第九十八話 地竜の讃歌 中編
「幻覚って、あんたは何バカな事言ってるのよ! あんな、あんな巨大で生々しい姿が幻のはずないでしょう?」
「我の鑑定魔法でもしっかり認識しておるわ! 何よりあの莫大な魔力を感じないほどカトルよ、主は愚か者なのか?」
ナーサとアレゼルが絶叫にも近い叫び声を浴びせてくる。
確かに二人の言う通り生々しい姿だし莫大な魔力は肌身で感じるけれど、でも、それこそ俺が正しいって証なんだよね。
「虚勢か狂気か、それともただの阿呆か。いずれにせよ、人に成り下がった貴様など大した価値もない。偉大な竜の姿を羨みながら、ここで朽ち果てるがいい」
「……っ」
エドゥアルトが蔑んだ目で俺を見据えてながら嘲笑う。だがその瞬間、一気に空気が張り詰めた。
ユミスの魔力がありえない程膨れ上がっている。
まさか、今の俺への罵声で?
……とりあえず、気付かなかったことにしよう。そしてエドゥアルトは無視だ。
「凄い魔力は俺も感じてるって。ってか、アレゼルはほんとに鑑定魔法で調べたの?」
「そうだと言っておろう! それが何とする」
「今アレゼルが認識してる数値が竜の能力ってこと? 間違いなく?」
「……主は何が言いたい?」
「ん……そういうことね」
どうやらユミスは気付いたらしい。キッと上空を見つめ、その後静かに瞑想に入っている。
対照的にアレゼルの表情は険しさを増し、その視線は半ば睨みつけるかのようだ。顎をしゃくり上げ、俺に返答を促してくる。
「いやだから幻覚なんだって、あの竜は。そりゃ魔力は凄いけど、それは多分フォルトゥナートの魔力……いやフォルトゥナートの身体を奪ったナニカの魔力だ」
「莫迦なことを! 主は能力が分からぬからそんなあほうなことを平気で言えるのだ。彼奴の魔力を知れば腰を抜かすぞ」
「ん、アレゼルは大袈裟」
「ってか実際どのくらいなわけ?」
「一万ちょっと」
「「いちまん……!?」」
ユミスの答えにギョッとした様子でルフとナルルースがうめき声を上げる。
そういやリスドでバ火竜が200超えで驚かれていたっけ。あの時、伝説の賢人の数値が500だか1000だかって話だったよな。
……あれ?
って今気付いたけど、伝説の賢人の名前、エッツィオ=スティーア……って、ツィオ爺の事じゃん!
何やってんだよ、あの爺さん!! 自分の能力をほんとに明かしてたのか。
……そういや竜退治を謳ってたんだっけ。ある程度の数値を見せつける必要があったってことなんだろうな。やりたい放題が過ぎるけど。
でも数値が残っているって事は、当時から“人化の技法”を使ってたわけか。
だって――
「竜の能力は鑑定魔法じゃ調べられないんだから」
「――!?」
ざわりとした空気が伝染する。
ただそれも束の間、目の前が曇ったかと思うと、突如として得体の知れないナニカが襲い掛かって来た。それを振り払うべく咄嗟にヴァルハルティで虚空を薙ぎ払うと、文字通り空間が裂け、その隙間から大量の魔力が噴き出し始める。
「ユミス!」
「ん! 魔法結界!」
「足りぬわ! 魔力障壁!!」
ユミスとアレゼルの魔力が掛け合わさり、強靭な魔力の防壁が俺たちを覆いつくした。だが魔力と魔力のぶつかり合いは言いようもない不快感を沸きあがらせ、身体中の魔力が暴走するような感覚に苛まれる。
「ちょっと! 何がどうなってるの?!」
「正体がバレそうになって慌ててるんじゃね?」
「あんたは何でそう落ち着いていられるのよ!」
「ナーサは文句ばっかだなあ」
「あんたね!!」
「四の五の言っている場合か! 主よ、アレはいったい何だというのだ?」
「何って言われても、俺に分かるのはあの姿が幻覚魔法でつくられた虚像ってだけで」
ヴァルハルティが魔力の塊を前に急激に力の膨張を開始する。
魔力が吹き上がり、目の前にあったはずの竜の姿が徐々に描き消され――
「そして、そんなことが出来る奴は、竜族を除けば、カルミネの地下で遭遇した異形の存在だけってことだ!」
そこには両手両足より魔力を放出しおよそ人族離れした姿でゆらゆらと虚空を漂うフォルトゥナートの姿があった。
「なっ……な……」
今にも搔き消されそうな声で嗚咽を漏らしたエドゥアルトが怯えるように視線を空に向ける。
今まで信じていた絶対的な存在が一瞬にして塗り替えられていく光景に、分かりやすく心が揺らいでいるのだろう。
……気持ちは分かる。だが、同情はしない。
いくらツィオ爺を信奉してるからって、本質を見誤る行動を取ったのは、ひとえにエドゥアルトの心の中にそうさせるだけの澱みがあったからに他ならない。
「あんたが! エディ兄様を誑かしたのか! フォルトゥナート!!」
「これはこれは、万年茶タグの落ちこぼれ傭兵――おっと失礼。まさかスティーアの御令嬢だったとは思いもよりませんでしたよ。三流以下の能無し風情がこともあろうに女王と誼を通じるなど言語道断と、あの時の私は気が狂いそうになるほど怒り心頭でしたからね」
「な、にを!!」
「そんなあなたのお兄様は……くは。非常に使える駒でしたよ」
「!」
「スティーアの一族の歪みは思いのほか大きいのですねぇ。私の幻覚魔法はそんな心に潜むほんの少しの闇を希望へ変える力に秀でているのですよ。お陰で大いに踊って頂きました」
フォルトゥナートは冷ややかな視線を眼下のエドゥアルトへ向ける。だが、もはや虚ろな表情を浮かべたままの彼にその言葉は届かない。
「ですが、そんな私もまた結局あなたに翻弄されるわけですか」
「……っ」
途端に空気が重くなり、神経をざらつかせる。
ただそんな言葉に反して奴はゆらゆらと重力を消し去ったかのように宙を漂い、下卑た笑みを浮かべるのみだ。
「よく、分かりましたね。どうやら、そこのお二人が鑑定魔法で調べる前から見抜いていたようですが、それこそがドラゴンの血のなせる業ですか?」
「竜……の血?!」
フォルトゥナートの言葉にアレゼルが焦りの色を浮かべ、こちらを見据える。もう色々とバレてしまったのだろう。じいちゃんになんて言い訳しようか考えるだけで頭が痛い。
だが、それ以上にこの厄災は危険だ。
「さあね。竜の力を感じなかった、それだけだよ」
「竜だけが持ち合わせたる力、ですか……。くは、くはははは! やはりそういうことなのですね! 先日までスティーアの屋敷に感じていた力は、この世界を巡り、神を隔絶させてきた意志ある奔流――そう、まさにその名の通り龍脈こそが竜を偽りの神として君臨させたるものだったのでしょう!」
フォルトゥナートは笑みを浮かべたまま両の手を上へ掲げた。それはまるでありもしないナニカを虚空に見い出しているかのような、強烈な違和感に苛まれる。
奴は視線の先にいったい何を見ているのか……。
背筋に冷たいものが走り抜ける。
「おや、言葉も無いですか。くっくっく、無理もありません。何しろ、かの屋敷から龍脈の力を途絶えさせたのは我が同胞の力によるもの」
「――っ?!」
「そしてあの忌まわしきオブスノールの魔力を解き放ち、龍脈の力をこの地まで導いた。それが何を意味するか、お分かりですか?」
「何を、言って……」
「くは、くはははは! ついに、ついに竜によって彼の地に封じられた同胞たちは解き放たれた、ということです! そして奇しくもその龍脈の力により、この宿怨たる地アグリッピナへと導かれる……。なんと胸躍る状況でしょう! そう、数千年の苦難の時を越え、まさに今この地は我らが同胞の手に還ろうとしているのですから」
魔力が力強さを増し、同時に先ほどの通路の奥から地鳴りのような喚声が響き渡ってくる。さっきアレゼルが言ってたのはこれの事だったのか。
だが、今はそんな些細なことを気にしている暇は無い。
「龍脈の奔流を、ここに引き寄せたのか」
「驚きましたか? かの力はまるで魔力の塊のようなもの。高純度の魔石の結晶体より何倍もの力を有します。そういえばかの竜はピラトゥスの地で金剛精鋼の鉱脈を大事に守っているのでしたね。くっくっく、なんと哀れでおぞましいことか」
「何を!」
「落ち着け、ナーサ」
いきり立つナーサを何とか止め、俺はもう一人のスティーアの血筋に目を向ける。だが逆上する彼女とは裏腹にエドゥアルトは呆然としたままだ。
さっきの言葉からも伝わるのは、竜の姿への畏怖の感情であり、対して俺へのぞんざいな扱いは、竜の姿になれない半端ものに対する拒否反応だったのかもしれない。
俺は思わず目をつぶり、天を仰ぐ。
俺にはもう、どうすることもできない。
「そんな魔力の塊である龍脈の力を、お前は活用できるのか?」
「フッ、いまさらあなたは何を言っているのです? 龍脈はすでにこの地に導かれました。すでにあなたも大地の叫びを聞いたでしょう? あの忌まわしき魔石を砕いた程度で、かの力の驀進を止められようはずがないのですよ!」
フォルトゥナートの不敵な笑みと共に、この広い空間に魔力が溢れ始めた。それはまるでこの場に本物の竜を喚び出すかのように、龍脈の力が大地に満ちて行く。
俺はすぐさまユミスを見ると、既に瞑想を終え、いつでも最大限魔法を使える状況であった。
ならば俺のすべきことは一つだけだ。
そして、ついに通路から灰色の髪を振り乱し凄まじい魔力を溢れさせた連中が雪崩れ込んできたのである。
「さあ、時は満ちました。スティーアの血をこの大地に捧げましょう!」
『させるか――慮外者め』
その瞬間、空気が震え――力が顕現した。
次回は7月中に更新予定です。
更新遅れていて申し訳ありません。
九十九話の更新はもう少々日にちを下さい。