第九十三話 背水の地底行
「そんな……! アグリッピナの地下には何もないって言ったのはユミスでしょう?!」
「そうだけど、龍脈が乱れるほどの状況だし何が起きてもおかしくないよ」
「……っ、カトルは気付いてたわけ?」
「そんなの気付くわけないじゃん。でも俺はユミスを信じるし、ユミスに付いて行くだけ」
「わ、私だって信じてるわよ!」
俺の言葉に対しナーサが慌てたように返してくる。
確かに、あの宮廷前の惨状を見れば次、学区で何が起きたって不思議はない。
ただナーサが疑問に思うのも理解出来た。カルミネの時は王宮の崩壊に明確な理由があったけど、アグリッピナには何もないと他ならぬユミスが言っている。
だから実際に地割れが起こっていても、まだ違和感が拭い去れていなかった。
……何か、とんでもない事を見逃していなければいいんだけど。
「とにかく、ユミスの言葉通りならすぐに学区の者を総動員して住民の避難に当たらせるべきね」
「ならば私は宮宰殿に伝えて来よう。かの御仁であれば少なくとも北部の者たちを動かせるはずだ」
「ん……、じゃあナーサとルフはそれでお願い」
「フン、なれば仕方あるまい。我もエレンミアに手助けするよう伝えてやる。だが、その魔剣があるからと言って勝手に地下へ行ってはならんぞ! 苦渋の思いで牢獄宮を諦めてやったのだ。せめてこの地下くらい眺めておかねば割に合わん」
「ん! カトルと二人だけでそんな無茶するわけがない」
「本当に行かないでよね? あんたたちはカルミネですでに前科があるんだから」
「行くわけないっての。あの時と違って俺の能力全然なんだし」
「うん? カトル殿の能力が全然とは?」
「あ、いや、まだ前の感覚が戻ってなくて」
「ほうほう、その強さ、でか」
やっばー。ルフとアレゼルが訝し気な視線を向けてきてるよ。
今の俺は見かけ上“人化の技法”前と比べて能力の数値に差がない。というか下手すると詐称していた頃より上だ。
その辺り、鑑定魔法が使えるアレゼルには全部筒抜けだろう。だったら俺たちは包み隠さず正直に答えるしかない。
「ん、そう。今のカトルの強さじゃ太刀打ちできない。なぜか私の身体強化がヴァルハルティで上書きされたし」
「ほうほう、それは奇怪なことよのう。魔法をかき消す魔剣を手にしながら、以前は身体強化を上書きされなかったとな」
アレゼルは疑り深そうな視線でユミスを見据える。どうやらまだ納得してないらしい。
だがもはや俺の興味はそこにはなかった。
(身体強化の上書きがされなかった……?)
そうだ。カルミネでは身体強化の上書きなんて一度も起こらなかった。むしろヴァルハルティは常に魔力を求め、激しく暴走していたはずだ。
今まで深く考えてこなかったけど、なぜそんな事が起こり得たのか。
ヴァルハルティがミーメ老人の手によって作られたばかりで、魔力が足りなかったから?
もしくは王城の封印の間へ続く道に仕掛けがされてたから?
……いや、違うな。
あの時、俺の魔力は今より何十倍も多かった。もし今の俺があの時のヴァルハルティを使えばほぼ間違いなく一瞬で干からびてしまうだろう。
そもそも常に魔力を欲しているのなら、ミーメから手渡された時点ですぐに魔力枯渇でぶっ倒れてたはず。
ってことは使い手を選ぶのか?
俺はあの時よりも格段に弱いから、ヴァルハルティも本領発揮できない、とか?
うーむ、一応辻褄は合いそうだ。
カルミネの王城にあった仕掛けは竜族を狙い撃ちしたものだったし、それに比べれば宮廷にあった罠など全然大したものじゃなかった。
にもかかわらずヴァルハルティの奪った魔力が俺に逆流してきたのだから、本来抱え込める力のほとんどを有していないと考えるべきだ。
……あれ?
そういや、あの宮廷にあった罠は何で俺たちに効果があって敵は全く問題なかったんだ?
あの場にいた全員が状態異常になって……いや、アレゼルだけは問題なく魔法をぶっ放し続けていたか。マリーやルフはアレゼルの補助魔法のおかげでなんとか戦いを継続出来てたんだった。
妖精族には効かない、ってことは敵も妖精族――いや、それはないか。
妖精族にだけ効かない、つまり対象の一部を絞る魔法は事実上不可能って思えるくらい魔力が必要になる。そんな事するくらいなら妖精族以外に効く魔法を連発した方がいい。魔力の無駄だ。
……。
対象を絞る。
もしカルミネの仕掛けが竜族狙い撃ちだったように、あの魔石が人族にしか効かないものだとしたら――。
「……ル! カトル!」
「え?!」
突然のナーサの声に俺はビックリして目を瞬く。
気付けばいつの間に身に纏ったのか精銀鎧姿のナーサが怪訝な表情で俺を覗き込んでいた。
どうやら俺はかなりの時間考え込んでいたらしい。ずっとそばにユミスが居たから気付かなかった。
「あんたは、こんな時にボーっとして。話聞いてた?」
「話?」
「カトルはさっきからずっとそのまま」
「フッ、さすがカトル殿。戦いを前に精神を研ぎ澄ましていたのか」
「まさか我が骨を折っている間、ずっと呆けていたとはのう」
どうやら俺が考え事している間に全員用事を済ませて来たらしい。
周囲を見れば、鎧の上から各領地のマントに身を包んだ者たちが我先に学区の外へ向かっている。ルフがうまくパルテミウスを説得したようだ。
ふと見れば、その中をかき分けてこちらへ近付いて来る一団があった。
特長的な長い耳、魔力をこれでもかと宿した連中が数十人。見間違えようはずがない。アルヴヘイムの妖精族たちだ。
中でも一際魔力を帯びた銀の杖を手にした少女が先頭切って足早にこちらへ向かって来るのが見えた。涼しげな淡い水色のワンピースの上に迸る魔力を秘めた魔石が散りばめられた深緑のマントを纏っており、赤茶色の髪と相まってはつらつとした印象を受ける。
ただその表情は、怒りの色で染まっていた。
「アレゼル従姉さま!」
「長の血を引く上位妖精族がみだりに心を乱すなど、恥ずべき行為ではなかったのか? エレンミア」
「従姉さまだけには言われたくありません」
どうやら彼女がアグリッピナからラティウム連邦に派遣された使節団をまとめる上位妖精族であるらしい。
俺より結構幼く見えるが妖精族となると容姿は当てにならない。
「それで、いかがした?」
「はい。実はナルルースの行方が……」
その名を聞くやアレゼルはくいっと手を翳し、魔力を展開して声を遮断する。
「ナルルースっていうと」
彼女はユミスを手助けしてくれていた学区にいる唯一の妖精族だ。ユミスが心を奪われていた妖精族の写本を提供してくれた好意的な人物という印象が強い。
「エヴィアリエーゼの事も知ってたよ。魔法にも造詣が深くて、私の話もずっと聞いてくれた」
「は?! ……それは凄いな」
ユミスの魔法話をずっと聞く?
どんだけ命知らずなんだ……って、ユミスが睨んでいるからこの話題から離れよう。
ついと視線を戻すと、アレゼルとエレンミアが揉めていた。
エレンミアが左手を腰に当て右手の人差し指を突き付けながら何事か叫んでおり、アレゼルは苦々しい表情を浮かべている。
だがあまりの攻勢に嫌気がさしたのか、また手を翳して魔力の壁を消し去ると、話はこれまでと言わんばかりに彼女を振り切ってこちらへ来てしまう。
それで納得できないのはエレンミアだ。
「従姉さまはそんなにもそこの人族と共にありたいのですか?!」
「フン、そんなわけあるか。我は地下で蠢く魔力の正体を暴く為に同行するだけだ」
同行、じゃなくて率先してだけどな。
「ならば私もお連れくだ――」
「そちの役目はアグリッピナからの退避準備と、部下と共に我の退路を確保することだ」
「その部下が地下にいるのです! 赤子の如き魔力しか持たない人族になど任せていられません」
エレンミアの声が響き、皆の視線が彼女へ突き刺さる。
「はぁ……、愚か者めが」
額に手をやりため息を吐くアレゼルだったが、もう遅い。エレンミアの声が聞こえるや否や、すぐにユミスが彼女へ問いかける。
「ナルルースが地下にいるってほんと?」
「無礼者! 私を誰だと思っているので……っあ痛」
「愚か者。彼女はカルミネの元女王ユミスネリア殿だ」
「なっ……?! で、ですがこの者は名乗りもせず私に詰問しようと……っ痛い痛い、わ、わかりました。わかりましたらから従姉さま、グリグリしないで」
這う這うの体で逃げるエレンミアを尻目にユミスがアレゼルの前にずいと乗り出す。
「知ってること全部教えて。ナルルースは何で地下に行ったの?」
「我も今こやつから聞いたばかりだが、あのお調子者は強い魔力に惹かれ、のこのこ敵陣真っ只中へ繰り出して行ったらしい」
「それで地下に? 信じられない」
隣で聞いていたナーサが呆れ声をあげる。
ただその言葉になんとも嫌な顔を見せたのはユミスとアレゼルだった。まあ、二人とも心当たりしかないからな。ユミスはシュテフェンの時も最初は一人で乗り込む気だったらしいし、アレゼルに至ってはさっきまで一人のこのこと牢獄宮へ行くつもりだったしね。
「ん、ナルルース一人だと危険。途中で拾って、状況確認はその後」
「うむ、我もそれで構わぬ。誰ぞ反対の者はおるか」
「ですから、私は従姉さまが向かうことに反対――」
「よし、反対意見はないな。この五人ならば十分よ」
「従姉さま!」
エレンミアが目を吊り上げて食って掛かるも、当の本人はどこ吹く風だ。
「本当にいいの? アレゼル」
「そちが気にすることではない。それに退路の確保を望んだのはそちたちぞ」
「そりゃそうなんだけど、何か気になっちゃって」
「我は適材適所を申し付けただけに過ぎん。退路の確保はある程度の人数が必要、かつ極めて重要な任務だ。敵味方入り乱れるこの混乱の中、安心して後ろを任せられ、問題が生じればすぐに連絡を取ることが出来る者など、エレンミアを置いて他にはおらぬ」
そう言ってアレゼルは伝聞石を懐から出してくる。
なるほど、貴重な伝聞石を二人が持っているなら連絡は容易だ。
エレンミアはそんなアレゼルの言葉を聞き、ウギギと奇妙なうめき声を上げていたのだが、やがて観念したのか大きなため息をつく。
「分かりました。一時間です。一時間だけ待ちましょう。その間に必ずナルルースを連れ帰って下さい」
「!」
「一時間とは短いのう。もう少しなんとかならぬのか」
「これが精一杯の譲歩です。宮廷付近で崩落が発生し、市民たちが逃げ惑う中、この場に一時間待機しなければならないデメリットを考えて下さい」
「むうう。だが、地下では敵がなんぞ企てておるやもしれんのだぞ。それを何と心得る」
「あくまでここは他国です。この地の事はこの国の者が考えるべき事であり、私たちアルヴヘイムの関与は必要ではありません。この一時間はその認識を怠ったナルルースを連れ戻す為の猶予です」
「ん、アルヴヘイムにも影響を及ぼす大事だったらどうするの?」
「……ッ。それはその時に考えれば済むことです、カルミネの元女王陛下。貴方も他国にいるという自覚を持たれるべきでしょう」
「手遅れになったら――」
「フフ、手遅れなど……。人族同士の争いで起こった問題など、我が国に解決できない道理はありません」
微妙な空気がその場を漂う。
視線を合わせる両者。
自信に満ちた顔付きのエレンミアをよそに、ユミスは深いため息を吐いた。
「行こう。一時間で終わらせる」
次回は年内(12月)中の更新予定です。