エピローグ1
ナーサやマリーが目を覚ますまで、それから半日の時間を要した。
他の者が全然目を覚ます気配がないのを考えれば、むしろユミスとエドゥアルトが早く目を覚ましただけだったとも言える。
その間、俺はというと、この場に居る一族以外の者を運び出せというツィオ爺の無茶振りに従い、ピラトゥス山脈を貫く洞窟を何往復もさせられていた。
石造りの輪の魔法はあくまで緊急措置であり、本来はスティーア家の者ですらこの場への立ち入りを認めることはないという。
まさに禁足地そのものだが、なぜかユミスだけはツィオ爺の側にいて魔法談義に花を咲かせていた。
いや、なぜも何も無いな。じいちゃんと激論を交わすまでに造詣豊かな魔法の知識、そして飽くなき向上心がツィオ爺の琴線に触れたのだろう。
そう考えると、じいちゃんとツィオ爺は相性良さげに思えるが、過去に何があったのかなんて怖くて聞けない。ここまで拗れている以上、きっと譲れない何かがあったのだろう。
ちなみにエドゥアルトだけはツィオ爺が最初に外へ連れて行き、人を呼んで公都へ連行させていった。今後、彼がどうなるのかは、ヴィットーレの帰還を待って判断されるようだ。
「そのヴィットーレは? 早くアグリッピナの状況が知りたいんだけど」
「話を聞きたくば、さっさと仕事を終わらせよ」
「ぐっ……」
「カトル、私も手伝おう」
「わ、私も手伝うわ。カトルはそっちのゴツイ連中を運びなさいよね!」
俺がアレゼルを運ぼうとしたら横からナーサに掻っ攫われた。起きたばかりなのに元気そうだ。
「禁足地がこの状況ではじじ様も話すに話せまい。それにじじ様の話を伺う前に、まず私たちで情報のすり合わせをしておいた方が良いであろう」
マリーもナルルースを抱えると、疲れた素振りを見せることなく颯爽と前を歩き始めた。起き抜けの二人にこうまでされてはいつまでもぼやいているわけにはいかない。俺も鎧にマッチョの男を運ぶべく気合を入れる。
「さて、まずは私がカトルたちと別れた後の事を話そう」
通路に入った所でクルッとこちらへ目配せし、そのままマリーは言葉を続ける。
彼女はヴィットーレやヴェルンと共に中央街区の市民の誘導を行っていたのだが、その途中で西部の貴族街がもぬけの殻であることに気付いたという。
「サブリナたちによれば、南部の者たちが大挙して牢獄宮へ向かったらしくてな」
「っ?! 牢獄宮って、地割れで大変なことになってるのに!?」
「信じがたいことだが事実だ」
これにより牢獄宮の混乱とレニャーノを除く南部貴族が味方したメロヴィクス皇子の繋がりは決定的となり、またほぼ時を同じくして皇帝クローディオが命からがら宮廷よりミミゲルンへ落ち延びたという情報が齎されたことで、ヴィットーレとヴェルンはアグリッピナから撤退する方針へ転じたという。
「“皇帝の剣”とは決して陛下のみに剣を捧げるという意味ではないからな。守るべき民を守ってこその剣であり、そんな父上だからこそ私は尊敬しているのだ」
マリーはそう少しだけ自慢げに話す。
まあそう言われても俺には初対面のインパクトが強すぎて、娘大好き適当オッサンとしか思えないんだけどね。
「方針が決まり急いで学区に戻った私は、突如として起こった地震と共に地割れが学区まで伸びて来るのを見て、慌ててその場に居合わせた者たち共々地下へ向かったのだ」
「だから妖精族やルフの部下たちもいたわけか」
「本当は私一人で地下へ向かうつもりだったんだぞ。無論その気持ちは十分理解出来たがな」
「援軍自体は頼もしかったんだけどね」
まさかそのせいで、地上とピラトゥス山脈の奥深くを何往復も繰り返す羽目になるとは思わなかった。マリーやナーサと話せる時間が出来たのは良かったけど、やっぱりなんとなく理不尽に思えて来る。
「私と姉さんが手伝っているんだから文句を言わない」
「それに関しては感謝の言葉もありません」
「実際、学区にあのまま残っていたらこの者たちは無事では済まなかっただろう。こうして助けられたのは幸いであった。……なし崩し的に私もじじ様に禁足地へ足を踏み入れるお許しを頂けたしな」
それが本音だろうと思ったけど、わざわざホクホク顔のマリーにツッコミを入れるなんてヤボな事はしない。
それより気になるのは牢獄宮から続く地割れが学区まで伸びていたって事だ。宮廷から学区という経路を考えると、灰色の髪の連中が押し寄せて来たタイミングと酷似する。
ならば、あいつらが地割れを引き起こした張本人なのだろうか。
「どうかしらね? 宮廷で戦った時、カトルが床の仕掛けを壊したら急に力を失ったじゃない。あの連中にそこまでの力があるとは思えないけれど」
「でもナルルースを助けた通路で強力な魔力を感じたんだ。もしあの力を使いこなせたなら……」
「うーん、言われてみれば確かに状況証拠は揃っているわね」
「その場にじじ様が居合わせたのであろう? ならばじじ様にお聞きすればいい」
ちょうど良いタイミングだったので俺たちもまたマリーへあの後起きた事を順を追って話した。
人に話すと存外、自分でも良く分からなかった事がまとまるものだ。
アレゼルが語った大地の力にまつろわぬ力、俺が通路で感じた巨大な魔力、そして地下にあった巨大空間と突如現れたフォルトゥナート。
あの場所がアルヴヘイムの協力によるものである以上、アレゼルが目を覚ましたらもっと詳細を聞く必要があるかもしれない。
―――
「フン、やっと終わったか。ヴィットーレたちの帰還より遅れるかと思ったわ」
「んなこと言ったって大変だったんだぞ。労いの言葉くらいあってもよくね?」
「ん、カトル、お疲れ様」
「ありがと、ユミス」
「ユミスは甘やかすでないわ。そもそもマリーとナーサまで手伝わせおって」
「あんなたくさんの人数、俺一人で運ぶのがおかしいんだっての! それに二人のお陰で助かったけど、結局トリスターノとかデカブツ連中運んだの俺だし」
「フン、良い訓練になったであろう」
「てか、なんで鎧付けたままだったんだ? さっさと取っちゃえば良かったのに、どんだけ重かったと思って――」
「はいはい、あんたは頑張ったわね」
「その慰め方はやめて。グサッと来る」
マリーとナーサが目を覚まして丸二日、ようやく禁足地からすべての者を麓に設置された仮設小屋に運び終えた。
既に「未だ目覚めぬ者たちの護衛」という名の監視役がラヴェンナから到着し、該当しないスティーア家の者たちはエドゥアルト同様、まとめて公都へ護送されている。
残った人族はルフ、オーロフ、ラグナルの三人だけで他は全て妖精族となり、小屋を管理する者たちはかなり神経をとがらせているようだ。
まあ中に上位妖精族が、それも複数いればそうなるわな。しかもアレゼルあたりが目を覚ませば色々うるさそうだし。
……後で会うのが今から億劫になる。
「それでじじ様、今、父上はどの辺りに?」
「今朝の報告では、もうすぐ領境と言っておったな」
「それは……時間が掛かっておりますね」
「大量の避難民を抱えての進軍だ。さしものヴィットーレといえど、そう易々とはいくまい」
「避難民……」
「フン、何を呆けておる、小僧。アグリッピナで起こったのは戦争だ。戦禍に見えた者たちが逃れようとするのは当たり前であろう?」
「それは……そう、だけど」
「フフン、安心してよね、カトル。困っている人を放っておける父様ではないんだから」
喜色満面の表情で家族を自慢するナーサが微笑ましい。カルミネの時は自分が戦っている感覚が強かったけど、こうして話だけ聞くとなんだかやるせない気分になる。
「水を差して悪いが、領境に着いたら部下に任せ一足先にラヴェンナへ戻るそうだ。絶対に九日のパーティを豪勢に祝うと息巻いておったぞ」
「なっ……」
「九日のパーティ?」
「うむ。ナーサの誕生日だからな。親族は大切に。これは我が家の家訓でもある」
「なるほど、良かったな、ナーサ」
「……ん、当の本人は頭抱えてるけど」
ナーサは顔を真っ赤にして親バカヴィットーレにブツブツ文句を言っていた。これには皆苦笑いするしかない。
「それとユミスにもヴィットーレからの伝言がある。重傷を負った者たちへの惜しみない回復魔法を改めて感謝するとのことだ」
「ん」
「儂からも礼を言おう。我が家の者から死者を出さずに済んだのは貴殿のお陰であった。感謝する」
「いい。ツィオお爺さんからは情報を貰うから対等だよ」
「ほう……それは高く付きそうだな。精々頑張るとしようか」
そう言うとツィオ爺は俄かに厳しい表情となる。そして“人化の技法”を解くと、そのまま竜へと姿を変え、俺たちが驚いてるのをよそに瞑想を開始し魔力を極限まで練り上げていった。
大地が震えるような錯覚にとらわれる。
周囲の空気が一変し、それに合わせ禁足地を覆う壁もまた魔力を帯び始める。どうやらこの場所自体が全て尋常ではない質量の魔石で覆われているらしい。アグリッピナでも金剛精鋼の部屋の存在に驚いたが、ここはその比ではない。金剛精鋼どころか、ほぼ全て竜魔石と化しているのではないかと思うくらいおびただしい魔力の高まりを周囲から感じる。
そんな輝きを増していく壁の魔力と共振するかのように、ツィオ爺の魔力もまた研ぎ澄まされていった。
思わずゴクリと息を呑む。
こんな全てを吞み込もうかという程凄まじい魔力はじいちゃんからでさえ感じたことはない。
この世のすべての力が今まさにツィオ爺に引き寄せられていく。
「次元遮断!!」
その瞬間、周囲の魔力とツィオ爺の魔力が融合し、幾重にも光り輝く魔法陣の球体に包まれた空間に俺たちは放り出された。
あれほど溢れんばかりに周囲に満ちていたはずの龍脈の鼓動すら感じられない。
まさに“無”を思わせる神秘的な空間に、思わず感嘆の吐息が漏れる。
「さあ、これでおそらく邪魔は入らないはずだ。無論、完璧など不可能である以上その名を呼ぶことはないが、存在を仄めかすくらいは問題なかろう。主らも努々警戒を怠らぬよう気を付けるがいい」
ツィオ爺をして、最大級の警戒を呼び起こす存在――。
「あのフォルトゥナートとやらを操るナニカについてだ」
大変遅れましたこと深くお詫びします。
詳細はX(旧twitter)にてお知らせします。
出来れば年内に更新したいですが、年末の予定が見えず、1月いっぱいかかるかもしれません。