみにそれを見破るには看破の魔法を会得しなければならないわけだが、残念ながら俺にそんな高等技術はない。
彼女は俺が魔法を苦手としていることをわかってて、からかう為にあえて偽ることもなく見せびらかしているのだろう。
だって、そうじゃなきゃ年齢を詐称する意味がない。
俺の誕生は竜族の中で何百年ぶりの出来事なんだから。
年だけめちゃくちゃさば読んで若く見られるようにして何の得が――。
「何か失礼なことを考えていそうだね、キミ?」
「いえ、滅相もない。はじめまして。カトル=チェスターです」
「おっと。これはご丁寧な挨拶痛み入るよ。私はレヴィア。よろしく」
レヴィアはそう言って腰まである長い黒髪を左手で掻き分けながら握手をしてきた。その仕草に俺は違和感を拭えずマジマジと見つめる。
なんていうか、孤島で暮らす竜族とは明らかに一線を画しているんだ。
服の装いからして全く違う。
純然たる白と透き通る蒼が交わったワンピースを優雅に着こなし、その胸元には特徴的なオーバルカットの宝石が淡いスカーレットの色合いで鮮やかに煌いている。そして、黒髪の映える装いの下はすらりとした足を見せつけ裸足のままだ。ただ、砂地なのでそこまで違和感はなく、かえって妖艶さを醸し出している。
まさに長老に聞いていた外見を重視する人族の印象そのものだ。
「あ、それとね。長老が教えたんでしょうけど、今時、鑑定魔法をいきなりかけるのはかなり失礼、というかもはや無礼な行為だから、街中で使うのはやめなさい」
「ええっ?!」
「少なくとも魔法を使ったことが私にバレないレベルに達するまではね。今は鉄石と言って、その者の能力を見通すことが出来る魔石が出回り始めてるのよ。だから、町の中は総じて安全になったの。それなのに人に向かって鑑定魔法を掛けようものなら、喧嘩くらいじゃ済まされないわ」
「ほう……今はそのようなモノがあるのか」
長老が目を細めている。驚いているのをごまかしている時の癖だ。
いや、ちょっと待ってほしい。
俺が鑑定魔法に費やしたこの歳月はいったい何だったんだ?
めちゃくちゃ苦労したんだけど。
「わしが4、5年くらい前に出向いた時はなかったはずじゃが」
「それがですね、長老。三年前に北のラティウム連邦とアルヴヘイムの間で交易が始まりまして」
「ほう。いつの間に人族とエルフ族は和解したんじゃ?」
俺がもの凄く不機嫌そうにしている傍らで、長老とレヴィアはよくわからない話で盛り上がっている。
だが、睨んでいるのがわかったのかレヴィアは笑ってフォローしてくれた。
「鉄石は人族ではまだ造れないからそれなりに貴重よ。だから、鑑定魔法を磨いて損はないわ。むしろ鉄石では見通せないことも多いし、何より早く力を極めたいなら、鑑定魔法を使いこなせないと話にならないわけだしね」
鑑定魔法を使いこなせると、現在の自身の能力の限界を悟ることが出来る。そして何を重点的に鍛えれば良いのか、どんな力を伸ばすことが出来るのか、はっきりと確認出来るようになる……らしい。
俺は当然そんな域に達していないのでさっぱりわからないのだが、長老もレヴィアもそう言うのだから間違いないのだろう。
数千年と生きているような人生の先達は、間違いなく自分の達していない高みが見えているのだから。
「キミはまた失礼なことを考えていないかい?」
「とんでもない」
「何か勘違いしているようだけど、私は人族に換算すると22歳よ! よく覚えておきなさい」
換算……?
いや、余計なことを聞くのはやめよう。
竜族と人族を比べてしまうと、俺は1歳に満たないことになる。
それはそれで何か悔しい。
「まあよい。そういう齟齬をなくす為にレヴィアの下に連れて来たのじゃからな。それより、わしも今日はさすがにくたびれた。一晩泊まって行くぞ」
「長老をおもてなしするのは光栄の至りですわ。カトルもいらっしゃい。腕によりをかけた海の幸をご馳走するわ」
レヴィアの手招きに応じ、長老と俺はその後についてゆく。
そして砂浜から少し歩いた先にあった、なかなか豪勢な屋敷にたどり着いた。
遠くから見たときの明かりは、ここから漏れていたようだ。
「さあ入って。いつ同胞が来ても大丈夫なように備えてあるから」
レヴィアの言葉に従って屋敷に入ると、執事服に身を包んだ老紳士とメイド服の女性が三人、俺たちをにこやかに出迎えた。
大きな屋敷だったのでレヴィア一人ではないと思ったが、いざ他に人がいると居住まいを正してしまう。
だが、出迎えの四人の姿を前にほぼ硬直している俺を見て、レヴィアは笑いを堪えきれない様子だった。
「安心なさい。彼らも皆、人族ではなく私の優秀な眷属よ。オーケアニデス族のものたち。思慮深く、戦う力を持ち、何より美しい」
「もったいないお言葉」
「あら、本当のことよ。励みになさい」
年配である執事の言葉に、レヴィアは屋敷の主人たる風格で接する。
それに執事以下四名は恭しく頭を下げると、俺たちを食堂へと案内してくれた。
「おおっ!」
そこには海の幸の他に、孤島では全く見たことがない料理が所狭しと並んでいた。
「これらは人族の食べ物じゃ。彼らは竜族と違って、とても味にうるさい。特に調味料へのこだわりが生半可ではないのじゃ。――美味じゃぞ! わしはこれが楽しみで何年かに一度は大陸へ来ることにしているんじゃ」
嘘か真か長老がとんでもないことをのたまう。信じられないくらいテンションが高い。
「ううむ、うまいのう!」
俺は唖然として舌鼓を打っている長老を見ていた。
孤島に居たときとは何か別の生き物のようだ。
「お気に召して何よりです。眷属たちには日々精進するよう言い聞かせております」
「うむ。うむ」
長老があまりにも美味しそうに食べるもんだから、俺もとにかく目の前の肉料理に手をつける。
おそらくイノシシか何かの肉だろう。薄くスライスされて、香ばしい匂いが漂っている。そこに新鮮な緑の野菜が添えられており、見た目も非常に鮮やかだ。
黒いゴマのようなものがふんだんに使われているが、たぶんゴマじゃない。
――黒胡椒だ。
そもそも孤島では手に入らないので胡椒の料理なんて極稀にじいちゃんが食べさせてくれただけ。
……これはきっと美味しいんだろうな。
しかも今日は何も食べていないから、空腹という最高の調味料付きだ。
でも、今、食べて判断するのは何か違うような気もする。何でもおいしく食べられそうだしね。
まあいっか、とりあえず一口。
「うーまーいーーーー!!!!」
いろんなこと考えてましたが、全部ふっとびました。
これはうまい。
間違いなく今まで食べた中で最高級だ。
なんだこの味は?!
うまいのに、歯ごたえもあって、しかも口の中でとろける。
えっ?! 人族はこんなに美味しいものを毎日食べているのか?
……ありえん。
ありえないのは人族の暮らしではなく、孤島での暮らしだ。
そりゃあ、孤島から出て行った同胞が戻ってこないのも頷ける。
まずは孤島の食卓事情を解決することが必須だろ。
俺が何も言わず凄まじい勢いでテーブルの上にあった料理を平らげていくのを見て、レヴィアが生暖かい視線を浴びせてくる。
ふと目が合ったときにここぞとばかりニヤニヤ笑われ、俺はむせ返った。
くっそー。何か悔しいけど、よく考えたら長年生きてる長老だってこの料理を食べにここまで来るくらいだしな。
これが人族の食へのこだわりか。
正直言って、感銘を受けた。
衝撃と言ってもいい。
この三年、長老から人族の生活の中で違和感なく過ごせるよういろいろ学んできたが、料理の勉強も取り入れた方がいいかもしれない。
―――
あれだけあった料理の全てを食べつくし、完全に食べすぎで一歩も動けなくなった俺はしばらくテーブルに突っ伏すことになった。長老は少々酒を嗜んだ後、寝室に案内されてもう姿は見えない。
今ここにいるのは俺とレヴィアだけだ。
他のオーケアニデス族の者たちもテーブルをきれいに片付けた後、奥に下がっている。
「長老に遠話で事情は聞いているよ。最果てに流れ着いたあの女王様に会いに行きたいのよね」
レヴィアの前にはワイングラスがおかれていた。それを嗜みつつ彼女は俺に興味深々な様子で話しかけてくる。
「――でも。幼馴染のそばに居たいっていう気持ちは、とてもいいわ。感動しちゃう。ってゆーか、もう、超かわいい!」
酒の勢いなのか、聞いていてこそばゆい気持ちになるようなセリフが次々と聞こえてくる。
彼女も顔が若干赤いのだが、今の俺はその倍くらい真っ赤だろう。
「ただ、いかんせん、キミ。弱いわ」
「ぐ……」
「人族の中に入ればそれなりに強い部類に入るのでしょうけど……。キミはねえ、竜族のたからものなの。特に長老のお気に入り。その自覚はある?」
酔っ払いは答えられないことをずけずけと聞いてくる。しかも答えを求めているわけじゃなく、こちらの反応を上から目線で楽しんでいるだけだからたちが悪い。
「孤島に居たんだから大陸の常識がないのはフォローして上げられるけど、いざ何かが起こったときに、キミ一人じゃ最悪人族に殺されかねない。どうやら自覚はあるようだから、そこは救いだけどね」
あまりにずけずけと言われるが正論過ぎてぐうの音も出ない。
「……ただ、これだけははっきり言っておくわ。キミにね、万が一はありえない。その時はすべての生きとし生けるものが滅びに向かう時よ」
俺は、背筋が凍るのを感じた。
レヴィアの目が鋭さを増す。
「その時は、キミがあの女王を殺すのよ」