第八話 研ぎ澄まされた感覚
6月3日誤字脱字等修正しました。
3月22日、地下二階スペースについてのギルドマスターの言葉を追記しました
その晩、じいちゃんとネーレウスが境界島へと戻っていった。オーケアニデス族のメイドさんたちも一緒である。マリーがはらはらと涙を流しながらじいちゃんに別れの挨拶をしていたのが印象的だった。
……誕生会で飲みまくっていたから、まだ酒が抜けていないだけという噂もあるが。
じいちゃんもマリーのことを相当気に入ったのであろう、またリスドの町に来たときはレヴィアを通じて境界島まで来るよう口にしていた。
「船があれば参ります!」
そう言って少しおっかなびっくりだったマリーが皆から笑われる。
「仕方ないだろう? あんな経験は二度としたくないんだ」
「そういえば、船を使わなかったんだっけ。結局聞きそびれていたけど、どんな感じだったの?」
「おお! 聞いてくれ、カトル。本当にレヴィは酷いんだ!」
酔っ払ったマリーの勢いは止まる気配がなかった。レヴィアがやれやれ、といった様子で静寂魔法を掛ける。ギルドの面々は本部に戻っていたし、サーニャが酔い潰れていたのは幸いだった。
「行きはまだ良かったんだ。森の南の入り江まで船を用意してもらえたからな」
それでもオーケアニデス族たちが本領を発揮しとんでもない速さで境界島を目指したので、船酔いで心身ともに打ちのめされたらしい。
翌日には境界島に到着したというから、俺が大陸に来た時と比べても単純計算で倍のスピードだ。それは惨い航海だったというのが想像に難くない。
だが、それでもマリーに言わせれば数倍マシなことだった。
「問題は帰りだ。時間がないとレヴィは私を海に突き落とし、身体強化で強化した海の民に全力で引っ張らせることで、まるで魚のように海の中を猛スピードで突っ切らせたんだ!」
「待って。その言い方だと私が何もしなかったように聞こえるわ。ちゃんと魔法で息は出来るようにしたし、水の抵抗も極限まで減らしたでしょう?」
「そういう問題か? 夜の海は、月明かりがあったとは言え、暗くて何も見えなかったんだぞ。不覚にも恐怖を覚えてしまった。人は大地を離れては生きていけないんだ」
「昼間なら良かったのね」
「ち・が・う!」
レヴィアのやることには慣れてきたつもりだったけど、さすがに夜の海に突き落として、オーケアニデス族に無理やり引っ張らせるという発想はなかった。
……悪魔の所業だな。
「その後、私はヤム様を伴って港からこっそりと町に入ったんだが、海水の汚れを洗い流さずに乾燥魔法だけ使ったのは失敗だった。お陰で頭の先からつま先まで雪でも被ったようになってしまってな」
「マリーは洗浄魔法を使えないものね」
「わ、私だって練習はしているんだぞ。そもそも四元素を全て使いこなすのは難しいんだ」
「おお!」
話の途中で俺が思わず声をあげたものだから二人を驚かせてしまった。訝しげに見つめられ、あわてて取り繕う。
「いや、本当に洗浄魔法は苦労したから、マリーの言葉にめちゃくちゃ共感しちゃってさ」
「なっ?! その言い方だとカトルは出来るようになったのか?」
「うーん。正直微妙だけど、水被るよりはマシになってきた」
「おお! 凄いじゃないか!」
「本当かキミ。一回、この酔っ払いに試してみてくれないか?」
「ちょっ、ひどいぞ! レヴィ」
まさかレヴィアにまで驚かれるとは思わなかった。じいちゃんは特に何も伝えてなかったのか、何も言わずにこにこ微笑んでいる。
「わしはそろそろ行くぞ。カトルよ。少ししか見てやれんかったが、熟睡魔法を使えるよう日々精進するがよい」
「わかった。ありがとう、じいちゃん」
「後の事はレヴィアに任せる。ではの」
ネーレウスが恭しくお礼をするのを合図に二人が店から去っていく。それを見送ってから、二人の視線が俺に集中した。
「キミ! 一体どういうことだい? 熟睡魔法なんて、いつの間にそんな高位の複合魔法を――!」
「いやいや、まだ全然だって。だいたいレヴィアなら鑑定魔法でいつでも調べられるだろ?」
「ふむ。では遠慮なくかけるよ」
あれ? 今まではそんなこと言わなかったのに。と思っていたら薄い粘膜のようなものが身体中を覆い始める。
俺はなんとなく嫌な感覚に襲われ、それを振り払った。
「キミ! それじゃあ調べられないでしょう」
「えっ、今のが鑑定魔法だったの?」
俺の驚きの声に、レヴィアは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「ヤム様がほんの数日関わっただけでこの状況というのは、私としては少し悔しいね。キミは鑑定魔法の魔力なんて今まで気付きもしなかったでしょう?」
「う、ん」
気付くどころかレヴィアが俺の事をわかるのは当然とまで思っていた。やっぱり魔法である程度調べていたのね。
あれ? じゃあ俺の心を読んだように話していたのも……?
「キミはよからぬことを考えるとすぐそうやって顔に出るからね」
「なっ……?!」
思ったことが顔に出るというのは本当だったのか。隣でマリーもくすくす笑っている。
「……コホン」
気を取り直して、もう一度レヴィアに鑑定魔法を掛けてもらうことにした。なんだかくすぐったいような、全てを見透かされるようななんとも微妙な感覚だ。
だが、それをレヴィアに話すと当然と言わんばかりに頷いてくる。
「鑑定魔法を掛けられるといい気分はしないね。だから他人には掛けないほうがいい。気付かれないという絶対の自信があれば別だけれど」
「わかった。……ちなみに、今まで何も言わなかったのに、今日に限って鑑定魔法を掛けるって確認したのは何で?」
「単純明快、キミに気付かれると思ったからだよ。認めたくはないけれど、キミはこの何日かの間でこと魔力感知においては飛躍的に進歩したと言っていい――少なくとも、私が自重するほどにはね」
レヴィアの言葉に俺は思わず両手を握り締めて見つめる。こうやって力を込めてみても自分としては特に何か変化を感じるということはない。ただ何となくレヴィアが魔法を掛けている際の魔力の動きがはっきりと把握できるようになっていた。
今、こうして俺たちの周りに掛かっている静寂魔法にしてもそうだ。何となく、こうすればいいんじゃないか、という確信にも似た直感が働くようになっている。
「なあ、レヴィア。頼みがあるんだ」
「何? 鑑定魔法の結果でも知りたい?」
「いや、それよりも俺に洗浄魔法と乾燥魔法を掛けてくれないか?」
「……は?」
本当にそれはちょっとした妄想の類なのかも知れない。だが、何となく予感めいたものがするんだ。
しばらく俺の目を見て溜息を付くとレヴィアはマリーに話しかけた。
「この辺りで本部以外に魔法を使っても騒ぎにならない場所を知らない?」
「本部は――そうか。ギルドマスターやヴィオラに知られるとややこしいことになるな」
そう言ってマリーは若干覚束ない足取りで立ち上がる。
「どうせならば最後にこの白タグの特権を使わせてもらおう。私に割り当てられた住居の地下にちょうど良い広さの修練場がある。まだ一度も使ったことはないが問題ないはずだ」
そして俺たちはいったんロベルタの店に戻りサーニャを任せると、夜の街をマリーの借り宿に向けて歩き始めた。
―――
「なかなかいい立地ね」
「普段はギルドが賓客を持て成す場所らしくてな。ギルドマスターにはラヴェンナに帰るまでの数日間貸すだけだと釘を刺されてしまった」
マリーに案内されて赴いた場所は、繁華街から閑静な住宅街を抜けた先にある、明らかに門構えからして一線を画した邸宅が立ち並ぶ一等地であった。一つ一つの敷地を見れば、門から屋敷までの距離でさえサーニャの店より広い。
なるほど。これなら多少の無茶をしたところで誰かに気付かれる心配はなさそうである。
「懸念があるとすれば、広すぎて誰かが潜んでいても簡単にわからないところだな」
そう言って微笑むマリーだが、それは笑い事ではないだろう。
「例のサーベルタイガーの話は聞いているんだよな。マリー」
「ああ。心配させて済まなかった、カトル。だが安心して欲しい。おおよその見当は付いている。おそらく我がスティーア家に対抗している勢力の貴族だ]
「貴族?」
「恥ずかしい話だが、ラティウム連邦は一枚岩ではない。いくつかある領地同士で勢力争いをしているのが現状なんだ」
「あら、マリー。人族の国はどこも似たようなものでしょう?」
「はは、レヴィは手厳しいな。だが、相手貴族もこんな他国の、それも街中で騒動を起こせば連邦内に置けるの自らの立場が悪くなることくらいわかっている」
「だからあんな森の中で、しかも事故に見せかける為に扱いの難しいサーベルタイガーをけし掛けたわけね」
このあたり俺は人族の国についてじいちゃんから知識として習ってはいたが、どうしてそれがマリーへの襲撃へ繋がるのか、その感覚がよくわからなかった。
じいちゃんも、人族がなぜ争いを続けるのか未だにわからぬ、と言ってたのを思い出す。
竜族も孤島以外の場所で暮らしているものがいたら、争いになるんだろうか。
――あまり考えたくないな。
「だから、ここにいる間は安心だろう。無論、探知魔法で周辺を探ってみるが」
マリーが魔法を駆使して周囲を調べ始めた。
それとともに淡く光るオーラが辺りを包んでいくのを感じる――。
「キミ! その魔法は受け入れなさい!」
間髪を入れず注意して来たレヴィアに思わず俺はビクッとして目を見張る。
――そうか。これを弾いてしまうと、マリーの魔法が失敗してしまうのか。
「まったく、危ないよ、キミ。魔力感知能力が飛躍的に上がったのはいいけれど、むやみに跳ね返すと術者が多大な精神的ダメージを負う場合があることを認識しなさい」
「えっ?!」
「……ふぅ、その反応は知らなかったみたいね。まあ、ヤム様もここまで急激にキミが成長するとは思っていなかったのでしょうけれど。――いい? 探知魔法や鑑定魔法のように術者が魔力を取り込む必要のある場合、今のキミのように何も考えず力任せに跳ね返せば、術者はその魔力分の精神的ダメージを負うことになるわ」
「……っ!?」
知らなかった。
さっきも俺は無造作にレヴィアの魔法を跳ね返していたけど、彼女だからなんてことない感じだったわけか。……あっ、でも珍しく渋い顔をしてたっけ。
「魔力の少ない相手にキミの膨れ上がった魔力をぶつければ、キミが体験した魔力枯渇状態にさせられるわ。……キミも体験したでしょう? 魔力を制御できず強制的に発散させられ意識を奪われる、あの恐怖を」
そう言われ、あの時の記憶が呼び起こされる。
確かにレヴィアと遠話でやり取りしてた時はだんだん意識が朦朧となっていった。たとえるなら強制的に眠らされる感覚に近い。もし戦いの最中であったなら、それは間違いなく敗北を意味しただろう。
でも鑑定魔法でぶっ倒れた時は何も感じる余裕はなかった。世界が白くなる、ただそれだけだ。
あの状態がどういうものだったのか、今考えても良く分からない。けれど、ゆりかごの中で優しく揺られているような、全てを委ねても構わない安心感があった。
「恐怖ってこともなかったんだけどね。レヴィアはそういう感じだったの?」
「私は龍脈の力に翻弄された経験なんてないし、したくもないよ」
レヴィアに龍脈の事を尋ねたが、返ってきたのはけんもほろろな答えだった。
「ただ、キミみたいに龍脈の奔流に全てを押し流されても舞い戻ってこれたのは奇跡に近いよ。……確かにキミの言う通り、まるで龍脈に力を分け与えて貰ったような印象ね。急激な魔力感知の成長も頷けるよ」
修行も頑張ったけど、どう考えてもこの突発的な成長はあの龍脈の渦に巻き込まれたからで間違いない。
……分け与えて貰った、か。
不思議な感覚だけど、レヴィアが危険というのもわかる気がする。
無意識だったけど、あれは今の俺には優しすぎて良くない力だと感じた。……本当に龍脈の傍に行くときは気をつけないとね。
「とりあえず大丈夫だろう。ようこそ、仮初めの我が家へ」
探知の済んだマリーから茶目っ気たっぷりに屋敷に招かれた俺たちは、屋敷の地下にある一室へと案内される。
屋敷は外からだと想像できないほど内装が広く、地上三階建てかつ地下二階まで部屋があり、多少の事では壊れそうもない頑丈な造りの壁で覆われていた。
さすが白タグの傭兵に貸し与えられる屋敷だけの事はある。これならレヴィアの魔法を受けても問題なさそうだ。
「地下一階が魔法修練場で地下二階が剣道場だ。特に剣道場はどんなに暴れてもびくともしないとギルドマスターが豪語していた。――これは修行にもってこいと思ったのだが、屋敷自体一人で暮らすには少々広すぎてな。結局一度見せて貰った後は、普段の宿に泊まっていたよ」
そう言ってマリーは苦笑する。
「こういう屋敷は普通、執事やメイドを雇って維持するものよ。あのクソジジイは本当に狸ね。……いいわ。修行でも何でもやって、少しは痛い目を見てもらいましょう」
「おいおい、レヴィ。その修繕費を払うのは私なんだぞ」
「フフ、冗談よ」
「なっ……?! 酷いぞ、レヴィ」
レヴィアが言うと本気かどうかわからないからなあ。マリーの気持ちも分かる。
とりあえず俺は魔力を高めるべく瞑想を始めよう。これからが本番だ。
そんな様子を見たレヴィアが、俺の傍に寄って来た。
「準備はいい?」
「ああ、大丈夫」
「見極めるなら、もう少し集中した方が良いね」
なんだ。レヴィアは俺がやりたいことがわかっていたのか。
「私が見本を見せるから、キミはその後でマリー相手に実践よ」
「……さっきの発言は本当だったんだな、レヴィ」
「かわいい弟の成長が見たいからね。マリーが実験台になってくれないと、良くわからないでしょう?」
「本当に酷いな、レヴィは」
そう言いながらもマリーは俺の洗浄魔法の実験台を快く引き受けてくれた。
「さて行くよ」
レヴィアの身体からぼんやりとした魔力の渦が現れ始める。
俺は魔力を高めて、彼女の洗浄魔法の全てを一瞬たりとも見逃さないように集中し始めた。
すいません。長くなったので投稿します。
次回は19日までに更新予定です。