第一話 孤島を出でて海を進む
1月26日誤字脱字等修正しました
4月16日修正しました
「それでは行くとするかの」
「う、うん……」
のんびりした長老の言葉に、柄にも無く緊張を覚える。
久しぶりにユミスに会えると思うと、ちょっとした感動も禁じえない。
この3年間ほんとうに頑張ったなあという感慨と、彼女の懐かしい笑顔が脳裏をよぎるのだ。
俺が背にジャンプして乗ると、長老はゆっくりと羽ばたいた。
たった一回の優雅な動きだけで、その巨体が空高く舞い上がる。
その一瞬の空気の圧力によろめきそうになるが、すぐに風すら感じなくなった。
長老の魔法が風の抵抗から身を守ってくれているのだ。
そしてまたもう一度、長老が大きく翼をはためかせると、その瞬間、ドンッという衝撃音とともに一気に視界が開ける。
目の前に広がる青、青、青。
「すっげえ……」
孤島はあっという間に見えなくなり、辺り一面大海原に包み込まれているような錯覚にとらわれ、俺は半ば呆然となってしまう。
今までは孤島の沿岸でしか海を見たことがなかった。あとは長老や白竜のじいちゃん、それに父や母の話でしか外界を知らなかったわけで。
360度どこを見渡しても海しか見えない。
空と雲と海しかない世界は、俺の想像をはるかに超えた圧倒される光景であった。
しばらくの間、俺はただただ声も出ず、その雄大なる自然を堪能していた。
―――
「途中に小島すらないのでな。今日は昼抜きになるが太陽が沈むまでには何とか着くじゃろ」
長老に話しかけられてようやく我に返る。
そう言えば腹減ったな。もうかなりの時間、飛んでいるはずだ。
太陽の位置を見ればちょうどお昼くらいだった。ただ俺たちは東から西へと向かっているので、実際の時間はもっと経っているだろう。
「俺だけこのまま背中で飯を……ってわけには行かないよな」
「当たり前じゃ。何ならカトルだけ魔法を解いてやろうか?」
「いやいやいや。大丈夫、飯くらい我慢できるって」
冗談半分で風の抵抗を受けようものなら俺はその衝撃で海へ真っ逆さまだ。
快適な空の旅のためには多少の空腹くらい何とでもない。
そう考えるとユミスも長老の背中でお腹をすかせていたのかな……。
……。
――あれ?
「長老。一つ聞いてもいい?」
「何じゃ?」
「ユミスを乗せたときはさすがに一日空腹で過ごさせたわけじゃないよな?」
「ほう」
長老はもう、俺が何を聞きたいのかわかったみたいだ。幾分空を飛ぶスピードが遅くなる。
「あの時長老は夜には孤島に帰ってたはず。たしか朝食の後に出発したから、ユミスを送ったんなら、もうとっくに大陸についているってことにならないか?」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
「笑ってごまかすな!」
え、どういうことだ?
長老は大陸に向かっているはずだ。
それは俺のつたない探知魔法でもわかる。東から西へ、真っ直ぐに向かっているのは間違いない。
だが、まだまだ視界に陸は捕らえられない。大陸特有のそれらしき雲の形さえ皆無だ。
となるとユミスを連れて行ったときは大陸までは行かなかったってこと?
……まさかユミスを途中で放り出したりはしていないよな。
「カトルが気付かなければ話すこともないと思ったのじゃが……さすがに気付いたようじゃの」
「ちゃんと説明してくれ。まさかユミスに何か――!」
「ユミスネリアは今も大陸で健在じゃ」
「そんなの当たり前だ」
仮にも竜族の長たる竜が約束を違えることはない。だから長老がユミスに悪意を持つなど万が一にもありえない。
俺の懸念は別のところだ。
「ユミスネリアはの。大陸のとある貴族の頼みで孤島を離れ、大陸で暮らすことになったんじゃよ」
長老は俺の思考を正確に読んで答えを先回りした。
つまり長老はその貴族と落ち合い、海上でユミスを引き渡したのだ。
「ユミスは自分の意思じゃなくてそいつらのせいで大陸に行くことになったのか?!」
俺は思わず頭に血が上る。
あの時、俺はユミスが自分の意思で大陸に赴いたと思っていたんだ。そうじゃなきゃ割り切れるはずがない。
いや、逆にそんな俺の気持ちを慮って長老は何も言わなかったのか――。
「落ち着け、カトル。わしにとってはカトルもユミスネリアも大事な子じゃ。大事な娘が連れ去られるのならば全力をもって排除するであろう」
長老はゆっくりと穏やかな声で俺に伝えてきた。
「ユミスネリアの境遇は複雑なのじゃ。どうせ大陸に行けば嫌でもわかるじゃろうがな」
そもそもの始まりは大陸の東海岸に面する諸国の一つ、カルミネという国で起こった13年前の内乱に端を発する。
国王とその叔父である公爵の争いは公爵側の勝利に終わり、国王の一族郎党は皆処刑され公爵が新たな国王についた。
だが3年前、流行り病により公爵家の者は次々と帰らぬ人となり、カルミネの血に連なるもので残ったのはたった一人、16歳の傍系の娘のみになってしまう。
だがその娘は国王の座に付くことを良しとせず、内乱で密かに逃げ延びた国王の庶子の存在を明らかにし、その者が国王になると宣言する。そして自分はその後見となって国を支えると明言した。
何しろ、この公爵家に連なるものの連鎖的な死は様々な憶測を呼び、ただでさえ内乱から続くキナ臭い情勢に決定的な分裂を引き起こす寸前まで至ったそうだ。
突然見つかった国王の遺児があとを継ぎ、公爵の家系に連なるものがその後見となる。
一応はそれでなんとか混乱がおさまったという。
「ここまで話せばわかるじゃろ」
「ユミスが人族の国の王……」
「ついでに言うと、わしの若かりし頃の友人の一人が築いた国の子孫じゃ」
知り合いの血筋だから気付いたがそうでもなければさすがにわからんかったわい、と長老は笑う。
長老をもってしても本人から遡った家系まで調べるのは困難とのこと。
まあ、それ以外のことはほとんどお見通しなのだから伊達に数千年生きているわけではないが。
「ユミスネリアは優しい子じゃ。わしとて本当はあの子を大陸になぞやりたくはなかった。じゃが、必要とされていることを知るとあの子は行くと言った」
「そう……だったんだ」
「わしらはの、カトル。火の粉が降り注がない限り人族の争いには金輪際関わらないと誓った。じゃがな、あの子はかけがえの無いわしの、いや竜族の娘なのじゃ」
長老は目に涙を浮かべていた。
長老がそこまで感情的になるのをはじめて見た。
その姿を見て、俺は怒りに任せて言葉を荒げたのを恥じ、そして決意をあらたにする。
「わかったよ、じいちゃん。ユミスは俺が竜族の誇りに誓って必ず守ってみせる!」
「そうか」
「だからじいちゃんは孤島でのんびり待っててくれ」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。言うようになったのう」
「そうと決まれば全速力で頼むぜ、じいちゃん! 早くユミスに会いたい」
長老は再びその翼をはためかせた。
まだ見ぬ大地を目指して飛翔する翼は勢いを増す。
そして西の空が赤みを帯びてきた頃、ついに前方に広大なる大地が連なって見え始めたのである。