エピローグ2
5月15日誤字脱字等修正しました。
翌朝、惰眠を貪った俺は久しぶりに快適な目覚めを味わうことが出来た。
大陸に来てから何だかんだでゆっくり休めたのは今日が初めてである。ゆったりとしたベッドで暖かい布団に包まれながら誰にも邪魔されることなく寝る事の素晴らしさは何物にも変え難い贅沢かもしれない。
あまりにも疲れていたのだろう、目が覚めて時計を見るともう11時を過ぎていた。窓から差し込む太陽の光に慌てて飛び起きると、急いで宿を出払ってサーニャの店へと走り出す。さすがにこの時間ならもうとっくに勝敗の結果は出ているはずなので気ばかり焦ってしまう。
昨日の今日なのである程度大目に見てくれないかな、と思いつつレヴィアの怒った顔が脳裏に浮かび冷や汗が出る。
「遅れました……」
恐る恐る店の扉を開けると、店内には誰もいなかった。今日は休業日だからサーニャの両親も厨房におらずシーンと静まり返っている。
「おはようございます、カトル様」
中の様子を伺っていると奥の部屋からネーレウスが出てきた。いつもと変わらず執事服を着こなし、優雅にお辞儀をしてくる。
「おはよう、ネーレウス。結果は知っているの?」
「残念ながら私は存じ上げません。皆様は今朝方、揃って支部へ出向かれましたがまだ戻られてはいないのです」
「えっ? こんな時間なのに?」
昨晩のうちにイェルドに会計石を渡していたので集計はとっくに終わっているはずだが、何か問題でも起こったのだろうか。
「私にはヤム様のお世話がございます為、僭越ながらカトル様ご自身でご確認されてはいかがかと」
「そうだね。そうする」
ネーレウスに礼を言うと今度は支部へ向けて足早に歩いていく。
自分が寝坊した後ろめたさがあるので、こういう時は余計不安にかられて困る。
支部に着くと昨日までの喧騒はなかったものの平常通りの混雑さで賑わいを見せていた。
早速俺はどこかに結果が表示されていないか周囲を見渡すがどこにも通知は出ていない。どうなっているのか受付のお姉さんに尋ねるべく列に並ぼうとした時、ふと長椅子で疲れ切った表情のフアンが目に入ってきた。
「結果はどうなった? フアン」
「よお、カトル。お前も今来たとこか。昨日はお互い大変だったからなあ。俺も今日はなかなか起きれなくてさっきまで姉ちゃんに怒られたんだけどさ」
「いや、だから結果は?」
「まあまあ、いったん落ち着けって。今ゆっくりと順序だてて説明してやる」
なんだかフアンの奴、やたらもったいぶってるな。
やきもきする俺をよそに咳払いを一つすると、やっとフアンは話し始めた。
「まず、事の始まりは昨日の大会本戦だ」
「は? なんで大会の話が出てくる?」
「だから順序だてて説明するって言ってんじゃん。えーっと、ちょうど俺が姉ちゃんにボコられて軽くあの世を見てきた頃だ」
のっけから勝敗の結果より気になる事を言い出したな。
「あの時壇上で解説していたのってマリーさんだったじゃん。それについて賭けをやっていた奴らからクレームが出たんだ。マリーさんはサーニャの店の関係者だから有利に事が運ぶように仕向けたんだろって」
「なっ?!」
「そんなことを言い出したらあの大会の意義がなくなるわけでさ。俺は意識を失って試食も出来ず散々だったからわからないけど、そもそも当事者かつあの負けず嫌いの姉ちゃんが納得しているってのにだぜ? だから俺は言ってやったんだ。姉ちゃんがどんだけ店の関係者集めて本戦会場に連れてって投票させたと思ってんだ、ってな。そしたら大炎上しちゃった」
あー、こいつは何で火に油を注ぐようなことを。
「大会の結果で賭けの状況が大幅に変わったって今本部前では暴動の一歩手前にまでなってるらしいんだな、これが」
「暴動って、マジか」
「まあ、一昨日の段階でほぼサーニャの店の逆転は絶望視されて、うちが港の食堂にどこまで追い縋るかってことがクローズアップされてたからなあ。祭りで盛り上がるってことで一番人気だった港の食堂が、まさか3位に転落するなんて誰も予想出来なかったわけで、もう大荒れに荒れてるわけよ」
「おお! って結局どっちが勝ったんだよ」
「まあ、そうせかすなって」
こいつ、今ちょっと笑いやがった。自分の仕出かしたことを忘れて俺の反応楽しんでるな。
「とまあ、そんなわけでいったん結果の発表やらかけ金の払い戻しやらは全部ストップしているんだ。だから俺もどっちが勝ったかってのは、その辺のやつらが港の食堂が3位になって暴動って話してたのを聞いただけで良くわかってないのよ、これが」
「はぁあああ?」
「だって、しゃーねーじゃん。受付のお姉さんも何も教えてくれないし。今関係者が本部に集まって協議中ってことだから、その結果次第ではヤバイことになるんじゃないか」
こいつに聞いた俺が馬鹿だった。
俺は順序だててフアンがどうして結果を知らないかってことを長々と聞かされてたわけか。
――時間を大幅に無駄にした気分だ。
「レヴィアやマリーがどこにいるか知らないか?」
「マリーさんはギルマスたちと一緒に本部に行ったぞ。レヴィアさんはまだどっかその辺にいるんじゃないか」
「探してみる」
「しっかしイェルドの奴も災難だよな。俺、本当ギルドの職員とかじゃなくて良かった」
「お前が言うな」
俺は疲れて動けないフアンを放っておいて、レヴィアを探すべく動き回る。探知魔法を使えば楽チンなんだろうけど、この前レヴィアにめちゃくちゃ怒られたから人が多い場所では基本的に魔法は使わないでいる。
ただ魔法が無くてもレヴィアの気配は何となくわかった。独特の強者のオーラというべきか、気をつけなくてはならないって感覚が敏感に働くほどの相手だからね。
そうやって探し回って、やっと見つけたのは初めて入る3階のスペースだった。
「レヴィア、やっと見つけた」
そこは何人かの支部職員が出入りする関係者の部屋だった。一応サーニャの店の者ということで入室を許可されたが、レヴィアは俺を見るなりとがめだてする様な視線を向けてくる。
「キミは本当にゆっくりと休めたみたいだね。羨ましいよ。どこに泊まったかくらい伝えて欲しかったね」
「うわっ、ごめん。探してくれたんだ。悪かった。次から気をつける」
俺が平謝りすると、レヴィアは小さくため息を吐きながら許してくれる。他に職員の目があったからかもしれないが、とりあえずは一安心だ。
「それで、キミはどこまで知っているの?」
「あ、ああ。下に居たフアンに暴動が起きそうってとこまでは聞いた。結果はまだ聞いてない」
「そう」
「結局、どっちが勝ったの?」
「数字上は、サーニャの店の逆転勝利よ」
「おお!」
やったー! っと本来なら大声を出して喜びたいところだったが、レヴィアの表情がそれを許さない。何か問題が起きたのはどうやら間違いなさそうだった。しかし売り上げの勝敗結果をつけるのに数字以外の何が問題になるって言うんだろう。
「大会と賭けは主催も違うし全く別の話だからね。本来ならどうこう言われる筋合いでは無いけど、マリーとサーニャ、それにご両親まで説明をするため本部に向かったよ」
「ええっ?! 賭けの騒動は傭兵ギルドの問題でしょ? サーニャとロベルタの勝負は結果が出たんだから、後はトム爺さんたちに任せればいいんじゃないの?」
俺の言葉にレヴィアは頷きながらも不機嫌そうな顔をこちらに向けてくる。
「ロベルタさんもそう言っていたよ。負けは負けと。ただ表立ってそれを表明すると賭けの結果に納得できない連中をたき付けるから、まだ金銭の授受は行えないということね」
げっ、それじゃあ問題が片付くまで店を売れないってことか。それだと勝負の意味がないじゃないか。このままではサーニャたちはカルミネに行けず、ずっとここで足止めになってしまう。
「レヴィアは本部に行かなかったの?」
「誰かがこちらに残って他の皆に状況を伝える必要があるでしょう? キミがいれば私も向かっていたよ」
レヴィアがジト目で俺を睨む。
しまった。完全に藪蛇だ。俺は慌ててレヴィアに頭を下げる。
「いずれにせよ、カルミネに向かうのはこの問題の決着がついてからになりそうね。出来るだけ早く行って早く帰って来たかったのに……」
不満そうにレヴィアは呟く。
「俺としては鑑定魔法の事があるからちょうどいいかな」
カルミネへ行くにあたっては鑑定魔法のレベルを10まで上げて、他の傭兵たちと遜色ないようにしなければならない。ここリスドでは大丈夫だったけれど変な目で見られたくないもんな。
だから俺は何気なくそう答えたのだが、それを聞いたレヴィアは深く溜息をついた。
「――ふぅ。キミは何を言っているの? カルミネに行くのは私だけよ。今のキミを行かせられるはずないでしょう?」
「……えっ?」
たっぷり時間を置いて俺はレヴィアに聞き返した。
そもそもレヴィアは俺がカルミネに行く為の手助けをしてくれるんじゃなかったのか? それがなぜレヴィアだけ行く事になっているんだ。
俺の言いたいことが顔に出たのだろう、レヴィアは目配せをすると部屋から出て廊下の奥まった所に向かった。静寂魔法をかけたのがわかったから他の人には聞かせられない話をするのだろう。
「キミはまだ現状を理解していないみたいだね。マリーやサーニャの存在がキミの判断を鈍らせたのでしょうけど」
レヴィアは怒ったような呆れたような顔で話しかけてくる。
「この町は、私も想定外だったけれど特殊な状況なのよ。しかも幸運なことにキミは好意的なマリーに出会えた。今まで疑われることなくキミがここで過ごせたのは人族の中でも並外れた存在であるマリーのお陰よ。それは理解している?」
「……そ、れは」
「ふう。そこも理解出来ていないとは、キミの脳みそはおめでたく出来ているね。はっきり言うよ。ここリスドにおいてマリーが培ってきた信頼であったり、彼女の人柄といったものがあるからこそ今のキミがある。この町に着いた当初を思い返してみなさい」
そう言われて冷静に思い返すと、確かに森の中で会ってからマリーとは常に一緒に行動していた。サーニャと仲良くなれたのはマリーがいたからだし、彼女が魔道具を使わない人族だったからこそ違和感なく身分証の発行が出来たんだ。俺とレヴィアだけだったら疑いの目を向けられて大変だったかもしれない。
「キミを先に行かせたから分からなかったかもしれないが、南門の検問の時は危なかったよ。マリーとギルドマスターの名前を出してようやく何とかなったからね」
――そうだったのか。
あの時は街中で鑑定魔法を使うという凡ミスを怒られた印象が強くてすっかり忘れていたけど、そう言えば検問官が何か言ってくるのを俺の代わりにレヴィアがいなしてくれたんだっけ。
「カルミネは全てがこことは異なるよ。少し前まで混乱の極致だったわけだしね。そこに傭兵としてまだ未熟なキミが出向いて誰にも疑われないと本気で思っているとしたら、そんな甘い考えは即刻捨てるべきね。わかるでしょう? キミはまだ一人で依頼をこなしたことすらないの。そんな傭兵がわざわざカルミネの地に行き着いたとして、誰も好意的に迎え入れるはずがない」
――カルミネにマリーはいない。
それが痛いほどわかる言葉だった。
「だいたい、キミはあの女王様を守りたいんでしょう? 今のまま行ったところで、逆にキミが守られることになるよ」
ぐうの音も出なかった。俺は自分が甘い認識を持っていた事を認めざるを得ない。
レヴィアの言葉に俺は肩を落とす。
「――俺はどうすればいい?」
「私がいない間、キミは傭兵として依頼を数多くこなしなさい。少なくとも特例で認められた何の実績もない灰タグのままでカルミネに行くなんてありえないよ。とにかく経験を積むの。この前の探索でも経験して気付いたことがあったでしょう?」
確かに、今の俺には出来ないことがたくさんあった。ありすぎた。
魔法一つとっても、清浄魔法は必須だろう。毒を消せる浄化魔法も出来れば覚えたい。洗浄魔法や乾燥魔法は複合魔法だから難しいかもしれないが、必要性から考えると絶対覚えたい魔法の一つだ。
「言っておくけれど、マリーのような広域の探知魔法を使えるように、ということではないからね」
そう言うレヴィアは少しだけ笑みを向ける。
きっとしょぼくれた俺を励ましてくれているんだろう。
「キミが私と同等――は無理でも最低、青タグになるくらい頑張れるなら、私としてはカルミネ行きを許可してあげてもいいわね」
「青タグ、か」
「それなりに大変よ。依頼をこなすのは当然、卒なくスピーディさが求められるわけだからね」
青タグ、という明確な目標が出来た。
まだ依頼を一人でこなしたことがないのでどうすれば良いか想像すら出来ないけど、それでも具体的な指標があるのは精神的な支えになる。
「わかった。頑張るよ」
「思っている以上にランクアップは大変よ」
「レヴィアがマリーから依頼を受けるくらいだもんな」
「本当にそう! 普通は絶対にあんな依頼受けないわ」
俺がその返しに笑うとレヴィアもおかしそうに笑った。
「とりあえず俺は店に戻ってネーレウスに状況を伝えてくるよ」
「私もあと少ししたら戻るよ。昼食がまだだからね」
やっと俺はレヴィアの言葉を消化出来た気がする。確かにカルミネに行くのに足手まといじゃどうしようもないんだ。自分を昇華するべくもっと頑張らなくては!
レヴィアに別れを告げ、俺は先に店に戻るべく支部を後にした。
店に戻るとじいちゃんが起きていてネーレウスの給仕で遅めの朝食ならぬ昼食を食べていた。
「じいちゃん、おはよう。なんかこっち来てから食ってばっかだね」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。やはり大陸の料理は格別じゃからな」
昨日会ってからゆっくり話す機会もなかった。今、サーニャたちもいないのでちょうど良い。ちょっとした緊張のもと、俺はじいちゃんに話しかけた。
「じいちゃんはマリーの事、レヴィアから聞いたよね?」
「うむ」
「――その、ごめんなさい。いいつけを守れなかった」
「そのようじゃな」
じいちゃんは、食べるのを止めて俺を見る。その表情からは喜怒哀楽は一切わからない。俺は頭を下げたまま、じいちゃんの次の言葉を待ち続ける。
「そう堅くならずともよい。話はレヴィアより聞いておる。あの悪戯小僧が暴露したのじゃろう。カトルに責はない」
そこまで聞いて俺はようやく安堵の吐息を漏らした。昨日何も言って来なかったからそんなに心配してなかったけど、やっぱりじいちゃんの口から聞かないと安心は出来ない。
「ふむ、カトルよ。お前は真面目じゃの。お前が約束を守ろうとしたことは今のやりとりだけでも伝わってくる。お前の代わりに罰はあの小僧が受けておるから安心するがよい」
しかし小僧呼ばわりってことは、やっぱりあいつは最近大陸に来た若い竜だったんだな。どうりでレヴィアに怯えているわけだ。しかし罰って何をやらされているのやら。それにはちょっとだけ同情の余地を禁じえない。
「元気そうで本当に安心したぞ。大陸に来たのも、カトルよ。お前の顔が見たくて来たのもあるんじゃ」
「えっ……美味しい料理を食べに来たんじゃないの?」
「ふぉっ、ふぉっ。それもまあ否定はせんがの。昨日の大会の料理はみな見事な味じゃったな。――じゃが」
じいちゃんが不意に顔をしかめる。
「さすがにそれだけでわしが大陸に来るようなことはないぞ。もう一つ大きな理由がある。カトルよ。お前ならわかるじゃろう?」
そう言われて俺はきょとんとしてじいちゃんの顔をみやった。
わかるじゃろう? とか言われてもさっぱりなんですけど。
「では、正式に灰タグ所持者の傭兵どのに依頼を頼むとするかの。ラドンが研究していたモンジベロ火山麓の洞窟とやらに案内してくれい」
「えっ?!」
そして俺の青タグへの道のりは、あの忌まわしい洞窟への旅路から始まることになったのである。
次回は15日までに更新予定です。