第九十六話 絆の覚醒
「“封印”って、まさか!?」
「……ん」
俺の問いに冷静に頷くユミスだったが、ギュッと握られた拳から動揺が伝わってくる。ナーサに至っては分かり易く顔面蒼白だ。
呆然とする俺たちをよそにルフが部屋の中へずんずん進んでいき、その後ろをアレゼルが続いていく。
「っ?! 誰か倒れているぞ」
「さもありなん、ナルルースであろう」
その声に我に返った俺たちは急いでアレゼルの下へ駆け寄る。そばにはめくれ返った赤い外套に包まれた女性――ナルルースが横たわっていた。激しくのたうち回った痕跡があるのに、今の彼女はピクリとも動かない。
最初は悠然と構えていたアレゼルもそんなナルルースにやや焦った様子で身体を抱え込む。
「くっ、衰弱しきっている。魔力も枯渇寸前ではないか!」
鑑定魔法を使ったのだろう、生気のなくなったナルルースの様子に舌打ちすると、身体をもう一度床に寝そべらせ、形振り構わず魔力を集中し始めた。
「回復魔法なら、ユミスの方が……」
「たわけっ! それでは魔力が回復せぬわ! ここは能力供与を――」
「ダメっ! それじゃかえってナルルースが死んじゃうよ!」
「な、にを言って……?!」
「カトル、また手伝って。あの時みたいに……!」
「あの時って、まさか!?」
コクリと頷くユミスに俺は目を見開いた。
あの時と同じという言葉が示す意味――それはナルルースが【浸食】されているということだ。
ボケッとしている暇は無い。目の前に横たわる身体はヴィットーレの時とは比べ物にならないほど衰弱しており、むしろこれで生きていると言われる方が不思議な位だ。出来る限り急がねばならない。
俺はあの時と同じようにまず首の後ろに手をやり、絡みつく気持ちの悪い魔力に驚き慌てて手を引っ込める。
(これは……)
この感覚は間違いない。ヴィットーレの時と同じ【侵食】だ。
それなのになぜかゾクリとする違和感が脳裏をかすめていく。
何かがおかしい。
彼女の首の後ろに意識へ絡みつくような魔力があるのは確かだ。それなのに、もう一度ナルルースの方へ視線を向ければ、なんとも言えない嫌な感覚が拭い去れないでいた。
それはまるで首の魔力を隠れ蓑にした小さな綻びであり、明確な悪意を帯びたナニカが潜んでいるような気がして不安に苛まれる。
(……これ、か)
そして最も不安が膨れ上がる部分――、そこに隠れる異質な存在に気付くまでそう時間はかからなかった。
「ユミス、首の後ろと胸の上、それから左の腰のあたりを探ってみてくれ」
「……三か所も?」
ユミスは俺の言葉にやや驚いたものの、すぐに魔力を展開する。そして一瞬驚いた顔を見せたかと思えば、おもむろに皆へナルルースの状態を説明し始めた。
「今ナルルースの魔力は【侵食】され尽きかけている。特に首の後ろと心臓の真上にある“核”が厄介で、ヴァルハルティで【侵食】の元凶を断ち切ろうとするとナルルースの魔力も潰えてしまう」
「え……?」
「なら先に腰の“核”を対処するの?」
「それもダメ。今の状態じゃ小さな影響さえ致命傷になる」
「ならばいかんとする? もはや一刻の猶予もないのだぞ!」
「だから、ここにいる全員の力が必要なの!」
「「「「っ?!」」」」
突如声高に発したユミスの言葉に皆の視線が一気に集まる。
「まず最初に【侵食】が一番進んでる首の後ろの魔力をカトルに断ち切ってもらい、それと同時に私が能力供与を使う」
「……!」
「能力供与で魔力を与えるとナルルースを殺すのではなかったのか?」
「それは与えた魔力が【侵食】も早めるから。首の後ろの“核”さえなくなれば、他はまだ大丈夫なはず」
「ほう……」
「でもナルルースが弱っていることに変わりはない。残りの魔力が【侵食】する前にルフが腰、カトルが心臓の上を同時に対処」
「待て待て待て」
「当然そのままじゃ魔力も生命力も尽きるから、カトルの対処と同時にアレゼルが能力供与を、そしてルフが“核”を取り除いたら私は回復魔法で対応する。でも能力供与の後だと私の魔力が持たないから、ナーサの魔力を最大限活用させてもらって――」
俺のツッコミを無視し、ユミスはよどみなく説明を続けた。それはなんとなく理にかなってそうに聞こえるけど、実際は無茶苦茶が過ぎるやり方である。
俺の攻撃と同時に魔法を展開して魔力を送り込む――
言葉にすれば簡単そうだが、実際はそんな生易しいものではない。仮にそれが成功したとしても、能力供与で自分の魔力が低下した状態のままどうやって回復魔法を展開するつもりなのか。
ナーサのサポートがあったとしたもユミスの負担が大きすぎる。
「……ふう、さらっととんでもないことを言ってくれるわね、ユミスは」
「ん……ごめん」
「私は瞑想で魔力を最大限まで高めればいいだけでしょう? やるしかないわよ」
時間がないと分かっているからか、ナーサはすぐに瞑想をし始めた。
俺がリハビリをやっていた裏でかなり特訓していたのか、見違えるほどスムーズな魔力の高まり具合だ。
ただ、それでもユミスの魔力を考えると全然足りていない。それが分からないユミスではないだけに、いったいどうするつもりなんだろうか。
「フン、我もカトルの攻撃に合わせれば良いのか」
「出来る?」
「はっ! 主は誰に向かって口をきいておる。人の子に出来ることが我に出来ぬはずがないわ」
「ん、なら頼んだ」
「待ってくれ、ユミスネリア殿。私も出来ることなら全力で対応したいが、標的の位置がわからぬままでは徒にナルルース殿を傷付けてしまう」
「それは平気。これだけ【侵食】が進んだ状態で能力供与を使えば必ず魔力が暴走する。だから……」
「なるほど。嫌でも場所が分かる、ということか」
「ん」
だが、皆ユミスを信頼して動き始めていた。
いや、俺だってユミスを信頼してないわけじゃない。どちらかと言えば無茶をする彼女が心配なだけだ。
ユミスは俺やじいちゃんには雄弁だけど基本人見知りで、それ以外の相手へ饒舌に何かを語る時は無理していることが多い。
「ん、平気」
不安そうに見ていたからか、ユミスの方から声を掛けられてしまった。視線が合うと笑顔を向けて来る。
「ほんとに大丈夫か。無茶してるんじゃないのか?」
「大丈夫。それに多少の無茶なら平気だよ。私にはカトルがついてるし」
そう言ってジッと見つめてくるユミスは俺に信頼の言葉を投げかけてくれる。
それ自体は嬉しいけど、何で俺を信頼してくれているのかさっぱりだ。俺に出来るのはあくまでナルルースの身体を蝕む“核”を斬るだけで、ユミスの魔力になんら影響をもたらさな――。
……いや、もしかしてそういうことか。
「ん、そろそろ、行く!」
全力に近い魔力を両の手に宿し、ユミスは収納魔法で出した杖を片手に悠然と待ち構えた。
アレゼルもそれに倣い魔力を増幅、そしてルフは無言のまま頷くと静かに息を吐く。
ナーサはずっと瞑想で集中したままだ。
皆、俺の挙動を待っている。
「くっ……」
振り上げた手に魔力を込めれば、その全てがヴァルハルティの剣身に伝わりはじけ飛ぶ。それはヴィットーレに対して施した時よりも力が増しており、まかり間違えば一瞬でナルルースの命を掠めとる凶器になりえるものだ。
(落ち着け……)
俺はゆっくり深呼吸をして心を落ち着ける。
大丈夫だ。
ヴァルハルティは暴走していない。いつも通り、じいちゃんを感じさせる竜魔石の息吹が俺を支えてくれている。
その刹那――、ヴァルハルティに反応したかのようにナルルースの身体がビクンと脈を打った。彼女の首の後ろから身の毛もよだつ魔力がこちらへと襲い掛かって来る。
「くっ……行くぞ!」
俺は素早くヴァルハルティを虚空で薙ぎ払うと、ユミスに目配せしつつ、すぐさまナルルースの首へ魔剣を振り下ろした。
「~~っ!」
ぐにゅりとした気持ちの悪い感触が剣越しに伝わって来る。しかもヴィットーレの時と違い、明確にこちらを押しのけようとする意思を感じるあたり、あまりのおぞましさにヴァルハルティを手放したくなるほどだ。
魔力の塊が意思を持っている――。
そんなものが存在していると考えるだけでも背筋がゾッとするのに、目の前のナルルースの身体にはそれが三か所も巣食っているのだ。
『身体を乗っ取られるかもしれない』
ヴィットーレの部下だった男が語った恐怖の言葉が反芻され、慌てて俺は頭を振った。
早くナルルースを助けるんだ。
何者かは知らないが、意思を持つ“核”を三つも身体に埋め込ませるなど正気の沙汰ではない。仮にこの“核”が何らかの生命体だったとして、一つの身体を三つの意思で共有できるはずもなく、最初から二つは使い捨てということなのだろう。
……あの封印の間の奥で見た壁へ激突し朽ち果てる異形どもの末路を思い出し、吐き気すら催してしまう。
意識を剣に集中させよう。
そして一刻も早くこの悪夢から脱却するんだ。
実際は一分に満たなかったのかもしれない。けれど俺にとっては永遠とも思える時間が過ぎ去り――、ついに身の毛もよだつような感覚が消え、悪夢は終わりを告げた。
そして急激にヴァルハルティからの魔力の逆流が起こり始める。
「能力供与!」
その瞬間、俺の動きを見計らったように魔法を展開するユミスの声が響き渡り、ナルルースの身体が魔力で包まれていった。
だが同時に彼女の左胸、そして左の腰辺りの魔力が渦を巻き大きさを増していく。その動きは予想以上に凄まじく、ともすればナルルースの身体をすぐにでも食らいつくすほどの勢いである。
これって結構まずい状況な気がするんだけど。
ただユミスを見やれば、相当の疲労感に苛まれながらもまだ能力供与をやめていなかった。それはつまりナルルースの身体に魔力が足りていないということだ。
……どうする?
明らかに左胸の魔力の渦が身体の回復を邪魔しているようだった。早く消し去ってやりたいけど、タイミングの見極めが重要だ。彼女の身体に魔力が戻りきっていない状態で再びヴァルハルティを突き刺せば、先に魔力が尽きてしまうかもしれない。だからといって、このまま左胸の“核”の暴走が収まるのを待っていては身体を乗っ取られてしまう。
「……ぐっ」
俺は自然と喉の渇きを覚え、ゴクリとツバを呑む。
――ユミスの魔力を感じるんだ。
能力供与の魔法が終わった瞬間、ナルルースの左胸を巣食う元凶を取り除く。それだけに集中する。
後の事は全部アレゼルに任せよう。
もちろん魔力を集積する心臓にヴァルハルティを突き立てない方が良いんだろうけど、今の俺にそんな機微が分かるはずがない。
感覚で斬る、それだけだ。
「う……」
「ユミス?!」
不意にユミスの魔力が途切れ、その瞬間ナルルースの身体を包んでいた魔法がはじけ飛んだ。重力に引かれるがまま頭から崩れ落ちたユミスの身体をナーサがなんとか支える。
だが、俺の意識は次の瞬間そこになかった。
「今!」
すぐさまヴァルハルティを構えると、ナルルースの左胸にある禍々しい魔力の渦に突き立て、魔力を注ぎ込む。
「ハッ――!!」
隣では気合一閃、ルフが彼女の左腰を切り裂いていた。肉を抉られ大量の血しぶきが俺の方にも飛び散ってくるも、そんなものに頓着している場合ではない。荒れ狂う魔力を押さえつけ、出来る限り早く元凶を取り除かなければならない。
「ユミス、私のありったけの魔力よ! 使って!!」
「魔力吸収魔法!」
目の前には弱々しいながらもナーサに向かって魔法を展開するユミスの姿があった。
――大丈夫。
ユミスなら、きっとうまくやってくれる。
それに魔力が足りないのなら、このヴァルハルティを通して逆流して来る“核”の魔力を送れってやればいい。
だって俺とユミスの間には“誓願眷愛”の繋がりがあるのだから。
「うぉおおおおお!! ナルルースの身体からいなくなれぇえええ!!!」
俺は全力を振り絞りありったけの魔力をヴァルハルティにぶつける。もはや竜巻の如く荒れ狂う“核”の魔力に対抗するにはこれしかない。
そして――。
「っ?!」
「カトル! 消えた!!」
俺が認識したのとユミスの叫び声が聞こえたのはほぼ同時であった。
その瞬間、魔力の逆流するヴァルハルティをナルルースの身体から抜き去り、アレゼルの方へと向き直る。
「アレゼル、早く!」
「分かっておるわ! 能力供与!!」
「賢人の治癒魔法――!」
アレゼルが魔力を展開するやいなや、ユミスもまた魔法を解き放った。あれはカルミネのギルドで見た神々しい光の魔力であり、瀕死のヒュパティアを救った奇跡の魔法だ。
この魔法なら問題ない。
きっとナルルースは死の淵からでも蘇るはず。
そう俺が思い描いた時だった。
「な、なんだ!?」
ゴゴゴゴゴという、まるで地獄の底から聞こえて来るかのような轟音と共に、下から突き上げられるような衝撃が襲って来たのである。
不意に身体が浮き上がるような感覚に、俺は成す術もなくその場にへたり込む。
「わっ?!」
「大丈夫か、ユミス!!」
「ん、私よりアレゼルが!」
倒れそうになったユミスをなんとか支えたものの、傍で魔法に集中していたアレゼルが体勢を崩し身体を地面に打ち付けていた。
距離が空けば当然能力供与は途絶えてしまう。だが揺れが収まらない以上、アレゼルはナルルースに近付く事もままならない。
まずい。
あれほど禍々しく渦巻いていた魔力がやっと消え去ったというのに、彼女の身体からはもうほとんど生気が感じられなくなっている。
このままでは危険だ。
「能力供与!」
「ユミス!?」
あまりの事に、俺は素っ頓狂な声を上げ、食い入るようにユミスを見やった。
なんとたいした魔力も残っていないのに、回復魔法を中断し魔力を注ぎ始めたのである。
案の定、塞ぎ切っていなかった傷から再び大量の出血が始まり、ナルルースの身体を蝕んでいく。だがそれでもユミスは魔力の供給をやめない。じわじわ広がる血の痕跡がナルルースの死を予感させる。
「アレゼルは、回復魔法をかけて! 回復魔法なら、多少遠くても展開、出来るでしょ!?」
「ぐ、ぅうう……なんたる不覚! だがそち、の魔力は持つのか?」
「ナルルースの魔力は、尽きかけてる。このままじゃ、死んじゃう!」
「っ、愚か者めが。共倒れ、するつもりか」
「早く!」
「……妖精族の万能薬!」
アレゼルは苦悶の表情を浮かべながらも、その場で回復魔法を展開し始めた。それはじいちゃんから教わっていない淡い翠玉の光を放つ魔法で――、その美しい輝きにナルルースの身体は優しく包み込まれ、左腰の出血が徐々に治まっていく。
だが、生命力の回復具合とは対照的に、魔力の根源は彼女の身体から失われつつあった。能力供与によって暴走した“核”によるダメージは極めて大きく、ナーサから多少吸収した程度ではナルルースの魔力を回復させるどころか延命さえ難しい。
ユミスだけなら“誓願眷愛”で助かるだろう。でもそれではナルルースの存命は絶望的だ。
魔力回路の繋がりがあるのに、なんでこうままならないのか。
今もなおヴァルハルティから大量に送られてくる魔力があれば、簡単に二人を魔力で満たすことが出来るはずなのに。
「くっ……!」
俺は思わず天を仰いだ。
この魔力をユミスに送る方法はないのか。
ヴァルハルティを仲介している以上、魔法ではユミスに魔力を送る事は出来ない。かと言って魔剣を手放せば、途端に魔力の逆流は途絶え、尻すぼみになってしまう。
自分の意思で魔力回路をこじ開けられさえすれば……!
(さっき俺が精神力枯渇になった時はどうだった?)
精神力枯渇になれば考えている余裕など欠片もなくなる。ただゆらりとした魔力の渦が舞ったような、そんな気がしただけ。
それがどんな感覚で起こっていたのか。自分の無意識下で起こった衝動など覚えているはずもない。
(あ、でも確かあの時――)
それはヴェルンとの模擬戦で瀕死の重症を負った時のことだ。わずかに感じた魔力の揺らぎは、最初ユミスの魔法だと思っていたけど、あの感覚こそ“誓願眷愛”による二人から齎された繋がりだったのかもしれない。
あの魔力の揺らぎにヒントがあるならば――。
俺はありったけの魔力を自分の身体の中で瞑想とは違った形で集め始めた。身体中を循環した魔力は、やがて一点に収束していく。
頭の後ろ側、首のちょうど上あたり。
それは脳が直感的に彼女たちとの繋がりを覚えている場所。
「……カトル?」
何かを感じ取ったユミスがこちらへ振り向く。
そして、少し驚いたような顔をした後、とびっきりの笑顔を見せてくれた。
「感じるよ、カトルの魔力! ありがと、ね」
遅くなりすみませんでした。
詳細は別で記しますが、現在、一身上の都合により執筆時間の確保が困難な状況です。
お待ち頂いて申し訳ないのですが、何卒宜しくお願い致します。