第九十二話 学区へ
「今までであれば俄かには信じられん話だが……、事ここに至っては是非も無い。そのフォルトゥナートとやらは今どこにいる? 何が目的なのだ」
ヴィットーレは苦々しい表情で頭を掻きながらそう尋ねた。自分も“核”に苦しめられたからこその発言なのだろう。
その言葉にさっきスティーアの兵士から聞いた証言がよみがえる。
『首の後ろにぬるっとした異物が入り込み、自分が自分でなくなるような感覚が襲い掛かってきて――』
それを聞いた俺は思わず首筋を抑えてしまった。意識が乗っ取られる感覚など味わいたくもない。その兵士は俺が剣を突き立てようした時「ああ、これで楽になれる」と歓喜したそうだ。まさか生きて話せるとは思わなかったと何度も感謝されたけど、あまりのエグさに無理やり愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。
「ん、カトルがフォルトゥナートを見たのは崩れた武舞台の底だった」
「むむ、学区の地下か。……あのような武舞台を眠らせておく為だけの場所でいったい何を」
「フォルトゥナートの目的は正直分からない。けど、虹色の魔石を持ったベリサリウスが隣に居た以上フェレスが――魔道師ギルドが何らかの意図を持って動いているのは間違いない」
俺が苦悶している間もユミスたちの話し合いは続く。
「虹色の魔石か……。天魔について信じないわけではないが、シュテフェンの者たちはその怪物になぶり殺されたのであろう? そのような人知の及ばぬモノを用いるなど正気とは思えぬ」
「私としては魔道師ギルドの残党と手を結んだことの方が信じられん。北部三公と魔道師ギルドとは、表面上はともかく内実は不倶戴天の敵同士ではないか。その当事者と手を結ぶなど、皇子は本気でカルミネへの侵攻をお考えなのか? 予断を許さぬ五小国の状況を何と心得ておられる」
「フン、アールパードの傭兵王など何するものぞ、と息巻いていたのはゴートニアの方ではないか」
「アールパード一国だけであれば敵ではない。だが、カルミネに侵攻するとなれば話は全く別だ。少なくとも混乱の続くエミリア街道を南下せねばならん。裏でエミリア公国とこそこそ画策している南部連中だけならばともかく、ハンマブルクなどもはやウィンニーリー王国との密貿易を隠そうともしなくなっているではないか。この情勢下でカルミネへ侵攻など、行きつく前に内部崩壊する未来しか見えぬ」
腕組みをしたヴェルンがやや苛立った口調でヴィットーレに返答する。言葉でこそ軽口のように思えるが、お互い目を合わそうともしない。ゴートニアとスティーアの仲の悪さが如実にうかがえてくるのだが、俺としてはそもそも話についていけてない。
「……エミリア街道って?」
「あんたは! ったく、ユミスの護衛という立場なんだからちょっとは勉強しておきなさいよね」
そうぶつぶつ言いながらもナーサはちゃんと教えてくれる。
今、話に出た三国はどの国も連邦と国境を接しており、それらの国を東西で繋いでいるのがエミリア街道だという。
ウィンニーリー王国のリゾート都市アリミヌムからエミリア公国の中心都市を抜け、アールパード王国の首都パンノニアまでを繋ぐ大街道であり、商人たちが行き来する通商路として街道沿いは大きく栄えているそうだ。
「詳しいな」
「当たり前でしょう! 私は陸路でカルミネへ向かったんだから」
「そういや、そんなこと言ってたっけ」
そういやナーサはカルミネまで陸路で三ヶ月近くかかったんだっけ。五小国は始終小競り合いを繰り返しているから国境封鎖も頻繁に起こる。
そりゃあ陸路でカルミネへ侵攻するのは難しいわな。
「ほうほう、さすがはゴートニアの御曹司。国際情勢に詳しいようだのう」
「おためごかしは不要だ、アルヴヘイムの上位妖精族殿。ラティウム連邦とアルヴヘイムの国交正常化に尽力された貴女が、五小国の情勢に疎いはずがない」
「それは買いかぶりが過ぎよう、ゴートニアの御曹司。我はあくまでこの国への滞在と引き換えに口添えしたに過ぎん。なにしろ、カルミネの現女王が誰なのかさえ満足に把握してなかったくらいだからのう」
「ん、私を引き合いに出さない」
急に話を振られユミスは不機嫌そうに答えるが、アレゼルは飄々とした態度を崩さない。
「なぁに、ついでに我が身の潔白を証明すべきと思ったのでな。カルミネの元女王殿は我を疑っているのであろう? 我とてオブスノールの地に訪れた人族がこの状況を作り出した張本人であったなど青天の霹靂なのだぞ」
「?!」
その言葉に驚いてユミスを見るも、彼女は冷静なまま表情を崩さない。
その反応が不満だったのか、アレゼルは軽くフンと鼻を鳴らす。
「我がオブスノールの地を体よく追い払われたのは知っておろう? その時、入れ違いでやってきた者の放つ魔力があまりにも異質だったので、気付かれぬよう気配を探っておったのだ。もっとも既に彼の地をだいぶ離れた後で、容姿まで確認できなかったがのう」
アレゼルが確認したのは魔力の気配は全部で五つ。
それはルフの話とも合致する。
「そこにおる白金髪の戦士、学区の地下に残った二人、武闘会場でカトルがその魔剣で切り裂いた女――」
「っ?!」
やっぱりセイと一緒にいた女、あれがフェレスだったのか――!?
だが、そんな驚きも続くアレゼルの言葉で全てかき消されてしまった。
「そして最後が、武舞台からカトルが落ちた後、突如として現れた大地の力にまつろわぬ魔力を持つ者だ」
―――
「カトル、急いで!」
「分かってる!」
俺はユミス、ナーサと共に学区への道を急ぐ。
ヴィットーレとマリー、そしてヴェルンは市民の誘導だ。一緒なのはルフと――。
「遅いのう。身体強化せぬとその程度か」
「うるさい」
「牢獄宮を後回しにしたのだ。それ相応の働きと成果を期待してもよかろう?」
「皆が皆、敏捷強化を使えるわけじゃないっての」
「情けないのう。これなら姪を誘った方がマシかもしれん」
俺へ文句をぶつけながら並走するアレゼルである。
結局牢獄宮へは引き続きリネイセルが偵察に残ったのだが、それが気に入らなかったのかあれからずっとこんな調子だ。
「そんなに言うなら、私たちにも敏捷強化を掛けて欲しいんだけど」
「言い始めたのはそちであろう? それに魔力は大事な根源。なぜ我がそのような些事に力を注がねばならん」
「あんたね!!」
「……」
怒るナーサの横で、いつもなら毒舌の一つも吐きそうなユミスはまだ何か考え込んでいる。
おそらくさっきのアレゼルの発言だろう。
“大地の力にまつろわぬ魔力”
それは、地上を巡る魔力の根源たる龍脈とは全く異なる何かを源泉としているのであり、その力を持つモノは事実上この大陸の生物と一線を画す存在となる。
パッと思いつくのは天魔だ。
特にあの壁の向こうで埋め尽くされた異形の姿はおよそこの世のものではなかった。
フォルトゥナートがそれと同じであるなら……、奴は“侵食”されたナニカと考えるべきなんだろう。
「もうすぐ学区だ」
先を行くルフの声に前を向くとカラフルな建物群が見えて来る。さっきまで戦いの喧噪に包まれていたとは思えないほど学区は静けさに包まれており、行き交う人影もまばらだ。
「学区の制圧はホールファグレとシルフィング、それからケルッケリンクが動いているのだったか?」
「姉さんからはそう聞いてるわ」
「フン、あの不快なポテ腹公爵か」
「……プッ」
「っ、いくら上位妖精族の方でも不穏当な発言は控えて頂けないか」
「それはアルヴヘイムとの国交樹立に難色を示した挙句、我に難癖を付けて来た奴に言うが良い。危うく交渉が決裂して我は国外追放されるところだったのだからな」
「それは……申し訳ないことをした」
「フン、そちのせいではないわ」
ケルッケリンク公爵は三年前からアレゼルとひと悶着あったらしい。
でも、アレゼルはハンマブルク公爵が率先してオブスノールに留めていたんだよな。にもかかわらず、ケルッケリンク公爵が難癖を付けるって、同じ東部同士なのに仲が良くなかったりするのか?
……いや、スティーアとゴートニアも西部同士で仲悪いな。
じゃあ、円卓会議の時の二人――ケルッケリンク公爵とハンマブルクの長子も、タッグを組んでこちらを目の敵にしてきたように見えて、実は反目し合っていたのか。
「貴族ってめんどくさいなぁ」
「ん、ほんとそう。でも、貴重な情報だった」
「え?」
「東部ではアルテヴェルデ辺境伯だけがギクシャクしてるのかと思ってた。でもケルッケリンク公爵とハンマブルク公爵の仲が良くないなら、さっきのカトルの仮説がどんどん現実味を帯びて来る」
「ふむ、皇帝派がアルテヴェルデ、皇子派がハンマブルク、そして第三勢力のケルッケリンク、か。ますますケルッケリンクの狙いが読めぬのう……普通であれば」
「でもフォルトゥナートが裏にいるなら、きっと狙いはここ」
そう言って、ユミスは地面を指し示した。
そうだ。
フォルトゥナートの狙いは封印の壁を破り天魔をこの大地に溢れさせることだ。だとすれば奴はカルミネの時と同様、地下で崩壊の序曲を奏でているに違いない。
「ナーサ。スティーア寮にまだ誰か残ってる?」
「え、ええ。エディ兄様に従わなかった学区の生徒が残っているはずよ」
「なら今すぐ全員学区から避難するよう伝えて。ここはいつ崩壊してもおかしくないから」
「崩壊!?」
「ほうほう、気付いておったか。さすがは神たる竜に育てられし者よ」
「ん! 茶化さない。これだけ龍脈が乱れれば気付いて当然」
……いや、俺全然気付けなかったんですけど。
てか、そもそも龍脈が乱れてるってどういうこと?
「カトルが気付けないのはしょうがない。だって……」
封じられているから――。
すぐ耳元で囁かれたかのような甘い声に俺は思わずユミスを二度見してしまう。
静寂魔法で声の道を作ったのか。
アレゼルが不審そうな顔をしたので魔法自体は気付かれたみたいだけど、内容までは分からないはずだ。
それにしても、封じられているって“人化の技法”の事だよな。
人族にされる前も、自力で龍脈を感じた事なんてなかったけどね。ってか、ナーサもルフもキョトンとした顔をしてるし、龍脈なんざ分かる方がおかしいに決まってる。あまり気にしないでおこう。
それより――。
「崩壊って、学区がカルミネの王宮みたいに崩れ落ちるって言うの?!」
「ん、学区だけじゃない。カルミネと違ってこのアグリッピナは、地下に広大な宮廷が張り巡らされている。だから――」
「待って! この首都は最外層の城壁に至るまでほぼ全ての場所が地下通路で繋がっているのよ?! そんなことになったら……!!」
思わず絶句するナーサに、ユミスは容赦なく絶望の言葉を投げかける。
「ん。アグリッピナ全域が崩れ落ちる……かもしれない」
お待たせしました。
次回は10月中の更新予定です。




