第二十五話 決着
6月20日誤字脱字等修正しました。
『さあ、いよいよ始まりました、商人ギルドプレゼンツ料理選手権大会本戦! ここまで勝ち上がった総勢十二の味の頂点を決める死闘が今まさに繰り広げられようとしています!』
支部前に急遽建設されたスタジアムは大通りを占拠するほどの広さを有しており、それぞれ12のスペースと観覧席に分けられていた。
中央部分は2階ぐらいの高さに壇が備え付けられ、そこに設けられたテーブル席から各スペースを見下ろせる構造になっている。
その中を所狭しと料理人たちが動き回り、その姿を大勢の観客たちが見つめ声援を送っていた。
「あの真ん中の人がしゃべってるの?」
「そうだ。話した声が会場全体に響く拡声器という魔具だ」
「魔具?」
「魔石に魔力を通して作られた道具の事で、かなり貴重なものなんだぞ」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。音魔法を利用するとはなかなかの代物じゃ」
音魔法と言えば、レヴィアの静寂魔法か。ちょうどその逆と考えれば良いのかもしれない。原理は複雑そうだけど。
だが拡声器に興味津々だったのは俺ぐらいで、マリーもじいちゃんもそれぞれのスペースで繰り広げられている料理人たちの競演に目を輝かせていた。
『さあまず注目は3番、アラゴン商会の料理ですね』
『ちょうどギルドの真向かいにあるからな。わしもちょくちょくお邪魔するのじゃが、とても美味しい料理が揃っている。特にオススメは魚の天ぷらじゃな。あれは絶品じゃ』
『ギルマス御用達の店ということですね、納得です。おっと、今油で揚げ始めました。ここまで油のパチパチとした音が響いてきます。いやあ、いい色合いですね』
ギルマス?! あっ、本当にいる!
何やってんだ、あの爺さん。すぐ後ろには秘書も控えているし。どうやら他の仕事は全部イェルドやダンに放り投げて来たっぽい。
これはイェルドが大変なのもわかるな。
『やはり優勝候補筆頭と言ったところでしょうか。さあ、どんどん見ていきましょう。次に気になりますのはやはり7番、港一番の海鮮処と名高いエーレブルーの料理ですね』
『おおそうじゃ、そうじゃ。エーレブルーのインラグド・シル。あれは絶品じゃのう』
『ニシンの甘酢漬けですね。しかし、生の食感を味わうのはかなり勇気が要りますが、その辺りギルマスとしてはいかがなのでしょう』
『エーレブルーの料理長は傭兵ギルドの熟練メンバーでもあってな。浄化魔法の使い手なんじゃよ。一応酢でつけてあるしわしは安心して食べておるぞ』
『おお! それは知りませんでした。人気の秘密は浄化魔法にあったわけですね』
『毒素を抜く魔法は重宝するからのう。昔取った杵柄じゃな』
トム爺さんがギルドマスターらしくまともな解説をしていた。
しかし、浄化魔法か。
俺も練習しないとまずいと思っている魔法の一つだ。
しかしこの実況の語り口で、その場所の料理が気になっちゃって困る。まあ、俺だけでなく人々の大移動がすでに始まっているんだけど。
もうマリーやじいちゃんともはぐれてしまった。二人は我関せずで興味のあるところに行ったんだろう。
『あっと、今、すり鉢を出しましたね。中に入っているのはタラ、でしょうか』
『あれは、フィスクブラーを作っておるようじゃのう』
『つみれですか。あっと、今、コーンスターチと卵白であえて茹でます。ああ、ホワイトソースも出てきました。間違いありません。フィスクブラーです。どうやらフジッリのパスタやじゃがいもと合わせて頂けるようですね』
『このエーレブルー独特のホワイトソースがまた絶品なんじゃ。濃厚で纏わりつくような舌ざわりなのに、後味さっぱりなんじゃよ』
『これは楽しみですね。さて、次は10番――』
『う、お! うっほほーい!』
突如として奇声を発するトム爺さんに実況の男性が目を丸くする。
爺さんが見ている方角は……あ、なるほど。
『えっ……どうしました? ギルドマスター?!』
『レヴィアちゃんだ。レヴィアちゃんがいるではないか!!』
指を差して興奮気味に叫ぶトム爺さんに実況が本気で困っている。
『ええっと……あの11番ですか。今巷を賑わせている賭けの対象店舗ですね。予選は善戦して僅差で勝利をものにしております。ただまあ、何と言いますか、港町らしからぬ鶏肉メインの料理というのが印象深いですね。海の幸の味に疲れた人たちの興味を引いたとでも言いましょうか』
『うおおおおおお! なんという可憐な姿じゃ! あの黒いエプロン姿のレヴィアちゃんの手料理をわしが食えると思うと、いてもたってもいられんわい』
『あ、あの? ギルドマスター?』
『おおおおお! レヴィアちゃん、レヴィアちゃん、レヴィアちゃん、レヴィアちゃん!』
『あー』
あれ、声が聞こえなくなった。
壊れた機械みたいにレヴィアレヴィアうるさかったのに。
と思ってたら頭を抱えた秘書がいい角度で首にチョップを入れて、そのままトム爺さんをどこかへ引きずって行ってしまった。
回りもざわざわしてるな。
爺さんの奇行はレヴィア限定だもんなあ。そりゃあ、あれを初めて見た人はびっくりするよ。
何か急に忙しく係りの人っぽい人が動き始めてる。
あ、誰か登壇して……って、マリーじゃないか! いつの間に、あんなところに! しかもじいちゃんまで連れられていってるし。
てか、二人ともめっちゃ興奮してる感じだ。この大会、満喫しまくってるな。
『えー、大変失礼いたしました。ここからは解説にリスド中の店全てを回りその味を食べ尽くしたと豪語する食通のカリスマ傭兵マッダレーナ=スティーア嬢をお迎えして実況して参りたいと思います』
『はい、宜しくお願いします』
『あの、ちなみに隣にいらっしゃる方はどなたでしょうか?』
『紹介しましょう。私が尊敬してやまない食のスペシャリスト、ヤム=ナハル師匠です!』
『おお。マリーさんのお師匠様ですか』
『いえ、私が勝手に師と仰いでいるだけで正式に認可されたわけではないのですが』
マリーの紹介にじいちゃんが長い髭を触りながら会釈している。口元が若干緩んでいるので師と呼ばれて満更でもなさそうだ。
ってか、食の師ってどんな感じかさっぱりだが、食いしん坊同士何か通じるものがあるんだろう。
『おお、それよりも見るがよい。レヴィアの捌いている魚を!』
『おおっと、鶏肉メインをうたう店のはずが魚料理に挑戦だ。ただ、私もあの魚は見たことがないですね。ハタ、にしては口がちょっと見た目グロテスクです。ヤム師範、あれは何と言う魚なのでしょう?』
いつの間にか、師範呼ばわりされてるし。
しかもじいちゃん、ご満悦だ。
『ハタの一種で間違いはない。あれは見た目は口も大きく歪に見えるがの……美味じゃぞ。なかなか見つけられない魚じゃが、ワシはクエと呼んでおる』
『クエ、ですか』
『見よ。すでにえらを取ってはらわたを出し、血合いに筋入れが終わっておる状態であろう。あれは何日か前から熟成したものじゃな』
『熟成ですか。そんなことを魚でしてしまっては身体に悪い微生物に侵されてしまうのではないですか』
『そこはほれ、魔法を使うのじゃ。隣の男が氷魔法を駆使して凍らないギリギリの温度に保っておる。こうすると腐りにくいんじゃよ。当然浄化魔法も完璧じゃ。おお、刺身にしておるぞ。あれより美味いものなど存在せんわい』
じいちゃんの解説と同時に、おおおおお! という地鳴りのような歓声が上がった。
観客の目が間違いなくレヴィアに注がれている。
全体を見れば一目瞭然、魚を刺身にしているのはレヴィアたちだけだ。
微生物と言っていたから肉と同じで胃に悪いはずだが、それをレヴィアは火を通さず魔法で全て解決してしまうから凄い。
氷魔法の使い手のネーレウスが温度を保っているのも大きいはずだ。
確かにあれは信じられないくらいうまそうだ。
『しかし、レヴィアの包丁捌きは惚れ惚れするのう』
『本当です、ヤム師匠。あそこまでレヴィに腕があったとは思いませんでした』
『いやあ、ヤム師範の解説で私もこれはぜひ試食したくなって参りました。氷魔法による熟成とは料理における革命と言っても過言ではないかもしれません。おおっと、あれは清酒ですか。いやあ、氷魔法を使って最高の温度で頂けそうです。ちょっとこれはたまりませんな』
『刺身に清酒は最高に合うからのう。お主もイケル口のようじゃな』
『これは師範、お戯れを。実況の仕事が終わりましたらしこたま飲みたいとは思いますが。さあ、予選会場でも見せてくれた鳥串料理も作り始めましたね』
『わしもさきほど店の方で初めて食べたのじゃが、本当にあのタレは美味かったぞ。辛味と酸味とそしてほのかな甘みのバランスが絶妙でのう。聞くところによるとカルミネ王都の老舗であったそうじゃな』
『えっ、そうなんですか? それは初耳ですね。そうですか……隣国の王都の老舗だったわけですね。あっと、今情報が入りました。カルミネは最近まで混乱が大きかったので、この町まで逃れてきたということです』
『ようやく王都の混乱が落ち着いてきたので、もう後何日かで王都に帰る予定です。最後にこの町に感謝を込めて料理を振舞うとのことで、店主からは並々ならぬ意気込みを感じました』
マリーがうまく店の宣伝をしている。あからさまではないけど、これは注目を浴びるはずだ。
『では続きまして10番の……』
トム爺さんがレヴィアの黒エプロンにトチ狂ってくれたお陰で、秘書の想定外の展開になったのは間違いない。人々の熱気が、レヴィアの一挙手一投足に向けられている。
これで味が完璧なら、もしかするともしかするぞ。
「あ、カトレーヌ、ここにいたの。レヴィア凄いわね!」
振り返れば、サーニャが興奮した面持ちで駆け寄ってきた。その後ろには見知った顔が二つ、対照的な顔で並んでいる。
にやけ顔のフアンと不機嫌そうなロベルタの姉弟だ。
「いやあ、レヴィアさんの美しさ、というかもうあれはエロスの領域だな。胸元がはだけた白いワンピースの上に添えられた黒いエプロンから醸し出す妖艶さと来たらもう……」
フアンの興奮具合も別方面に最高潮だ。いつもように変な感じで高揚しているから放っておくしか無い。
対してロベルタの方は、最初に会った時の優雅な印象は影を潜め、少しイライラした様子で眉を顰めている。こちらはこちらで嫌な感じで絡まれそうで話しかけたくない。
「あのような奥の手を隠していらしたとは思いませんでした」
冷静に言葉を紡いでいるのだが誰に話しかけているのかもわからない。
フアンはもしかしたらわざとやっているのか? 絶対に姉の方を向こうとせず一心不乱にレヴィアの様子を眺めている。
サーニャも前の方に行ってしまったので、そばには俺しかいない。仕方なく俺が返答を返す。
「はい。俺も、正直レヴィアにあんな特技があるなんて思ってもいませんでした」
「本当ですか? 従姉と聞きましたが」
言葉にトゲがあるなあ。前に会った時も勝負って話をフアンがし始めた時、目の色が変わったんだ。レヴィアも含めて、なんで俺の回りにはこんなに負けず嫌いが揃っているのだろう。
うかつな言葉を掛けるわけにもいかず、俺はオブラートに包んで答える。
「レヴィアは俺の考えるその先を常に見据えているんです。俺には料理の知識なんて無いんで、今の彼女は理解の範疇を超えてます。今は料理ですが、他の事も含めて付いて行くのがやっとという存在ですね」
「ふうん。そうですか。模範解答としては少し優秀すぎますね」
ロベルタの表情にどす黒い感情が湧き出ていた。愛想笑いしているのに、口元が歪んでめちゃくちゃ怖い。
フアンが恐れる気持ちがわかったよ。これは強烈な姉だ。
「今、この時間は彼女に譲りましょう。ただ結果はわかりませんけどね。フフフ」
結果? どういうことだ。
良くわからかったのでそれには答えず、そのまま視線を会場へ向きなおす。
「結果はともかく、せっかくここまで来たんです。店の視察に寄られてはいかがですか?」
話題が逸れた途端、サーニャが割って入ってきた。
「ちょっと紹介したいお酒があるんです」
「お酒ですか」
「はい。私の店を買い取って頂けるわけですから、今回の勝負は時の運だけど、その後は持ちつ持たれつ、お互いの成功を考えることこそ重要でしょう?」
サーニャの言葉に少しだけロベルタの表情が和らぐ。
「それはお誘いありがとうございます。そういったお話であれば、時間もありますし寄らせて頂きます」
そして二人はニコリと笑顔を見せ合う。
「ひぃいいい……。お、俺もやっぱり行かなきゃダメ?」
「当たり前でしょう。姉ちゃん一人にさせる気かい?」
「は、はい。わかりました! お姉さまのお供をさせて頂きます!」
フアンは姉から肩の後ろに軽く手を添えられただけで震え上がり何度も首をコクコクと上下に振っていた。
さすがにこれは同情を禁じえない。
だが、そのまま終わるフアンではないことはある意味様式美だった。
「まあ、待て。良く考えるんだ。ここは重要だぞ、フアン=アラゴン。俺がこっから逃げてしまえば、今日一日は楽できるけど後で姉ちゃんのきっついお仕置きが待っている。だが、ここで姉ちゃんの付き添いをしてもし勝負に負けたら、最悪、ストレス発散でサンドバックだ」
フアンが見たことも無い真剣な顔つきで腕組みしながら考察に集中していた。
言っていることはアホなんだが、本人にとっては死活問題なんだろう。
「しかし、だ。レヴィアさんに会える可能性は限りなく高い。しかも黒のエプロン姿! これはポイント高いぞ。噂ではマリーさんがウェイトレスの格好で出迎えていた日もあったらしいし、今日は勝負の最終日。もしかしたら両手に花ってパターンも十分にありえるんじゃないだろうか?! 死中に活を求めてこそ、得られる報酬も素晴らしいはずだよな。姉ちゃんという地獄の後でもその先に天国があれば、俺はどんな苦難も乗り越えられるはず……!」
おーい。考えが駄々洩れになっているぞ。
……まあ、いいか。
後ろで姉が般若のような形相になっているが見なかったことにしよう。
『五分前!』
料理対決の時間が差し迫っていることを伝える声が会場をこだました。
見ると、もうほとんどのスペースで料理人たちが最後の盛り付けに勤しんでいる。
「この後、試食とかって出来るの?」
「予選で投票していない人が優先でね。支部前で身分証提示して受付したらすぐ廻るわよ! この為に昼ごはん食べてないんだから」
サーニャの言葉に思わず苦笑する。
朝早かっただろうに、こんなもう4時過ぎようという時間まで食事してないのはきついよ。
まあ、俺も腹ペコだけど。
隣で姉にボコボコにされてるフアンは放っておいて、俺たちは早速手続きをして会場を廻るのだった。
「……! う、美味い! なんだこれ?」
とにかく一番はレヴィアの作ったクエの刺身だ。
もう、これ見ていた時から食べたくて食べたくてしょうがなかったんだ。
「はぁああ。口の中がぷるんぷるんだ。本当に魚か? これ」
何だかもう凄い。めちゃくちゃ美味かったサーニャの鳥串の肉に柔らかさとほのかな甘みを加えたような食感。そして肉では味わえない魚独特の脂がとても濃く口の中いっぱいに染み渡ってくる。
隣ではサーニャが声にならない溜息をつき、目をつぶって、まさにその味のみに集中していた。その表情は蕩け切っていて、まさに至高の瞬間を味わっているのだろう。
量が限られるので、数切れしか食べることは出来なかったが、もう本当に天にも昇る心地というのはまさに今この時を言うのだと思う。
他の料理も次々に食べていったが、これを最初に食べるんじゃなかった。
美味しいはずなのに、若干色あせてしまうんだ。
「食べ終わった方は投票してください!」
あっという間に12組の料理の試食が終わってしまい、夢のような時間が過ぎ去っていく。
こんなの誰がどう考えても決まりだろ。
他の料理もめちゃくちゃ美味しかったけど、レヴィアに投票する以外考えられない。
俺に続いてサーニャやその後ろに並んでいる人たちも続々と投票を済ませていく。だが食べ終わった事で若干興奮が冷めてきたせいか、ふと冷静になると目の前の光景に若干違和感を覚えてくる。
試食する人の列に比べて、投票者が異常に少ないんだ。
俺とサーニャの他にも、サーニャの両親、レヴィア自身、じいちゃんにマリーと投票して集まるのだが、他の投票者も皆、それぞれ12組の料理人の所に集まっている。
その中でも特にアラゴン商会の所に集まっていく連中が多い。
これ、もしかしてみんな関係者じゃないのか?
「これって、まさか?!」
「ああ、やられたかもしれない。大多数が予選で投票してしまったことを見事に付かれた。利益を共有する者がいれば両者を鑑みて政治的な判断をする者も出てくるということだ」
マリーが悔しそうな顔をしてロベルタの方を見やっている。
ロベルタの顔に不敵な笑みが浮かんだ。
あれは勝ちを確信している表情なのか。
溜息を一つ付くとマリーは目をつぶり顔を上げた。諦めたわけではないんだろうけど、状況がかなり苦しいのは間違いない。
支部前の魔法板を見れば全部でどのくらいの人に投票の権利が残っているか表示が出ていた。列の最後尾の人を入れて299人だ。そのうちの百人余りがロベルタの所にいる。そこでたむろしている連中は、まず間違いなくアラゴン商会に投票しただろう。
それに他の10組の関係者もそれぞれに投票するだろうから、残りの浮動票のうち実に8割近い票を得ないと勝てないことになる。
そんなバカな。こんなことって許されるのか。
「それでは他に投票権を持っている方はいませんか?」
もう、係りの人が開票作業にかかろうとしている。
確かにアラゴン商会の料理も美味かったけど、それにしたってこれはない。
「それでは、開票作業に……」
「待てい! まだこのラウル様が食ってないぞ!」
「ああ、待って下さい、ラウル様!」
突然、若い男が声を張り上げずかずかと開票作業をしている連中のところに駆け寄っていく。
「ほほう。接戦ではないか。3番が118票で11番が117票か。よし、グッドだ。俺とニースの投票で全てが決まるわけだな」
なんと! もう集計終わってたんだ。
あ、そうか。魔法であんなもの簡単に数えられるよな。
でも凄い。レヴィアの料理に本当にたくさんの人が投票してくれた事実に感動を覚える。
「よおし、まずニースが食べろ。ただしほんのちょっとだ。かけらだけだぞ。俺様の分を大量に残しておけ」
パステルピンクの胸当ての女の子はニースという名前らしい。なんだか酷い扱いを受けているけど、大丈夫なんだろうか。
ニースは言われた通り少しずつしか食べず、でも幸せそうな顔で料理を食していく。1番から順番に食べていき、そしてレヴィアの用意するクエの刺身を食べようとして、不意にラウルに止められた。
「良く考えたら、お前が3番に投票したら俺様の投票の意味がなくなるではないか。ニースの投票はもう11番で決定だ。だからこの美味そうなやつは俺様が頂く」
「そ、そんなぁ。酷い、ラウル様。一番美味しそうだったのに……」
ふえんふえん泣きながらも渋々ニースは刺身を食べることなく11番に投票する。
もはやこのラウルという男の評価で全てが決まるとあって、集計係りも現在の得票数を支部前の魔法板に表示させていた。
118対118。イーブンスコアだ。
「じゃあ、まずは他の料理からだな。それ!」
アラゴン商会とレヴィアの料理を除き、ラウルは全ての料理をガバガバと胃袋に収めていった。さっきのニースという娘が律儀に残していたので、試食というには大量のご飯を一気に詰め込んでいる。
「ぶっほ、ぶっほ。しかし本当に魚ばっかだな。ちっとは魚以外の料理も食べたい」
そういうと、ラウルはさっきニースに残せと言った刺身をどけて肉料理を探し始める。
やっていることがありえない。いや、子供なのか?
何にせよ、食べないんだったらその刺身、俺が食べたいよ。
口には出さないものの周りにいる全員が同じ気持ちだった。
周囲の空気がどんどん冷たくなる。
「おお、3番のは肉の天ぷらがあるではないか。うむうむ。美味い美味い」
ああ、あれは確か豚バラ肉の天ぷらか。
くっそ、あれは確かに美味かった!
「11番のは……フン、鶏肉か。俺様は鶏肉なんかよりビーフが食べたいぞ。まあ、腹も膨れてきたしこんなもんか」
げっ、こいつ本当に刺身にも鳥串にも全く手をつけないつもりか。これじゃあ、レヴィアの料理を全然食べていないことになる。信じられない奴だ。
見ると、ロベルタが不適な笑みを浮かべていた。
くっそー。ここまで来るとこのラウルという男の存在でさえ、ロベルタの企みなんじゃないかと思ってしまう。それくらいこいつの言動はおかしいし、なんというか、この男の存在自体に抵抗を感じるのは気のせいか?
「さあて、そろそろ俺様が審判を下してやろう」
スキップでもするんじゃないかという足取りでラウルは投票スペースの方にかけていった。
結局、レヴィアの料理を何も食べなかったんで、どう考えてもこいつが投票する先はアラゴン商会側だ。こんな奴に勝敗を左右されることになるとは!
「待って下さいよー、ラウルさまー」
慌ててニースがよろめきながら走って付いて行く。ただ、その視線は先ほど食べられなかったクエの刺身から離れていない。
彼女もよっぽど食べたかったんだろうな。
と、思っていたら盛大にこけた。
よそ見して走ればそうなるだろうけど、短パンの彼女が転んだものだから両足の膝小僧に痛そうな擦り傷が出来てしまう。
「何をやってる、ニース! ばっちくなるではないか」
ラウルが怒りながらこちらに戻ってくると、転んでいるニースの尻をゲシゲシと蹴り始めた。
さすがにそんなことをするとは誰も思っていなかったので、皆唖然としてしまって誰も止めようとするものがいない。
「ふええん。ごめんなさい。」
ニースはようやく立ち上がるとすぐに魔法をかけ始める。
「ちちんぷいぷい~擦り傷よ、なお~れ~」
彼女がお子様みたいな呪文を唱えると、見る見るうちに傷が塞がっていった。
「ふぉっ、ふぉっ。なかなかの魔力じゃな」
じいちゃんが目を細めている。
これはニースの魔力が相当あるんだろう。じいちゃんが褒めるなど余程のことだ。
だが、みんながみんなこの状況を看過しているわけではなかった。
「お前、このようないたいけな少女が怪我をして倒れているのに蹴りつけるとは何事だ」
マリーが眉間にしわを寄せながらけんか腰に構える。
その後ろではレヴィアも氷の微笑みを向けていたから、この男の出方次第では一触即発の状況だ。
だが、俺としてはニースが可哀想という思いより、この男に関わりたくないという気持ちが勝って及び腰だった。ニースの回復魔法が思ったより凄かったというのもあるかもしれない。
それにもう一つ気になることがあった。
「これは俺様の従者だ。どう扱おうとお前らの知った事か」
「わ、私は大丈夫ですので、どうかラウル様を怒らないで下さい! 私がよそ見して転んだのがいけないんです」
「しかし!」
「そうだそうだ。そもそもこいつが転んだのはこいつのよそ見が原因だ。ということは俺様がそれを叱り付けても何の問題もないだろう。これはしつけなんだからな。がっはっは」
そう言って、ラウルはニースの頭をぐりぐりする。
「しかし、何をよそ見してたんだ? うん? 何だ、さっき食いはぐった刺身ではないか」
「ふええん、ごめんなさい。美味しそうでどうしても目が離せなかったんですー」
「ふうむ。俺は肉の方が良いんだが」
ラウルはとことことニースを連れていった。
「ほれ、食え」
「……! 良いのですか? ラウル様!」
「そんなしょぼくれた犬のような目で見続けられたらかなわん。さっさとしろ」
「あ、ありがとうございます! ふええん、美味しい、美味しいよう!」
ニースは泣きながらレヴィアの作った刺身を食べている。だが満面の笑みだ。
そうなんだ。なんだかんだでニースはラウルを慕っているんだよな。マリーもレヴィアも気勢が削がれてしまったみたいだけど、俺ももう何とも思わかった。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえってね。
蹴るのは良くないけど、もはやそれすら愛情表現にしか見えない。本人に言ったらキレそうだが。
「あ、あの! ラウル様の分も残ってますが、これも食べて良いんですか?」
「知らん。知らん。俺は肉がいいんだ」
「じゃあ遠慮なく頂きますね。ラウル様はやっぱり優しいですー」
ニースがそっとフォークで食べようとしたその時。
「気に入らん。貸せ」
「あっ!」
「そんな美味そうな顔で、もぐもぐ、食べるのがダメなんだ、んぐんぐ。おお! なんだこれは。魚のふりした肉じゃないか! 美味い!」
ラウルはそう言いながらニースの頭を小突く。
「あいたー」
「なんで俺様に教えん。こんな美味いものをわけてやるもんか」
「ひええん。酷いです、ラウル様。ラウル様がいらないって言ったんですよ」
「俺様は肉が食べたかったんだ。これは肉より美味いじゃないか! 誰かにやるなんてもったいない!」
ラウルは自分の分量だけでなく、他の人の分までどんどんぱくつき始めた。
「はいはい。自分の量は守りなさい」
「ちっ!」
レヴィアがすぐにラウルの前から刺身をどけると、ラウルは舌打ちをして一歩引く。傍若無人ぶりを遺憾なく発揮してきたこの男にしては珍しいな。
「くそー、めちゃめちゃイイ女なのに、なぜか怖さを感じるな。こういう俺の直感は信じるべきだ……」
ラウルはぶつぶつ言いながら投票場所に歩いていった。
それをニースが慌てて今度こそよそ見せず付いて行く。
「では投票するぞ! 俺様の投票で決まるわけだ。ぐふふふふ」
「いいから早く投票しなさい」
「うぐっ……わかった」
レヴィアの言葉は素直に聞くな。何だか悪がきとその母親みたいだ。
うおっ! レヴィアがこちらを睨んでる。
って、今、首が180度近く回らなかったか?
怖いって。
「んん、では行くぞ! 俺様が投票するのは、3番!」
「ええっ?!」
「ではなく11番だ! がっはっは。レヴィアだったか。今、お前の顔が一瞬歪んだのが面白かったぞ! あー、せいせいした。ほれ、ぼさっとするな、まだ日は高い。行くぞニース」
「は、はい! 待って下さいよー、ラウルさまー!」
ニースは俺たちにペコリと頭を下げると、さっさと森に向かって歩き始めたラウルの後に従って行ってしまった。
……嵐のような奴だった。
もうあまり関わりたくないけど、なんだかまた会いそうな気がするな。
会場も微妙な雰囲気に包まれていたが、そこはプロ。実況が結果を知らせるべくしゃべり始める。
『えー、お待たせ致しました! この結果、優勝は11番、サーニャ=ミロシュの店チームの皆さんです! ご来場の皆様、最後に盛大な拍手をお願いします!』
ラウルたちのせいで呆気に取られてた観衆からも、うおおおお! という地響きのような歓声が上がり、大きな拍手が降り注がれた。
サーニャがマリーに飛びつき、レヴィアもその輪に加わっている。
サーニャの両親も少し目が潤んでいるようだ。
ちらっと見れば、ロベルタも苦笑しながら拍手をしていた。最後、あの男にかき乱されたのは彼女も同じだったらしい。黒い表情が収まって、若干拍子抜けしているようにも見える。
「レ、ヴィ、ア、ちゃぁああん!」
「うわわわわわわ!」
突如として奇声が発せられると筋骨隆々になったトム爺さんがレヴィア目掛けて飛びついてきた。レヴィアも本当にびっくりしたのか男みたいな声で悲鳴を上げるが、マリーが爺さんを容赦なく剣の唾で撃退する。
「ごめんなさい。マスターを止められなかったわ」
「ちゃんと管理してくれないと困るよ」
「ふん。あなたの為ではなくマスターの体面の為ですけどね!」
「ぐぅむ。誰かわしの身体も心配して……」
首の後ろを付かれて悶絶しているトム爺さんにヴィオラが駆け寄る。
「さあ、早く撤収の指揮をお願いします、マスター!」
「う、うむ。ちょっとだけ休んでいいかな」
「ダメです!」
「むぅ、今日のヴィオラは一段と厳しいのう」
名残惜しそうにレヴィアを見てからトム爺さんは踵を返した。それに続こうとしたヴィオラがくるりとレヴィアの方を向く。何かとても複雑そうな表情でレヴィアの事を睨んでいる。
レヴィアも警戒を強めるが、意外なことに彼女から出た言葉は真逆のものだった。
「まだ割り切れてはいないけど、今日のレヴィアの料理は、美味しかったわ」
「あら、あなたの口からそう言われるとは思っていなかったわ。光栄ね」
「まったく癇に障る言い草ね。私はいつも評価は公明正大にやっているわよ!」
「それは失礼。素直に感謝しておくとするよ」
顔を見合わせると喧嘩越しな二人だが、今日は思うところがあるのかそれ以上言い争いにならなかった。
「ヴィオラさんも終わったらうちの店にどうですか? ぜひ試飲して欲しいお酒があるんです。ロベルタさんも後ほどいらっしゃいますが」
「ロベルタが……? そう、わかったわ。それなら喜んでお邪魔します。お招き頂き感謝です」
サーニャの言葉にお礼を言うと、ロベルタはすぐにトム爺さんの所へ戻っていった。
「じゃあ、戻ろうか。もうすぐ5時だし、こっちは勝ったけど、賭けの方はこの晩が勝負よ!」
サーニャの言葉に頷くと、皆で会場を後にする。
でも、サーニャも気付いているよな。周囲からもの凄くたくさんの視線が集中しているんだ。
悪い感情じゃない、期待に満ちた視線が集まっている。
「ここからが頑張りどころよ! さあ、開店しましょう!」
次回の更新予定は2月9日です。
宜しくお願いします。