第九十七話 地竜の讃歌 前編
魔力の流れを如実に感じる頃には、もはや怒涛の如き奔流となってヴァルハルティから自分、そしてユミスへと巨大な塊が動いていた。
そもそも魔力が失われるなどそう簡単に起こらない。そのほとんどが外的要因であり、失われれば死を意味する。
「ぐ、ぅうう……」
身体の奥底からごっそり何かが抜けていく。“瞑想”で魔力の循環は慣れているはずなのに、それとは明らかに異なる。たとえるなら、高熱で意識が遠のくほどの状態だろうか。立つことさえ億劫になる感覚に眩暈を覚える。
だが、四の五の言っている場合ではない。
「ん……!」
目の前には死を間近にしたナルルースが倒れており、そんな彼女にありったけの力を送り続けるユミスの奮闘する姿があった。それを見て弱音を漏らせるはずがない。
俺は集中し、“瞑想”する時と同じように魔力の流れに全神経を傾ける。
そして――
今まで俺を覆っていた巨大な力がごっそり抜け出て行った気がした。
「……っ?! カトル、ストップ!!」
「!?」
突如発せられたユミスの声にハッとして意識を揺り戻す。見ればいつの間にかユミスは魔法の展開をやめており、溢れ出た魔力が彼女の身体を覆いつつあった。
これ以上の供給はユミスに必要ない。俺は慌てて魔力の奔流を押し留める。
一方アレゼルの魔法もまた収束の時を迎え、ナルルースの身体に生気が帯び始めていた。
「……んぐ、はぁっ、はぁっ……」
「気付いたか、ナルルース!」
今までピクリとも動かなかったナルルースが堰を切ったように呼吸を荒げ、苦痛に歪んだ表情を見せている。
どうやら意識が戻ったらしい。
「く……う……、こ、これは……アレ、ゼル様……」
「ん! 無理に、話させちゃダメ」
「む……我は真にナルルースの魂か、確認したかっただけだ。これ以上は聞かぬ」
「なれば私が、ナルルース先生を、運ぶとしよう。それよりこの場は、大丈夫だろうか? この地震もだが、先ほど大軍が押し寄せていると、言ってなかったか」
一人グッと地面を踏みしめ立ち続けていたルフが二人に問いかける。
「フン、安心せい。揺れの直後から、動きを止めておる。そもそもこの揺れで、行軍しようと思うまい」
「ってか、こんなに長く揺れるなんて、ほんとに地震なの?」
「ん……違うよ。この揺れは、魔力的なもの」
「「ええっ?!」」
そのユミスの言葉に俺とナーサの叫び声がこだまする。
俺から尋ねといて何だが、これが魔法によるものだなんて信じられない。大地を揺らす魔法はじいちゃんだってそう簡単に続けられなかったはずだ。
「宮廷の床や壁の、魔石の力を使えば、妖精族なら出来る」
「なんぞ、含みのある言い方だのう」
「……ねぇ。それより、揺れが収まって来てない? これくらいなら、なんとか動けそうだけど」
「フン、ということは、連中が動き出すのも、時間の問題であるか」
「なっ……!? それなら急がないと!」
地面を踏みしめながらルフがナルルースの傍まで来て、彼女をおんぶする。
「そっと、そっとだぞ!」
偉そうな物言いの割には心配そうにアレゼルがナルルースを見やっている。
とりあえず、彼女の事はルフと二人に任せよう。
俺たちは部屋を出て元来た道を辿り、広場まで戻って来た。
途中だんだんと揺れが収まり、広場では歩く分にはまったく支障がなくなっていた。まだ揺れ自体続いていることから、震源から離れたことで揺れが収まった節がある。
あの部屋の向こう、通路の先ではいったい何が起こっているのだろう?
考えれば考えるほど恐ろしくなる。
……
そう、ずっと気になっていた。
壁や床に魔力が通じている。それは本来途方もない力であり、たかが魔石で簡単に補充できるような代物ではない。
そもそも宮廷中の壁や床に魔法を組み込むなんて、誰がそんな面倒くさいことをするのか? 全く労力に見合わない。
だが事実魔力はそこかしこに通じており、大量の魔石が散布されていた。そして現に今、魔力を通して大地の揺れが断続的に起こっているのだ。
だからそこに一つの疑問が生まれる。
この状況を引き起こしているのは誰だ?
俺はずっとメロヴィクスが仕組んだものだとばかり思っていた。あの男が主体となって動けば、宮廷中の壁や床に魔石を張り巡らせることが可能だからだ。
だが、大混乱に陥ったアグリッピナ、分断された皇家と選帝侯、そして暗躍するフォルトゥナートと“侵食”する魔石……。謎に包まれた大軍勢も含め、皇子という立場の者がその全てを齎したというのは理が通らない。
皇子として皇帝に反旗を翻したのなら、目指すはその地位であり、狙うは国家という枠組みのはず。それなのにその中枢であるはずの首都アグリッピナでこの惨状を引き起こすだろうか。
(下手すれば、フォルトゥナートにめちゃくちゃにされるぞ)
何しろ今の奴には得体の知れないナニカが憑依している可能性が極めて高い。部下が次々と“侵食”されて、気付けば裸の王様なんてことになりかねない。
「たぶん、あの皇子はフォルトゥナートの事を知らないよ」
「え?」
また考えごとを口走っていたのか、並走してたユミスが話しかけて来る。
「魔石で“侵食”されてることも、市街地に亀裂が走ったことも……。もしかしたらここに来ようとしてる軍勢のことさえ知らされてないかも」
「じゃあ、黒幕はいったい誰――」
俺のその問いかけの言葉は最後まで発することは出来なかった。ちょうど俺たちが戻ろうとしていた通路の先からよく見知った人影が現れたのだ。
「どこへ向かう? この世の摂理に歯向かわんとする慮外者よ」
「エドゥアルト?!」
「エディ兄様?!」
目の前の人影はメロヴィクスと共に姿を消していたはずのエドゥアルトだった。傍にはトリスターノ以下取り巻きたちもいるが、皆一様に虚ろな視線をこちらに向けており、その抜け殻のような姿に薄気味悪さを覚えてしまう。
「アグリッピナの大地は神の祝福を受け、ラティウムの呪縛から解き放たれた。もうすぐこの地は力で満たされるだろう」
「何を、言って……!?」
「分からんか。やはり、愚か者どもは一掃される運命ということだ」
エドゥアルトの口から呪いの言葉が発せられる。
だが、何を考えているのかさっぱりだ。どうしても戸惑いの方が先に来てしまう。
「あいつも“侵食”されてる?」
「ううん、されてないよ。【カルマ】も高揚なだけ。能力も初めて会った時とほとんど変わってない」
「じゃあ、あれで素なのか」
エドゥアルトの意図がさっぱり分からない。だけど妙に引っ掛かりを覚える。
神の祝福とかこの世の摂理とか言ってるけど……そもそも神って何だ?
あいつにとっての絶対的存在なんてそれこそ一人しか思いつかないが、まさかツィオ爺がここまで飛んできて力を行使しようとでもいうのか?
そんな事をすればどうなるか、あの爺さんに分からないはずがない。
だが、そんな俺の考えを嘲笑うかのように突如として世界が暗転する――。
「――?!」
目の前が真っ暗になったと思いきやユミスをも超える凄まじい魔力の波動に、俺は思わずのけぞっていた。
照明魔法の効果がなくなったわけではない。
そう勘違いしてしまう程の巨大な影が突然俺たちを覆い尽くしたのだ。
「なん、で?!」
「お、お、お……」
「まさか、本当に竜……?!」
「はは……、この場の広さは竜を喚び出す為だったか」
ナーサは絶句し、ルフとナルルースは空を見上げ呆然としていた。アレゼルだけはドラゴンの姿を前に不敵な笑みを浮かべ、杖を片手に臨戦態勢を取っている。
「……ん、竜がこんな所に現れたら全部終わっちゃうよ」
ユミスのか細い呟きが俺だけに聞こえてくる。
彼女がそう思うのも当然だ。
大陸への干渉を禁じた誓約はじいちゃんだけのものとはいえ、今までそれを表立って破る竜族などいなかった。
中にはバ火竜みたいに遊び半分に姿を現す竜族も居たみたいだけど、それはあくまで洞窟の奥深くといった人族の寄り付かない場所に限った話だ。地下とはいえこんな国の中枢に竜の姿で現れるなど、じいちゃん相手に真正面から喧嘩を売っているに等しい。
「愚か者どもよ。我が怒りを前に消え去れ」
巨大な影から発せられる言葉が広場全体を包み込む振動となって覆い尽くす。
その巨躯を見たものは恐れ戦き、身動きすらも取れなくなる。
でも――
「じいちゃんの事を思えば、どっちが愚かだなんて考えるまでもないんだけど」
俺ははっきりとそう口にして、相手の言を断ち切った。
その言葉にエドゥアルトは目を見開いて驚き、そして高笑いを始める。
「フッ、アッハッハッハッハ! 気でも狂ったか? この降臨せし神々しいお姿を前によくもそのような戯言がほざけるものだ」
「おかしいのはお前だろ? エドゥアルト。ここにはお前の妹のナーサがいるんだぞ」
「何を言う。お前と違いナータリアーナは現実を見据えているではないか」
上を向き絶句したまま呆然とたたずむナーサを見て、エドゥアルトはほくそ笑む。
まあ、あんなの見ちゃったら誰でも最初はビックリするよな。
でも――
「あれは幻覚だろ? フォルトゥナート!」
お待たせしました。
次回更新は6月中の予定です。