第九十九話 地竜の讃歌 後編
「――え?!」
俺が逡巡する間もなく、すでに事態は動いていた。
『存在を無にせよ!!』
「地脈封印魔法!」
巨大な力が咆哮を上げ、それに対抗する形でフォルトゥナートが魔力を振り絞る。力と力のぶつかり合いが大地を揺らし、もはや立つことすら出来ない。
それだけフォルトゥナートの魔力は強大で、それに輪をかけて突如現れた巨大な存在――金色に輝く大竜は全てを超越したモノであった。
「ぐぅぅぅうう!」
肌に直接空気の震えが伝わって来る。膨大な魔力同士のぶつかり合いはいよいよ限界を迎え、皆がその結末を固唾を飲んで見守っている。
畏怖の表情でナルルースが。
驚きと恍惚さが入り混じった表情でルフが。
嫌悪とも怒りとも取れる表情でアレゼルが。
「な……んで、竜……? まさか、本当に御所代様……!?」
そしてナーサは呆然としたまま、無意識のうちにとんでもないことを呟いていた。皆が巨大な金色の竜の姿に目を奪われているせいで事なきを得ているが、非常に危うい。
「ん、ナーサはわかるの?」
「え?」
「だって、あれ……」
魔力を集中させつつユミスが視線だけエドゥアルトへ向ける。見れば奴は突如現れた竜の姿を凝視して固まっていた。その後ろに居るトリスターノ以下メロヴィクスに従った連中も虚ろな表情で上を見上げたままだ。
何も分かっていないんじゃないの?
暗にそう問いかけた形だが、そんなユミスに対しナーサは畳みかけるように反論する。
「魔力の濃さがケタ違いなんだから分かるに決まってるでしょう?! さっきまでの虚ろな幻影なんか比べ物にならないほど、あの金色の姿からは身体中が震えるほどの力を感じるんだから!」
そう。
見た目は竜の姿だったとしても所詮幻覚魔法。幻影ではあの強烈な金色の竜の存在感を生み出すことなどできない。
なぜいつもツィオ爺に接しているエドゥアルトがあんなまがい物に惑わされたのか分からないが、少なくとも今、目の前にある強大な力が分からないほど奴の目は曇ってはいないだろう。
これこそが竜――。
全てを超越する竜族の力なのだ。
「ん……」
ユミスが再び俺を見る。
何かを示唆するような厳しい視線がそのままヴァルハルティへと向けられ、思わず彼女に意図を確認しようとした刹那――
世界は大きく揺らぎ始めた。
「え?」
はじめは何が起きたのか分からなかった。
一瞬、空気の震えが止まり、大地も静けさを取り戻す。だが次の瞬間、一斉に魔力が壁や床一面に張り巡らされ、幾筋もの帯となって金色の竜へと巻き付き始めたのである。
『グゥウウウウウウウ……』
竜のうめき声が響き、さらに薄気味悪い赤みがかった紫色の帯が何重にも輪となってその肉体を捕らえ、そのまま巨大な半球体状となって覆っていく。
壁という壁、床や天井から次々に現れる魔力の帯が幾重にも巻き付き、あっという間に隙間すら見えなくなった。
まさかの展開に俺はその状況をただ呆然と眺めることしか出来なかった。竜族が何も出来ないなんて悪夢以外のなにものでもない。
だが俺はこの感覚を知っていた。
カルミネの王宮の奥、封印の間へと続く螺旋階段で味わったあの嫌な感じである。
あの時はヴァルハルティのおかげでからくも封印の間への道を進めたわけだが、一歩間違えれば俺はあの場で全ての魔力を吸いつくされ朽ち果てていただろう。
このままではあの竜もそうなってしまうかもしれない。
――だが、どうすればいい?
あの金色の竜から感じる魔力の質を思えばナーサの言うようにツィオ爺で間違いない。あれほど強大な力を持つツィオ爺でさえ封じ込められようとしているのに、カルミネではなんとかなったとはいえ、はたしてヴァルハルティで対抗できるのだろうか。
俺が逡巡していると、急激に竜の持つ桁違いの魔力が霧散していくのを感じた。
「――!?」
まさかツィオ爺に最悪の結末が訪れたのかと、ヴァルハルティを握る手に力が入る。だが、どうやらそれは杞憂だったらしい。球状を成していた帯が収縮してはじけ飛び、中から見知った顔――人化したツィオ爺が現れたのだ。
(竜人……いや“人化の技法”か?)
どういう仕組みか分からないが、フォルトゥナートの展開した魔法は竜族にしか効かないのだろう。それを瞬時に見抜いたツィオ爺がすぐさま対応したといった所か。
だが、そこにあったのはいつもの泰然として威厳のあるツィオ爺の姿ではなかった。膝をつき、肩で息をする老人の疲れ切った表情が苦戦を物語っている。
「ツィオ爺!」
ナーサが一目散にツィオ爺の下へ駆けてゆく。
俺もそちらに向かおうとして、すぐさまユミスの声に遮られた。
「待って、カトル。今は集中して」
「……」
ユミスの言葉に、俺は駆け出したい気持ちをグッと堪え、その場に留まる。ツィオ爺の下へ向かったナーサの様子を見れば、特に怪我をしている様子もない。
「フォルトゥナートの魔法がどんなものか正確には分からないけど、やっぱりカルミネの封印が一時的になくなった時に感じた力と凄く似てる」
それはさっきユミスが俺だけに話してくれたことだった。
『あの地割れを引き起こした力が学区に迫っている。こんな広い空間でもしそんな力――龍脈の力を使われたら、竜族だって封じられちゃうかもしれない』
『えっ……?!』
『カトルも封印の間を思い返してみて。龍脈の力で満ちた空間――なんであんな場所が存在するのか初めて見た時からずっと不思議だったけど、ここへ来て、この場所を見て、気付いたの。レヴィアさんがカルミネに着いた時に封印が復活したこと、フォルトゥナートが封印の間へ竜魔石を持ち込んだこと、カトルが通路で魔力を吸い取られたこと――』
『俺の魔力はヴァルハルティが奪い返してくれたけどね』
『ん! 話の腰を折らない! ……私はカルミネの封印はおじい様が龍脈の力を使って作ったものだってずっと思ってた。でもそうじゃなく、おじい様がカルミネに封じたからあの場所が出来たとしたら? おじい様が魔力を注ぎ込んだために龍脈と繋がったとしたら?』
『……っ』
『カトルがモンジベロ火山で龍脈に意識を囚われた事で失われた封印は、レヴィアさんの竜族の力によって再生した。つまりそれは竜族の力によって封印が作られ、竜族の力によって封印が破られるってこと……。だとすれば、オブスノールからこの地へ竜魔石を運び入れたフォルトゥナートの目的は――』
『カルミネの惨劇を繰り返すつもりなのか……?!』
ユミスの考えが正しければ、今フォルトゥナートが使った魔法は封印の間へ続く通路の仕掛けと同じ、竜族の力を奪いカルミネの王宮を崩落させる力を持つということになる。
ただ気になるのは、カルミネの時フォルトゥナートは竜魔石を使って封印の間へ集まった者たちから魔力をかき集め、封印を破ろうとしていた。
でもここアグリッピナには破るべき封印は存在しない。
……何もないこの地で彼奴はいったい何をしようとしているのか。
「ほうほう。まさか女神より賜りし私の魔法がそのような方法で破られるとは思いもしませんでした」
「……フン、我が一族を謀かり儂を封じようとは身の程知らずの慮外者めが」
「女神の目を欺くため道化を演じるあなたの方がよほど不埒でしょう? 神の愛し子たる竜がそのような児戯で誤魔化すなど、女神が知ればどれほど嘆くことか」
大仰な語り口でフォルトゥナートは額に手を当て頭を振る。それを苦々しげな表情で見据えながらも、ツィオ爺は油断なく魔力を展開していた。
そんな二人をよそに、俺はその会話で気になった部分をユミスに尋ねるべく口にしようとした刹那。
「てか、女が――」
「そは口にしてはならん!!」
女神って何の事?
そんな疑問は突然ツィオ爺から発せられたとてつもない魔力によりあっという間にかき消されてしまった。
俺は何が起こったのか分からず目を白黒させ、ユミスは俺とツィオ爺を交互に見やり眉を寄せる。
「かのモノは言の葉からでも間隙を縫うように力を行使しよる。竜族は決してその名を口にしてはならぬ。頭で考えるのもやめよ。遠き日の妖精族のようになりたくなければな」
「……っ」
ツィオ爺の発言は意図してソレから意識を切り離すものだったに違いない。そしてその言葉は俺よりも隣で呆然としていたアレゼルの心に深く突き刺さっていた。
「遠き日の妖精族……?! 上位妖精族の事ではない……なら闇妖精族? いや……まさか古代妖精族か!?」
呟きの声は力を増し、アレゼルの額から汗が流れ落ちる。何が彼女に衝撃を与えたのか分からないが、その動揺はハッキリと見て取れるほどだった。今まで小憎らしいほど冷静だったアレゼルとは思えない。表情からは完全に余裕が消え、虚ろな瞳は怯えの色を帯びている。
「これは、予想以上に警戒の度合いが強いですね。あなたがたはもっと尊大であったはずでしょう?」
「抜かせ、小童。代役者ふぜいが意思を持つなど思い上がるにも程がある」
「くは、くはははは! やっと本音が出ましたか。あなたこそ、そのような姿に身をやつし何を言うかと思えば、空威張りとは見苦しい。もはや竜たる力も感じぬ道化にいったい何が出来ると言うのです?」
フォルトゥナートの嘲笑が響き渡り、それをツィオ爺は苦々しげに見据える。その声に連動するかのように先ほどまで竜族の姿に腰を抜かして驚いていた灰色の髪の連中が立ち上がり、隊列を整え始めた。今にもこちらへ攻撃を仕掛けてきそうだ。
「ちょっと不味くないか? ユミス」
「今は集中して」
ユミスの回答は先ほどと変わらないものだった。ただ彼女の視線の先はフォルトゥナートからツィオ爺へ移り変わっており、何か意図があるんだと理解する。
『オブスノールから運ばれた竜魔石はカトルが無力化したけど、それはカルミネの時も同じ。カルミネの王宮が崩壊したのは、魔石の力を全て奪われたから。地下から懸命に魔力を送ったけど、どうしようもなかった』
『その原因が封印の間へ向かう道にあった竜族にだけ効く仕掛けってこと?』
『ん……絶対じゃないけど、魔力の流れの中心は螺旋階段だった』
ユミスの魔術統治魔法で感知できない魔力の流れはない。つまり崩壊の原因は自ずと限られてくる。
そして事実としてあの時、フォルトゥナートは仕掛けを認識していた。
『どんな仕組みかさっぱりだけど……フォルトゥナートが封印の間と同じように龍脈の力を使い、宮廷の壁に仕組まれた魔石を活用するのなら、カルミネと同じ状況を生み出す為、竜族の力を奪い取ろうとするよ、きっと』
そんなユミスの予想は現実のモノとなってしまった。
カルミネの時、竜人だった俺に影響があった事を思えば、今のツィオ爺は“人化の技法”を使った姿だろう。ならば能力は著しく弱体化しているわけで、他まで気を配る余裕はないかもしれない。
俺はヴァルハルティへ意識を傾ける。
竜の姿のツィオ爺と互角に渡り合えるほどの力をどうやって手に入れたのか分からないが、今のフォルトゥナートに俺が対抗する手段などこの魔剣くらいだろう。
灰色の髪の連中にも注意を払わなければならない以上、極めてまずい状況だ。
ナルルースも助けた事だし四の五の言わず撤退を考えるべきだが、奴がそう簡単に俺たちを見逃すとは思えない。
せめて脱出路付近で呆然とたたずむエドゥアルトたちを巻き込めれば活路を見い出せるかもしれないが、そう簡単にはいかない……え?
そんなことを考えていると、不意に後方から足音が響いてくる。
「カトルぅううう!! 無事かぁああ?!」
「え……マリー?」
かなり遠かったが聞こえて来たのは間違いなくマリーの声だった。響く足音を考えれば、結構な数の援軍がやってきているものと思われる。
ただそれでも目の前の数を相手に対抗するのはあまりに無謀だ。
宮廷と繋がる地下通路の向こうから現れる灰色の髪の連中は留まるところを知らず、探知魔法で把握しているであろうユミスの表情は険しさを増すばかり。
なんとか脱出する術を見い出さなくては虐殺される数が増えるだけだ。
「ユミス!」
俺はもう一度戦況を見つめるユミスを促す。
ユミスは先ほどからツィオ爺の方を見ながらずっと《瞑想》を続けていて、いっこうに止める気配はない。ナーサに支えられたツィオ爺も機会を伺っているのか、魔力を練ったままフォルトゥナートを見据えたままだ。
このままでは取り返しのつかないことになってしまうのではないか。
俺が、なんとかしなければ――!
そう思った時だった。
「……ん、来る!」
何が?
そう問いかける間もなく、部屋全体に魔力が急激に溢れていった。この全てを飲み込まれそうになる感覚は、まさしくモンジベロ火山やカルミネの地下で体感した圧倒的な龍脈の奔流である。
……そうか、ユミスもツィオ爺も、そしてフォルトゥナートもこれを待っていたんだ。
厳しい表情を崩さないユミスとツィオ爺とは裏腹に、フォルトゥナートはその力を待ち望んでいたようで恍惚とした表情を浮かべていた。奴はこの力を――龍脈の力をいったいどうやって使いこなそうというのか。
そんな疑問が頭をよぎった時、どこか懐かしさを覚える力が突風のように吹き抜けていった。
そして――。
気付いた時には、俺はありったけの魔力を込めヴァルハルティを床へ突き刺していた。
「……っ!」
部屋に満ち溢れた龍脈の力が、一挙にヴァルハルティへ集まって来る。
なぜそんな事をしようと思ったか自分でも分からない。だけど、なんとなくこれが必要な気がした。
この龍脈の奔流がじいちゃんの力なら、きっとじいちゃんの竜魔石から生まれたヴァルハルティと引かれ合うはず。
そしてこの時なぜか俺は、そんな人の身に余る途方もない力を当然の如く扱えるものと思い込んでいた。
「そんな無茶しちゃダメーーっ!!!」
ユミスの悲痛な叫びがこだまする。
でも、いったい何を心配してるのだろう?
この力はこんなにも優しく俺に寄り添ってくれている。
それどころか、ああ……! あまりの心地良さに身体が蕩けそうだ。
……このまま意識を手放して眠りを貪りたくなる。
(フン……竜族の理をも揺るがすとはな)
不意にツィオ爺の声が脳裏に鳴り響いた。そして身体の中に小さく、けれど力強い炎が燈ったような気がした。
「――え?」
途端に意識が鮮明になり、荒れ狂うヴァルハルティを通して歪な狂気が襲い掛かってきた。それは俺の全てを狩り尽くそうと身体中を暴れ回り、あまりの激痛に五感の全てを持っていかれそうになる。
何も出来ず、地に膝をつく。
だがそれでも決してヴァルハルティだけは手放さない。
「――、――!」
誰かが何かを叫んでいた。
でも、もはや何も見えず何も聞こえず、何の感覚もない。
まるで雁字搦めにされたかのように身体が動かないのだ。だがそれでも、ヴァルハルティを握る力だけは緩めるつもりはなかった。
ヴァルハルティは俺の半身であり、俺の魂だ。
絶対に失うわけにはいかない。
(見事だ、小僧、いやカトル=チェスターよ。後は任せるがいい……)
再びツィオ爺の声が頭に響く。
その声は歌うように朗らかで、心を落ち着かせてくれるものだった。
そして次の瞬間、俺の身体は巨大な力に包まれていた。
『石造りの輪の魔法』
投稿が遅れ、申し訳ありませんでした
次回は10月末までに更新予定です
詳細はXの方で書けたらと思います




